■全ての人にとっての「ジョイランド」は、誰もが少しずつ我慢することで成立するものではないでしょうか
Contents
■オススメ度
パキスタンの家父長制の弊害について考えたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.10.21(アップリンク京都)
■映画情報
原題:جوائے لینڈ(ジョイランド)、英題:Joyland(遊園地)
情報:2022年、パキスタン、127分、G
ジャンル:家父長制の中で生きづらさを感じる次男夫婦を描いたヒューマンドラマ
監督:サーイム・サーディク
脚本:サーイム・サーディク&マギー・ブリッグス
キャスト:
アリ・ジュネージョー/Ali Junejo(ハイダル・ラナ/Haider:失業中の次男)
ラスティ・ファルーク/Rasti Farooq(ムムターズ・ラナ/Mumtaz:ハイデルの妻、サロンのエスティシャン)
アリーナ・ハーン/Alina Khan(ビバ/Biba:トランスジェンダーのダンサー、ヒジュラー)
サルワット・ギラーニ/Sarwat Gilani(ヌチ・ラナ/Nucchi:サリームの妻)
ソハイル・サミール/Sohail Sameer(サリーム・ラナ/Saleem:ハイダルの兄)
Shiza Moin(モモ/モミーナ・ラナ/Momina:サリームとヌチの娘)
Farhat Khan(アイーシャ/Ayesha:ヌチの娘?)
Hassaan Gardezi(ナーム/Naeem:ヌチの娘?)
Ayana Adeel&Abeeha Kashif(ヌチの新生児)
サルマーン・ピアサダ/Salmaan Peerzada(アマン・ラナ/Father Aman:サリームとハイダルの父、家長)
サニア・サイード/Sania Saeed(ファイアーズ/Fayyaz:未亡人、一家のお手伝いをする隣人)
Aqeel Nasir Khan(リズワーン/Rizwan:ファイアーズの息子)
Ramiz Law(カイサル/Qaiser:ハイダルの友人)
Honey Albela(アシュファク・サーブ/Ashfaq Saab:劇場の支配人)
Priya Usman Khan(シャグナム・ナニ/Shagnam Rani:ビバのライバルダンサー)
Shahbaz Rafiq(ネンソン/Nenson:ビバのダンサー)
Iftikhar India(インディア/India:ビバのダンサー)
Umar Fiaz(ティプ/Tipu:ビバのダンサー)
Muzammil Khan(ボビー/Bobby:ビバのダンサー)
Honey(ハニー/Honey:劇場のダンサー)
Pakeeza Batool(メイダ/Maeedah:看護師)
Eeshal Ali(マディハ/Madiha:病院の受付)
Izna Hayat Khan(ギータ/Geeta:ビバの知人、クラブのオーナー)
Muhammad Usman Malik(カシム・シャー/Qasim Shah:クラブの金持ち客)
Saima Butt(グル/Guru:導師、ビバの里親の活動家)
Bobby Jee(ビバの里親)
Diya Punjabi(ビバの里親)
Maiza Mughal(ビバの里親)
Tahira Ali(アマナ/Amna:結婚するビバの友人)
Nirmal Chaudhry(ブリトニー/Britney:路地のオナニー男)
Ahsan Murad(ハイデルの叔父)
Zoya Uzair(メイクするサロンの花嫁)
■映画の舞台
パキスタン:ラホール
https://maps.app.goo.gl/2nqfmMtZUAB6ugV68?g_st=ic
ロケ地:
パキスタン:ラホール
■簡単なあらすじ
パキスタンのラホールに住むラナ一家は、父・アマンを家長として、長男夫婦家族、次男夫婦が一緒に住んでいた
次男のハイダルは無職状態で、妻ムムターズがサロンで働いていた
兄サリームとその妻ヌチには3人の娘がいて、その世話もハイダルたちが行っていた
父から就職と後継を急かされているハイダルは、友人のカイサルの紹介で、ある劇場を訪れた
まさかダンサーの仕事だと思わず、家族にはそんなことは言えない
だが、稼ぎが必要なハイダルは、病院で一目見たビバのダンサーだと聞いてやる気になっていた
その後、バックダンサーとして訓練を始めたハイダルは、ビバの付き人のような仕事をさせられてしまう
幕間で踊るビバを見て、ハイダルは本気でダンスに打ち込むようになった
そして、家族に劇場の支配人を任されたと嘘をつき、秘密裏にダンスの稽古に励むことになったのである
テーマ:家父長制の弊害
裏テーマ:夢の国はどこにあるのか
■ひとこと感想
パキスタンの映画ということだけ頭に入れて鑑賞
いわゆる主夫状態の夫が、家父長制の中で生きづらさを感じ、就職したことで、自由に生きてきた妻が束縛されるという物語になっていました
この行き詰まるような家族の物語で、ともかくホラーのような背筋が凍るような場面がありました
主人公のハイダルは、家長である父の言いなりの人生で、兄夫婦の良いようにこき使われている感じで、彼らの娘3人の世話も任されています
このままでも問題なさそうに思えますが、「世間体」というものに過敏な父は、男ならこうあるべきというものを押し付けていきます
ハイダルが就職を決めたのが、ヒジュラと呼ばれる第3の性のビバに心を奪われたからなのですが、彼自身の本性が彼女によって刺激されるという内容になっています
後半にある事件が起き、それがビバを傷つけることになるのですが、ハイダルは元々そっち側の人間だったのでしょう
それを押し殺して生きていくことは、彼にとっては残酷な道であるように思えてなりません
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作は、ハイダルの正体がわかるにつれて、彼の夫婦生活の本性というものが現れるように描かれています
元々体の関係は少なめのようで、その理由として、兄夫婦の娘を預かることで、夜の生活に突入しづらいという背景がありました
でも、おそらくそれは言い訳のようなもので、ハイダル自身の性癖というものが押し殺された状態になっていたことがわかります
彼自身は同性愛者かつM的な気質があり、ビバに掘られることを望むような人間でした
ビバはトランスジェンダーのダンサーとして生きてきて、電車内の出来事を見るに、女性として生きたくて体の手術を夢見ていました
そんな彼女に「そのままでいい」と言ってしまうハイダルは、その本性と目的を押し隠して生きてきたことがわかります
映画は、前半から「孤独なムムターズ」が描かれ、彼女の意思を無視した形で進んでいき、その危うさというものが露呈して行きましたね
彼女を背後から取る団欒のシーンは、これから起こり得る可能性を示唆し、そして、その通りのことが起きてしまうという流れになってしまいます
彼女を殺したのは何か?
ある種の結論のようなものは示されますが、家父長制に殺されたというよりは、立場の弱い人間から自由を奪ったことが最大の要因のようにも思えてしまいます
■家父長制は何を犠牲にするのか
本作は、パキスタンの家父長制の一家を描いていて、そこに住む3組の夫婦を描いていきます
家長である父アマンは妻を亡くしていて、その世話を焼くファイヤーズという近所の未亡人がいました
兄夫婦には子どもがいて、それを弟夫婦が育てていました
それは、兄サリームはちゃんと働いてるけど、弟ハイダルは妻ムムターズに働かせて主夫のようなことをしていたからでした
本作では、家父長制に犠牲になっているのは女性だけではないというメッセージがありました
それが男なら外に出て働かないとダメだと強迫観念を植え付けられていたハイダルであり、外に出て働きたいムムターズが妻としての定めに縛られるという構造になっていました
ハイダルはおそらくはバイセクシャルでM的な気質があるのですが、そう言ったものを押し殺してムムターズと結婚しています
ムムターズに対する愛情がないわけではなく、どことなく男性的なムムターズが彼にはフィットしたという感じに描かれていました
従来の家父長制弊害映画というのは、圧倒的に女性の社会進出を妨げているとか、女が家庭の犠牲になっているというものですが、本作の場合は「男性も呪縛に囚われている」というメッセージがありました
ハイダル自身が主夫向きだったということもありますが、友人を介して見つけた仕事がダンサーだったということもあり、周囲に言えない職種であると断罪されてしまいます
その動機が不純だったこともあって擁護しづらいのですが、外の世界に出るように言われなければ起こらなかった出会いのようにも思えます
結果として、家長の考える男性像というものが家族を破壊することになったのですが、それは家族よりもしきたりの方を見ていたことによるものであると描かれていました
ムムターズがハイダルと結婚した理由の一つとして、仕事を続けても良いというものがありました
ハイダル自身も彼女を支えることを厭わなかったし、それまでにもずっとサリームの娘たちの世話をしてきていました
なので、変わらない日常の中にいて、そして愛する人と一緒になれるというものがあって、それはWin-Winの関係に近かったと思います
でも、そう言ったものが呪縛となっていて、適性のない人間が役割を演じることになって、最悪の事態が起こる、という内容になっていました
個人的な感想を言えば、ハイダルが父や兄にしっかりと物事を伝えるべきだったとは思います
でも、それができないからこそ今の彼があって、そしてムムターズとの出会いがあったとも言えます
家父長制が家族を歪めたとも言えますが、日常の家族の様子を見ていれば起こらなかったように思います
それでも、家父長制で成功した兄家族がいる以上、この流れを止めてまで寛容になれたかというのは疑問のように感じられました
■ムムターズの選択とラストの意味
ハイダルはダンサーの仕事を始め、ビバとの関係を築いていきます
そんな中、ムムターズは主婦になることを強いられ、外界から閉ざされた中で、兄夫婦の家政婦のような立ち位置で我慢を強いられることになります
ムムターズに娘がいて、一緒にモモたちを育てるということならストレスもそこまでではありませんが、これまでのぶり返しのように役割を押し付けられている格好になりました
それでも、ムムターズが妊娠し、その流れが少しでも良くなるのではと思わせています
でも、ムムターズの妊娠が発覚した時、夫ハイダルの心は妻のところにありませんでした
しかも、その相手がトランスジェンダーだと知り、彼女の心はズタズタに切り裂かれてしまいます
トランスジェンダーだったことはムムターズにとっては大きな問題で、それはLGBTQ+の理解の問題とは切り離しておくべき感情であると言えます
家庭の中からハイダルの存在が消えて、彼が行ってきたことの多くをムムターズが担っている
ハイダルがその分頑張って働いているのかと思えば、別の人のところに転がり込んでいる
これでは、ムムターズ目線だと、今までの生活を全面否定されているようにも感じられ、彼の言葉を何一つ信じられなくなってしまいます
そして、夫が熱を入れていたのがトランスジェンダーだと知り、女性としての怒りというものが生まれていました
この絶望は、同性の若い女に取られたというものよりははるかに強烈なもので、ハイダル自身をそのような人間だと見ていなかったことからも、その衝撃というものが増幅されていました
社会的な性差別の寛容と、個人の感情の寛容は別問題であり、ハイダルがそのことを隠していたことは大きな問題だったと思います
いくら自由であるとしても、それならばムムターズを巻き込む必要はなかったように思えます
結果として、中絶のできないムムターズは自死することを選び、この家族に子孫すら残さないという選択をします
これはこの一族に対する最後の抵抗であり、ムムターズの強い意志表明でしょう
そして、その決意を受けたハイダルは、ひとり海へと向かいます
映画はその場面で終わるのですが、ハイダルの性格を考えると、怖くなって戻ってきているように思えます
彼がムムターズを追って自殺をするぐらいの強さを持っていたら、もっと家庭内で自分を曝け出せたし、彼女を守ることもできたでしょう
でも、何もできないまま、ムムターズの孤独を感じることもないまま好き勝手している
心中自体もパフォーマンスのようなもので、自分自身を可愛がるようなポーズにしか見えません
なので、ひょっとしたら死んだのではと思わせるのですが、真逆のことをしているのではないかと感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作のタイトルは「ジョイランド」というもので、映画内で「遊園地」として訳されていました
その場所は家庭からの解放の場であり、役割から逃れられる楽園だったはずでしたが、ムムターズにとっては絶望を突きつける場所だったとも言えます
この遊園地はハイダルにとっても紙一重の楽園であり、ビバと一緒にいられる場所でありながら、自分自身が周知される場所でもありました
結果として、ハイダルの仕事が家族にバレることになりますが、職業の貴賤以上のものが、この場所で暴かれることになってしまいます
ムムターズは、自分自身のジョイランドをあの世だと思う起点になっているし、サリーム夫妻にとってはジョイランドだった家庭が地獄へと変わってしまいます
アマンとしては、もう認知症が進行し、何もわからなくなっていくと思いますが、彼の最後に記憶されたジョイランドがどのようなものだったのかは何とも言えません
自分が間違っていたと思うのか、間違っていなかったと思うのかは分かりませんが、ファイアーズを拒否したことによって、彼の人生は絶望の余生となるでしょう
今後、サリームとヌチの夫婦関係がどうなるかもわからないし、この家族が顔を合わせることが、さらなる悲劇を生んでしまうようにも思えます
それぞれのジョイランドは、物語が始まる段階で完成されていて、少しの気遣いと寛容性があれば続いていたものでしょう
アマンはファイヤーズの行為を受け入れ、家庭の面倒を見てくれているハイダルに理解を示す
サリームもヌチも現代的な感覚を取り入れて、自分たちの生活を支えているものに敬意を示す
この関係性を崩さなければ、ここまでの悲劇には至らなかったのだと思います
それでも、ムムターズはハイダルとの子どもを欲しがったでしょうし、子どもが生まれれば、仕事を辞めて家庭に入ったと思います
状況が変われば価値観も変わるもので、ハイダル自身にも子どもがいれば、ビバに出会ったとしても、違った感情で彼女と向き合ったかもしれません
このあたりは「たられば」になるので、結局は子どもができてもハイダルの本性は変わらないし、却ってストレスを感じるようになって、外の世界に願望を満たしに行ったかもしれません
映画の前半にて、ムムターズ越しに家族の団欒を映すというショットがあって、このシーンは感覚的にもの凄く怖いものを感じました
ムムターズの怒り、孤独、焦燥感などの全ての感情が入り混じっていて、それに誰も気づいていないショットなのですね
このシーンは映画の成り行きを暗示しているショットになっているのですが、映画を観た後に振り返ると、さらにその意味の深さに思いを馳せることになります
本作は、パキスタンで上映禁止になった問題作で、プロデューサーの働きかけによって他国での上映が実現しています
上映禁止になる理由は何となく分かりますが、価値観の変容という波には逆らえないと思います
それでも、家父長制が完全にダメな制度と言うわけでもないのですね
民族の持続的な繁栄というものを考えた場合、個人の自由に全てを任せておいて良くなるとは言えません
それを考えると、断固として反対すべき制度ではなく、その制度に理解を示す人は利用したら良いし、そうでない人は距離を置くということになるのでしょう
今は宗教や政治が国境線を形作っていますが、いずれは思想による国境が敷かれる日が来ると思います
そのどちらが永続的に反映するかは分かりませんが、それは歴史が証明することになるのでしょう
今はその過渡期となっているので、とりあえずは自然の摂理の向かうままに人間を生きていけば良いのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/102044/review/04392894/
公式HP: