■季節が移り変わり、感情の変化もわかるのに、どうして人は急展開だと感じてしまうのだろうか


■オススメ度

 

一人相撲をしている男に興味がある人(★★★)

トルコの風景に興味のある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.10.15(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Kuru Otlar Üste(乾いた草について)、英題:About Dry Grasses(乾いた草について)

情報:2023年、トルコ&フランス&ドイツ、198分、G

ジャンル:村を出たい教師に降りかかる災難を描くヒューマンドラマ

 

監督&脚本:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン

 

キャスト:

デニズ・ジェリオウル/Deniz Celiloglu(サメット/Samet:イスタンブールに行きたい東アナトリアの美術教師)

メルベ・ディズタル/Merve Dizdar(ヌライ/Nuray:隣村の教師、テロで片足を失う)

 

ムサブ・エキチ/Musab Ekici(ケナン/Kenan:サメットのルームメイト、同僚の社会科教師)

 

エジェ・バージ/Ece Bagci(セヴィム/Sevim:サメットの女生徒)

 

オヌル・ベルク・アルスランオウル/Onur Berk Arslanoglu(ベキル/Bekir:赴任して間もない校長先生)

エルフ・ウルセ/Elif Ürse(サイメ:抜き打ちの手荷物検査をする副校長)

エルデム・シェンオジャク/Erdem Senocak(トルガ/Tolga:告発の真相を知るサメットの同僚の教師)

エリト・アンダチャム/Elit Andaç Çam(フィルデヴス/Firdevs:トルガをフった女性教師)

ナラン・クルチム/Nalan Kuruçim(ケブセル/Kevser:噂好きの女性教師)

 

ユクセル・アクス/Yükusel Aksu(ヴァヒト/Vahit:獣医、サメットの友人)

ミニュル・ジャン・ジンドルク/Münir Can Cindoruk(フェイヤズ/Feyyaz:落伍者と揶揄されるサメットの友人)

 

ユルドルム・ギュジュク/Yildirim Gücük(教育部門長)

フェルハト・アクグン/Ferhat Akgün(アタカン/Atakan:告発に対応する指導顧問、カウンセラー)

 

ジェンギズ・ボズグルト/Cengiz Bozkurt(ナイル/Nail:学校の用務員)

 

Birsen Sürme(アイリン/Aylin:ケナンを告発する女生徒)

Delila Kandemir(デリラ/Delila:女生徒)

Polat Sever(エミルハン/Emirhan:8年生の生徒)

Sami Erdem(キリチャン/Kiliçhan:生徒)

Sefa Sürmeli(セファ/Sefa:生徒)

Bilal Sürmeli(ビラル/Bilal:生徒)

エイレム・ジャンポラト/Eylem Canpolat(ハリメ/Halime:ブーツをもらう女生徒)

 

エムラ・オズデミル/Emrah Özdemir(軍曹)

Seçkin Aydin(エルディ/Erdi:兵士)

Turan Selçuk Yerlikaya(下士官)

 

Abti Karatas(レンジャー)

Vahit Yildirim(そりを持ったレンジャー)

 


■映画の舞台

 

トルコ、

東アナトリア地方:インジェス村

 

ロケ地:

トルコ:エルズルム

インジェス村/Asagi Incesu

https://maps.app.goo.gl/7a2z1TkTN6CbhYs69?g_st=ic

 

ネムルト山/Nemrut

https://maps.app.goo.gl/EzjxMZmeP4NtMmQ59?g_st=ic

 

カラクス古墳/Karakus Tumulus

https://maps.app.goo.gl/1RUJfasVfjdkymWb7?g_st=ic

 

ディヤディン渓谷/Diyadin Kanyonu

https://maps.app.goo.gl/Rf87gFSHLscftade9?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

インジェス村の音楽教師のサメットは、いつかこの村を出て、イスタンブールに行きたいと考えていた

休暇を終えて村に戻ったサメットは、同僚のルームメイト・ケナンとくだらない話をしながら、獣医のヴァヒトの元に行っては、悪友のフェイヤズたちと酒を酌み交わしていた

 

サメットは成績優秀の生徒セヴィムを特別扱いしていて、土産品のコンパクトミラーを渡したりしていたが、男子生徒からはそれが差別だと非難されてしまう

そんな折、急な持ち物検査が行われ、セヴィムの机から私用のノートとラブレターが見つかってしまう

 

問題視する校長と副校長だったが、サメットは自分からそれを返却すると言ってその手紙を預かった

だが、セヴィムには破り捨てて無いと嘘をつき、それによって、事態は思わぬ方向へと向かってしまうのである

 

テーマ:自業自得

裏テーマ:人を見誤ることの代償

 


■ひとこと感想

 

ポスタービジュアルの少女の表情が印象的で、どんな映画かわからないまま鑑賞

とりあえず3時間越えということだけ頭に入れて、トイレに行かずに済むようになんてことを考えていましたね

でも、それは杞憂のような感じで、198分もあるようには感じませんでした

 

映画は、東トルコの奥深い集落が舞台になっていて、そこに嫌々赴任している先生が主人公となっていました

いつかは出ていくことを考えていますが、意外なほどに生徒から好かれていて、それが大きな波紋を生んでいくことになっていました

 

えこひいきからの勘違いなのか、単に人の心が読めていないからなのかは分かりませんが、彼が手紙を返そうとしなかった理由は分かりません

また、その手紙が誰宛のものかはわからないのですが、彼が破り捨てずに取っていることに意味はあるように思います

 

映画では、ラスト近辺でいきなり「メタ構造」になっていて、何が起こったのかは分かりませんでした

あの場面はサメットの動揺を意味しているのだと思いますが、唐突すぎて意味が分かりませんでしたね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

198分という驚くぐらいの長さなのですが、あまり時間というものを感じさせませんでしたね

不思議な感じがして、あらすじをサラッと書いても、そこまでの量にはなりませんが、それでもかなり充実した内容になっていたと思います

ワンシーンの長さも適度で、長回しの多様で時間を要しているのかと思っていましたが、そこまで無駄に長回しをしているシーンはありませんでした

 

物語としては、学校の中で手紙が見つかって、それを返さなかったことでトラブルに巻き込まれるというものになっていました

返さなかった理由は分かりませんが、セヴィムが当初話していたのは一緒に告発したアイリンではなく、男子生徒だったように見えました

なので、貰った手紙を返さなかったということになるのかな、と思います

 

その後、セヴィムは仕返しと称して校長に告発をするのですが、それが「手紙を勝手に破いて捨てたから」ではなく、体がふれたからでしたね

ケナンを嫌っていたとされるアイリンの告発に便乗する形と表現されていましたが、実際には「あの接触の話をしたら、自分もされた」みたいな会話になったのかもしれません

それを踏まえた上で、もっとも効果的な形で仕返しをしようと考えたのかな、と感じました

 


人を通じて自分を知ることの意味

 

本作は、美術教師のサメットが懇意にしていた生徒から告発されるという内容になっていて、若干もらい事故のようなところがありました

告発したセヴィムはアイリンというクラスメイトと一緒に告発をしていて、その理由は手紙を破棄されたことではなく、セクハラに遭ったというものでした

セヴィムはサメットと教員室で肌がふれあいますが、あれをセクハラと言われたらたまったものではないと思います

でも、アイリンの方はケナンから被害を受けたと主張していて、こちらが本懐になっていました

 

セヴィムは上級生のエミルハンから手紙を貰っていて、それを取り上げられた後に本人に相談していました

サメットは自分に気があると思い込んでいたのかはわかりませんが、セヴィムが上級生からラブレターを貰っていた(あるいは渡そうとしていた)ことに動揺していたりします

教師が生徒の色恋沙汰に躍起になること自体が気持ちの悪いもので、セヴィムからすればそれだけでセクハラだと感じてもおかしくはありません

 

映画は、生徒の反応によって、教師たちの見られ方というものが判明するように描かれ、それが本人が思っている自分像とは乖離していることがわかります

生徒に慕われていたと思っていたら、実はセクハラだと感じていたとか、慕っていると思っていたら実は嫌われていた、みたいな感じになっていて、告発そのものよりもショックが大きかったように思います

このように、自分自身は対人の反応によってしか本当の姿が見えないということもあって、自己のイメージというものは虚飾された反応によって埋もれてしまうことがわかります

そうして、一度壊れてしまったものは、さらに悪化する傾向があって、それが子どもがしたことに対して真っ向から反論することで増悪してしまいます

 

結局のところ、相手が自分をどう思っているかはコントロールできず、相手の反応が全てであると思います

それを直す必要があれば自分を変えるしかなく、相手の見方を変えさせようとすると悪化するだけなのですね

なので、サメットとケナンが取った行動というのは最悪な部類の反応に近いと言えるのかもしれません

 


タイトル『Kuru Otlar Üste』の意味について

 

映画の原題は『Kuru Otlar Üste』というもので、これは「乾いた草について」という意味になります

劇中でこの村には季節が二つしかなく、春が無いために草が生えても太陽に照らされて枯れてしまう(色が変わってしまう)と言われていました

これはサメットたちの行動と状況の暗喩になっていて、人は一瞬で態度を変えるとか、人生は一瞬にして景色を変えるという意味合いになっています

徐々に移行するのではなく、一気に噴出することで、戸惑いが生まれてしまうということを意味しているのですね

 

実際の人生もこのようなもので、予兆というものがありながらも見過ごし、一気に自体が好転もしくは悪化するという場面に遭遇します

枯葉になってしまうのも実際には少しずつ変化しているのですが、その変化に気づくことなく、いきなり色付いたように見えたりします

あとで振り返ればわかる転換点も、その時には見過ごされがちなのですが、第三者から見れば転換点は意外とわかるものなのですね

でも、そのポイントがわかってもどっちに転ぶかわからないのですが、それは相手にも同様に見知らぬところにターニングポイントがあって、人生の接点は一つだけでは無いからだと言えます

 

それぞれの人生は互いに干渉しあっていますが、直接的な干渉は見えても、相手と別の人物との干渉は見えません

映画で言えば、サメットとセヴィムの干渉はサメットから見えますが、セヴィムとエミルハンの干渉はわからないのですね

なので、あの場面でセヴィムとエミルハンの間でどのような会話があったとか、それによってセヴィムがどのような決意を持ったのかわかりません

これはケナンも同様で、彼からはセヴィムとアイリンの干渉は見えません

そうして、自分の知らないところで干渉しあったものが、べキル校長を通じて自分のところに跳ね返ってくることになりました

 

事が起きてからべキル校長にいくまでに費やされた時間は、草が枯れていく過程にと同じもので、その事柄(=草)にもう一度目を配る時には、以前のものとは違っているのですね

さらに、本当に遭ったことが伝聞となり、誇張が生まれることによって、「手がふれた」が悪質なセクハラになってしまいます

今回の場合は、校長との関係性も希薄だったために教育委員会にまで話が入ってしまい、さらにサメットたちが理不尽な仕打ちを受けているように見えます

でも、その起点となった「セヴィムに手紙を返さない」というのは、これだけの大ごとになっても不思議では無い行動なのですね

そして、その行動に至った源泉がサメットの心の中にあり、それを見失ったのが最大の要因になっていたのでは無いでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、198分もある大作で、3時間越えで休憩なしというのはなかなか無いと思います

それでも、3時間強には思えず、体感では140分ぐらいでしたね

物語もそこまで込み入って展開があるわけではなく、サメットの日常、生徒との関係、交友関係などが描かれた後に、サクッと事件が起こるように描かれていました

そこからは理不尽さが輪をかけて襲ってくるような感じになっていて、思考する間を与えないまま、事態は泥沼化していきました

 

傍を固めるキャラクターとの関係性、そのキャラの特質というものも実にスムーズに描かれていて、同僚の先生同士の関係性もさらっと登場し、それによってサメットとの距離感がわかるように描かれていきます

そして、サメットとケナンが紛糾する中、生徒たちの告発を知るトルガによって、意外な真実が語られていくのですね

サメットからすれば晴天の霹靂のような告発も、実際には手紙を捨てずに残していることがやましさにつながっているように思えます

傍から見れば良い大人が何をしているんだろうという感じなのですが、これらのサメットの異質に思える行動は、彼の性根の部分にあるのだと思います

 

彼はこんな田舎町では働きたくないと考えていて、それは自分の能力が発揮できないとか、田舎自体を見下しているところがあったのだと思います

そう言った感覚があったので、生徒が何かを起こすということも考えておらず、服従させたつもりでいたのでしょう

でも、授業内で生徒を従順にさせても、それ以外の世界では教師であることの意味はほとんどないのですね

特にプライベートに干渉する権限はなく、たまたま抜き打ち検査でラブレターが見つかったことで騒動になっていますが、生徒たちの恋愛感情を縛ることはできません

 

なので、この告発は、そういった不可侵のところに土足で入り込んで、教師という立場だけで上から目線でモノを言ってくることに対する反発でもあるのですね

彼女たちがいきなり校長先生のところに話を持っていくのも、上から目線の悪者のには権力構造による雷が効果的であると感じていたからだと思います

そうした見えない抵抗というものが一気に噴出することを「季節が変わった」と表現している面白さがあり、本当は細やかな四季感があったとしても、それを機敏に捉えられない愚かさというものを描いているように思えます

映画は、かなり長尺になっていますが、映画館という環境なら完走できるでしょう

配信でそれが可能かはわかりませんが、機会があるならば挑戦しても良いのではないでしょうか

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/99298/review/04373236/

 

公式HP:

https://www.bitters.co.jp/2kisetsu/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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