■ハヌマーンの神話を知っているとわかるけど、知らないと見守っている老人は誰だ?みたいなことになりますよねえ
Contents
■オススメ度
インド神話が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.10.12(MOVIX京都)
■映画情報
原題:Hanu-Man(インド神話の神様)
情報:2023年、インド、158分、G
ジャンル:平凡な男がインドの神様の力を得る過程を描いたアクション映画
監督&脚本:プラシャーント・バルマ
キャスト:
テージャ・サッジャー/Teja Sajja(ハヌマントゥ/Hanumanthu:アンジャナドリ村の泥棒、のちにハヌマーンの血輝石を手に入れる男)
(幼少期:Revanth Reddy)
アムリタ・アイヤル/Amritha Aiyer(ミーナクシ/Meenakshi:ハヌマントゥの想い人、学校長の孫)
(幼少期:Praanya P Rao)
バララクシュミ・サラトクマール/Varalaxmi Sarathkumar(アンジャマ/Anjamma:ハヌマントゥの姉)
Getup Srinu(カシ/Kaasi:ハヌマントゥの親友、牛飼い)
ビナイ・ラーイ/Vinay Rai(マイケル/Michael:ヒーローになりたい少年)
(幼少期:Vikas)
Vennela Kishore(シリヴェネラ/Sirivennela:マイケルの友人、科学者)
Samuthirakani(ヴィビーシャナ/Vibhishana:ランカ王、老いた賢者)
Satya(グンネスワラ・ラオ/Gunneswara Rao:嘘つきな小売店の店主)
Deepak Shetty(ガジャパティ/Gajapathi:村の支配者)
Rakesh Master(プリ・ラジュ/Puli Raju:ガジャパティの手下、上納金取立て人)
ラビ・テージャ/Ravi Teja(コティ/Koti:野生の猿の声)
Bhanu Prakash(スリヌの衣装を着た村の少女)
Rohini Noni(ミーナクシの友人)
■映画の舞台
1998年、
インド:サウスシュトラ
2010年頃、
インド:アンジャナドリ村
ロケ地:
インド:テランガーナ州
Hyderabad/ハイデラバード
■簡単なあらすじ
1998年、インドのとある街にはヒーローに憧れる少年マイケルがいた
彼はスーパーヒーローの真似事をしながら、いじめられていた少年シリを助ける
その後も2人でヒーローを目指していたが、ある日マイケルは、ヒーローには共通点があることに気づいた
それから十数年後、マイケルはシリの開発したパワースーツを身にまとい、悪人を懲らしめるヒーローとなっていた
一方その頃、インドのアンジャナドリ村には、うだつの上がらない青年ハヌマントゥが姉のアンジャマに叱られながら日々を生きていた
彼は盗み癖があって、その悪態は村中に広まっていた
そんな村では、屈強なガジャパティの圧政に苦しめられていて、文句を言おうものなら決闘にて殺されてしまう
だが、村に学校長の娘ミーナクシが帰ってきたことで、何かが変わり始めようとしていた
テーマ:力には力を
裏テーマ:利他に及ぶものに神の加護あり
■ひとこと感想
インド神話のハヌマーンの力を手に入れる青年の話ということまではわかっていましたが、そこに辿り着くまでに30分ぐらいかかっていましたね
冒頭はヒーローになりたい少年の成長譚で、彼が主人公ではないというのはびっくりしてしまいましたね
しかも闇落ち部分もあっさりと暴露し、まさかの敵が先に紹介されるという謎の展開になっていました
映画は、思いっきり続編ありきの内容で、老賢者の導きと共にハヌマントゥが覚醒する様子が描かれていました
彼が力を手に入れるまでに半分ぐらい過ぎている印象ですが、マイケルが絡んで来てからさらに半分ある感じで、時間配分がメチャクチャな感じになっていましたね
びっくりしたのがエンドロールが画面の下で左右に流れる仕様で、しかもそこは制作スタッフしか名前がなかったりします
主要キャストすら紹介がなく、かなり変わった作品になっていましたね
色んなページを探しましたが、主要15人ぐらいしかわからず、タミル語でググってもフルキャストを探すことができませんでした
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作は思いっきりプロローグの作品で、戦いはこれからだ!という感じで終わってしまいます
最後に意味ありげにハヌマントゥとハヌマーンを見ていた親父は誰だよとか、途中から説明係に徹していた老賢者は何者だよと説明されないままのキャラがたくさんいましたね
ロマンス部分は控えめで、敵対していた村長の心変わりも結構雑な感じになっていました
整体で直してもらってあっさりと「村のために」とか、どの口が言うんだと言うツッコミを捨てきれません
共通の敵が出現すれば手を合わせられるという感じなのだと思いますが、それにしても安直なシナリオでしたね
石があっち行ったりこっち行ったりの追いかけっこで、いっそのこと「ハヌマーンに認められていないマイケルが石の力で滅びる」ぐらいのネタがあった方が良かったように思いました
■ハヌマーンとは何者か
映画に登場する「ハヌマーン」とは、インド神話の神の猿の事を言います
変幻自在の体を持ち、空を飛ぶこともできます
ヒンドゥー教の聖典でもある叙事詩『ラーマーヤナ』では、ハヌマーンは元々はスグリーヴァと呼ばれる猿の王で、兄ヴァーリンによって王都のキシュキンダーから追放されてしまいました
その後、ハヌマーンはヴィシュヌ神の化身であるラーマ王子とラクシュマナに助けを請うことになりました
ラーマはヴァーリンを倒し、それによってスグリーヴァの王位が回復されます
その後、ラーマ王子の願いを叶えるために、彼の妃であるシータの捜索に出て、彼女を見つけることに成功します
これらの活躍によって、ハヌマーンが英雄視されていると言われています
現在でもハヌマーンの人気は高く、インドの人里に住む猿の一種ハヌマンラングールは眷属(仏教において、信仰の対象となる主尊に付き従う尊格のこと)とされていて、ヒンドゥー教寺院において手厚く保護されています
このハヌマーンが中国に伝わり、『西遊記』の斉天大聖孫悟空のモデルになったという説もありますね
日本でもドラマ化されたり、そのキャラクターが漫画になって、『ドラゴンボール』などの作品に登場したりしているのは有名な話だと思います
映画では、このハヌマーンの力を普通の青年が受け継いだというものになっていて、超常的なパワーを駆使する様子が描かれていました
なぜハヌマントゥが受け継ぐことになったのかは次回のお楽しみみたいな感じになっていますが、名前の通り、何らかの出来事によって、体と魂が分離したような状態になっているのでしょう
精神(魂)は封印され、肉体は現世を転生し続ける
その先に「然るべき時が来た」というものになっていると考えられます
■勝手にスクリプトドクター
本作は、思いっきり序章!という作品で、ハヌマントゥが実は選ばれし者で、彼の体に本格的にハヌマーンの力が宿るというところで終わりを告げます
続編を作る体力があるのかはわかりませんが、2時間半近くある物語はかなり薄味で、干渉から記事を書くまでも1ヶ月でほとんどの内容が消えてしまっています
思い出しながら書いていきますが、細かいところを覚えているかはちょっと自信がないですねえ
映画は、2本のストーリーが同時並行しているというもので、冒頭はヒーローに憧れるマイケルの物語になっていました
スーパーヒーローになりたくて暗躍するマイケルを描き、彼にはシリという友人がいて、ヒーロースーツなどを開発していきます
マイケルはヒーローが悲劇を背負っていると考え、あえて両親を殺すという鬼畜の所業を見せていました
この話がひと段落した頃、神話時代のハヌマーンの顛末が描かれ、その涙が南インドの海の中に落ちる様子が描かれていました
そして、現代になって、今度は南インドの村の話になって、そこにはうだつの上がらない青年ハヌマントゥがいる、という構成になっています
その村にミーナクシという女性が戻り、ハヌマントゥとの関係が進展するのかなという感じになりますが、それよりも村の権力争いによる血生臭い話へと移っていきます
ガジャパティというめっちゃ強いおっさんが村を統治していて、村人は彼の言いなりになっていて、絶対王政を敷いている状態なのですね
それに意義を唱えるのが都会から帰ってきたミーナクシで、彼女が危険に晒されることで、ハヌマンティが立ち上がるという流れになっていました
そして、紆余曲折を経て、ハヌマンティは海に投げ出され、ハヌマーンの力を手に入れています
ここに来るまでで1時間以上経っていて、その頃には冒頭のマイケルの存在などすっかりと忘れてしまっています
通常、冒頭の幼少期のエピソードというのは「主人公の過去譚」なのですが、本作の場合は悪役の過去譚になっているのですね
悪役の過去が劇中で描かれる映画は多々ありますが、その幼少期を冒頭に持ってきて、主人公の登場が30分過ぎた頃みたいな構成はなかなか珍しくも思えます
とは言え、この構成が効果的とも思えず、そこで描く意味あるの?という感じになっていました
映画の主人公はあくまでもハヌマントゥなので、彼の過去を描く意味はあると思います
ハヌマントゥとマイケルは対になる存在ですが、この構図も上手くは機能していません
マイケルは何としてもヒーローになりたい男ですが、それはヒーローの力を欲しいしているだけというものになります
ハヌマントゥはヒーローになりたいとも思わず、でも力を得たので気分的には無敵になっています
この両者が引き寄せ合うことになり、ヒーローの力をいかにして守るのかという物語なのですが、それをアイテムを奪い合うだけになっているのがお粗末に見えるのかな、と思いました
映画の構成自体を見直す意味があって、普通の構成にするならば「ミーナクシとの幼少期」が冒頭にあって、そこから「堕落したハヌマントゥの現在」が描かれるという流れでしょう
主人公はポンコツだよと紹介してから、マイケルとシリの現在を描き、犯罪人をボッコボコにしているシーンを挿入します
自警団として活躍しているけど、どこかやりすぎなところがあって、この人は本当にヒーローなのか?と疑問を持たせる導入になっていきます
その後、マイケルの過去をどこで挿入するかですが、ぶっちゃけると「ヒーロー活動を終えるたびに火事をフラッシュバックさせる」というもので良いのですね
断片的なマイケルの過去を描き、炎を見て不敵に笑っている少年を描くことで、彼が幼少期からサイコパス的な素質があったように描きます
でも、彼の心にとってはそれは悪夢で、両親を殺したことが彼の頑なな誓いによって封印されている、ということがわかればOKなのだと思います
その後、ハヌマーンの力がどうなるかというところで、マイケルの過去の所業が原因で拒絶されるというシークエンスが必要になってくると思います
ハヌマーンが誰を選ぶのかというところに大きな意味があり、それが力を宿すものを選別するという過程が必要になります
拒絶はより多くの絶望をマイケルに与えることになるのですが、実際にはハヌマーンの肉体は転生を繰り返していたという事実があり、それによってハヌマントゥが選ばれるのは必然だったと紐解いていくことになります
この運命決定論的な現実がマイケルをさらに地獄に落とすことに繋がり、神と人の間いには明確なものがある、と示すことで、次作へと繋げていけるのではないかと思いました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、ヒーローの力というものが何なのかを描いていて、若干マーベルっぽさというものを加味していると言えます
マイケルとシリは明らかに意識されていて、ヒロイズムを揶揄しているようにも思えます
資金があって、自警団の活動をしていればヒーローという感じになっていますが、手段を選ばないところに度が過ぎるとヒーローも悪にしか思えないという感じになっています
インドのヒーロー像というのが、マーベルに代表されるようなテクノロジーの集大成でもなく、金持ちの道楽でもないというところに着地点があって、その力は神様によって選別されて、継承される唯一無二のものという感じなのですね
それに対して、力を宿すものの素質が求められるというよりは、力によってどのような入れ物でも心が入れ替わるというふうにも見えてきます
ヒーローの力そのものに目的が宿っていて、それが肉体をコントロールし始めるので、元の魂というものは転生してしまうような気がします
もしかしたら同居、あるいは抵抗というものが生まれるのかもしれないのですが、神の力に人間が抵抗することはできないので、あるがままというものになるのでしょう
でも、実際にはハヌマントゥはハヌマーンの力を人間界に戻すための入れ物であり、彼の両親はその役割を授かったものであると考えられます
わかりやすいのは実は養子だったみたいなネタバラシで、それを託したのが見守っていた老人ヴィビーシャナということになると思います
ちなみにこのヴィビーシャナはランカ王であり、いわゆるランカ島(今のスリランカ)の王様となります
このランカ島はハヌマーンの歴史の中で登場する島で、ラーヴァナー王の姫シーターを見つけた場所でもあるのですね
その地の王がハヌマントゥを見守っていたというのは、ラーヴァナー王に仕える者として授かった使命のように思います
この展開を考えると、ハヌマーンの力はラーヴァナー王に捧げるためのものであり、今後はインド神たちが何らかの巨悪と戦うことになると考えられるでしょう
ハヌマントゥの前にハヌマーンが現れ、肉体と魂、そして能力が三位一体となっていくので、それによって戦いの準備ができたということになります
この構図を考えると、何となく「人間界で生きる姿が必要」というプロットになっていて、どこかの国の赤と青のコスチュームのヒーローを思い出させますね
人間社会に愛する人がいるというところも似ているので、今後はそのような展開になってしまうのかな、とか余計なことを考えていしまいます
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101617/review/04360217/
公式HP: