■人類の存在は「徒花」に思えますが、地球目線ではそんな概念すら存在しないのだと思います
Contents
■オススメ度
社会問題提起系の映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.10.21(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、94分、G
ジャンル:クローン技術が確立した近未来にて葛藤する男を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:甲斐さやか
キャスト:(わかった分だけ)
井浦新(新次:病気療養中の男)
(幼少期:平野絢規)
水原希子(まほろ:新次を担当する臨床心理士)
三浦透子(新次の記憶に登場する「海の女」)
甲田益也子(施設を利用するピアニスト)
永瀬正敏(相津:施設の医師)
板谷由夏(施設の管理者)
原日出子(脳外科医の妻)
長谷川公彦(脳外科医)
斉藤由貴(新次の母)
金鎮澈(新次の父?)
芦那すみれ(新次の妻)
浅田芭路(新次の娘)
永井ちひろ(施設の看護師?)
磯村アメリ(施設を訪れる少女)
細川唯(少女の母?)
酒井麻吏(施設を訪れる老女)
黒澤はるか(?)
久留栖るな(?)
田中香子(施設のスタッフ?)
泉拓磨(何者かのそれ?)
漆崎敬介(?)
大辻賢吾(?)
井上美優(?)
古本恭一(?)
山本大策(?)
水津亜子(ピアニストの付き人?)
藤生眞有(?)
白波瀬美月(?)
石月かなで(?)
江間直子(?)
剛州(?)
■映画の舞台
近未来の日本のどこか
ロケ地:
静岡県:裾野市
https://maps.app.goo.gl/5zsjVX3M2mPFGt4q6?g_st=ic
東京都:府中市
クロス・ウェーブ府中
https://maps.app.goo.gl/fVVqvsnVp5stQgmQ7?g_st=ic
神奈川県:横須賀市
横須賀美術館
https://maps.app.goo.gl/4Wey1Zy8WqKjbaQf9?g_st=ic
千葉県:君津市
バレービューレジデンス&スパ 房総半島
https://maps.app.goo.gl/hAiTNmukPrCPPvKG6?g_st=ic
イレブンオートキャンプパーク
https://maps.app.goo.gl/2GpfQz3MkYu16Wgj6?g_st=ic
千葉県:館山市
CAMP MANAVIS
https://maps.app.goo.gl/5LgD6z88GLnMT2MB6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
クローン技術が確立した近未来、日本は未知のウイルスによって弱体化し、生命の存続が危ぶまれていた
技術を使用できるのは富裕層のごく一部だけで、その利用には検閲が行われていた
その施設の利用者の一人である新次は、裕福な家庭に生まれながらも病魔と戦っていて、クローン技術を使った手術を行う予定だった
彼には専属の臨床心理士・まほろが付くことになり、手術までのケアを行うことになった
施設ではクローンのことを「それ」と呼び、会うことは禁じられている
だが、新次は度重なるフラッシュバックに悩みながら、その抜け落ちた記憶が「それ」に会うことで蘇るのではないかと考え始めていた
テーマ:人とは何か
裏テーマ:延命をする理由
■ひとこと感想
映画のチラシが何種類かあって、非常に印象的だったので、あえて何も調べずに鑑賞することになりました
いきなり冒頭に説明文があって、そこに「それ」についての言及があったので驚きましたが、ある種の思考実験のような作品なのかな、と感じました
映画は、一人二役をする役者さんが複数名いて、それぞれの「それ」が登場することになります
画面が暗くてわかりづらいシーンもあって、演者を識別するのが困難なキャラが多かったですね
特に、施設の看護師はほぼ顔が映らないので、誰が誰だかわかりません
概ね「若い女優さんは大体スタッフ」とか思っていますが、キャスト欄では「?」としておきました
物語は、新次が死の間際にフラッシュバックを見るというもので、自分の「それ」と対峙することによって、自分唐抜け落ちたものを探す様子が描かれていました
おそらくは忘却した記憶だと思いますが、それを踏まえると「海の女」は子宮内にいた時の記憶になるのかな、と感じました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作のネタバレラインは微妙ですが、「それ」の正体が何かというところなのかな、と思います
新次は施設に入ることになりますが、おそらく末期癌か何かだったのだと思います
登場したCT画像は頭部だけではなかったので、色んなところに転移しているという感じでしょうか
そんな彼が手術を決意するというところから始まり、彼の妻と娘が登場していました
その娘も「それ」を利用した過去がありますが、「それ」は本人と同じように成長するのかはよくわかりません
施設内に娘の「それ」がいましたが、彼女は新次を認識していませんでした
映画は、ちょっとヒーリングっぽいところがあって、意味深なイメージショットが多用され、クラシックが劇伴で使用されていました
また、海の揺らぎの音なども聞こえるので、疲れている人はあっちの世界に行ってしまうのではないかと心配になってしまいます
■タイトルの意味
映画のタイトルは『徒花』で、それは「無駄な花」という意味があるのですが、劇中の新次のクローンは「徒花はあっても無駄花はない」と言います
そして、「命の意味とは、次の世代を残すためだけに存在するのではない」と続けていました
映画のHPに詳しい解説があるので、それを読んだ方が早いのですが、徒花という言葉が今ではそこまで一般的ではないので、どんな意味だろうと思う疑問の答えになっているのかは微妙のように思いました
徒花というのは「実を結ぶことなく、儚く散ってしまう花」のことを言い、それが転じて「見かけは華やかでも内容を伴わない」という意味になっています
徒花は大和言葉の一つで、日本固有の和語となっています
大和言葉は外来語が入る前に使われていた日本語で、現在では「漢語と外来語を除いた日本語の固有語」という意味になっています
大和言葉は大陸文化が入っていくる前から日本列島で使われていた言葉で、和語はそれに漢語と外来語を含んだものとされています
漢語や外来語と動詞「する」からなる複合語を除くほとんどの動詞や形容詞、全ての助詞が大和言葉とされています
「みる」「はなす」「よい」などの言葉や、うみ、山、さくらなどの名詞も大和言葉にと呼ばれています
その後、漢語を取り入れたことによって、微妙な意味の違いを表現するようになります
例えば、「見る」「観る」「視る」などのように、本来は一つだった大和言葉を微妙なニュアンスで書き分けることができるようになりました
「徒花」の「徒」には「取り立てて値打ちのないこと」という意味があって、それを「花」と組み合わせたものになっています
「徒」には色んな意味があって、虚しいとか、裸足とか、悪戯にとか、馬に乗らない身分の低い兵士とか、力仕事に従事する労働者、囚人なんて意味もあります
その他にも弟子、召使、仲間、衆人、刑罰の一つなどもあります
日本特有の意味としては、「悪い戯れ(悪ふざけ)」「淫らなこと」「ただの」「あだ(無駄)」という意味もあります
映画では、徒花=無駄花ではないというロジックがあって、それがクローンの言葉として、人間に伝えられることになりました
クローンが日々内省し、そこに至った思想でもあり、このプロジェクト自体が「無駄」のように思えます
でも、クローンが自分の存在を否定はできないので、それゆえに「=ではない」という結論に至り、それを補完する意味で「命は次世代を作るためだけに存在しない」という言葉を付け加えたように思いました
■クローンは人類を幸福にするのか
本作は、死の間際にいる新次がクローンを使うことによって生き延びようとする導入が描かれていました
そこで「禁忌」とされるクローンと会うことによって、それをしないという選択に至ることになります
新次はクローンと問答を繰り返し、人間とは何か、命とは何かというものを考えていくようになりました
新次の細胞でできたクローンが同じ思想になるかは分かりませんが、クローンはクローンなりに自分の存在意義を考えることになります
それは、与えられた運命に対する教育も混じっていて、宿主に対する欲望のために生み出されていることは理解しているのだと思います
この思考を根底とするならば、次世代を作らないクローンは徒花ではないと考えるのは当然なのですね
でも、クローンの考える命と、新次が考える命には大きな壁が存在すると思います
新次はクローンの身体を使うことによって生き延びることができますが、それに何の意味があるのかはわからないのですね
それは人が何のために生きているのかというところに繋がっていて、次世代を作る以外に意味があるのかを問うことになります
新次には妻も子どももいて、子どももどうやらクローンのお世話になったようですが、そこには意味があると思うのですね
でも、命の役割を終えようとしている新次がクローンを使って生き延びることに何の意味があるのかは何とも言えないところがあります
彼自身が子どものみならず、文化的な遺伝子を残す存在であるとか、まだまだ生物学的遺伝子を残そうという存在ならば、このまま死んでいくことに抵抗を感じるのは理解できます
でも、新次はそう言った概念からは逸れていて、ただ死にたくないという欲望のためにクローンを使うことになっていて、その行為自体に意味があるのかはわからないのですね
これは遠回しに現在の延命治療をディスっている部分があって、意味ある延命と意味なき延命という分断を明白にしているようにも思えます
人の寿命を考えた時、天寿、不慮の区別なく、いつかは朽ちていくと思います
そうなった時に、「何かしらを残せば徒花にはならなかった」とは言えないのですね
それは、自身が気づいていない影響というものがあって、それが巡ることで世界というものは動いています
実を結ばずに散った花があったとしても、その花を見て心が癒された人もいるだろうし、その花を見て寄ってきた鳥がいたかもしれません
クローンが人を幸せにするかどうかは、その人の命がつながった先に何が起こるのかによると思います
そのまま病床にいて、誰に関わることもなければ無意味に思えますし、それ自体が研究の一環ならば、何かを残すことに繋がります
でも、新次がクローンを使わないという選択をしたことは、クローン時代は徒花になってしまうのですね
それを考えると、新次の行為が徒花を生み出してしまった、と言えるのかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画には、新次のイメージとしての存在「海の女」というものが登場していました
彼女が何者なのかは色々と思うところがありますが、彼自身が政略結婚をしているという背景があるので、かつて愛した女という見方もできます
でも、彼女との対話は人と話しているという感じではなく、新次の生命が宇宙の生命の源と話しているように思えます
結果として、海の女との対話、クローンとの対話の果てに、新次の心が決まるという流れになっていました
海の女は「やりたい放題の自然とやりたい放題の人間のどちらが勝つのか」と言いますが、実際には人間の勝ちというのはないと思います
温暖化にしろ、未知のウイルスにしろ、起きていることに対して生存エリアを決めるのが人間であり、その抵抗をしているだけに過ぎません
なので、温暖化になっても地球は困らないし、生存エリアを変えられる種だけが適応できるだけなのですね
そう言った自然の摂理があって、それに抗うのが人間なのですが、クローンを使って生き延びても、それには限界があると言えます
クローンは現代風に言い換えれば、倫理観を無視した科学技術であり、一番近いものが新型コロナウイルスのワクチンのことになります
これはmRNAワクチンと呼ばれるもので、これまでのワクチンとは一線を画す別物とされています
ウイルスのタンパク質を作るもののとなる遺伝子情報(mRNA)の一部を使って作られるワクチンで、新型コロナウイルスのSタンパク質の設計図を用いています
これを接種することで、人間の細胞がmRNAを元にSタンパク質を作り、それに対する抗体が作られることによって免疫ができるというシステムになります
映画の設定は「未知のウイルスによって、延命を優先される世界」なので、科学技術によって人類の延命を考えているという意味になります
そこでクローン技術というものが登場しているのですが、映画ではクローンという言葉は登場しないのですね
常に「それ」と称し、「それ」は本体を学習するとなっていて、これはmRNAワクチンの逆転的な効能になっています
人体がmRNAワクチンを学習するのではなく、mRNAワクチンが人体を学習して適応するという流れになっていて、そこにこの映画の面白さがあるのかな、と感じました
これを俯瞰的にみると、地球にとってのウイルスは人類であり、人類は地球を学習することでしか生き延びることはできません
なので、mRNAワクチンである「それ」は母体である人類(=地球)を学習しないと生き残れないのですね
でも、この構図がありながら、母体(=地球)はmRNA(=それ)を拒絶するという結論に至ります
それは、地球はいつの日か自身を学習して適応しようとする人類を見捨てるという意味にもなっていて、それを寓話的にどう受け止めるかというところに行き着くのだと思います
映画がどこまでを想定しているのかはわからないのですが、個人的には実社会が向かっている先への警鐘的な意味を含んでいるのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101916/review/04393383/
公式HP: