■約束とは、自分の心と交わすものなのかもしれません
Contents
■オススメ度
自閉症スペクトラムに関心のある人(★★★)
ドイツのサッカーリーグが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.11.21(MOVIX京都)
■映画情報
原題:Wochenendrebellen(週末の反逆者)、英題:Weekend Rebels(週末の反逆者)
情報:2023年、ドイツ、109分、G
ジャンル:自閉症の少年が推しのサッカーチームを探す様子を描いたヒューマンドラマ
監督:マルク・ローテムント
脚本:リヒャルト・クロプ
原作:ミルコ・フォン・ユターセンカ&ジェイソン・フォン・ユターセンカ『Wir Wochenendrebellen: Ein ganz besonderer Junge und sein Vater auf Stadiontour durch Europa』
キャスト:
フロリアン・ダービト・フィッツ/Florian David Fitz(ミルコ/Mirco:ジェイソンの父、ハンバーガーチェーン店のスーパーバイザー)
セシリオ・アンドレセン/Cecilio Andresen(ジェイソン/Jason:ミルコのの息子、自閉症、10歳)
(幼児期:Valentin Andresen)
アイリン・テツェル/Aylin Tezel(ファティメ/Fatime:ジェイソンの母)
Florina Siegel(ルーシー/Lucy:ジェイソンの妹)
ヨアヒム・クロール/Joachim Król(ゲルトおじいちゃん/Opa Gerd:ミルコの父、ジェイソンの祖父)
ペトラ・マリー・カミーン/Petra Marie Cammin(マヌエラおばあちゃん/Ömchen Manuela:ミルコの母)
Leslie Malton(クリスチアーネ・ブリンクハウス/Frau Brinkihaus:ミルコの上司、バーガーショップの社長)
Milena Dressing(フォルケ先生/Frau Dr. Folke:ジェイソンの宗教の先生)
Ilkur Boyraz(ブサート学長/Rebtorin Bussart:小学校の学長)
MichaelaWiebusch(シェーンヴェルダー先生/Lehererin Schönwälder:ジェイソンの担任)
Tilo Nest(レインハルト・ジーバー教授/Prof Reinhard Sieben:物理学の教授)
Elisabeth Heckel(ジーバー教授の秘書)
JaninaKranz(ジェシー/Jessi:バーガー店の店員)
JohannesAllmayer(マンフレート/Bobos Geschäftsführer Manfred:ボボスバーガーの店長)
Otis Ray Whigham(ヘンリー/Henry:ジェイソンのクラスメイト)
Charlotte Hübner(エマ/Emma:ジェイソンのクラスメイト)
Laszlo Chiesura(ベン/Ben:ジェイソンのクラスメイト)
HannieBoon(イサ/Isa:ジェイソンのクラスメイト)
Elliot Peschlow(ジェローム/Jerome:ジェイソンのクラスメイト)
Maron Kittel(ラドルフ/Radolf:サッカーのコーチ)
Leo Schöbel(テオ/Theo:ゴールキーパーの少年)
Nela Bartsch(バス停の老女)
FrankStreffing(ティーレ/Thiele:列車のウェイター)
Andreas LeopoldSchadt(ニューベルングの会場の係員)
Sabine Barth(ヴォック/Vock:文句を言う列車の乗客)
Gode Benedix(タクシー運転手)
StefanKressing(バベルスベルクのファン)
Fritz Scheuermann(ルートヴィヒ/Ludwig:バイエルンのファン)
Markus Hoffmainn(Patti/パティ:ドルトムントの会場係員)
Nikolaus Trei(チケット売り)
Miron Rasbach(ミロン/Miron:バスの運転手)
Jason Luke von Juterczenka(本人役、アーカイブ)
Mirco von Juterczenka(本人役、アーカイブ)
■映画の舞台
ドイツ:ノルトライン県
ヴェストファーレン州ハーン
https://maps.app.goo.gl/NFMr96fio9LQmx2n7
ドイツ:
シュルンベルク&ベルリン&ミュンヘン
ロケ地:
ドイツ:ベルリン
フリードリヒ・ヤーン・シュポルトパーク/Friedrich-Ludwig-Jahn-Sportpark
https://maps.app.goo.gl/3KL48TrB7S8L8ZtcA
ノルトライン・ヴェストファーレン/Nordrhein-Westfalen
エスプリ・アリーナ/Merkur Spiel-Arena
https://maps.app.goo.gl/C457Gfc7xmjSEEd9A
ドルトムント/Dortmund
シグナル・イドナ・パーク/Signal Iduna Park
https://maps.app.goo.gl/AQigwhcQQwWG7JGf9
Max-Morlock-Stadion(フランケンシュタディオン)
https://maps.app.goo.gl/xGhdNYyxh9SkDuyQ9
■簡単なあらすじ
ドイツ北西部の街ハーンに住んでいるミルコは、妻ファティメとの間に息子ジェイソンを授かったが、彼は自閉症スペクトラムと診断されていた
子どものために人生を捧げると誓った二人だったが、自閉症の対応には極度のストレスと日常の制限がかかってしまう
ファティメは通訳の仕事を辞めて子育てに専念するものの、想像以上の激務に悲鳴をあげていた
ミルコは地元のバーガーショップのスーパーバイザーとして各店舗を回っていたが、出張の機会が多く、家庭とのズレが生じていた
ジェイソンが10歳になった頃、クラスメイトのヘンリーにからかわれた彼は暴力沙汰を起こしてしまう
担任のフォルケ先生や学長などからも苦言を呈され、特殊学校への編入を打診される
だが、ジェイソンには人生の目的があって、特殊学校には行きたくないと言う
そんな折、生徒の間でサッカーチームの推しの話になり、それに興味を示したジェイソンは全てのクラブを回って、この目で確かめたいと言い出す
ミルコは条件を提示し、週末はジェイソンと各クラブを周り、ジェイソンの推しを探すことになったのである
テーマ:自閉症との向き合い方
裏テーマ:外の世界が教えてくれるもの
■ひとこと感想
自閉症スペクトラムの子どもの育て方の大変さを知る一方で、ロードムービーとしての面白さが加味され、さらに会話劇として軽快な部分がありました
会話の噛み合わなさもそうですが、例えやジョークが通じないために真顔で解説するシーンなどは、本人たちは真剣なので笑ってしまいます
実際に自閉症スペクトラムの子どもたちと接する機会はなかったのですが、いろんな媒体を通じて知る姿としては大変なことだなと思っています
彼らには独自のルールのようなものがあって、そこから少しでもズレると上手く行きません
コミュニケーションも直球になることが多く、それが諍いのもとになったりしますが、そのあたりがとてもリアルに描かれていたと思います
ドイツのサッカークラブに精通していればなお面白いのですが、それがなくても地元のファン贔屓などが起こるのはどこでも同じなのですね
なので、日本だとプロ野球に置き換えた方がわかりやすいかもしれません
ドイツのサッカーにも聖地のような特別なスタジアムがあって、そんな中でルールに則って推し選びをしていく姿はとても愛らしかったと感じました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作は原作ありきの実話なので、ネタバレというものはそこまで深くはありません
ジェイソンが作り出したルールを理解して入れば、彼がビッグクラブを推しにすることはないのだなとわかると思います
残念なマスコットの境界線はわかりませんが、彼がカッコいいと思うキャラが出てくるのか、そういったものを設定していないかどちらかになるのだと思います
映画のラストでは本人たちが登場し、「まだスタジアムを回っていること」がわかるのですが、一体何チーム目なんだろうなあと思ってしまいます
お父さんも大変でしょうけど、おそらくは楽しみの一つになっているのかもしれませんね
物語は、外の世界に出るジェイソンと、その中で彼を理解する父というものが描かれていきます
一緒にエレベーターに乗っても分からなくて、俯瞰することでわかることもあります
また、乗っているつもりでも、何かを忘れていることが多くて、映画でもジェイソンは何度も昇降させていたことを考えると、あの仕草こそSOSだったのかな、と思いました
■自閉スペクトラム症について
映画の主人公ジェイソンは自閉スペクトラム症と言われるコミュニケーションが苦手で、物事に強いこだわりを持つ発達障害のひとつと診断されています
ジェイソンのように、何かの行動に決まり事があることも多く、そこから少しでもズレてしまうとパニックに陥ってしまいます
最近の調査では、男性に多く見られ、ひとクラス(30人前後)に一人はいるとも言われています
原因に関しては不明とされていますが、生まれつきの脳機能の異常と考えられています
自閉スペクトラム症が疑われる特徴として、「視線が合わないか、合っても共感的ではない」「表情が乏しいか不自然」「名前を呼んでも振り向かない」「独り言が多く、人の言ったことをそのまま返す」などがあります
病気というよりは、生まれ持った特性のようなもので、治療の基本は「療育(治療教育)」とされています
生活における自分のスタイルを見つけることでスムーズに行動ができるようになりますが、問題はそれに対する他者の反応や不理解だと思います
それらの反応がいじめにつながることもあるし、ようやく築いたものが崩れてしまうこともある
その繰り返しによって、本人の自尊心が傷つけられてしまうので、周囲が過剰な反応をしないように配慮しなければならないと言えます
それでも、一般社会ではそう言ったことに無頓着な人もいれば、過剰に保護するのをよしとしない人もいます
ジェイソンのように親が子どもの味方になって一緒に相手を攻撃するという側面もあり、それがさらなるコミュニケーションの狭窄につながる場合もあると思います
ある程度、社会での認知度が上がっていくことが理解度を上げるとも言えるので、幼少期などの道徳や倫理などの授業、地域コミュニティなどの働きかけによって広めていくより他はないように思います
とは言え、一番は大人がどのように理解しているかが重要で、子どもたちの自閉スペクトラム症に対する反応は、そのまま親の反応であるとも考えられると言えます
■推しのチームを作る意味
多くの人は、何らかのスポーツに贔屓のチームを持っていることが多く、熱狂的に応援する人たちも多いと思います
個人的には、親の影響で関西人なのに巨人ファンみたいな感じの幼少期を過ごし、最終的には応援よりもプレイしたいということで硬式野球部に所属することになりました
ちょうどJリーグが生まれた頃に青春期がありましたが、地元のチームが弱すぎて(この頃は京都に引っ越したところだったのでパープルサンガですね)肩入れをするということもありませんでした
基本的にはチームよりも個人が好きだったので、巨人の選手でも篠塚選手とか、川相選手などが好きで、クロマティ選手にも憧れを持っていました
そんな私とは違って、ジェイソンはフットボールの贔屓のチームを作るために、全てのチームをこの目で確認すると言い出します
ホームグラウンドなどへのこだわりを決めて、それに父親が付き合うことになるのですが、父にはすでに贔屓のチームがいて、そのチームの大事な試合に見に行けないという事態が発生していました
贔屓のチームを作ることは色んなメリットを含む反面、デメリットもあると思います
それが生活の一部となって、多くの時間を割くことになりますが、それが自分の人生にどれぐらい寄与するかということとのバランスが重要だと思います
人は贔屓のチームを応援しても収入を得られず、何かしらで稼いで、そのお金をそこで使うという流れになります
基本的には自分へのご褒美みたいな感じで散財するし、チームの存続の投げ銭感覚の人もいると思います
それ自体を否定はしませんが、それが生活に影響が出るレベルだとヤバいでしょう
また、対人関係において、贔屓のチームが違うからとか、同じだからで付き合いを変えるというのもナンセンスで、ピッチの上と同様に試合以外ではノーサイドであるべきだと思います
子どもの頃に熱狂的な阪神ファンの子がいて、負けるたびにバカにされるという、今ならいじめに似たようなこともありましたが、エスカレートするとダメだと思うし、それを大人になっても引き摺るというのはさらにナンセンスであると言えるでしょう
あくまでも、ゲームを楽しむためのひとつの要素として贔屓を作るというのが目的である方が健全だと思います
贔屓を作ることで競技自体を見る目が養われたりもするし、ゲーム全体を見ることで展開とか影響というものが見えてきます
また、一緒になって感情を爆発させるということも精神的には効果的だと思うので、他人に迷惑をかけない程度にはしゃぐのはアリかなと思っています
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作の主人公はジェイソンなのですが、実質的には振り回される格好になっている父親ミルコだったように思います
彼はジェイソンと約束を交わし、それをどのように遵守するかというところが問われていました
父親はジェイソンの唯一の味方であり理解者なので、その覚悟がいかほどのものかが問われているとも言えます
自分の贔屓のチームの試合とバッティングした場合はどうするのか、どうしても外せない週末ができた時にどうするのか
それらが問われる旅にもなっていました
ミルコに起こる出来事は彼を試すことになりますが、それはジェイソンの意地悪でも何でもありません
約束をした時から想定できることばかりで、彼自身の読みが甘かったとも言えます
普通の子どもだったら、父の立場を理解して配慮することになると思いますが、実際にはその配慮は悪影響を与えることが多いでしょう
なので、父親的な立場の人がいたら、自分が子どもとこのような約束をしたら、果たして完遂できるだろうかということを重ねることもできると思います
ジェイソンは父親から拒絶された際にエレベーターを何度も何度も往復するという行動を取っていました
これは自分の殻に閉じこもって出れないことの暗喩のように思えますが、逆の見方をすれば、あのエレベーターの中に入らないとジェイソンとの会話はできないようにも思えます
彼自身はあそこから出ることができず、それは自分がルールを作る前にいた世界と同じだったのでしょう
ようやくルールを作ることになり、エレベーターから出ることができたのに、今度は一緒にルールを作ってくれた人は先に降りてしまっている
ジェイソンの心象風景を如実に表すものとして、とても印象深いシーンとなっていました
彼はエレベーターを上下に動かしていて、それは静止ではありませんでした
これか彼の深層心理を表していて、どちらかに動こうとしている意思の表れにも思えます
それは、自分自身が変わろうとする2階と、そのままでいる1階とも言えます
その意味が汲み取れるのなら、父親は2階から乗り込むのが良いのかな、と思います
実際にどのようなシーンだったかは細かく覚えていませんが、そこには深い意味があったと思うし、ジェイソンのその後に続くものだったのかもしれません
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/102043/review/04490945/
公式HP: