■その声が「52ヘルツ」だとしても、その意図に切り込めないと、対策を間違えてしまうと思います


■オススメ度

 

声なき声に耳を傾けたい人(★★★)

生きづらさの正体を知りたい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.3.1(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

情報:2024年、日本、135分、G

ジャンル:虐待経験のある女性が虐待児を保護する中で、過去を想起するヒューマンドラマ

 

監督:成島出

脚本:龍居由佳里

原作:町田そのこ『52ヘルツのクジラたち(中央公論新社)』

Amazon Link(原作小説)https://amzn.to/4c9BiXo

 

キャスト:

杉咲花(三島貴瑚:東京から海辺の街の一軒家に越してきた女性)

   (幼少期:酒井杏寿

志尊淳(岡田安吾:トランスジェンダーの塾講師)

 

宮沢氷魚(新名主税:貴瑚の上司、専務)

 

小野花梨(牧岡美晴:貴瑚の高校時代からの親友)

井上想良(鈴木匠:美晴の彼氏)

 

桑名桃李(品城愛:母に虐待され「ムシ」と呼ばれる少年)

西野七瀬(品城琴美:愛の母)

 

金子大地(村中真帆:貴瑚の家の修理をする大工、旧友)

 

真飛聖(三島由紀:貴瑚の母)

奥瀬繁(貴瑚の父)

 

余貴美子(岡田典子:安吾の母)

 

池谷のぶえ(藤江:愛の過去を知る近所のおばちゃん)

 

倍賞美津子(村中サチエ:真帆の祖母)

 

田中壮太郎(医師)

若林佑真(清水:貴瑚の職場の同僚、喧嘩する人)

伊藤壮佑(貴瑚の職場の同僚)

藤本沙紀(貴瑚の職場の同僚)

谷田麻緒(貴瑚の職場の同僚)

佐伯紅緒(料亭の女将)

黒田浩史(介護職員)

 


■映画の舞台

 

日本:東京

日本:福岡県小倉市

 

ロケ地:

大分県:大分市

媛乃屋食堂

https://maps.app.goo.gl/BnBFEpdWy547ALgu9?g_st=ic

 

東横INN 大分駅前

https://maps.app.goo.gl/bQPffW7gaPN9MRV38?g_st=ic

 

大分リーガルホテル

https://maps.app.goo.gl/KoYoMrjWeS2LCCDm8?g_st=ic

 

関崎みらい海星館

https://maps.app.goo.gl/7mL7rR7bRp2tLdiX7?g_st=ic

 

大分県:別府市

別府温泉 杉乃井ホテル

https://maps.app.goo.gl/aA83h6MhFrJkFUTH9?g_st=ic

 

大分県:北九州市

チャチャタウン小倉

https://maps.app.goo.gl/rd7kux6x5NJhf41L8?g_st=ic

 

茶諭Salon du JAPON MAEDA

https://maps.app.goo.gl/hDVkZEi1qvu67bMK8?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

東京から海辺の街に移住してきた貴瑚は、かつて祖母が住んでいた見晴らしの良いベランダのある家に居を構えることになった

ある日、海岸にて海を見に行った帰りに突然の腹痛に見舞われた貴瑚は、そこで虐待を受けていると思われる少年に助けられる

彼の母親は近くの食堂で働いているとのことで、貴瑚は母親を訪ねるものの、彼女にとって子どもの存在は「ムシ」そのもので、「父親がつけた名前など忘れた」とまで言い放った

 

貴瑚は男の子を保護し、かつて自分を救ってくれた「アンさん」に教えてもらった「52ヘルツのクジラの歌声」を聞かせる

彼は気に入って、自分のことを「52」と呼ぶようになった

 

かつて貴瑚は東京に住んでいて、父の介護に明け暮れる毎日を過ごしていた

ある時、事故りそうになって、そんな彼女を助けたのがアンさんこと岡田安吾だった

偶然、高校時代の友人・美晴がアンさんの塾の生徒ということもあって、それから交流を深めることになる

アンさんは「家族は時に呪いになる」と言い、父の介護から離れるように手助けをしてくれた

 

それから貴瑚は一人暮らしを始め、梱包の工場で働き、自立することができるようになっていった

 

テーマ:声なき声の受け取り方

裏テーマ:声なき声が聴こえる理由

 


■ひとこと感想

 

予告編以外の情報はない状態で鑑賞

とは言え、予告編で結構なネタバレをしているんだなあと思って観ていました

特に公式HPでもガッツリと書かれているアンさん関連は、これを隠したことで炎上した映画もあったので、先出ししておいたという感じになっています

 

人生が終わっても良いと絶望した貴瑚を助けるのがアンさんで、その善意の輪がムシと呼ばれる少年を助けることになります

とは言え、社会的なステップを踏んでいないので問題になることはわかっていて、そのあたりはきちんと描いていくというスタンスになっていました

 

物語は回想録がメインになっていて、善意の連鎖を掘り起こしていく流れになっています

アンさんに助けられ、でもアンさんはもういない

その理由がなんなのかを追っていく展開になるのですが、この原因が結構意味不明な感じになっていたように思えました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

声を発しているけど周囲に聴こえないとのことで、52ヘルツのクジラが例え話として登場していました

その音が完全に他のクジラに聴こえないのかとか、聞かせたくないからその音を出しているのかなどはわからないところが多いように思えます

 

実際に人の苦悩に関しても、サインを発していても気づかれていないのか、サインを受信されたことで被害が増えるから出さないということもあります

劇中で言えば、52少年の声を聞いたことで被害が拡大しているパターンで、それでも強引な展開にて保護という方面に向かいます

この場合は母親が捨てたがっていたので誘拐の方には進みませんが、一歩間違えばという感覚は否めません

 

映画は、アンさんとの別離がキーポイントになっていて、そこから貴瑚の生き方というものが変わっていきます

ある事件によって貴瑚の生活は激変することになりますが、それによって「聴こえなくなってしまう」のですね

人が聴こえる音は環境によって変わるとも言えますし、心が透明性というものがアンテナの感度を変えているようにも思えてしまいます

 


聴こえないのはなぜか

 

本作では、声を出しているのに届かないと言う状況を「クジラの発する52ヘルツの歌声」にて表現しています

この歌声は他のクジラには届かないために、それでいてそのクジラは孤独である、と定義づけているのですが、その歌声や周波数は、「聴かせるためなのか、聴かせたくないのか」はわからないと思います

クジラの生態として研究している人ならば、クジラがなぜその周波数を出すのかとか、その周波数以外には出せないのかを知っていると思うのですが、映画の中では、「その歌声しか出せない」というニュアンスで使われているように思えました

音なき声ということになっていますが、貴瑚の声をアンさんが聞こえるように、人は「音以外の情報」で、その人の音なき声というものを感知することができます

なので、クジラ同士でも、その音は聞こえないけど、それ以外の情報で何かしらを感じ取っている可能性はあるように思えました

 

クジラが歌を歌う理由などははっきりとわかりませんが、人と例えるとしたら、聞いてほしい歌と聞かせたい歌と「聞かせたくない歌」というものがあることがわかります

それは発信者でないとわからないものだし、その音に反応して、そこから深掘りしないとわからない部分もあります

少年の声をキャッチした貴瑚は彼を助けますが、それによって少年はさらにひどい仕打ちを受けることもあるのですね

このシーンでは、ケチャップか何かを頭からかけられたというシーンになりますが、あの状態で外に出て貴瑚を探すということは「音以外の表現」で訴求していると言えるでしょう

 

少年は行動で自分の状態を周囲に知らせているのですが、彼と同じ状況でかつ違う効果を期待して、「知られたくないから装う」という場合もあると思います

身なりを綺麗に取り繕って、笑顔を周囲に振り撒く

心の中では泣いていても、それを表には出さない

そう言った人の音というものをどう拾っていくかの方が難しいと言えます

彼の場合は「声は出さないけど、常にSOSを表現している」ので、それに気づかないふりをする大人の方が異常なように思えてきます

 


発信と受信の感度の違い

 

メッセージの発信は映画で表現されるような「ヘルツ」というわかりやすいものではありませんが、発信と受信が同調しないと通信にはならないので、言い得て妙な感じがします

その感度をどちらもが高める必要があって、発信者は人に聞かせやすい音を出さないといけないし、受信者はわずかな音を感知する感性を育てないといけません

でも、「聞こえているのにスルーする」というものが一番のネックであると言えます

 

道で迷っている子どもを見つけたとしても、その子を自分の家に連れてきたら誘拐と見做される世の中で、そういった感度で拾い上げても、行政などを介さないと何もできないという現状があります

少年の場合も、貴瑚が保護していると言っても、保護者の了解を得ていないので誘拐と言われても仕方ありません

一応は言質のような押し問答はありますが、それを録音でもしていないとダメだし、その時は感情的だったなどの言い訳が通用してしまいます

なので、公式な書面などを介して預かるという状況に持っていかないとダメで、それは母親が親権を放棄し、児童相談所などを介することになりますが、収入がない状況の貴瑚が預かれる可能性はゼロに近いと言えます

映画では、超法規的措置のような裏技になっていますが、赤の他人には間違いないので、それも無茶だなあ、と思ってしまいました

 

何かを受信したとして、それを基に対処をしようとしても、多くの知識がないと手助けができません

貴瑚のように感情的かつ母性という名の暴挙ではどうにもならず、貴瑚の場合になんとかなったのも、アンさんにある程度の知識と行動力があったからだと言えます

少年の時にはアンさんはおらず、親友の美晴がそばについていても、彼女も無計画な劇場型なので、貴瑚の暴走を加速させる意味合いしかありません

その暴走は少年を生家まで連れて行けますが、基本的にノープランなので、行き当たりばったりで行き着くところに行き着くという感じになっていました

 

このように「相手が未成年だったらどうするか」というのはかなり難しく、一応は「虐待相談ダイヤル」のようなものはあります

これによって「児童相談所」に通報はできますが、そこから先は関われないし、どうなったのかを知ることができません

それゆえに「少年にどうなるか」を伝えることができず、その不透明さというものから、虐待があっても逃げ出さない人もいます

これらの流れの可視化というものと、そこが非日常ではないと伝えることはとても難しく、でもその壁を越えなければ、問題は解決しません

世間が持っているイメージもありますが、それを払拭するだけの情報の発信もなされていないのが現状なので、その辺りをクリアする必要があるのかな、と感じました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、本屋大賞を受賞した作品で、物語の骨子としての評価は高いのだと思われます

それでも映画が酷評気味なのは、改変か演出に問題があるのかな、と感じました

原作未読なので比較はしませんが、一番ネックになっているのは「アンさんの新名への暴挙」の部分で、キャラクターが変わってませんか?というぐらいに無茶な展開になっていたように思います

客観的に見ても、新名の行動は少しおかしいのですが、あんな手紙を出してまで阻止しなければならない理由というものは見えてきません

 

結局のところ、謎の手紙を出して相手の結婚を破談にしたために、報復として自分自身も秘密を暴露されるという展開になっています

相手に向けた刃は、その強さ以上に自分に返ってくるもので、たとえ貴瑚が心配だとしても、彼女の人生に介入する権利はないのですね

なので、アンさん自身が何かをしてやれないのに、自分が思う理想ではないことに対して牙を剥くのは、自意識過剰かつ貴瑚を下に見ていることの現れのように思えます

 

アンさんは自分自身がトランスジェンダーであることを貴瑚に告げることはできず、でも彼女の人生には介入しようとする

貴瑚を全く信用せずに自分が正しいと思っているのですが、そのマインドでも行動を変えれば結果を変えることができます

その為には自己開示も必要だし、会話を重ねることも必要でしょう

新名の性格なら、自分の知らないところで貴瑚がアンさんと会うことに拒絶反応を示すし、その行動の連鎖が新名の本性を炙り出していったと思います

その段階になってから、貴瑚に話を進めれば聞く耳を持つと思うので、思考が性急すぎて周りが見えていないだけのように感じられます

 

人に幸せになってほしいと思うのは一種のエゴのようなもので、相手の幸福感を分かった気でいるだけのように思えます

幸福感は人それぞれ違うもので、幸せとは「在る」ものと考える人もいれば、「成る」ものと考える人もいます

アンさんは「成る」と考えていて、貴瑚は「在る」と考えているので、その根幹からして幸福感が違うので、それを見誤った結果起きたことのように思えてなりません

もし、自分がそのような立場だとしたら、まずは自分の価値観を伝えつつ、相手の価値観を探る中で、一歩ずつ歩みよっていくことが大事なのではないか、と感じました

この道には近道はなく、地道に一歩ずつ進みながら、時には傷つくことを恐れない強い気持ちが必要なのではないでしょうか

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/100007/review/03548853/

 

公式HP:

https://gaga.ne.jp/52hz-movie/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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