■90歳は91歳への通過点と思える人ほど、長生きできるのかもしれません
Contents
■オススメ度
人情系の映画が好きな人(★★★)
佐藤愛子のエッセイが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.6.25(イオンシネマ久御山)
■映画情報
情報:2024年、日本、99分、G
ジャンル:断筆宣言をした作家にエッセイを頼むベテラン編集者を描いたヒューマンコメディ
監督:前田哲
脚本:大島里美
原作:佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』『九十八歳。戦いやまず』
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キャスト:
草笛光子(佐藤愛子:断筆宣言をした90歳を迎える作家)
唐沢寿明(吉川真也:佐藤愛子にエッセイを依頼する編集者)
藤間爽子(杉山桃子:愛子の孫)
真矢ミキ(杉山響子:愛子の娘)
中島瑠菜(吉川美優:真也の娘)
木村多江(吉川麻里子:真也の妻)
宮野真守(倉田拓也:編集長)
片岡千之助(水野秀一郎:途中でウェブ出版社に鞍替えする編集者)
オダギリジョー(テレビの修理業者)
清水ミチコ(海藤ヨシコ:ラジオのパーソナリティ)
LiLiCo(行きつけの美容師)
石田ひかり(総合病院の受付)
三谷幸喜(一橋壮太朗:タクシー運転手)
冨田恵子(喜代子:愛子の友人)
中島亜梨沙(編集部?)
ぎたろー(人事部)
三村朱里(人事部)
山本恵理伽(テレビのレポーター)
菊地荒太(?)
市松らん(?)
生島勇輝(レポーター)
山本英司(?)
高瀬英璃(レポーター)
鎌田将司(記者)
三納みなみ(?)
つじちはる(病院受付)
元田牧子(記者?)
こなつ(ハチ:成人期)
ごんすけ(パグ:喜代子の愛犬)
■映画の舞台
東京都:世田谷区
ロケ地:
東京都:世田谷区
駄菓子屋ロンゴロンゴ
https://maps.app.goo.gl/SUYHp1Ljnnmi7CU39?g_st=ic
八百幸
https://maps.app.goo.gl/LoSCzVmDyHQmL5kv7?g_st=ic
おかざき花店
https://maps.app.goo.gl/1SbM7LNBUKiSz6td9?g_st=ic
三河屋
https://maps.app.goo.gl/u9wbUmBtDGP3pqbJ9?g_st=ic
KANNON COFFEE松陰神社前店
https://maps.app.goo.gl/Lk7SWsq4L1yWPd6o9?g_st=ic
カラオケオリーブ
https://maps.app.goo.gl/HABwybTFzmKVozFM9?g_st=ic
東京都:渋谷区
青山ブックセンター
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神奈川県:川崎市
喫茶まりも
https://maps.app.goo.gl/L2PSPhkGGgD7WRV58?g_st=ic
■簡単なあらすじ
都内某所に住んでいる作家の佐藤愛子は、2年前に断筆宣言をして以来、自宅でのんびりとした生活を送っていた
娘、孫と同居する中で、新聞を読んだり、テレビを見るだけの毎日で、出不精になっていた
その頃、ある編集部にて、セクハラ&パワハラにて処分された吉川は、妻子からの愛想を尽かされ、別居状態になっていた
別の雑誌に移動させられた吉川は、そこで断筆宣言をした佐藤愛子にエッセイを依頼する担当者となった
吉川は何度も愛子の家に押しかけ、手土産を持っては、執筆の依頼をする
ようやく重い腰を上げることになった愛子は、「九十歳。何がめでたい」というエッセイを書き始めるのであった
テーマ:人生は終わらない
裏テーマ:言いたいことを溜め込まない
■ひとこと感想
佐藤愛子の作品はほぼ読んでいませんが、古書店を経営していたので、よく売れる作家だなあということだけは知っていました
イメージとしてはエッセイをたくさん書いている感じでしたが、彼女の名が世に出たのは小説の方でしたね
映画は、佐藤愛子が作家だということさえ知っていれば問題ない感じでしたね
映画は、引退した作家を呼び戻す編集者との関わりを描き、人生で大切なものは何かというものを思い出させてくれます
エッセイが映像化されているのもとても効果的で、思わず本を手に取ってみたくなる内容でした
言葉のチョイスが作家という感じで、子どもたちの声を「天使の合唱」と言ったり、日常から非日常(戦争体験)へと結びつける落差というものもハッとさせられる部分があったように思います
先人の生活の知恵と、便利になった世の中において、「精神を進歩させなければならない」というのは金言のように思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作は、佐藤愛子の映画であると同時に、彼女に影響を受けた人たちが登場しています
編集者の吉川はもとより、彼の妻も影響を受けた存在で、この二人の夫婦仲というものがきちんと整理されることになりました
女性が見切りをつけたら復縁はあり得ないのですが、愛子の言葉でそれが確信に変わる部分は爽快だったように思います
仕事人間の末路という感じなのですが、愛子自身も同じような過去を持っていて、家族はすでに割り切っていますが、愛子の中では燻っていたものがありました
愛犬ハチのエピソードでは、健気に外で待つ姿が印象的で、吉川を通じてそれを思い出すことになるのは意外なことだったのかもしれません
映画は、エッセイが出版されるまでの紆余曲折と、その後の関係悪化からの復縁を描いていました
最後は授賞式になりますが、そこでの問答までユーモアたっぷりの内容でした
オーバーアクト気味ですが、これくらいの方がテイストには合っていたように思います
■佐藤愛子について
佐藤愛子は、1923年生まれの日本の小説家で、小説家の佐藤紅緑と女優の三笠万里子の次女として生まれました
異母兄に詩人のサトウハチローと脚本家の大垣肇がいる家系にて育っています
文芸面としては、1950年に同人雑誌「文藝首都」に参加し、処女作『青い果実』が発表され、同作で文芸首都賞を受賞しています
その後、1957年には田畑麦彦、川上宗薫らと同人誌「半世界」を創刊
1963年に『ソクラテスの妻』『二人の女』で同年の上半期と下半期の芥川賞候補にノミネートされます
1969年、『戦いすんで日が暮れて』で直木賞受賞
1979年、『幸福の絵』にて女流文学賞を受賞
その後、2014年91さいの時に長編小説『晩鐘』と刊行、2020年には随筆春秋にて「佐藤愛子奨励賞」というものが新設されています
ちなみに原作にあたる『九十歳。何がめでたい』は2016年の8月に『女性セブン』にて連載されたものを加筆修正を加えて刊行しています
2018年には朗読劇として、全国七都市で上演され、佐藤愛子役は三田佳子が演じています
2023年11月5日には、満100歳の誕生日を迎えることになりました
■エッセイとは何か
エッセイ(Essay)とは、自由な形式で、気軽に意見などを述べる散文のことを言います
これらは、著者自身の主張を述べたものではあるものの、手紙、論文、記事、短編小説などと重複している部分があります
エッセイはフォーマルとインフォーマルに分類され、フォーマルは「真剣な目的、品位、論理的構成、長さ」などを特徴とし、インフォーマルは「個人的な要素(自己開示、嗜好や経験、内密的なもの)、ユーモア、優雅な文体、まとまりのない構成」などが特徴とされています
本作に登場する愛子のエッセイは、どちらかと言えばインフォーマルエッセイというふうに分類されると思います
アメリカやカナダなどでは、エッセイは正式な教育に採用され、中等教育において、ライティングスキルの向上のために構造化されたエッセイ方式というものが教えられます
また、現在では、エッセイは文章表現のみに留まらず、映画によるエッセイ、写真によるエッセイなども登場しています
一連の作品群にて、あるトピックを取り上げ、テキストやキャプションを取り付けたり、ナレーションやテロップなどを入れて表現することもあります
エッセイは、元々は「フランス語のEssayer(試みる)」という単語が由来で、1550年頃に活躍したフランス人のミシェル・モンテーニュが作品の中で使用したとされています
その後、様々な文章形態で「エッセイなるもの」が登場し、定義として「焦点を絞った議論の主題を持つ散文」というものが定着するようになります
なので、一つのエッセイには「一つの主題」があり、それに付随するパーソナルなものを描いていくとインフォーマルになり、普遍的かつ論述的なスタイルに近づくとフォーマルということになるのだと思います
本ブログも散文で、どちらかと言えばエッセイのようになっていますが、実際にはエッセイと呼べるほど高度なものにはなっていないと思います
まれに、一つの映画に対する一つの主題を念頭にして結びつける場合もありますが、そう言ったことが起こるのはミラクルに近いのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、佐藤愛子のエッセイ(考え方)に感化された人々が描かれ、精神的な自由を勝ち取るという内容になっていました
その最たる存在が真也の妻・麻里子で、「夫に嫌いと言う」という目標を掲げて、それをきちんと成し得ていました
妻にそれを言わせているのが自分が担当している愛子であるとはつゆ知らず、と言う構造が面白さを増していましたね
人は理想通りには生きられないもので、うまくいかないことの連続であると思います
そんな中で、自分の行く道を迷った時の指針探しになるのが、外部情報であると言えます
エッセイに限らず、誰かの思考によって具現化されたものを読むのはとても面白く、そこには作家の連続性と変化性と言うものが見えてきたりします
劇中にて、愛子は「私の何を読んでそう思った?」と真也に聞きますが、意外と単純に思えて難しい質問であると思います
もし、人生を変える言葉があるとしたら、それはエッセイのような長さでもなく、キャッチコピーほどの短さでもないと思います
キャッチコピーはその言葉に至った経緯が見えないものですが、エッセイにはその一文に至った思考回路というものが見て取れます
愛子は思いつきでパッと書いているように思えますが、まずは主題が明確で、導入に関しては自分の近い体験を紐解いていきます
「最近読んだ新聞記事で」みたいな書き出しになっていて、同じものを読んでいた人をうまく巻き込んで読者の差別化というものを測っていきます
ここで起こる差別化はそこまで大きなものでなく、かなり普遍化しつつあるテーマを引用しています
全く同じ記事を読んでいなくても、二次媒体で引用されたりして、一般化しつつある問題になっていて、映画では「子どもの声がうるさいという理由で幼稚園が作れなくなった」という「誰でも耳にしたことがある情報」というものを汲み取っていました
この事象に対して、一次情報のコラムを読んだ人もいれば、それが引用されたテレビを見た人もいるでしょうし、当事者に近いところにいる場合もあります
そうした「掴み」というものを描いてから、今度はもっと大きな差別化をしていくことになります
今回の場合だと、わかりやすく「戦争体験」がその境界線になっているのですが、戦争における沈黙も今では普遍化しつつあるのですね
なので、戦争当時には子どもがはしゃぐような声が聞こえなかった、というのは非体験者でも想像ができ、それがリアルであると感じるようになっています
ここで面白いのは、この苦言を呈したのが、体験者に近いところにいる人というところだと思います
戦争の沈黙を知る者が、なぜそのありがたみを忘れてしまうのか?
ここに愛子のエッセイの真髄があると考えています
そして、子どもの声を「天使の声」であると表現し、それが音質の変化というものをもたらしていきます
天使の声を誰もが聞いたことがないのに、なぜか心地よいものをイメージするのですね
そうして、単なる雑音にしか過ぎない子どもの声が、平和を象徴し、自由と豊かさの上に成り立っているものだ、という認識を深めることになります
映画では、いくつかのエッセイが引用されていますが、それぞれにも深い構成力とイメージしやすい語彙力というものが使われていました
それを考えると、エッセイというのは、いかに共通言語の違う一面を切り取れるか、ということになるように思えますね
それが誰にでもできるものではないというところが面白いところで、同じ主題を扱っても、パーソナルな部分によってオリジナル性が出て、そこに人間性を感じることができるというのは、不思議なものだなあ、と思わされます
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100557/review/03970163/
公式HP:
https://movies.shochiku.co.jp/90-medetai/