■冒頭の手話の意味を察することができれば、本質的なところにたどり着けるかもしれません
Contents
■オススメ度
陰湿なドラマを堪能したい人(★★★)
■公式予告編(日本語字幕版は見つからず)
鑑賞日:2022.12.8(アップリンク京都)
■映画情報
原題:죄 많은 소녀(罪深い女の子)、英題:After My Death(私の死後)
情報:2017年、韓国、113分、G
ジャンル:ある女生徒の失踪を巡って犯人扱いされる女子高生を描いた心理的ホラー映画
監督&脚本:キム・イソク
キャスト:
チョン・ヨビン/전여빈(ヨンヒ:ギョンミンと最後に一緒にいたことで疑われる女子生徒)
コ・ウォニ/고원희(ハンソル:ギョンミンとヨンヒの親友)
イ・ボム/이봄(ダソム:ギョンミンにある言葉を浴びせた女性徒)
イ・テギョン/이태경(ユリ:ダソムを追い詰める女生徒)
ソ・ヒョヌ/서현우(ギョンミンたちの担任)
パク・ギルス/박길수(校長)
チョイ・キョシク/최교식(学務部長)
ペク・ギルソン/백길성(学生部長)
チョン・ソニ/전소니(ギョンミン:行方不明になる女子生徒)
ソ・ヨンファ/서영화(パク・ヘスク:執拗にヨンヒを疑ってかかるギョンミンの母)
チョン・インギ/정인기(行方不明のままがいいと言うギョンミンの父)
チョン・エファ/정애화(ギョンミンの祖母)
チョン・ジョンナム/정정남 (ギョンミンの叔父)
ソン・ガングク/손강국 (ヨンヒの父)
イ・セウア/이슬아(いじめっ子)
ユン・ジェミョン/유재명 (キム刑事、捜査班のリーダー)
ホ・ドンウォン/허동원 (刑事)
キム・テジョン/김태준(刑事)
イ・ソンヒ/이선희(ロールシャッハテストをする精神科医)
チョン・ヨハン/정요한 (ヨンヒの主治医、外科医)
ソン・ウジョン/선우정아 (ヨンヒらが行ったライブの歌手)
ペク・スンチョル/백승철 (ハイキング商品店の店員)
■映画の舞台
韓国:ソウル
漢江に架かる橋(どこかはわからず)
ロケ地:
韓国:ソウル
■簡単なあらすじ
ソウルにある女学院では、ある生徒の失踪が表面化し、警察が付近の捜索を続けていた
女生徒はギョンミンと言い、その母は警察の捜索に惜しまずに協力をしていた
彼女の最後の姿が橋に向かうトンネルの防犯カメラだけで、そこではもう一人の女生徒と「キスをしている」場面が映っていた
そこで警察は最後まで一緒にいたヨンヒに尋問をかける
二人のただらならぬ関係を奥底に秘めながら、ヨンヒはそこであったことを話し出すものの、ギョンミンの母は怒りをぶちまけて殴りかかってしまう
こうしてヨンヒはクラスからハブられ、いじめの対象になっていく
二人の関係を知るハンソルは固く口を閉ざしたままで、ギョンミンの遺書が見つからない中、警察は事故死として処理をしていく
そんな折、ようやくギョンミンの遺体が上がるものの、状況は変わることはなかった
そして、葬式に参加したヨンヒはある行動に出てしまうのである
テーマ:思春期の不安定さ
裏テーマ:慟哭と執念
■ひとこと感想
どんな話かをほとんど知らないままに鑑賞
冒頭の手話の生徒が誰かを把握するのに時間がかかりましたが、そのシーンの手話の字幕が出ないという演出はなかなか凝ったものだったと思います
その後、自殺したとされる女生徒と最後にいたという理由で犯人扱いされたり、ギョンミンの母の執拗な絡み方が完全にホラーでしたね
周囲の人間の攻撃性というか、手のひらを返す自己保身というか、気味の悪いシーンがとてもリアルに描かれていました
学校が自殺をどう処理しようとするかというところもリアルで、担任の逆ギレとかありえないレベルでしたが、現実でもこんな奴がいるんだろうなあと思ってしまいます
特に韓国は儒教の国で、授業が終わるたびに先生に深々と頭を下げさせる方針なので、より一層現実味があったかなと思いました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
タイトルが『少女』になったことで検索が大変難しい作品になっています
検索結果のほとんどが「湊かなえさんの作品」がピックアップされていて、「韓国映画 少女」と検索しても、さほど情報がありませんでした
映画館でもパンフレットは売っておらず、情報集めに苦労しましたが、上記のキャストで大体あっていると思います
映画は韓国で実際にあった事件がモチーフになっていますが、それを調べられるかは困難を極めそうですね
一応は監督のプライベートな出来事が背景にあって、キャラクターこそはオリジナルですが、その時に起こった感情というものはそのまま描かれているとのことはわかりました
監督がどのキャラクターだったのかは言及されていませんが、ギョンミンとヨンヒに近かった人物であると推測できます
映画は「ある女生徒の死によって起こること」を描いていて、家族、友人、クラスメイト、学校などへの波及というものが描かれていきます
家族と女生徒との距離感などは気味が悪いほどにリアルで、ギョンミンの母の執念は加害者と言っても差し支えのないものだったと思います
また、警察と学校が早々に犯人を決めつけて、あっさりと事件にしてしまいつつも、加害者がいないと線引きするところも大人の事情丸出しで強烈でしたね
このあたりが事実ベースっぽいので、監督はクラスメイトの誰かだったのかなと思ってしまいます
■自殺が引き起こす波
家庭内や在籍したクラスなど、身近なところで自殺の経験がある人なら、この映画が描いているリアルな部分は追想になってしまうかもしれません
私個人の話だと「知っているけど、面識はない」と言う関係性のクラスメイトが電車で轢死したと言う過去があり、少しだけそれが蘇ってしまいましたね
でも、その時は「犯人探し」に巻き込まれることはなく、学校との距離もあったので、時間だけが経過していきました
自殺が引き起こす「なぜ」には答えがなく、それゆえに誰もが「自分ではない」ことを確認したがります
おそらく、当時の私自身もそのような思考が巡って、「それほど親しくないから関係ないだろう」と言う感じになっていて、自殺そのものから距離を置くように、彼の死に近しい人からも距離を置いた経験がありました
本作では、「失踪した女生徒の原因」としてヨンヒが疑われ、それが防犯カメラに記録された「あること」と言う付加情報があります
その行動の一部始終は「なぜ」をさらに加速させていて、そこでヨンヒがギョンミンんを突き放していたら騒動はあっさりと終わったかもしれません
一連の行動の中で、ヨンヒに言いよるギョンミンと、それを阻害したいと考えるハンソルを加えた女生徒3人の三角関係がありました
ヨンヒは冗談だと思って「死ねるのか?」と聞きましたが、それはヨンヒ自身が死を考えていたからで、彼女は「アイデアを盗まれた(先を越された)」と憤慨していました
ギョンミンの母としては、「娘がレズで失踪」と言う二つの衝撃があって、その真相には様々な情念が絡んできます
それは、夫から突きつけられる「仕事中心で娘を放置した」と言う事実で、「お前が言うか」とも思いますが、韓国の家父長制の問題が絡んでいると言えます
ギョンミンの死は自殺か事故死かも判明しないまま、遺体も遺書も何も出てこないのに「事態を終わらせようとする警察と学校の存在」もリアルで、結論が先に出ていて、それに追従する理由を「参考にする」と言う割り切りがありました
警察は「真相というものに意味を感じていない」のですが、母だけはその理由に固執するのですね
それは彼女が納得できるまで続く思考ですが、結局のところ「ヨンヒの語る真実」を聴いても、母は理解できないし、受け入れようともしないでしょう
母が理由を模索しているのも、自分自身に非がないことを確認したいという反応があるからなのですが、最終的には彼女が欲しい答えがないと完結しないと思います
本作では、アイデアを盗まれたヨンヒが「カッコイイ自殺」を敢行するために動いていく様子が描かれていきます
この予告手話の後に「前よりも積極的にクラスメイトに関わるヨンヒ」が描かれているのですが、これには彼女なりの思惑がありました
それが「クラスメート全員と関わることによって、自分が死んだときに同じように追求される機会を作っている」のですね
なので、ヨンヒは自殺を実行して、自分と同じように「ヨンヒと関わりがあった人々が同じように犯人に吊し上げられる状況」というものを作ろうとしています
その筆頭がギョンミンの母で、警察などは「ヨンヒの自殺はギョンミンの母が娘の死後に執拗に絡んだから」というありきたりな結論を用意しやすいのですね
ギョンミンの母の娘への執着ぶりは学校などにも波及していて、もしこの状況でヨンヒが死ねば、真相追求の意味は無くなって、「ギョンミンの母のせいに違いない」の結論づけられる可能性は高くなります
そこでギョンミンの母がヨンヒの語ることを伝えても、それが「真実であると信用されない」という状況を生んでしまうのですね
これを俯瞰してみると、「ヨンヒは自分の死に意味を持たせて、残った人々に苦悩を与え続ける」という明確な意図があり、それを彼女なりの言葉に置き換えると「カッコイイ死に方」ということになるのだと思います
■タイトルの意味について
邦題は「少女」でヨンヒのことを指していますが、原題はジョンミンを示唆していますし、英題はヨンヒとギョンミンのダブルミーニングになっています
この英題のセンスが抜群で、「自分の死後に周囲を苦しめるというテロ」を言い表しているのですね
これが「After Her Death」ならギョンミンの死後という意味になりますが、英題は「私の死後」なので、「私」とは誰かという問いが生まれてきます
通常に解釈するならば、この「私」はヨンヒのことを表しますので、劇中で最後まで生きているヨンヒの死後とは一体何か?ということになると思います
これは「ヨンヒのカッコイイ死に方」というものを揶揄する表現になっています
この場合は「ヨンヒの目線」ということになるのですが、原題の視点は少しばかり違うといえるでしょう
原題を直訳すると「罪深き少女」となりますが、一見するとギョンミンのことを指すように思えます
でも、実際にはヨンヒそのものを表していて、この映画は「ギョンミンの死によって、ヨンヒ自身が自分の自殺の余波を学習する」という流れになっていて、その影響が理解できて他者が苦しむことがわかっても、自分の自殺を実行しようと考えていきます
この一連のヨンヒの行動を一言で表すと「罪深き少女」という意味に近づくのではないでしょうか
映画では、自殺の罪深さというものに言及していて、それは自然発生的に起こる犯人探しというものの無意味さを描いているといえるでしょう
結局のところ、誰かを巻き込まずに死のうとしたギョンミンの死によって、全ての人を巻き込んだ第二の自殺を誘発しているのですね
この映画は、ギョンミンが意図しなくても、このような展開を見せるであろうということを、リアルに再現しようとしていると言えるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は監督のプライベートで起こった出来事がベースになっていて、監督曰く「その時の感情をリアルに取り込んだ」とされています
感情というのは「自殺を受け止めた側の感情」であり、「近しい人だった」というインタビューから察するに、おそらくは「クラスメイトだった過去」に起因するのかな、と想像しました
このあたりはパンフレットが制作されておらず、原題をハングルでググって見つけたインタビュー記事の抜粋からの想像なので、的を射ていない妄想であるかもしれません
事件から近すぎず遠すぎず、かと言って起因の当事者でもないという人物だとすると、ハンソルやダソムではないでしょう
かと言って、ダソムを吊し上げたユリという感じもしません
どのポジションかを探る意味はありませんが、「それぞれのキャラクターを俯瞰して見ていた視点のである」というところに意味があるのかなと思いました
映画では「犯人探し」の様相を呈しますが、誰もが「当事者ではない」という意識があり、かつ「自殺者本人の思考」というものを想像しません
あくまでも「行動」に対する反応ばかりが目立ち、それによって次の被害者を生むという連鎖を描いています
自殺が起こると連鎖的に自殺が起こる状況を耳にしますが、それにはいくつかの要因があって、元々ハイリスクだった人が誘発されたというケースと、原因探しの標的になって病んだというケースがあります
本作の場合は、どちらかと言えば前者に近く、ヨンヒ自身にも自殺願望がありました
誰もがそのヨンヒの心情にふれていかず、逆に彼女に理由と原因を与えているのですね
本作ではその過程がリアルで、かつ劇的な宣言が行われるところが特徴的と言えるでしょう
韓国手話をできる人なら冒頭でその意味がわかり、その後は「ヨンヒがなぜあの手話を行ったか」という視点で観ていくことができます
韓国手話ができない人は、意味がわかるシーンによって、それが解放されるし、2回目の鑑賞では手話ができる人と同じ視点で観ることができます
多くの人は韓国手話ができないので、初見では本作の真意には辿り着けません
でも、冒頭の不穏さを察知できれば、「なぜ、このシーンには字幕がついていないのか?」と考えることになるでしょう
私も韓国手話はできませんが、「このシーンに字幕がない理由」というのがなんとなく読めたのと、あの手話を行うときの表情と喉元の処置を踏まえた上で、「この生徒が他の生徒に対して何かをするのだろうなあ」という想像は出来ました
映画を見慣れている人ならば、次のシーン(化粧品店に来ているシーン)でいきなり回想になっていることはわかりますが、不慣れだと少し混乱するかもしれません
「○週間前」ぐらいのテロップが入った方が混乱せずに済みますが、それがなくても「手話していた生徒が普通に話している」ので察することができるようには作られていますね
個人的にはシーンが移る時に「○週間前」ぐらいのテロップは入れておいた方が良かったかなと思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/385155/review/2d751107-64dc-4de0-b932-4045a395ceda/
公式HP:
http://www.toei.co.jp/movie/details/1206809_951.html