■人が揺れ動いても、大自然は変わらない景色を映し出している


■オススメ度

 

マルチ洗脳の怖さを体験したい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.11.17(京都シネマ)


■映画情報

 

原題:草木人间(草と木の世界)、英題:Dwelling by the West Lake(西湖畔のそばに住む)

情報:2023年、中国、115分、G

ジャンル:マルチ商法にのめり込んだ母とその息子を描くヒューマンドラマ

 

監督:グー・シャオガン

脚本:グオ・シュアン&グー・シャオガン

原作:『秦岭四』に所収草木人(2015年)」

 

キャスト:

ウー・レイ/吴磊(ヘ・ムーリェン/何目莲:失業中の青年)

ジャン・チンチン/蒋勤勤(タイホア/吴苔花:ムーリェンの母、マルチ商法にハマる元茶摘み)

 

チェン・ジェンビン/陈建斌(ラオ・チェン/老钱:茶摘み畑の社長)

ルー・シンチェン/吕星辰(ラオ・チェンの娘)

ディン・ルイクィン/丁瑞琴(チェンの母)

 

チェン・クン/钱坤(ドン・ジンラン/董金兰:タイホアの友人、茶摘みの同僚)

ヤン・ナン/闫楠(ドン・ワンリ/董万里:セミナーの司会者、ジンランの弟)

 

スン・チャン/孙强(ムーリェンの叔父)

 

【バタフライ社関連】

ワン・ジアジャ/王佳佳(ワン・チン/万晴:会社の広告塔)

リャン・ロン/梁龙(ルオ・ゾン/罗总:マルチと騒ぐ老人)

シュエ・ペン/薛影(マ・ワンシン/晴啊:会社の女性幹部、マネージャー)

ウー・ビ/吴彼(ウー・ビグイ/吴彼贵:マネージャー、マ・ワンシンの弟)

チェン・ユントン/禹网(ビグイの息子役の子ども)

 

チェン・ジャニン/洪爽イェ・ホン/:マネージャーに昇格する女)

 

ジュ・ボザン/鞠帛展(チャン・ヨン/张勇:船のイベントの司会)

 

【バタフライ社のツアー参加者】

チャン・ウェン/张楚文(チャン・レレ/張乐乐:独身女性)

リー・イートン/李东甜(チェン・シャオユアン/陈小媛:眼鏡っ子)

ワン・シューシン/王超(ジュンジエ/俊杰:シャオユアンの彼氏)

フー・チャオファン/付超凡(チャン・ホンギ/:七三分の男性)

トゥ・ミンファ/ 屠敏(シャオジエ/笑姐:笑顔のおばちゃん)

へ・ジリ/何籽(リ・メンリン/李美鈴:グラサンの女)

シェン・ウェンジャオ/盛文姣ウェンジャオ/文姣:グラサンの友人)

サン・チャンリャン/章建アジン/阿金:参加者の男性)

リウ・シャンイー/刘湘怡(チェンタイ/太:アジンの連れ)

ヤン・リウ/(ユージエ/玉姐:ダンスグループのおばちゃん)

ヤン・シューシン/舒馨フイジエ/慧姐:ダンスグループのおばちゃん)

ワン・チュンメイ/王春妹チュンメイ/春梅:元茶摘み仲間)

チョン・スーチン/竹青(ズーチン/竹青:元茶摘み仲間)

グイ・シャオイン/桂小英(ドゥーイン/杜英:元茶摘み仲間)

 

【その他】

ゼン・ジェン/曾征(バイウェイ/白薇:茶摘みの仲間)

チェン・ジャニン/陈佳宁(シャオリー/小丽:茶摘み仲間)

 

ワン・ホンウェイ/王宏伟(ワンゾン/王总:健康センターのマネージャー)

ツゥー・リークン/(サン/孙经理:女性指導員)

 

ワン・チュアン/王川(ダリン/大林:ムーリェンのクラスメイト、健康センターの同僚)

ウー・ジンシン/吴金鑫(シャオジャオ/小赵:健康センターの同僚)

ヤン・ディオン/杨棽(ティエンハオ/天浩:健康センターの同僚)

 

リ・フイシャオ/李慧佚(健康センターの老女)

レン・クー/任可(老女の息子)

シャン・ユアロン/尚玉蓉(老女の義理の娘)

 

ウー・バイ/五百 (ハン警官/杭警官:通報を受けて駆けつける警察)

 

ルヴ・ファズイ/呂法芝(ソンの祖母)

 

ファン・ジュンウェン/范俊雯(船上で茶を立てる女性)

チェン・メイファン/陳美芳(船頭の女性)

 

ウェン・リーウェン/扇力文(マ/:寺の僧侶)

 

【?】

マ・ダジ/马大智(卷毛の男)

レイ・ファイニン/雷华民(シーグー/慈姑:?)

フー・ジンファン/胡静芳マラン/蘭:?)

イェ・キュイユン/叶翠云(アユン/阿云:?)

ジン・ヤリャン/ラオヤン/:?)

ワン・キンミン/王利民(アリャン/阿良:?)

チン・シン/(裕福な子ども)

フアン・ジュンギ/黄静(シャオユー/小羽:?)

ルー・シャオチャンロン/於夏成(シャオワン/小王:?)

 


■映画の舞台

 

中国:杭州市

西湖周辺

 

ロケ地:

上に同じ

 


■簡単なあらすじ

 

中国の抗州にある茶畑にて働いているタイホアは、畑の持ち主のチェンと恋仲にあったが、息子のムーリェン、チェンの母から反対されていた

とうとう追い出されることになったタイホアは、一緒に辞めた友人のジンランとともに、彼女の弟ワンリーが関わっている「健康食品の販売代理店」の説明会に参加することになった

 

そこでは、販売実績を上げてマネージャーに昇格すると、1080万元を褒賞として渡されるというもので、その日も昇格することになったイェホンが大金の海に祝福されていた

足裏に貼るテープを販売する事業だったが、販売者は会社から購入する必要があり、そのロットは最低21ケースと言われてしまう

また、新しく参加者を見つけてきた者は褒美が出る仕組みになっているようで、顧客の拡大とともに販売員をも拡充される職務を負うことになっていた

 

人が変わったような母を見て、ムーリェンは詐欺に関わっていると説明しても聞く耳を持たず、全財産を売り払ってまで商品を買い込んでいた

ムーリェンは母を説得することができず、仕方なく母の仕事ぶりを見学することになった

だが、そこは想像上にヤバい世界で、ムーリェンは何とかして母親の目を覚まさせたいと考えるようになっていった

 

テーマ:お金で買える承認欲求

裏テーマ:陶酔しか逃げ場のない人生

 


■ひとこと感想

 

ポスタービジュアルとタイトルの印象だと、山奥で自然に囲まれた牧歌的な話なのかなと思っていましたが、蓋を開けると「ヤバさ全開」のマルチ商法の内ゲバ問題になっていました

洗脳系セミナーを体験したことがある身から言えば、あまりにもリアルすぎて引くという感じで、トリガーが外れていく様子を演じた母親役のジャン・チンチンはエゲツないなあと思いました

 

冒頭のツアーバスに乗っている客をしっかり覚えておくと面白みが増すのですが、特に参加者に見えないモブっぽい人が重要人物として再登場してきます

これから見る人のためのヒントを言うならば「窓際で外を眺めている男性」と、「おっさん二人組の禿頭の方」と言うところでしょうか

出てきた瞬間に「仕込みエグ」と思いましたが、本当の洗脳系はもっと手が込んでいると言えます

 

洗脳セミナーでは「使ってはいけない心理テクニック」満載と言う感じになっていて、映画では四方八方から責め立てられて精神的に疲弊になって、自己嫌悪を暴露するとか、それを達成した時の賛美というものは強烈でしたね

中盤では「ほぼ女ジョーカー誕生」みたいなシーンがあるのですが、本当にヤバい演技をこなしているなあと感心してしまいました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

茶摘みをしながら、オーナーに気に入られてという牧歌的なシーンから始まり、まさかのマルチ商法に向かうという強烈なインパクトがありました

最終的には「山に母親を起こしてもらう」という流れは文学的な印象が強かったですね

いわゆる中国の故事「目莲救母」が由来となっていて、それを現代的にアップデートしたものになっています

母親を地獄から救う息子が描かれていて、その名前も「目蓮(ムーリェン)」そのままになっていましたね

 

映画では、母親が落ちる地獄はマルチ商法の闇となっていて、最終的には実家を売り払ってまで商品を購入し、事業を展開する夢を見るまでになっていました

ムーリェンに通報されてからもその勢いは衰えないのですが、これはセミナーで「母親を褒める少年」を見たことで、いつかは母親として認められたいという願望が強化された故の反発となっていました

 

タイホアには10年間消息不明の夫がいて、彼が死んだと聞かされるところから始まりますが、この土地の風習では「生まれた時に選んだ木が倒れない限り生きている」と考えていることになります

そんな中、ムーリェンが母親のために「自分の父親への執着を捨てる」というシーンがあって、これはかなり際どいシーンでしたね

彼があのリストで母親を残したのはそれなりの理由があって、父親に固執してきた自分が「母親をこのような地獄に落としたのだ」と悟った瞬間でもあったと思います

 


原案「目莲救母」について

 

本作の原案となるのは「目莲救母」と呼ばれる古典で、目連(ムリアン)が母親を救うという物語となっています

9世紀初頭の敦煌写本に登場した中国の仏教物語で、265年から311年頃にインドの文献が翻訳されたものとされています

目連菩薩は罪の報いとして冥界もしくは無辺地獄に生まれ変わった母親を救うために仏陀に助けを求める物語で、仏陀の指示通りに僧侶や寺院に食べ物や贈り物を捧げ、鬼節というものを制定するに至ります

この目連の母親のための行動が東アジアの価値観に仏教を根付かせることになったとされています

 

目連は釈迦の近しい弟子の一人で、舎利弗と共に若い頃に放浪者となりました

精神的な修行をしていた二人は、真理を求めるようになり、仏教界で知られるようになります

彼が母親を死後の世界から救出したというのが先の古典で、死後の世界で父親を見つけたけど母親を見つけることができませんでした

仏陀は母親の代わりに功徳を積むように助言し、それが母親がより良い場所に生まれ変わるのに役立つと諭しました

 

色んな物語があって、中国の伝説では「餓鬼として生まれ変わった母親を見つける」とか、「供物が燃え上がってしまうものの、集団で捧げることで効果が出る」と言ったものまであります

この供物のエピソードによって「鬼節」というものが生まれるのですが、これは毎年旧暦7月15日の夜に行われるお祭りで、道教では「中元節」、仏教では「玉蘭盆会」と呼ばれています

このお祭りでは、「天国と地獄の門が開かれ、全ての幽霊が食べ物と飲み物を受け取ることができる」とされていて、いわゆる祖先崇拝の一つとなっています

日本ではお盆がこれにあたり、8月15日に行われる身近なものになっています

 


「山水图(龔賢と王翬)」について

 

本作は、山水画(山水图)映画で表現しようとしていて、これらは中国で発達した絵画のことを言います

現実の景色を再現したものが多いのですが、創造された景色も多いとされています

特に本作では、龔賢と王翬の作品をモチーフにしていて、茶畑を舞台にした水墨画を思わせる美というものが描かれていました

雄大な自然の中にいる人間を描いていて、監督のライフワークでもある「杭州三部作」の2作目(1作目は春江水暖)となっています

 

山水画は中国の六朝時代に成立し、宋代によって大きく発展することになります

神仙や霊獣の住処としての山水表現が秦漢時代に盛んになって、山岳信仰というものも加味されていきます

 

龔賢は清代初期の時代の画家で、「寂寥無人」などの作品を残しています

彼は金陵八家と呼ばれる南京で活躍した8人の画家の一人でした

また、王翬は同じく清代初期の画家で、『南巡図』を完成させた人物でした

彼は四王呉惲と呼ばれる6人の画家の一人で、正統派と呼ばれています

 

映画は、山水図に込められたものを映画表現で行おうとしているのですが、山水映画というものがあまりピンと来ない部分があります

杭州三部作ということなので、「春江水暖」と次作を重ねれば見えてくるものがあるのかもしれませんが、山水図から「マルチ商法にハマる母親を助ける」というものがイメージできないので、もう少し深く読み解く必要があるのかもしれません

監督によれば、「山水映画とは人間の命の最も大事なところ、あるいは哲学的なモノを探究するもの」とのことで、『春江水暖』では「命の循環、輪廻」を描き、本作では「他人にコントロールされている自分を取り戻す」というものがテーマになっているとのこと

また、「自分というのは水に映った月のようなもので、それを天上の月に回帰、すなわち本来の自分に戻れるかどうか」ということを描きたかったとも話されていました

本作の場合は、その回帰のために息子の愛が必要というもので、それは普遍的で自然なものだ、という意味合いがあるのかな、と感じました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、あっと驚くマルチムービーになっていて、生きていくために必死になり、居場所を見つけたと思ったタイホァが描かれていました

当初は茶摘み畑のオーナーと良い感じになって、それをオーナーの母にバレたことで追い出されてしまいます

その決定を理不尽と感じた友人も一緒になって辞め、彼女の弟が行なっている活動に加わることになりました

それがまさかのマルチ商法だったというもので、人生を変えるために家財一式を売ってのめり込むタイファが描かれています

 

マルチ商法に限らず、啓発セミナーを経験した人ならわかると思いますが、自分を追い込んでから解放するというのを繰り返すことで洗脳を行なっていき、あたかも自分の意思決定のように誘導していくということがあります

感情の昂りを演出し、その激動が知性を凌駕するという方法で、一歩入ったが最後、今度は自分の行動を肯定するための材料を探し始めます

間違っていると心のどこかで思っていても、それを否定することができず、なんとかして真っ当であると言い聞かせるのですね

でも、タイホァの場合は、お金で高揚感を買い、それが生きがいに変わりつつあったので、ある意味、どんなものにのめり込んだかで景色は変わっていたように思います

 

最終的には、母を助けるために息子がひと芝居を打つことになりますが、その行動を彼女は正義とは捉えません

費やしたお金、時間、人間関係などを無駄にしたくないとしがみつけば付くほど状況は悪化するのですが、タイホァの場合は、わかっているけど、これが私の生きる道だと開き直っている部分がありました

 

ある種の解放はきちんとなされていて、それが非合法でなければ問題はなかったかもしれません

でも、お金で買った高揚感に意味はなく、魂がそれで満たされるわけではないのですね

彼女にとっては、それ自身に執着すること=生と考えている部分があって、それを阻もうとすることに抵抗するは当然のことのように思えます

彼女のその情熱をどのような方向に向かわせるかというのが再生への足掛かりとなっていて、それは息子がどうこうするというよりは、彼女自身が何を見つけるかに掛かっています

そうした再発見までを支援していくことが、本当の筋道になるのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/100322/review/04376597/

 

公式HP:

https://moviola.jp/seikohan/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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