■イナズマが空を引き裂いたとしても、空はイナズマの影響を受けずに、ただそこに在るものだったりするのですね


■オススメ度

 

ちょっと濃いめのファミリー映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2023.10.27(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

情報2023年、日本、140分、G

ジャンル:十数年ぶりに再会を果たした家族が、それぞれの隠された本音を探る様子を描いたヒューマンドラマ

 

監督脚本石井裕也

 

キャスト:

松岡茉優(折村花子:映画監督デビューを控えた26歳、長女)

窪田正孝(舘正夫:花子がバーで出会うミステリアスな男、食肉加工業)

 

佐藤浩市(折村治:花子の父)

池松壮亮(折村誠一:花子の兄、社長秘書、長男)

若葉竜也(折村雄二:花子の兄、カトリック宣教師、次男)

 

仲野太賀(落合:正夫の友人、俳優志望)

趣里(宮部:携帯ショップの女)

高良健吾(ホテルの社長、誠一の上司)

 

MEGUMI(原:映画プロデューサー)

三浦貴大(荒川:映画の助監督)

中野英雄(鬼頭三郎:花子の映画に出演する大御所俳優)

大廣明良(映画に出演する俳優?)

 

芹澤興人(正夫の行きつけのバーのマスター)

 

笠原秀幸(路上の飲酒野郎)

伊藤公一(路上の飲酒野郎)

若林時英(路上の飲酒野郎を注意する高校生)

 

北村有起哉(配送会社の社長、治の親友)

益岡徹(則夫:海鮮料理屋の店長、治の先輩)

 

鶴見辰吾(佐々木智夫:治の元妻の携帯に出る男の声)

 


■映画の舞台

 

コロナ禍の日本(ロケ地は神奈川県)

 

ロケ地:

神奈川県:横須賀市

スナック私の部屋

https://maps.app.goo.gl/i2t3BEHYoTRuj3D98?g_st=ic

 

観音崎公園

https://maps.app.goo.gl/XrjKyPMJztBZX2n18?g_st=ic

 

「夢Dream」食堂観音崎

https://maps.app.goo.gl/pYiuNJYV5wPaUdbh6?g_st=ic

 

東京都:中央区

築地カトリック教会

https://maps.app.goo.gl/TcHU76rDrFZ2omNG9?g_st=ic

 

静岡県:熱海市

月のあかり

https://maps.app.goo.gl/dKxCM8DN3PbYahiXA?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

短編映画で評価を得ていた映画監督志望の花子は、ようやくプロデューサーとの話も進んで「自伝的な映画」を取る計画が動き出していた

映画のタイトルは「消えた女」で、それは自分の母と家族を題材にしたもので、花子には制作に対するこだわりがあった

だが、助監督の荒川と衝突し、プロデューサーの原とも本音では話し合えなかった

 

ある日、バーにて不思議な雰囲気を持つ正夫と出会った花子は、不思議と意気投合し、会話を重ねていく

そんな折、病気を理由に監督の交代が告げられ、それは腹と荒川の暗躍に思われた

自分の作品を奪われたと憤る花子だったが、ハラハ責任逃れに奔走し、まともに話を聞いてくれない

 

花子は正夫に励まされながら、実の家族を撮ることで映画を完成させようと考える

だが、素人に演技は難しく、花子の目的が誰にも見えないために、撮影は一向に進まない

そんな中、彼らが隠し持っている秘密が少しずる明らかになっていくのである

 

テーマ:家族をつなぐもの

裏テーマ:モヤモヤを晴らすもの

 


■ひとこと感想

 

家族の物語を家族を使って撮る映画ということはわかっていたのですが、てっきり正夫の家族の映画を撮るものだと思っていました

映画を観ながら、「ああ、花子の家族の話だ」ということはわかってくるのですが、前半ではほとんど家族が登場しません

あくまでも「花子の不遇と不条理な業界」が描かれていて、それらが全てご破算になってから物語が動く感じになっていました

 

映画の中で映画を作る物語ではあるものの、それは理由づけのようになっていて、これまで見てこなかったもの、見せてこなかったものというのが一気に噴出することになっていました

それぞれに秘密があり、特に末っ子である花子が知らないことが多すぎたように思います

 

キャストが豪華な作品で、チョイ役までもが豪華な感じになっていて、物語の端々に本気度が伺えます

とは言え、かなりスローなテンポになっているので、体感時間的には長めに感じてしまいました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、壊れた家族の再生を描いていて、その起因が父の暴力によるものだと思われていました

でも、父を知る友人たちの生きた証言によって、思い込みが瓦解する様子が描かれていきます

それぞれがそれぞれを思いながら隠しごとをしていて、それによって拗れていく様子が描かれていました

 

稲妻が走ったような恋の衝撃と、家族の中にあった秘密の暴露が描かれていて、それがいつの間にか交わっていく様子が描かれていきます

それを結びつける役割を担っていたのが正夫の存在で、彼は同時に家族というものが何かを学んでいくことになります

 

映画では、赤い色が強調されていて、それが花子の好きな色ということになっていました

教会や自宅などに赤が飾られていて、それは花子の代わりのようにも思えてきます

何だかんだ言っても根底で繋がっているのが家族というもので、そこには説明できない何かがあるように思えました

 


家族とは何か

 

本作では、疎遠の家族を持つ花子と、家族そのものを知らない正夫が描かれていきます

花子は「家族の映画」を撮ろうと考えていて、その中心には「不在の母」というものがいました

多くの家族は複数人で構成されていますが、その家族を家族たらしめている中心というものがあったりします

そして、その中心は「不在者」であることの方が多いようにも思えてしまいます

 

花子の家族は不在の母を中心に動き、正夫自身も全てが不在のために家族のかたちを模索することになっています

この家族の欠損がもたらすものは大きく、それは「揃ってこそ家族」という概念が強いからだと思います

揃っていることが完璧というのではなく、欠けているものの意味を大きく捉えがちになっていて、欠損が何らかの不具合を持っているからだと考えてしまうからでしょう

個人的な場合だと、12歳くらいで父親が不在になるのですが、その影響によって「自分の人生に不具合が生じた」と感じる家族もいれば、「自分の人生に有益である」と感じる家族がいたりします

母親の判断は「将来的な有益」を見越したものになっていて、その選択が正しいかの証明はできません

それでも、その後の人生の総括をする上で、欠損を不遇の理由にするのは、現実逃避に近い印象があると思います

 

家族の欠損にも色んなケースがあり、私の場合は父親でしたが、それを機能的に捉えることもできます

経済力の損失と捉えることもできるし、暴力性の排除とも考えられるので、そのどちらにフォーカスをするのかで、人生そのものの意味が変わります

花子の場合は、母の欠損ということになっていますが、機能的な側面だと、母親の愛情の欠如というものになると言えます

とは言え、彼女の場合は欠損そのものよりも、それが起きた過程に対する「真実の欠損」があって、それが花子の人生に大きな影響を与えることになっていました

 


正夫がもたらしたもの

 

それに対して、正夫は家族そのものを知らないので、欠損の意味を知らないまま生きていることになります

家族の欠損でも、生まれながらの欠損とそうでない場合には意味合いが変わってきます

生まれながらに父がいない人と、途中で退場した人とでは感じ方が違うのと一緒で、欠損の状況も死別、離婚、逮捕などを含む排除などでは状況が異なります

でも、正夫の場合は初めからないので、欠損に至る理由が何であれ、影響を受けていない若しくは想像できないという状況になっています

 

正夫が花子と出会って感じたことは、彼女が持つ家族のかたちへのこだわりであり、映画のタイトルでもある「消えた女」という言葉にも表れています

そのタイトルが終盤になって180度変わるのですが、その変化をもたらしたのが正夫という存在になります

彼は物語の機能的には贈与者という立場になり、花子のマインドチェンジを起こす存在でもありました

彼が花子を愛するあまり、花子が感じている憤りを解消する方向へと導いていきます

なので、贈与者でもありながら、メンター的な役割も担っていると言えます

 

正夫が家族を知らないことで、花子の家族を通じて家族愛というものが強調されていきます

本作の場合だと、家族とは「無形の感情の共有」というものがあって、それが行動に移ることで明文化されるという感じに描かれていました

具体的に言うと、「特殊詐欺グループに感じた感情」というものが自然と共有され、その行動も波及していきます

正夫はそれを感じ取って、特殊詐欺グループを懲らしめる方向に向かうのですが、この正夫の感化というのは、ある意味において、花子の家族の一員になった瞬間でもあったと思います

それが、父の「花子を頼むわ」という言葉につながっていたように思えました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、花子と正夫のラブロマンスの側面があまり強調されていませんが、お互いに惹かれあっていることは誰が見てもわかります

正夫が花子の家族と会うということは、通常ならば結婚を意識した行動につながるのですが、家族はそれどころではありません

2人の恋愛そっちのけで、母の不在問題が浮上し、「なんでもお前はいるんだ」状態になっていました

正夫はいわゆる「家族映画を撮る撮影者」の立場になっていて、彼が空気であることは正常な反応であると言えます

 

正夫の目線は観客の目線に近く、家族はそれを意識せずに赤裸々な感情を発揮しているのですが、この装いがない段階は、すでに正夫が受け入れられていることを意味しています

これらの反応は、正夫と花子の間にまだ何も生まれていないからではあるものの、親兄弟たちもそれどころではないからという状況の方が強いと思います

誠一は社長の付き人ですが、そこでは自分を装うしかなく、彼のアイデンティティは「長男であること」で保たれています

誠二は宗教家として研鑽の毎日で、神への奉仕の中で生きています

父は自分の病気問題の浮上と、隠してきた過去によって誤解されたままになっていましたが、それは彼の友人たちによって、徐々に暴露されていきます

それぞれが自分自身が生きるのに必死で、他の家族のことについて考える余地がなかったと言えます

 

そんな中で、父だけは「花子の将来」を考えていて、制御不能な娘を憂慮していました

父は経済力や信仰が花子を救うとは考えておらず、根底にある価値観の共有こそが、花子の相手に必要だと感じていました

彼はこの一連の騒動の中で、花子が隠していた感情を知り、それに寄り添える正夫の存在に気づいていて、それが「花子をよろしく頼むわ」という言葉になっていました

花子と正夫の関係性がどうであれ、それが良き友人止まりでも良いと考えています

 

結局のところ、花子の母が生きているのかどうかはわかりません

でも、それぞれの中である種の結論が出ていて、それは家族それぞれが違うものを有しています

父は死んでいないと感じているし、子どもたちは死んではいないものの、もう彼女は母ではない(家族ではない)という結論に至っています

生死の確認が不要となっていて、それぞれがどう生きていくかというところに精神的な問題がシフトしていきます

 

誠一は妹を侮辱されたことに怒り、誠二は父との精神的な離別に直面します

そして、花子はこれから共に歩んでいく正夫だけを見ることになっていました

彼らの人生の中から母の喪失が消えたことになり、それによってバラバラになっていたものが見えない絆で結ばれることになりました

そう言った意味において、本作は観賞後感の良い作品として、余韻を残す映画になっているのだと思います

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

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公式HP:

https://ainiinazuma.jp/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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