■悪口に同調することも、それを行なっているのに等しい行為だと思います
Contents
■オススメ度
リメイク元と見比べたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.12.16(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
原題:Speak No Evil(悪口を言わない)
情報:2024年、アメリカ、110分、PG12
ジャンル:招待された家族が異常な家族に翻弄される様子を描いたスリラー映画
監督:ジェームズ・ワトキンス
脚本:ジェームズ・ワトキンス&クリスチャン・タフルトップ&マッズ・タフルドップ
原作:クリスチャン・タフルトップ&マッズ・タフルドップ『Speak No Evil(2022年、邦題『胸騒ぎ』)』
Amazon Link(リメイク元:Amazon Prime Video)→ https://amzn.to/3VEvu1w
キャスト:
ジェームズ・マカヴォイ/James McAvoy(パディ/Paddy:イギリス人家族の父、ダントン家を招待する医者)
アシュリン・フランシオーシ/Aisling Franciosi(キアラ/Ciara:パディの妻)
ダン・ハフ/Dan Hough(アント/Ant:パトリックとキアラの息子、無舌症の少年)
マッケンジー・デイヴィス/Mackenzie Davis(ルイーズ・ダルトン/Louise Dalton:ロンドンに移住してきたアメリカ人一家の母)
スクート・マクネイリー/Scoot McNairy(ベン・ダルトン/Ben Dalton:ルイーズの夫、失業中)
アリックス・ウェスト・レフラー/Alix West Lefler(アグネス・ダルトン/Agnes Dalton:ベンとルイーズの娘、12歳)
Kris Hitchen(マイク/Mike:パディの友人、レストランのシェフ)
Motaz Malhees(ムージ/Muhjid:パディの知り合いのシッター)
Jakob Højlev Jørgensen(トルステン/Torsten:旅行先で出会うデンマーク一家の父)
■映画の舞台
イギリス:デヴォン&ロンドン
ロケ地:
クロアチア
イギリス:グロスター
https://maps.app.goo.gl/ybzNrauUBie3ude29
■簡単なあらすじ
アメリカからイギリスに移住してきたダルトン一家は、イタリア旅行として余暇を楽しみに来ていた
そこには素行が派手なイギリス人一家がいて、料理の話をうざったく話すデンマーク人などもいた
ある時のこと、娘アグネスが大事にしているウサギのぬいぐるみを探すことになったベンは町中を探すことになった
どこにもなく、妻ルイーズたちの元に戻ったベンは、イギリス人一家の息子アントが見つけてくれたと聞いて安堵のため息を漏らした
ダルトン一家はアントの父パディと母キアラたちと親睦を深め、話の流れでパディたちの家に来ないか?という誘いを受けた
社交辞令たと思ってOKを出したベンだったが、ロンドンに戻ると彼らから手紙が届いていた
ルイーズは気が進まないものの、気分転換になるのではと思い、一家でパディの住むデヴォンへと向かうことになった
だが、パディたちは、ルイーズが菜食主義者であることを知りながら肉料理を出したり、主義に対して鋭い言葉を放つなど、どこか不愉快な感じが漂っていた
ルイーズは一刻も早く帰りたいと思うものの、慣習の違いだろうとベンは意に介さなかった
やむを得ずに週末を過ごすことになったのだが、2日目の夜に、あることが起きてしまうのである
テーマ:生存本能と直感
裏テーマ:プライドと偏見
■ひとこと感想
リメイク元『胸騒ぎ』の衝動が実は今年の春先と知ってびっくりしたのですが、本国で絶賛された後にすぐに企画が立ち上がったようでしたね
あの作品をどこまで忠実に再現するのかと思っていましたが、色々と変えていたのが新鮮だったと思います
リメイク元は救いのない、いわゆる胸糞映画で、ちょっとばかり宗教色が強い作品になっていました
それがアメリカで製作するとどうなるのかなと思っていましたが、舞台はイギリスの田舎に設定していましたね
さすがにあの設定をそのままアメリカに流用するのは無理があると感じたのかもしれません
映画は、リメイク元を知っていなくても大丈夫で、一見普通に見える家族が徐々にヤバい奴らじゃないの感がうまく表現されていたと思います
異常な家族と言っても、実は被害者側の家族もちょっとおかしなところがあって、そこにつけ込まれているというところはあったように思いました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
リメイク元のネタバレを避けては通れないので、リメイク元をこれから観るよという人はここで読むのをやめていただいた方が良いと思います
OK?
というわけで、リメイク元『胸騒ぎ』は全滅エンドになっているのですが、本作では違うエンディングを用意していました
それでも、気味の悪さ&頭の悪さは引き継がれていて、ジェームズ・マカヴォイが演じているためか、フィジカル的にも絶望な感じに仕上がっていました
次々と家族をターゲットにしていて、その子どもの舌を抜いて封じている一家で、その目的は本作では「被害者家族から金を巻き上げる」というものになっていました
お金を送金させたり、怪しまれないように子どもの学校に連絡させたりするのですが、そのあたりの情報を会話からきちんと読み解いていくという流れになっていました
問題を抱えてストレスフルな家族が、障害持ちの家族に優越感を覚えるという構図になっていて、一度会ったばかりの相手の家に警戒心を持っていても行く、というのはなんだかなあと思ってしまいます
完全なる信頼を置いていないというところで出かけてしまうとか、礼節を重んじずに抜け出すなど、かなりおかしな一家になっていました
本作を観て面白いなあと思った人はリメイク元の『胸騒ぎ』を観ても良いと思います
ただし、鑑賞後感は「最悪」で、少しの間引きずってしまうと思うので、その覚悟だけは持ってもらった方が良いと思います
■異常とは何か
本作の邦題のサブタイトルには「異常」という言葉があり、これはダブルミーニングになっていると思います
一見すると、パディ一家だけが異常に思えますが、招待されたベン家族も常識では考えられない行動を見せていました
映画のタイトルは「悪口を言うな」と言う意味で、社交辞令の裏側にある本心を隠したまま会うことで、その隙を突かれているように思えます
自分自身が肝心なことを言わないために相手の神経を逆撫でしている部分もあり、パディはそれをも見越して罠を張っていたように思えました
異常というのは、世間一般の常識からかけ離れていることを意味しますが、個別の家庭のルールというのは、それぞれ違うものがあると思います
なので、パディ一家の犯罪的な面を除けば、それが異常と感じられるかは微妙なところでしょう
結局のところ、直感的にヤバいというものを感じ取ったベンは、それに従うために行動を起こすのですが、それがパディのみならず「異常なステップ」のように思えます
そもそも、ハガキが来るという時点で、連絡先を交換しているのですね
それを考えると、その後の行動は歪んだ自己主張のように思えてしまいます
旅先で出会った人と連絡交換をするというのは、ある程度仲が成熟しているとか、気が合ったという関係性になっているはずなのですが、それなのに招待が来たら変に思うというのは入り口からして間違っているように思います
そう言った意味も含めると、パディだけが異常にも思えないのが不思議でしたね
ノコノコと危険を察知しながらも出向き、相手の家の慣習だろうと妻を宥めつつ、後戻りできないところまで来ても一貫した行動を取らない
傍から見ていると、こんなに間抜けで異常な家族もいないように思えました
■ラストをどう考えるか
映画のラストはリメイク元とは真逆になっていて、これをどう考えるかは本作のキーポイントとなっています
後ろめたさが起こしていく泥沼の果てに、ベンたちは抗うこともできないのか、という主題がありつつも、本作ではパディに協力者がいたりして、かなりかけ離れた物語になっていました
異常な家族からの脱出というテイストで作られていて、ある種の閉鎖空間ホラーの構造で映画は作られていましたね
原作のネタバレありで申し訳ないですが、リメイク元は宗教的な側面が強く、いわゆる罪と罰のような構造になっていました
この改変をどうみるかというところになりますが、個人的にはかなりエンタメ寄りにして、宗教色を消したのだなあと思いました
理不尽な仕打ちに対し理不尽な対抗をしつつ、どっちが勝利するのかという構図になっていて、最終的にはベン側が勝ってしまいます
彼が勝つということは、パディ側が異常だったという結論になり、それが罰せられるべきというふうに見て取れます
実際には、リメイク元よりもさらに悪質な行動と動機になっているので、勧善懲悪的な部分ではOKなんだと思います
このラストの逆転を良しとするためにパディ一家の行動が増幅されている部分があって、これは結論ありきの改変なのでしょう
でも、原題となる「悪口を言うな」と言うのはパディ側の視点による警告になっているので、この言葉に対する罰というものは映画では描かれていないと言えるでしょう
なので、リメイク元にあった「石打ちの刑」というのは、問題の根本となっているベン側の思考に警鐘を鳴らしている部分があるので、それが改変によって消失しているのは残念に思いました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作には、うさぎのぬいぐるみがキーアイテムとして登場し、出会いと釘付けを演出する原因となっていました
生命の危機を感じているのに取りに戻るというのは意味不明な行動で、そんなことをしている場合ではないように思えます
それでも、命懸けで取りに帰ろうとするところに、この家族の娘に対する普段の対応とか関係性というものが見て取れます
ベン一家に内包されている問題というのものは可視化されませんが、異常なほどの溺愛と支配関係があるように思えてしまいます
この関係性の背景にあるのは、「愛情と甘やかしを混同している」とか、「自己犠牲的な価値観」「衝突回避」「罪悪感」「躾への不安や知識不足」「親自身の支配されたがり傾向」などがあると思います
映画で描かれる部分から感じられるのは、親自身が「支配されたがり」傾向があるという部分でしょうか
子どものために行動している自分スゲーみたいな感覚で、子ども中心の家庭構造になっていることに満足しているのだと思います
それによって、親の精神は心理的に子どもの下にあるという状況になっていて、日常に帰った時に「なぜ、ぬいぐるみを見捨てたのか?」という問いに答えられないのでしょう
アグネス自身はそこまでバカな娘ではないのですが、ぬいぐるみに異常な執着を持っていることを考えると、親の精神的下位状態を良しとは思っていないのでしょう
ある意味、親には心を許せないけど、ぬいぐるみには許せるという状態なのですね
なので、下位とか上位という概念の外側にあって、親であることすら認めていないのかな、と思ってしまいます
映画では、アグネスの一撃がパディ一家打破の決め手になっていたので、ますます親を見放してしまうのではないか、と心配になってしまいますね
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/102452/review/04568294/
公式HP:
https://www.universalpictures.jp/micro/speaknoevil