■改変がノイズを生み出しているけれど、長崎パートは珠玉の映像作品になっていると思う
Contents
■オススメ度
幼少期の友情物語が好きな人(★★★)
子役が活躍する映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.8.24(TOHOシネマズ二条)
■映画情報
情報:2022年、日本、96分、G
ジャンル:幼少期の友情を思い出す売れない作家の回想録
監督:金沢知樹
脚本:金沢知樹&萩森淳
原作:金沢知樹
キャスト:
番家一路(久田孝明:長崎在住の小学五年生)
(成人期:草彅剛、売れない小説家、ゴーストライター)
原田琥之佑(竹本健次:孝明のクラスメイト、貧乏の一家の長男)
尾野真千子(久田良子:怒ると手がつけられない孝明の母)
竹原ピストル(久田広重:尻に敷かれている孝明の父)
番家天嵩(久田圭太:孝明の弟)
貫地谷しほり(竹本雅代:健次の母、スーパーの店員)
宮崎紬(竹本千春:健次の妹、長女)
咲良飛成(竹本亜季:健次の妹、次女)
演者不明(敬也:健次の弟)
演者不明(優大:健次の弟)
もとき(勝木:孝明と健次の同級生)
風見勇吾(孝明と健次の同級生)
ゴリけん(大内田健夫:健次の叔父)
岩松了(内田:ミカン農家)
福地桃子(亜子:孝明の従姉)
八村倫太郎(金山:漁港のチンピラのボス)
茅島みずき(由香:漁港の優しいお姉さん)
篠原篤(宮田学:孝明の熱血系担任)
【現代パート】
村川絵梨(弥生:孝明の元妻)
宮地美然(好香:弥生と孝明の娘、親権は母)
泉澤祐希(市川:現代パートの孝明のドライな担当編集者)
■映画の舞台
1986年
長崎県:西海市
https://goo.gl/maps/Agjy9MuiXFwKCYt86
ロケ地:
長崎県:西彼許郡
二島(ブーメラン島)
https://goo.gl/maps/QbddroMqbPy1mCNCA
長崎県:雲仙市
古部駅
https://goo.gl/maps/yXQvwPvvyYnN8TAu7
長崎県:長与町
https://goo.gl/maps/cbEA4DG25WLVqYpu8
長与町:タンタン岩
https://goo.gl/maps/9DihnvFo6DP7FNZf8
長崎県:西彼許郡
岩淵神社
https://goo.gl/maps/Z9GVBZY442DPqieD8
■簡単なあらすじ
大人になってもまった目が出ない作家志望の孝明は、今ではアイドルのゴーストライターなどで生計を立てていた
妻・弥生とは別れ、娘の好香は彼女に委ねられていて、月に一度程度は会うことが許されていた
ある日、部屋で鯖の味噌煮の缶詰を見つけた孝明は、ある友人のことを思い出す
そして、「ボクには鯖の味噌煮の缶詰を見ると思い出す友人がいる」と書き出し始めた
その友人の名は健次で、貧乏一家の長男として、シングルマザーの雅代と4人の兄弟姉妹と一緒につつがなく暮らしていた
孝明は健次がいじめられていたのを傍観していたが、馬鹿にしなかったことがきっかけで、健次は孝明との距離を縮め始める
そして、タンタン岩(大きな山)の向こうに広がる海まで行って、イルカを見に行こうと誘うのであった
テーマ:友情の誕生
裏テーマ:ひと夏の過ごし方
■ひとこと感想
草彅剛さんが主演ではないという宣伝がどうなのかなあと思いながら、絶望的に古臭いポスタービジュアルに目を瞑って参戦
まさか、パンフレットがスシロー限定とは思いもしませんでした
とりあえずAmazonのポイントでKindle版を買って、出勤経路を思いっきり迂回して、わざわざ枚方まで行って寿司を食って購入しました
うーん、Kindle版の方が充実している分、少し高いのかもしれません
(個人的に知りたい情報はどっちにもなかった)
映画の内容が落ちぶれた作家が過去を想起して、それをネタに描き始めるという内容で、主人公は子どもたちでしたね
孝明&圭太が実の兄弟のようで、両親役もハマりすぎて草、という状態
昭和あるあるのすぐに手が出る両親というところがコミカルで笑えました
あの時代に子どもだった人向けって感じでしたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
しがない大人が少年時代に想いを馳せる系ですが、その想起が現代パートで何の意味もないというびっくりな展開になっていました
おそらくは幼少期の自伝めいたものを描き始め、それで故郷に戻ろうと考えたのかなと思ったのですが、最後のモノローグでは「ずっと友達だった」という身も蓋もない回収になっています
少年時代に経験した「ひと夏の思い出」を美化する内容ではありますが、別れる理由が酷すぎてもう少し何とかならんかったのかなと思いました
大人パートで圭太くんが出てこなくて、そっちの方が逆に気になってしまいましたねえ
ほのかな下ネタも健在で、家族の会話を楽しむ映画だったと思います
あとは「小言で文句言う」のオンパレードで、そこはクスクスと場内が湧いていました
エンドロール後の映像も情緖があってよかったのですが、いかんせん「スシロー限定のパンフ」と言う無駄に「メルカリ案件になる」と言う販促は何とかならなかったのかなと感じました
■ひと夏の冒険の意義
ジュブナイル映画にありがちなのが、夏休みに冒険をすると言うもので、本作ではブーメラン島へ行くと言うものになっていました
イルカを見ると言う目的がありましたが、実際には健次が孝明との仲を深めたかったと言うことが判明します
健次を特別扱いしない孝明なら、友達になれると考えたのでしょう
実際に二人は唯一無二の親友になれますが、ひと夏の経験だけが親友にさせたわけではありません
冒険から帰った二人は、そこで意識のずれをいうものを感じます
描かれているのは孝明のパートで、そこで孝明が密かに感じていた溝というものを意識するのですね
でも、実際にそれは大いなる勘違いで、孝明の固定概念が打ち破られる瞬間だったと言えます
友だちというのはなるのに資格があるものではなく、双方の認知の問題であり、ひと夏の経験の前から二人は友達であったと言えるのかもしれません
ひと夏の経験とは、価値観のパラダイムシフトを起こすようなイベントのことを思いますが、価値観を変えるということは劇的なことばかりではありません
本作のように、少し遠くの場所に行って、相手を知るということで価値観が変わることもあれば、人間関係というざっくりとしたものの捉え方が変わることにあるでしょう
孝明にとっては、健次との関係性の再確認もありますが、由香との出会いの方がセンセーショナルな出来事かもしれません
少年期に出会う大人の女性は言うならば、母性から恋愛へのシフトが起こり、許容から拒絶というものが発生します
幸い由香は孝明を拒絶はしませんが、やんわりと「おっぱいばかり見て」と注意を受けてしまいます
これまでは母に同じような視線があったかもしれませんが、その意味はまったく違うので、わかりやすい性徴という者が進んだと言えるのではないでしょうか
■少年時代が成人期に与える影響
本作は成人期が現代パートで、少年時代は回想録になっています
モノローグがあるように、現代パートで行き詰まった孝明が、健二との思い出を「サバの缶詰」を通じて思い出すというものでした
「僕にはサバの味噌煮の缶詰を見ると思い出す友達がいる」という書き出しで始まる孝明の小説は、これまで何度となく思い出してきたのに「今回は文章にしよう」と考えています
この変化というものは映画からはわかりませんが、追い込まれていった先に起きた「ささやかな抵抗」なのかもしれません
この映画で少し残念だなと思ったのは、この孝明が健次との時間を小説にしようと考えた理由がわからないことでした
てっきり、あの瞬間に鯖の味噌煮の缶詰を見るまでに一度も思い返さなかったのかなとか、交流はなかったのかなとか思っていましたが、ラストシーンでは「交流はあったけど会うのは久しぶり」になっていました
なので、小説にしようと思ったきっかけとか、数十年ぶりに会いに行こうと思った動機というのがあまり伝わりませんでした
鯖の味噌煮の缶詰も自宅に普通にあったもの(原作小説ではフラッと立ち寄ったコンビニにあったもの)で、何度もそれを見るたびに「ケンちゃん、どうしてるかな」とか、実際に近況を聞いたりしていたように描かれていました
健次は孝明の来訪に驚きますが、その感情と同じように観客側も「いきなりどうした孝明くん」的な感じになっていたので、その理由が曖昧だったところがモヤりましたね
この手の回想録ものは、現代パートの鬱積を晴らしたり行動を変えたりするものです
主人公が前に進めない理由というものが過去のどこかにあって、それを思い起こすためにあります
現代パートで孝明が成果を出せていない理由が少年時代の表記ではいまいちピンときません
彼が小説家を目指している理由はわかりますが、都会に出ている理由とか、現在の家族との関係性などは一切分かりません
上京した動機、理由、課程は、そのまま帰省の理由に繋がります
なので、孝明が上京することになった経緯であるとか、結婚生活と離婚、娘との関係などを観客の想像に委ねるのは難しいでしょう
そこまで深く考える必要はないかもしれませんが、この映画が「回想録として現代パートに動きをもたらす」というものなので、この構成にするならば必要であると感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
この映画の見どころは「少年時代の家族風景」だと思います
孝明の家族がまるで実在するかのようなクオリティで、孝明の弟役は実際の弟さんだったりします
夫婦の掛け合いも見事で、動かない父に対して、動く母に尾野真千子さんを配しているところにうまさを感じます
ちょっと情けない感じの父親を竹原ピストルさんに演じてもらって、そのボケ的なものを尾野真千子さんがきっちりとツッコんでいましたね
母親が家族の絶対的な立ち位置にいて、薄給のために頭の上がらない父がいる
でも、父の経済的なところに魅力を感じているわけではなく、映画内から読み取れるのは「寛容力」だったのかなと思いました
父は孝明と健次の冒険を知りながら、どこに行くかも聞かずに送り出します
これは孝明を本当に信用しているからであり、彼自身も少年期の冒険が必要だと感じているからだと思います
人間的に魅力溢れる人々がたくさん登場する少年時代はとてもクオリティが高いのですが、なぜか現代パートだけが妙に荒いのは不思議でした
まるで、後から取ってつけたかのような感じになっているし、現代パートの健次を後ろ姿だけ見せるという演出意図もよくわかりません
加えて、現代パートの家族がまったく描かれなかったので、そこの差異がとても気になってしまいます
おそらくはそこまで細かく書くとさらに尺が長くなるからだとは思うのですが、それは現代パートの小道具とか、些細な演出で描き切れるものだと思います
前半の現代パートで電話で家族と話すとか、アルバムを見るとかでも映像的にわかりますし、元妻との関係から読み取れるものもあるでしょう
孝明は結婚して上京して、両親からすれば孫もいるので、そのあたりの関係性は少なからず現代パートの孝明に影響を及ぼしてきたと言えます
ざっくりと「文章うまいけど売れない文学を書きたがっている」だけでまとめられているのは残念でなりません
おそらくはそこに至るまでの設定というものがあったと思うのですね
ちなみにパンフレットに書かれている「原作小説」の一節では「結婚はまだか、と母からせがまれている」と書かれていて、この一節だけで家族との距離感と現在の関係性が瞬間的にわかります(めっちゃ改変されてるやん)
大学進学で長崎を出て、13年になるという記述もあり、このあたりを映画では改変しています
もし、この原作通りのままの映画なら余計な詮索をする必要もないのですが、改変したというところには必ず意味があるはずです
映画ではその意味が完全にスルーになっているので、その辺りがやはり気になってしまいますね
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/381859/review/21b9d44e-22b7-4ffd-ba24-e2514568541a/
公式HP: