■幸せの、忘れもの。

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■オススメ度

 

ろう者の出産と育児を体感したい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2026.5.7(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Sorda(ろう者)、英題:Deaf(ろう者)

情報:2025年、スペイン、99分、G

ジャンル:ろう者の母親が出産し、子育てをする中で抱える孤独を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:エヴァ・リベルタッド

 

キャスト:

ミリアム・ガルロ/Miriam Garlo(アンヘラ/Ángela:聴覚障がいのある陶芸工房の作業員)

アルバーロ・セルバンテス/Álvaro Cervantes(エクトル/Héctor:アンヘラのパートナー)

Elaia Sánchez&Daniela Saura Pérez(オナ/Ona :アンヘラとエクトルの赤ちゃん)

   (3ヶ月:Jade Molina Uroz&Valentina Arrona Fernández

   (2ヶ月:Martina Blaya García&María García Fernández

   (1ヶ月:Felipe Aroca Serrano

 

エレナ・イルレタ/Elena Irureta(エルビラ/Elvira:アンヘラの母)

ホアキン・ノタリオ/Joaquín Notario(フェデ/Fede:アンヘラの父)

Erika Rubia(ルーシ/Luci:アンヘラの姉)

Paula Peces García(アナ/Ana:ルーシーの娘)

Marc Tapia&Marc Blauk(ファン/Juan:ルーシの息子)

 

Agustín Otón(ラミロ/Ramiro:同僚の作業員、プレゼント自作)

Oti Manzano(イレーネ/Irene:工房の品質管理、経営者)

Pedro J. Hernández(カルロス/Carlos:同僚の作業員)

 

Sofia López(ヴェロ/Vero:アンヘラの親戚)

Leticia Ramírez Perea(エレナ/Elena:アンヘラの親戚、分娩に苦労)

Antonio Serrano Davo(アレックス/Álex:エレナの夫)

 

Rosario Arca(ソフィア/Sofía:アンヘラの親戚)

Álvaro Leal(アルフレド/Alfredo:ソフィアの夫)

Leo Leal(テオ/Teo:ソフィアの息子)

 

Agustín Mateo(コネサ/Conesa:エクトルの友人)

Marta Megías(イサ/Isa:エクトルの友人)

José Ortuño(ペドロ/Pedro:エクトルの友人)

María Ortiz(エステル/Ester:エクトルの友人)

Estefanía Rico(サラ/Sara:エクトルの友人)

Carlos Soroa(オスカー/Óscar:エクトルの友人)

 

Almudena Ramos(ロシオ/Rocío:保育所の母親、ラウルの母)

 

Ana Belén García Palazón(保育士/Maestra)

Jesús Miguel Iniesta(専門家/Especialista)

Nono Mateos(聴覚センターの従業員/Empleado Centro Auditivo)

María Jesús Castaños Ruiz(産婦人科医/Ginecóloga Consulta:アンヘラの主治医)

Paloma Domenech Asensi(麻酔科医/Anestesista)

Esperanza Gadea(産婦人科医/Ginecóloga Parto)

Cristina González Zamora(助産師/Matrona Parto)

Lorena Hernández(出産のアシスタント/Auxiliar Parto)

Miguel Alcaraz Saura(小児科医/Pediatra)

 

Karmen López Franco(公園の母親/Madre Parque)

Bárbara Vargas(公園の母親/Madre Parque)

 


■映画の舞台

 

スペインの田舎町

 

ロケ地:

スペイン:ムルシナ州

モリーナ・デ・セグラ/Molina de Segura

https://maps.app.goo.gl/YXoCVZ2BLEXZmfKK8?g_st=ic

 

スペイン:マサロン州

プラヤ・デ・バイア/Playa de Bahía

https://maps.app.goo.gl/HREGyDN6N5QyxBXx8?g_st=ic

 

スペイン:ブラス州

サルト・デル・ウセロ/Salto del Usero

https://maps.app.goo.gl/x5xtmsH9XSDtxpjV7?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

スペインの田舎町で暮らすアンヘラとエクトルは、決断の末に子どもを持つことを決めた

ろう者のアンヘラは親族にもろう者がいることから、子どもにも遺伝子ないかと心配していたが、専門家によると五分五分で、生まれてから出ないと検査はできないという

アンヘラの両親も聴者であることを望んでいたが、彼女はそこまで聴者として生まれてくることにこだわりを持ってはいなかった

 

アンヘラはイレーネが経営する陶器工場で働いていて、従業員一同も妊娠を祝ってくれた

彼女のにもろう者がいたが、彼女の家族を見ていると少しばかり不安も募っていく

甥っ子はスマホばかり見て家族に馴染もうとしないし、母親が言うには「家族と一緒にいるところを見られるのを嫌がる」と言う

いつしか、アンヘラも自分の子どもが聴者として生まれてきて、自分を拒絶したらどうなるだろうと考え始めるようになっていた

 

10ヶ月が過ぎ、いよいよ出産は間近になり、陣痛も起きるようになった

当初は「指示が入らない」と言う理由で病院へいくことを拒んだが、エクトルがずっと付き添って通訳をすると言うことで、何とか病院に向かうことになった

だが、出産は難を極め、予期せぬ事態が起ころうとしていた

ヘクトルはそばにいることを許されず、指示の入らない中で、アンヘラは出産に向かうことになったのである

 

テーマ:自我の疎通

裏テーマ:存在そのものへの感謝

 


■ひとこと感想

 

ろう者の映画ということは知っていましたが、ほぼドキュメンタリーのような感じで、実際のろう者たちが手話を駆使して演じていました

監督の妹がろう者と言うこともあって、その緻密な再現性には驚かされます

アンヘラはどうやら後天的のようですが、彼女の姉のルーシは先天的だったようですね

母親が姉の若い頃の話をしていた時に、補聴器を隠すために常にバンダナをしていた、と語っていました

 

ろう者の日常は大変なものだと思いますが、それに寄り添う側はそこまで大変だとは思っていません

それは受け入れてそこにいるからであり、アンヘラとエクトルの間には微妙な差異がありました

それが原因で喧嘩になってしまうのですが、 エクトルも言ってはいけないことを言ってしまうのですね

エクトルはアンヘラの状況を受け入れているけど、アンヘラ自身の内面には届かない

それを「わかるわけがない」と言い切ってしまうことは地雷のように思えました

 

映画は不穏なまま、ラストへと向かい、どうなってしまうのか心配になりますが、子どもの存在は偉大ですね

また、恥じていないということを証明するために取ったエクトルの行動も尊いものだな、と思いました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

本作は、ろう者が計画的に出産を試みるという内容で、適齢期は越えているけどチャレンジすると言う内容になっていました

両親がビビっていましたが、孫のことは期待していなかったのでしょう

サプライズのような感じで発表されましたが、その後の何気ないやりとりは、アンヘラにとっては残酷なものだったように思います

 

聴覚検査の期間を待てずに音を鳴らして反応するかどうかを見ていたりしていて、それは何気ないことで、娘自身のためのことだったと思います

でも、それらはアンヘラ自身を否定しているようにも捉えられてしまい、誤解を招く結果となっていました

エクトルも「被害者意識が強い」と感じていて、それが言葉に出てしまうのですが、その先の「聴こえなくなったのは俺のせいじゃない」  は一線を越えてしまったように思いました

 

あの場をどのように取り繕えば良いのかは分かりませんが、それでもこの喧嘩の根本はアンヘラの思い込みのほうが大きいように見えます

それは私が聴者 だからかもしれませんが、どうしてそこまで考えてしまうのか、と言うのは、当事者にならないと見えてこないような気もします

それを察することが望まれるのかもしれませんが、それ自体は文化的な要素もあると思うのですね

それは社会全体がろう者に対してどのように捉えているのかと」いうところがあって、表面に出すことで不利益が重なる社会に生きているからのようにも思えます

察して寄り添うのは、何もろう者に対してだけではないでしょう

そう言った、空気を読むということに長けているかどうかすらも、社会が作り出すものだったり、教育の影響があるように思えました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、ろう者と聴者の間にある溝を描いているように思えますが、実際には言葉が通じ合っても起こることのように思います

自分自身の生まれ持ったものや、後天的に押し付けられたものからは逃げようがありません

かと言って、克服できるから神様が与えた試練と言うのもナンセンスな考えで、そう言った考えが状況を変えることはないと思います

 

あくまでも、そのまま全てがその人であり、時には社会的にハンデに思うようなこともあるでしょう

でも、五体満足な人が必ず幸せとは限らないように、幸福という概念は常に一人称の視点に過ぎないとも言えます

人は自分が幸せかどうかを相対的に見てしまうものですが、それで良いことは一つもないと思います

あくまでも、自分をどう捉え、どのような生き方を選んだかという思考と行動の純度というものが幸福感を決めると言えるのではないでしょうか

 

幸福であることは、言い換えれば自分の行きたいように生きて、それで心が満たされている状態かどうかを見るレンズのようなものでしょう

そして、そのレンズの純度を決めるのも自分自身であると言えます

アンヘラが子育てから逃げたとき、そこにあるのは別の場所を見るためのレンズがある場所もしくは、レンズの存在を忘れさせる場所だったように思います

そう言った意味において、赤ん坊が放つオーラと言うものは、良い意味において、レンズの存在を忘れさせるものだったのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/105662/review/06482743/

 

公式HP:

https://shiawase-film.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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