■加害者を赦せても、司法を赦せなくなるのが今回の裁判だと思う


■オススメ度

 

加害者家族の葛藤を描いた作品に興味のある人(★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.3.28(アップリンク京都)


■映画情報

 

情報:2022年、日本、98分、G

ジャンル:殺人事件の再審によって、再び犯人と向き合うことになった遺族を描いた法廷劇

 

監督:アンシュル・チョウハン

脚本:ランド・コルター

 

キャスト:

尚玄(樋口克:娘を殺された父、7年間出版できていない作家)

MEGUMI(岡崎澄子:娘を殺された母、克の元妻)

成海花音(樋口恵未:殺害された女子高生)

 

松浦りょう(福田夏奈:服役中の加害者)

 

藤森慎吾(岡崎直樹:澄子の夫、再婚相手)

 

真矢ミキ(岡本和美:裁判長)

生津徹(佐藤匠:夏奈の弁護士)

清水拓蔵(阿部生郎:検察官)

 


■映画の舞台

 

日本のどこかの地方都市(ロケ地は神奈川県藤沢市&茅ヶ崎市)

 

ロケ地:

神奈川県:藤沢市

Coast Tavern(克と佐藤が会うバー)

https://maps.app.goo.gl/g7CdKtAqxosfGfQN9?g_st=ic

 

AMERICAN HOUSE 辻堂店(克と澄子が食事するレストラン)

https://maps.app.goo.gl/zAgVRqD7hSVncoNHA?g_st=ic

 

神奈川県:茅ヶ崎市

つちや酒店(克が酒を買い込む店)

https://maps.app.goo.gl/1p7Ur6oBUiuvqdpg6?g_st=ic

 

マッケンディー(克と澄子が酒を交わす店)

https://maps.app.goo.gl/29VKqfn4tMopjUVL6?g_st=ic

 

茨城県:茨城市

茨城県三の丸庁舎(裁判所)

https://maps.app.goo.gl/g2yUGfvaHKsB62cf7?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

7年前に娘・恵未をクラスメイトに殺された父・克は酒浸りの毎日を繰り返し、本業は手付かずの日々を過ごしていた

妻・澄子とは離婚し、彼女には再婚相手の直樹もいる

そんな折、克と澄子の元に、裁判所から一通の手紙が届いた

 

それは、娘の殺害事件の裁判の再審通知で、争点は「量刑の重さ」というものだった

当時、17歳の高校生の初犯に対し、下された判決が妥当なものなのか

その裁判によって、克と澄子は再び、恵未の死と向き合わざるを得なかった

 

加害者・夏奈の弁護人・佐藤は「当時の裁判は一方的で感情論に支配されていた」と主張し、「罪は認めるものの、量刑に関しては情状酌量の余地があったのではないか」と展開する

そして裁判は、夏奈の懲役20年が妥当なのかを紐解く中で、知られざる真相を掘り下げていくことになるのであった

 

テーマ:赦しに必要なもの

裏テーマ:変えられない過去とどう向き合うか

 


■ひとこと感想

 

未成年犯罪の再審という設定で、何かした新しい証拠でも出てきたのかと思いましたが、まさかの「あの時言えなかったこと」というズッコける内容になっていました

日本の司法に疎い人がシナリオを作ったかのような「初犯の未成年に20年の実刑判決」

この時点で、設定に関しての作り込みが無視されているように思えました

 

これが成立するためには、「明確な殺意」「厚生不能」「残虐性」「社会的な影響」などが必要になってきます

今回は「ある事情が発覚したから」ということで、量刑の妥当性を探ることになるのですが、その内容が「当時の取り調べで分からなかったのか」と首を傾げるものなのですね

それゆえに、この裁判が罷り通るなら、「刑を確定させ、量刑を言い渡す意味はない」と思えます

 

物語は、裁判によって蒸し返される遺族の心情を描いていきますが、再審で出てくる事実としては無茶としか言えませんし、家庭的事情や学校生活における諸問題を無視して結審した裁判があったことの方がヤバすぎると感じました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

懲役20年の実刑判決というと、残虐性、計画性、明確な殺意に加えて、逃亡していたぐらいのものがないとキツいイメージがあります

でも、実際にも「元少年、福岡の予備校生殺害」という事件で「懲役20年」というものがありました

この事件は「交際を断られた元少年が自分の秘密を周囲に言いふらしたと思い込んで殺害したもの」で、「19歳が路上にてナイフで複数回首や顔を突き刺した末に、斧で頭を殴って殺害した」というものでした

 

今回の場合は「いじめを受けていたので、それを止めるために殺害した」というもので、これが事実なら20年は無茶であると思います

でも、「いじめを受けていたこと」も再審まで無視されていて、殺害背景を精査せずに裁判に突入し、当時の弁護士にも秘密にしていたということになります

 

佐藤弁護士の話をそのまま受け取ると、7年前の担当裁判官は「社会的な影響だけを考えて、本人の背景、動機などを裁判の中で取り上げなかった」ということになります

このような裁判があるのかはわかりませんが、今回の再審で「実はいじめられていた」と言い出して、それを裁判所が認めたということになります

この流れが現実に起こっていたとしたら、過去の裁判も「司法の横暴」みたいな感じで取り上げられていたのではないでしょうか

このあたりの設定がリアルに感じられず、描きたいことのノイズになっていたように思えます

 


殺人と懲役

 

刑法199条によると、「殺人罪は死刑又は無期若しくは5年以上20年以下の懲役」となっています

「死刑」「無期」「5年以上20年以下」とバラバラなのですね

死刑に関しては、「永山基準」というのがあって、「犯行の罪質」「動機」「残虐性」「結果の重大性」「遺族の被害感情」「社会的影響」「犯人の年齢」「前科」「犯行後の情状」という9つの項目があります

重要視されるのは「犯人の年齢」で、どんなに重い罪だとしても「18歳未満は死刑にはならない」とされています

 

「永山基準」とは、1983年の7月8日に最高裁判所第一小法廷にて、連続射殺事件の被告人・永山則夫に対して、控訴審の無期懲役を破棄して真理を差し戻す判決を言い渡した際の「傍論」が由来となっています

各項目に具体的な数字というものは示されておらず、「一般的には、被害者数が1人なら無期懲役以下、3人なら死刑」となっていて、「2人がボーダーライン」という量刑相場というものが形成されていきました

今回の事件だと、「被害者は1人」「17歳」ということなので、それを踏まえて「20年の懲役」というものが科せられています

弁護人・佐藤がいうには「社会的影響」を加味して「重い量刑が科された」と考えていて、「犯行の動機」の判明によって、量刑が不当である、と訴えていることになります

 

裁判において、後出しジャンケンが通用するのかはわかりませんが、実際に「いじめの報復だったこと」を裁判で話していたら、「20年」というのはなかったということになります

でも、それだけで「20年から1年と執行猶予に変わる」というのはいくらなんでも無茶かなあというのが素人感覚ですね

いじめの立証はとても難しく、しかも7年前のいじめでそれを裏付ける捜査を判決までにできたのかは微妙でしょう

あの結審の速さなら、過去にいじめ発言があって、検察も弁護側も把握していたけど法廷には上がらなかったということになります

しかも、それを主導したのが裁判所ということになっていて、さらにその不本意な量刑を控訴すらしないというものになっていますね

それを7年服役した段階で覆そうというのは、その動機が理解できない範疇にあるように思えました

 


再審に至るあれこれ

 

2023年のニュースで、39年前の強盗殺人事件の再審決定というものがありました

この事件は、39年前に滋賀県日野市で起きた強盗殺人事件で、無実を訴えながらも無期懲役が確定し、服役中に死亡した阪原弘さんに関するものでした

本人が死亡後も遺族が代わって裁判のやり直しを求めていたもので、2023年の2月27日に大阪高等裁判所が決定を下したものでした

これ以外にも「袴田事件」を筆頭に再審がなされる事件が数多くあります

 

日本における刑事訴訟の「再審」は「刑事訴訟法第435条」に定められているもので、「有罪判決を受けた者の利益になる場合のみ」とされています

「証拠となった証言・証拠書類などが、虚偽であったり、偽造・変造されたものが証明されたとき」

「有罪判決を受けた者を誣告(虚偽の告発)した罪が確定判決によって証明されたとき」

「判決の証拠となった裁判が、確定裁判によって変更されたとき」

「特許権、実用新案権、意匠権、商標権侵害で有罪となった場合、その権利が無効になったとき」

「有罪判決を受けた者の利益となる、新たな証拠が発見されたとき」

「証拠書類の作成に関与した司法官憲が、その事件について職務上の罪を犯したことが確定判決によって証明されたとき」

というものが再審の理由とされるものですね

 

今回のケースは、おそらく「有罪判決を受けた者の利益となる、新たな証拠が発見されたとき」というものだと想像されますが、映画内では「夏奈の発言を裏付ける証拠の提示」というのはされないまま判決が下されることになりました

 

好意的に解釈すれば、当時も「いじめのことを言っていたが証拠がなかった」という路線ですが、そもそも「いじめを立証することが難しい」のですね

いじめを行なっていた主犯は死んでいるし、その取り巻きが「いじめた相手を有利する証言を7年後にする」というのが現実的ではないと思います

映画のラストで「これが司法に対する不信感につながらないことを祈ります」という趣旨の発言が検察官から出ていましたので、ひょっとしたら「証拠書類の作成に関与した司法官憲が云々」の項目で、当時の裁判で「故意に証拠の不提出や無視が行われた」という線は無くはないでしょう

でも、被告人は最終答弁などで発言する機会はあるし、「冒頭手続」の段階にある「検察の起訴状の意見陳述」の段階で「NO」と言えるはずなのですね

なので、この裁判は「検察の起訴状に対する意見陳述の機会が奪われた」とか、「その際にはいじめを立証できないので反証しなかった」とか、かなり首を傾げる裁判が行われたことになります

 

このあたりの肌感覚が現実的では無く、「いじめが裁判の中で立証されずに求刑通りに20年で決まった」とするならば、遺族側の感情はもっと複雑なものになっていたと思います

克の感覚だと「なぜ死刑、若しくは無期懲役にならないのか」という憤りに支配されていて、「自分の娘が加害者をいじめていた」ということすら知らないということになっていました

一体、7年前の裁判は何を審理していたのか、ということになりかねません

このあたりの流れがものすごく現実離れしていて、かなりのノイズになっていました

もし、いじめのことを両親が知っていて、立証されないから否定しているというのなら、それはそれでかなりの違和感がある人物像として描いている、ということになるように思いました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画は、被害者遺族を捉えた作品でありますが、裁判の経過などの状況のおかしさから、セカンドレイプ以上の仕打ちを行なっているように見えます

「娘はいじめを行なっていて、それが理由で量刑が軽くなる(ほぼ無くなるみたいなイメージ)」し、「被害者づらして、賠償金を受け取って、それで飲んだくれの日々を送っていた」と結んでいます

裁判の中で「賠償金を受け取って働かずに生活をしていた」と言われ、「そのせいで加害者の親は自殺して、加害者の社会復帰に難題がある」とまで言われています

これらの流れは「前回の裁判の結果」であり、それが被害者遺族の責任でないことは明白でしょう

なので、司法の不手際を正すための裁判に「被害者遺族が証言台に立つ」という流れがそもそも異質で、そこで「被害者遺族が公開処刑される謂れ」というものがあるとは思えません

 

前回の裁判が感情的な裁判だとしても、今回の裁判に正当性があるのかも疑問で、「裁判長を味方につければ勝てる」というスタンスのもと、被害者遺族の急所である「加害者へのいじめ」を後出しにして、それによって糾弾するのは筋違いかと思います

この流れの中で、「被害者遺族は大変」という論調になるのがおかしくて、この映画が事実に即したものならば、「刑が確定しても、後出し証言だけで覆るし、その際に公開処刑される可能性があるから賠償金には手をつけずに真っ当な生活を送ってくださいね」と言っているのと同じだと思います

被害者遺族に寄り添っているという体で映画は作られていますが、実際のところ「被害者遺族を公開レイプする方法がありますよ」という架空の例を担ぎ出して印象操作しているようにしか思えません

 

この流れの中で「加害者を赦す」ことを描かれても、「事件を過去のものとして関わらないことを推奨する」という感じになっていて、被害者遺族は再審に関しては証言に立たない方が良いというふうにも思えます

これが「前回の裁判における証拠の捏造」「いじめ問題を司法が無視した」というものだとしたら、それは「加害者VS司法」の間で行われる裁判になるはずで、そこに被害者遺族が立ち入る必要はないでしょう

結審したものを覆さないと前に進めないとしたら、もっと被害者遺族に寄り添う方法があったわけであり、裁判の証言台でプライベートを暴露される所以はありません

裁判の外側で「今回の再審の趣旨」「量刑を変える新しい事実」というものを被害者遺族に伝えていれば、量刑の変更は普通に行われていたと思うし、それによって被害者遺族の家庭が再度無茶苦茶になるということもなかったでしょう

今回の裁判を見ていると、いかにして「相手を叩きのめすか」という弁護士の悪い部分が強調されていて、勝つためなら何をやっても許されるというふうに見えてきます

 

被害者遺族からすれば、「娘が殺人の原因だった可能性があるから加害者に対しては赦すことができる」と思いますが、「裁判の過程で受けた精神的な侮辱、誹謗中傷などは弁護士を相手に裁判できるもの」だと考えられます

加害者のいじめ問題がクローズアップされる理由が理解できても、被害者遺族が働かずに賠償金で生活しているという弁護士の感想(克は賠償金以外にも収入がある)をセンセーショナルな印象操作に使うのはもっての他でしょう

弁護士を悪質に描くことで、加害者自身も連鎖的に悪質に見えていて、「7年我慢したからもういいでしょ」みたいな感じに見えなくもないと思います

克が帰りかけて、もう一度小窓から加害者を見ますが、そこで加害者が満面の笑みを見せていたら、どう感じていたのでしょうか

 

このショットがポスタービジュアルに使われていますが、無表情な中にも笑みを感じる秀逸なショットだと思います

実際には、はじめの裁判でいじめのことを言及していたら7年も入っていないわけで、その裁判が不当に行われた経緯を持って詳細に描いていれば、もっと理解される映画になったかもしれません

個人的な感覚だと、佐藤が言った「今回の裁判長ならいける」という発言が妙に意味深で、その裁判長が女性というところに一抹の思想を感じてしまいます

裁判の過程でもどこか加害者側に寄り添った進め方をしていて、出来レースのようにも思えてなりません

このあたりが恣意的なのか偶発的なものかはわかりませんが、端的に現れた深淵であるように思えました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/386574/review/62975f8c-4068-41be-bb03-06aa86013304/

 

公式HP:

https://yurushi-movie.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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