■その言葉は、後悔なのか宣言なのか
Contents
■オススメ度
ネグレイト系のドラマに興味がある人(★★★)
救いのない映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.8.23(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2022年、日本、121分、PG12
ジャンル:育児放棄を受けた子どもが母元を訪ねるも拒絶され、途方に暮れる様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:松本優作
キャスト:(役名役柄判明分のみ)
白鳥春都(松下優太:児童養護施設にいる学校でいじめられる13歳の男の子)
川島鈴遥(杉村詩織:裕福な家庭に育ちながら援交に手を染める少女)
オダギリジョー(坂本健二:優太を気にかけるホームレス)
松本まりか(松下梨花:優太の母、シングルマザー)
若葉竜也(山﨑重之:梨花の彼氏)
仲野太賀(片岡:リサイクル工場の男)
片岡礼子(中川千里:児童養護施設の職員)
木竜麻生(宮本由美香:児童養護施設の職員)
駿河太郎(白石凌:警察官)
上原実矩(デリヘル嬢)
杉田雷麟(漁港のチンピラ)
山本楽(漁港のチンピラ)
寺澤徠稀(漁港のチンピラ)
川連廣明(優太の時計を壊す通行人)
安城レイ(坂本の母)
柴田沙帆(アナウンサー:声)
■映画の舞台
神奈川県:川崎市
千葉県:いすみ市
ロケ地:
千葉県:いすみ市
夷隅東部(漁協)
https://goo.gl/maps/e2dBHKZ9QectuGMm8
小浜八幡神社
https://goo.gl/maps/fxUdMygBSx82oLhe8
ホテル ギャラクシー
https://goo.gl/maps/UfVeCS8FhDW65gcV7
■簡単なあらすじ
川崎にある児童福祉施設「ひかり園」に入所している優太は、母に捨てられた13歳で、再会の日を待ち望んでいた
だが、母親が会うことを拒絶していて、そこで優太は個人ファイルを盗み見て、母親に会うために園を逃亡する
母の住むアパートにたどり着いた優太だったが、そこには恋人・山﨑もいて、馴れ馴れしくされることに反発する
さらに母は児童福祉施設に通報し、程なく優太は拘束されそうになった
そこで優太は追っ手を振り切って逃走し、ある港町に辿り着いた
そこには訳ありホームレスがいて、優太は彼の世話になることになった
ホームレスを慕う地元の女子高生も加わり、陽太はひとときの擬似家族を体験することになった
テーマ:ネグレクト
裏テーマ:絶望と閉塞感
■ひとこと感想
絶対不幸系だろうなあと思っていたら、案の定救いのない展開で、冒頭の不穏な空気そのままという感じになっていました
それでも展開はやはり現実感がなく、逃走した優太を追うのが児童擁護施設の女性職員一人で、しかもきっちりと逃げられるし、追いかけている様子もないし、警察も捜索しないし、で無茶苦茶でしたね
ファンタジーなのか、リアルなのかよくわからないラインが往々にしてあって、ドラマとしては観られるけど、問題提起にすらなり得ないのではないかと思います
JKの葛藤もよくわからないもので、何を考えているか最後までわからないキャラでしたね
映画は最後のセリフをどう言わせるか、みたいな展開になっていて、この流れであのセリフが活きるとは思えません
おそらくは観客の総ツッコミが巻き起こったのではないでしょうか
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
雰囲気は良く、脇を固めるベテラン&中堅のクズっぽさなどは素晴らしく、主演の白鳥晴都くんの目力も胆力を感じさせるものがありました
逆にいうと、このキャストだから映画として成立していたとしか言えず、物語の展開が観客の感情を揺さぶるかと言われれば「否」としか言いようがありません
とにかく不幸な展開に持っていくためにそういったエピソードを重ねていくのですが、そのピースがそれぞれが独立しているように感じます
流れも不自然だし、リアリティラインがかなり低めの設定になっているし、無駄に地震が絡んでいたりと、一本の筋というものが感じられません
物語は「母に捨てられた優太がどう生きるか」というものですが、最後の大人への反抗に至るまでの重なりというものがあまり効果的に思えなかったですね
火災の犯人として断定するくだりであるとか、そもそも捜索願すら出さない施設にこれはどこの国の話なんだろうと不思議な感覚が湧き上がってきてしまいました
■児童養護施設の実態
児童養護施設とは、「児童福祉法」に基づいて運用される施設のことで、児童相談所長の判断に基づいて、都道府県知事が入所措置を決定します
1歳から18歳未満が対象で、1歳未満だと「乳児院」に入ります
令和2年現在、厚生労働省の「社会福祉施設等の調査」によると、「児童福祉施設等の施設数は45772箇所で、前年比プラス1106箇所になっています
同調査書による現在の児童福祉施設等の在所人数は280万人(定員は305万人)で、在所率は92.1%となっています
児童福祉施設等の職員数は総数で87000人ほど、映画に出てくるのは生活指導・支援員と思われますので、その数は14996人しかいません
また、児童厚生員が10857人となっていて、これらの施設では保育士が19248人、保健師・助産師・看護師が11337人の方が必要数が多くなっています
280万人の児童を施設長その他全ての従業員の数で割ると、一人あたり32人を見ていることになりますし、映画内の施設でも職員が圧倒的に少ないイメージがありました
(以上、厚生労働省「社会福祉施設等調査の概要」より引用、引用元(PDFファイル)https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/fukushi/20/dl/kekka-kihonhyou01.pdf)
この表を見ていて気になったのは、施設数45000に対して、施設長・園長・管理者の数が4530人しかいないと言うことです
中には複数の施設を管理する管理者がいると言うことで、また役所はないけど支援員がそれを担っていると言うこともあるのかもしれません
児童養護施設の歴史は、西暦593年に聖徳太子が悲田院を作ったののが最初とされていて、いわゆる「孤児院」と言うものが設立されたのは1879年のことでした
当時は東京に福田会育児院、岡山に岡山孤児院がありました
その後、1947年に児童福祉法が制定され、孤児院は「養護施設」と名称変更されます
そして、1997年の児童福祉法改定によって、「児童養護施設」と言う名称になりました
悲田院は大阪の四天王寺に造られたもので、敬田院、施薬院、療病院とあわせて「四箇院」と呼ばれていました
ちなみに現在でも悲田院は残っていて、京都市東山区の泉涌寺の塔頭(禅宗医院にある弟子が師を慕って建てられた塔のこと)の一つとして悲田院があり、平安京時代の名残りとされています
■ネグレクトの実態
ネグレクト(Neglect)とは、「セルフケアができない弱者の世話をする責任のある保護者が責務を怠ること」を意味し、これによって「加害者」となることを意味します
児童虐待、障害者虐待、高齢者虐待、患者虐待などもネグレイトと呼ばれます
子どもに対しては、育児放棄、育児怠慢、監護放棄などもあり、ペットに関しても飼育放棄がこれにあたるとされています
「Neglect」は「怠慢、粗略、無視、軽視」を意味する英単語で、「Neligence」は「業務不履行者」と言う意味になります
ネグレクトには「積極的ネグレクト」と「消極的ネグレクト」と言うものがあり、定義としては「子育てができない明確な理由がないのにも関わらず育児放棄をする」のが「積極的」で、「消極的」は「親の経済力不足、身体的な疾患及び精神疾患を抱えている場合」のことを言います
「充分な食事を与えない」「病気になっても受診させない」「不潔な生活を続けさせる」「子どもの通学を拒否」などがあり、毎年のように起こる「パチンコ店の駐車場で車内放置して死亡」もネグレクトになります
また、薄着でベランダに放置みたいな事例も含みます
ちなみに病院などでは、児童虐待福祉法に基づいた「児童虐待の早期発見等」「児童虐待の通告」と言うものがあります
この場合、親と子どもを隔離し、児童相談所に報告をします
可能であるならば「措置入院」をさせて隔離し、病床に児童相談員が出向くと言う流れになります
過去に3度ほど、このケースに遭遇し、「ネグレクトによる怪我」などは「親も診察室に入ってくる(未成年なので当たり前ですが)」ので、子どもが正しい怪我の原因を伝えられないと言うことがあります
私の経験では、レントゲン撮影の際に子どもが放射線技師に訴え、それを医師に報告、医師から「虐待の可能性がある」と事務に連絡が来て「通告」に至りました
親に悟られないように児童相談所と医師が話し、この時は措置入院ができずに帰宅、翌日に児童相談所が自宅を訪問すると言う流れになりました
このケースはいわゆる「積極的ネグレクト」と言うことで、祖母が両親に隠れて虐待を行っていたと言うケースでしたね
慢性的な虐待は子どもの体を見るとわかりますし、感覚的には「受付に来た段階」でなんとなく察することがあります
そう言った場合は、看護師にそれとなく「児童虐待の可能性あり」と伝えますが、意外なほどに的を射るイメージがあります
ネグレクトに関わらず、DVもなんとなく肌感覚でわかりますが、DVの場合は被害者が明確に申告することが多いですね
ネグレクトは自身が生活を保護者に依存せざるを得ないと言う状況なのでなかなか言葉には出せません
でも、SOS的なものは子どもの態度を見ているとわかる(保護者との距離感、保護者の狼狽など)場合があるので、関心を持って見ていく必要があるといえるかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
この映画はネグレクトに晒された少年が行く宛を失くし、そこでホーレスと交流を持つと言う流れを汲みます
そこにたどり着くまでのリアリティのなさは置いておいて、目的を失った少年が現実とどう向き合うかということも描いています
結局のところ、坂本(映画ではおっちゃんとしかわからんけど)の死によって、放火の疑いで逮捕されますが、それの際に優太は「ぜんぶ、ボクのせい」と言って映画は幕を下ろしました
このシーンは冒頭と繋がるシーンで、予告編などでも登場していましたので、優太が取り調べを受ける経緯について本編があると言う構成になっています
坂本と言う拠り所を失った優太は、同じように拠り所を失った詩織と行動を共にしようとしますが、そこですれ違いが起こってしまいました
このラストは絶望的なもので救いがなく、この結末に至るまでに優太が原因で何かが起こったと言うことはありません
あえていうならば、母親の感情を無視して強引に会いに行ったことと、迎えが来た際に逃げ出したことでしょうか
なので、観ている側は「優太に責任がない」ことをわかっているのですが、それでも優太は自分の責任であると感じています
でも、その言葉と表情は明らかに相反していて、ある意味「大人への復讐宣言」のようにも読み取れます
子どもが置かれた状況に対して子どもが責任を感じる瞬間というのは、自らの力で生き、その全てを自分のコントロール下に置くと言う宣言のようなものでしょう
個人的にも「置かれた状況は明らかに親の責任だと思うけど」と言う前置きがありながらも、「自分の責任だと思い込むことで、現況打破のための原動力に変える」と言う過去がありました
優太としては、自分が児童養護施設を飛び出して坂本と出会ったために彼は死んだと言う解釈をしていますが、現実は「以前から坂本を追い出したかったチンピラ」の所業でした
優太はその関係性がわかっているにも関わらず、自分に責任があると感じています
その責任とは、おそらくは詩織から坂本を奪ったことと言うことで、坂本の代わりを自分が果たせないと言う悔恨もあるのだと思います
また、罪を認めることは自分を捨てた母への復讐にも繋がり、これは一種の母依存の終了を示唆しているように思えました
彼の依存先は、母→坂本→詩織と移っていき、その全てとの決別をすることになります
その最も短絡的なものが「罪を認めて少年院に入る」と言う選択肢だったのでしょう
大人になると言うのは責任を持つと言うことではありますが、それは自分の行動に対してであると思います
この映画では他人の責任も全て優太が背負うと言う流れになっていて、でもそうせざるを得ない状況というのを重ねていきます
歩の連鎖を言えばそれまでですが、この映画はフィクションなので、作り込みが激しすぎるように思います
ラストの状況を作り出すために、スタート地点から優太の環境を描いていきますが、設定を盛り込みすぎている割には優太以外のキャラ造形が浅すぎます
特に詩織のパートが薄すぎて、裕福な家庭で育った彼女がホームレスと一緒にいる理由(何が不満だったのだろうか)とか、その生活を全て捨ててまで優太と行動を共にしようとした感情(坂本の喪失による自暴自棄)などが想像の範囲にとどまるように思えます
おそらくは現実に何も面白いことがなくて、家は窮屈で居場所がないということ、承認欲求の拗らせなどが原因になっていますが、本来ならば「詩織は優太にとっては母の身代わり」的な存在なので、どこかしら母性を感じるシーンが必要だと思えました
優太にとっての坂本は感じたことのない男性の大人の温もりで、それは父性的なものだったかもしれません
また詩織の存在はお姉さん的な存在ではありますが、最終的には「守るべきもの」へとシフトしていきます
このあたりが優太の男性の目覚めなのかもしれませんが、物語の流れを考えると「代理母」なのかなと深読みしてしまいます
わかりやすい恋愛感情のようにも見えますが、優太にとって人生で初めて「誰かに頼られた瞬間」でもありましたので、そこで詩織を自分の手で守りたいと考えるのは自然なのかもしれません
そうなると、罪を認めることは詩織との永遠の別れにも繋がりますので、どうしてそうなった?みたいな感覚はありました
タイトルは最後のセリフなんだろうなあと思って見ていたので(冒頭で察してしまいます)、このセリフを言わせたかったのでしょうが、詩織を置き去りにして言うセリフとして正しいのかは、個人的には少し疑問に思えました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/382540/review/f88b2209-365e-4394-a702-230f6c31e10d/
公式HP:
https://bitters.co.jp/bokunosei/