■嘘っぽい話をリアルに見せるのと、リアルっぽい話を嘘っぽく見せるのとでは、どっちが有能なんだろうか
Contents
■オススメ度
スパイ映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.3.1(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
原題:Argylle(菱形の格子柄)
情報:2024年、アメリカ、139分、G
ジャンル:スパイ小説を書いていた小説家が本物のスパイ騒動に巻き込まれるコメディ映画
監督:マシュー・ヴォーン
脚本:ジェイソン・フックス
キャスト:
ブライス・ダラス・ハワード/Bryce Dallas Howard(エリー・コンウェイ:「アーガイル」の原作者)
Chip(アルフィー:エリーの愛猫)
サム・ロックウェル/Sam Rockwell(エイデン・ワイルド:エリーを犯罪組織から助けるエージェント)
サミュエル・L・ジャクソン/Samuel L. Jackson(アルフィー/アルフレッド・ソロモン:元CIA長官、エージェント・アーガイルのボス)
キャサリン・オハラ/Catherine O’Hara(ルース・コンウェイ:エリーの母)
ブライアン・クライストン/Bryan Cranston(バリー・コンウェイ:エリーの父)
【小説内キャラクター】
ヘンリー・カヴァル/Henry Cavill(オーブリー・アーガイル:シリーズの主人公スパイ)
(若年期:Louis Partridge)
アリアナ・デボーズ/Ariana DeBose(キーラ:アーガイルを助ける仲間)
ジョン・シナ/John Cena(ワイアット:アーガイルの仲間)
Jing Lusi(リー・ハ/ミス・リー:アーガイルの恋人)
Stanley Morgan(バクーシン:ファイルを隠す男)
ドュア・リパ/Dua Lipa(ルグランジュ:アーガイルを罠に嵌める女)
リチャード・E・グラント/Richard E. Grant(フォウラー:ディヴィジョンのトップ)
Tomás Paredes(カルロス:ディヴィジョンからの刺客)
ロブ・ディレイニー/Rob Delaney(パウエル副長官)
Tomiwa Edun(ノーラン:音声解析スタッフ)
Bobby Holland Hanton(ディヴィジョンの構成員)
Greg Townley(ディヴィジョンの構成員)
Daniel Singh(武装兵)
Andrew Barrett(ディヴィジョンの所員)
Ali Ariaie(ディヴィジョンの所員)
Abe Jarman(ディヴィジョンの所員)
キャサリン・オハラ/Catherine O’Hara(マーガレット・フォーラー:心理学者)
ブライアン・クライストン/Bryan Cranston(リッター:研究所の所長)
ソフィア・プテラ/Sofia Boutella(サバ・アル=バドル:情報を預かっているアラビアの女)
Anthony Kaye(サバ・アル=パドルのガード)
Amra Mallassi(サバ・アル=パドルのガード)
【現実パート】
Jason Fuchs(ブックフェアの司会者)
Alaa Habib(エリーの熱心なファン)
Clementine Vaughn(エリーのファン)
Raagni Sharma(エリーのファン)
Kandy Rohmann(列車の車掌)
Daniel Eghan(列車の乗客)
Fiona Marr(バーの女)
Ben Daniels(バーテンダー)
Sam Vincenti(バーテンダー)
Diljohn Singh(ファーストクラスの客)
Emmett J Scanlan(トイレの外にいるイケメンの客)
Joyce Kaminski(ファーストクラスの客)
Mark Bernard(ファーストクラスの客)
■映画の舞台
ギリシア
イギリス:ロンドン
アルバート記念碑
https://maps.app.goo.gl/vVPHqvFStoZXKkh88?g_st=ic
アメリカ:シカゴ
アラビア半島
ロケ地:
ギリシャ:アテネ
スペイン:
テネリフェ島:Tenerife
https://maps.app.goo.gl/UyRxnAn4Grr7Ka7M6?g_st=ic
イギリス:ロンドン
■簡単なあらすじ
スパイ小説を手がけるベストセラー作家のエリー・コンウェイは、アーガイルというキャラクラーを駆使し、リアリティ溢れる作風で人気を博していた
第4巻の発売記念ブックフェアを終えたエリーは、初稿を書き上げて母ルースのもとへ届ける
母は「ラストが弱い」と言い、「引き伸ばしになっている」と率直な意見を述べた
週末に母が来る予定だったが、急遽自分から会いに行くことを決め、エリーは列車に乗り込む
そんな彼女の前に、無精髭で身だしなみのイけてない男が座り込んだ
男はエリーの本を出して読み出し、彼女は新聞で顔を隠していたが、男はエリーの正体に気づき、話かけてきた
男が本の出来について話し出してくると、いきなり見知らぬ男が割り込んで来る
ペン型の凶器で襲ってくる男を無精髭は一瞬で倒し、エリーを引き連れて逃げ出そうとする
エリーは一緒に連れてきた愛猫のアルフィーに気を使いながら、男の後を追わざるを得なかった
男は自分をスパイだと言い、エリーが書いた小説が「予言」になっていて、次の原稿を手に入れるために襲ってくると告げる
エリーは意味のわからない展開のまま、男についていくしかなく、やがては列車からパラシュートを使って脱出させられてしまうのである
テーマ:創作と記憶
裏テーマ:リアリティの正体
■ひとこと感想
予告編の段階からコメディっぽさというものが滲み出ていて、思った以上に雑なCGで大丈夫かなあと心配していました
監督の作風が好きならOKですが、ひとつのスパイ映画として観ていくと、ちょっとついていけないノリのように思えてきます
物語は多重構造になっていますが、基本的にはアーガイルが登場するシーンは妄想になっていて、それが途中から虚実同居するという演出がされています
この演出の意図はネタバレになるので控えますが、結構早い段階で、映画の本質がわかるようになっていました
映画は、スパイアクション&コメディなので、真剣にやっていることのおかしさを楽しむ内容になっています
色んな伏線が込み入っていて、意外なものが回収されるのは面白かったですね
でも、ちょっと長いなあ、という印象は拭えませんでした
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
スパイ小説が予言のようになっていて、その為に狙われるという設定ですが、虚実入り混じった映像の意味が後半になって回収されていく流れになっています
中盤ぐらいのある時点で、「アーガイル=エリー」というのがわかるのですが、そのヒントを示しているのも「エリーと母親の会話」ということになっています
起点としては「ロマンスは書かない」という言葉を受けての「ロマンス展開」になっている部分になるかな、と感じました
エリーの妄想の源泉が経験という暴露も、その小説におけるリアリティというものがあまり示されていないので、前半で予測するのは難しいのですね
悪の組織とエージェント・アーガイルが彼女の小説を追う理由は「予言になっているから」とは言いますが、それも「闇落ちする展開は読めない」というざっくりしたものになっていました
ルグランジュとアーガイルのリフトを後半で再現するのですが、この時点で「ああ、このパートも含めた全部が小説なんだな」ということはわかります
エリーが実は有能なスパイということになっていますが、エリーがワイルドよりも屈強に見えてしまう為に虚構っぽく見えてしまっているのですね
でも、これはワザとだったのだと感じています
■自分の中に湧き起こる妄想
エリーはブックフェアのファンからの質問に対して、「湧き起こるものを形にした」という趣旨の言葉を贈っていました
小説家になるにはどうするかというエピソードで、フィギュアで怪我をしたエピソードを引用して、すぐに始めるべきだと述べているのですね
そして、マインドがその方向になれば、頭の中にあるキャラクターは勝手に動き出す、という趣旨の言葉を選んでいます
小説を書いたことがある人ならばわかると思いますが、キャラクターのエントリーシートをきちんと作ることで、そのキャラがどのような動きをするのかを「作らなくても良くなる」のですね
私も多少なりとも小説を書いたことがあるのですが、その際に作るキャラクターのエントリーシートにはいくつかのルールがありました
そして、一番大切なのが「物語が始まる時の主人公の状況設定」なのですね
それから、そのキャラがどのような過程を経て「どうなるか」というものを書いていくことになります
物語の骨子としては「何かを得ている人が失う」のか、「何かを得るべき(失っている状態)人が得る」のか、そのどちらかになります
映画の主人公エリーは「エージェントである記憶を失くしている状態」で、「それを得るのがゴール」となっています
その過程で「エイダンとのロードムービー」があり、「先の物語を創作する」という過程があります
彼女にとって、物語を紡ぐことは「自分の行動パターンを獲得する」ことになりますが、その行動は潜在意識下に眠っている自分の体験が紡ぎ出していたことになります
小説家は「自分の体験したことしか書けない」のではなく、想像や調査によって補完することで書くことができるようになります
でも、細部にリアルが宿るかは別問題で、体験していることの重要さというものは思った以上に大きいものであると言えます
個人的に「ステージに立って歌う主人公」という設定があって、そこにリアルを持ち込むために「実際にステージに立ったこと」があります
しかも、主人公は「アウェーのステージに立つ」ということだったので、「あえてアウェーっぽいカラオケ大会」に参加することになりました
ステージに立った時、どのようなことが体の中で起こるのか?
実際にステージに立った時、かなり緊張するのではないかと思っていたのですが、ステージに立った際には緊張はほとんどなかったのですね
でも、1番を歌い終えて、少し心に余裕が出た時、これまでに照明でほとんど見えていなかった観客席が一気にリアルに見えるようになりました
歌いながら、観客席にいる友人が視認でき、審査員長がどんな人とか、そばに何人のスタッフがいたとかが見えてくるのですね
そして、その瞬間から、立っているのに足に力が入らないような浮揚感が生まれ、それによって2番の歌い出しから声が震えるようになりました
これがリアルを体験したことで書けるようになった文章で、あの時の足のすくみかた、力の抜け方、照明がフッと消えて視界が広がっていく時間感覚などは、それを想像で書けるとは思えなかったりします
そう言った意味において、リアルを感じられる表現というのは、それに近い体験がベースにあって、そして紡がれていくものだと言えるのかもしれません
■勝手にスクリプトドクター
本作は、小説家がスパイ騒動に巻き込まれるというものですが、実際には記憶喪失しているスパイが小説を書いていた、ということになります
この設定だけでおかしなことだらけで、スパイが自分の記憶を思い出すために小説を書くという流れになる意味がわかりません
通常、欠けた記憶というものは、これまでに行ってきたことや場所、人物などと関わることで思い出していくという過程になります
でも、エリーは「偽物の両親による洗脳」ということで小説を書いているので、この世界では「記憶喪失の人は物語を書けばいずれ思い出す」と思われている世界観であると言えます
これが、当初の小説家が巻き込まれただけならば、そこまでおかしくは感じませんが、小説を書くことが手段となっているところがおかしく感じてしまいます
彼女が優秀なエージェントであることを思い出させたいのであれば、スパイが日頃行っていることに参加させるべきだと思うのですね
なので、銃器であるとか、仕事をした場所などに連れていくことになり、硝煙の匂いが彼女の記憶を思い出させる、というテイストになるのだと思います
個人的には、最後まで「スパイではない」で通した方が良くて、エリーがなぜ未来を言い当てられるのかは、別の仕掛けがある方が良いと感じました
それがエリーの日常生活の中に根付いている習慣などになっていて、わかりやすいのはWEB記事を読んでいて、そこに隠されている暗号を解いてしまうというものでしょう
本部から各エージェントに送られる指令は、ある一定の法則によって、WEBのある記事の中に組み込まれている
エリーは調べ物をしているうちにそのWEB記事にふれることになり、これが暗号だったら面白いなあとネタにしてしまうのですね
彼女は「未来を予知している」のですが、その余地が起こるカラクリは「エージェントであることを思い出す」という本編の理屈では通らないことになります
なので、スパイの暗号を偶然解いてしまって、それを小説のネタにした、という方が理路整然としていると思います
そうなると、小説の続きを書けと言われたら、彼女はいつも自分が読んでいる記事などの最新版を探すことになります
エイデンからすればネタ探しをしているように見えないのですが、そこには彼女だけが見えているものがあって、それによって相手の動きが読めてしまうように見える、というものになります
ぶっちゃけ、記憶を取り戻しても未来が見えるわけではないので、元々の設定に無理があるとしか言えません
とは言うものの、本作は全体像が小説だったりするので、未来が見えていようがどうでも良いと言ってしまえばそれで終わりなのですね
虚構なので何でもありになっていますが、この手法は真面目に映画を観ている人からするとふざけているようにしか見えないのが難点だったりします
パラシュート脱出の時点でわかると言えばわかるとは思うのですが、それを言ったらおしまいのような気がしてしまいますね
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、文字通り「全部虚構」と言うことなので、そこで起きているリアルは存在しないものになっています
なので、エリーの体型で派手に動き回ったり、エイデンが彼女をリフトしたりする流れというものが、嘘っぽく見えてもOKという感じになっています
この「全部虚構」にしたことで、本来期待されていた「小説家が未来予測をしてしまって騒動に巻き込まれる」というプロットが完全に否定されてしまっていて、それが酷評の要因なのかもしれません
とは言うものの、ラストのファンとのやり取りで、実は本当はスパイなのかもと思わせるようにはなっているので、体験談であることを完全否定はしていません
このあたりのどっちとも取れる感じと、エンドロール後に『キングスマン』と繋がっていると言う込み入った設定がうまく機能しているように思えないのですね
あっちに行って、こっちに行ってと言う感じになっていて、終わってみればオオカミ少年状態になっているので、物語としての価値が完全になくなっているように感じます
何事も「大きな嘘は一つだけ」と言うのがモットーで、エリーが実はエージェントだった、で終わる方がスムーズであるように思えます
このような「劇中劇」系の映画はたくさんあるのですが、「虚」であることがわかった時の喪失感と言うのは結構大きいのですね
繰り返して観れるものでもなく、一度きりの瞬間芸のようなものになっていて、それは今後のシリーズにも影響を及ぼします
いわゆる「全部夢でしたオチ」と言うのは嫌われる傾向にあるので、してやったり感を持つとは思いますが、楽しんだ時間を奪う行為はあまり褒められたものではありません
映画の出来がすごく良くても、鑑賞後感と言うのは最悪の部類に近いので、今のSNSで感想が出回る世の中では、負の要素の方が大きいのではないか、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100302/review/03548851/
公式HP:
https://argylle-movie.jp/
