■自己演出を極めるためには、情報の拡散を調整する能力が必要になると考えられます
Contents
■オススメ度
重度のかまってちゃんホラーを体感したい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.10.26(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Syk Pike(病気の女の子)、英題:Sick of Myself(自分自身にうんざり)
情報:2022年、スウェーデン&デンマーク&フランス、85分。PG12
ジャンル:承認欲求を拗らせたバリスタが、違法薬物の副作用で注目を浴びようとするホラー映画
監督&脚本:クリストファー・ボルグリ
キャスト:
クリスティン・クジャス・ソープ/Kristine Kujath Thorp(シグネ:オスロ在住のバリスタ、承認欲求が拗れて違法薬物の副作用に依存する)
エリック・セザー/Eirik Sæther(トーマス・マイニク:シグネのパートナー、現代アーティスト)
ファニー・ヴァーガー/Fanny Vaager(マルテ:シグネの友人、雑誌編集者)
フレデリック・ステンバーグ・ディトレフ=シモンセン/Fredrik Stenberg Ditlev-Simonsen(イングウェ:トーマスの友人)
サラ・フランチェスカ・ブレン/Sarah Francesca Brænne(エマ:イングウェの恋人)
イングリッド・ヴォラン/Ingrid Vollan(ベアテ:シグネの母)
シュタイナー・クルーマン・ハレルト/Steinar Klouman Hallert(スティアン:薬を購入してくれる友人)
Christian Torp(アイヴィン:トーマスの友人)
Elisabeth Bech Acchehoug(アニネ:見舞いに来なかったシグネの友人)
アンドレア・ブレイン・ホヴィク/Andrea Bræin Hovig(リサ:モデルのエージェント)
Frida Natland(ノーラ:盲目のアシスタント)
ヘンリック・メスタッド/Henrik Mestad(エスペン:セラピスト)
Matilda Höög(アーニャ:セラピーで罵倒する女)
アンダース・ダニエルセン/Anders Danielsen Lie(レゲ:シグネの主治医)
Terje Strømdahl(オラフ:怒鳴る犬の飼い主)
Anne Kokkinn(トリル:パーティーの同席者)
Andreas Rand(ワイン盗まれるウェイター)
Robert Skjærstad(高級レストランのシェフ)
Birgit Nordby(犬に噛まれた女)
Per Fronth(家具店に来る警官)
Håkon Ramstad(犬の飼い主)
Afzal Mohammad(救命医)
Elisabeth Nygård Floa(看護師)
Magnus Asheim(写真家)
Nanna Lundevall(「Expo Nova」の従業員)
Janas Bakke(リガードレス:CM撮影のメイク係)
Kristoffer Borgil(アンドレア:CM監督)
Babatude Adam Oluwalana(マリウス:CM撮影のAD)
■映画の舞台
ノルウェー:オスロ
ロケ地:
ノルウェー:オスロ
■簡単なあらすじ
ノルウェーのオスロにあるカフェのバリスタとして働いているシグネは、現代アーティストのトーマスと同棲をしていた
2人はレストランに行ってはワインを盗んだり、家具店で椅子を盗んだりと悪行を繰り返していた
シグネの関心ごとは自分が注目を浴びているかだけで、トーマスの友人たちとのパーティーでも平気し自己中心的な場の支配を目論んでしまう
トーマスは半ば呆れながらに付き合っているが、内心では彼女への興味を失いつつあった
そんなある日、シグネの職場にて犬に噛まれた女性が店内に転がり込んできてしまう
彼女は女性の手当てをするものの、そこで浴びた視線に快感を覚えてしまう
そして、血まみれのまま自宅へと帰り、何かしらの外的要因によって、承認欲求を満たせることを知ってしまう
そして数日後、彼女は偶然ネットで「薬の副作用で顔に皮膚病ができた人」の写真を見つけてしまう
それはロシア製の違法薬物「リデクソル」というもので、彼女はそれをなんとかして手に入れたいと、自分に気がある友人のスティアン代理購入をさせることになったのである
テーマ:病的かまってちゃんの顛末
裏テーマ:想像力の欠陥
■ひとこと感想
予告編から「ヤバい薬を飲んでえらいことになる」ということはわかっていましたが、そこに至るまでの経緯の方がさらにヤバかったように思えました
承認欲求というよりは、注目を浴びる人生に意味があると感じていて、それがルッキズムであると定義づけています
セラピストとの会合では「目にみえる障害は有利だ」という趣旨の言葉が飛び込んで来たり、なかなか攻めた内容になっていました
映画は、冒頭からシグネのヤバさが全開になっていて、救いようのないくらいに自己中心的に展開していきます
トーマスの無関心が原因と言っても、あそこまで四六時中相手をするのは不可能ですね
話半分に聞いていると取り乱すでしょうし
、こちらの反応を悪い想像で規定しまう部分もあったりします
ロシア製の違法薬物を不必要に服用して、副作用の皮膚病を発症するのですが、薬の影響が表面だけに出ているわけではありません
これはルッキズムには内面が見えていることを暗示していて、表面のヤバさは氷山の一角のように描かれていましたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作は、怒るべくして起こることが過剰に進んでいくので、観ている最中に事の顛末が見えてきます
彼氏も盗人で、シグネの承認欲求の犠牲になっていて、自業自得な顛末を迎えています
彼が頑なに「その椅子は映さないで」と言った意味はコミカルでもありました
映画は、とにかく気分の悪い展開が続き、心理的に負荷が掛かる内容になっています
メンタルが弱い人は感化される可能性が高く、教訓になるというよりは、引き金になってしまう怖さがありました
タイトルの「Sick of Myself」は、直訳すると「私の人生の病気」という意味ですが、スラング的には「自分の人生にもううんざり」という意味になっています
「うんざりしたらどうするのか?」
これが本作のテーマのようにも思えてしまいます
■承認欲求の成れの果て
本作は、承認欲求を拗らせた女性を描いていますが、どちらかと言えばかまってちゃんの極端な例を描かれています
どんな場面でも、常に注目を浴びていたいシグネは、TPOをわきまえず、虚言癖に満ち、周囲を困らせてしまいます
トーマスの友人とのパーティーでも、添え物であることが許せず、彼の話を遮って、嘘までついて注目を浴びようとしていて、ここまで来ると病気のように思えてしまいます
これらの症状を「演技性パーソナリティ障害」と言います
演技性パーソナリティ障害では、継続的に注目の的になることを求め、他者の注目を惹きつけるために、不適切かつ挑発的な形で衣服を着用したり、自分を劇的に表現したりします
この障害は、自分の身体的外見を利用し、他者から注目されるように不適切に誘惑的かつ挑発的な形で行動する傾向があり、シグネの場合は「身体的特徴」を得るために、違法薬物の副作用というものを利用するに至っています
当初は「自己愛性パーソナリティ障害」の範疇だったシグネですが、それがさらに悪化して「演技性パーソナリティ障害」に移行していて、自身の優越感、誇大性、賞賛欲求などで済んでいないと言えます
シグネの欲求はトーマスから特別視されたいという範疇を越えルのですが、悪化の原因はトーマスが世間に認められるつつあるからだと考えられます
トーマスが自分に興味をなくしつつあることを感じていて、それを恐れるあまりに過剰なパフォーマンスをしていくことになります
そして、カフェでの事件を受け、トーマスのみならず、不特定多数からの注目を浴びることへの快感というものを知ってしまうのですね
それが呼び水となって、あの快感を受けるために必要な「外的要因は何か」というものを探し始めることになりました
■シグネにならないためにどうすべきか
人には、他者よりも秀でていたいという願望があり、それが効果的に作用すれば、様々な分野で活躍することができます
これらの欲求を内側に向けることで、比較対象を変えることができるのですが、シグネの場合は、常に比較対象は他人であるという状況になっていて、それは身体障害モデルの仕事でも如実に現れていました
その場にいる誰よりも優れていたいというよりは、注目されていたいという願望の方が強いのですが、注目を浴びることがそのまま評価されていると勘違いされている節があります
不特定多数との会話の中でも、場を支配できる自分に酔っていて、それが瞬間的ではなく永続的であろうと願っています
その場にいる他者と比べる意味はほとんどなく、人の興味は移りゆくものなので、瞬間的に注目を浴びても、すぐに別の話題になってしまいます
最終的には、その場を支配しているものの方向に引き寄せられることになり、トーマスのパーティーでは彼の話題になるのは当然のことなのですね
そして、その場の空気をも自分に向けようと考えると、無理が生じ、過剰なパフォーマンスで場を壊すという行動に出てしまうことになります
シグネは「アレルギー虚言」で注目を浴びつつも、それが嘘だと勘づかれていて、そこで演技をして場を壊しつつ、自分が主人公のように退場するという方法を選んでしまいます
シグネのような人物は、他人からすぐに看過されるもので、あの場にいた誰もが「嘘っぽいな」ということを感じています
その感覚を塗り替えようと躍起になるのですが、誰もが心配するふりをしながら、面倒な人間だと思っています
シグネ自身は悲劇のヒロインになったつもりでいますが、その場にいる人のほとんどは呆れていて、それを言葉にしないだけだったりします
このような出来事が重なると、相手にするのが面倒ということになり、公の場に呼ばれなくなっていきます
トーマスも自分のテリトリーにシグネが入ってくることを拒み、それは愛情とは別次元のものとして、距離を置かざるを得なくなってしまいます
シグネのようにならないためには、比較対象を他人に求めないことでしょう
そして、場を支配しているものに従順になって、相手が自分に興味を持つ瞬間まで「待つ」ということになります
トーマスが主役の舞台でも、彼の出番が永遠に続くわけではなく、いずれは「彼を支えているもの」という話題になっていきます
そうした時に「謙虚さ」を出すことで「場の空気」をいうものを引き入れることになります
前に出ないことで、他者の興味が自分の方に引き寄せられるのですね
そうして、場の空気の醸成を待つことが肝要で、そこでは「物足りない」くらいの情報量で制限するというのが、効果的な心理的要因を生み出すことになると言えます
また、自分自身が比較対象を他人にしないことで、相手の中にある比較対象を変えていくことに繋がります
あの場面だと、トーマスとシグネのどちらの話に興味があるかというものではなく、シグネ自身の過去と現在を相手に比較させることで、さらなる興味を引き出すことに繋がります
自分に注目させることが上手い人間は、情報の制限をうまく利用して、自分に奥行きを持たせる演出をするのが上手いと言えます
なので、自分の話題になった時に最小限に露出を留めて、場の空気をトーマスに戻し、食い足りなさを演出することによって、ミステリアスな状況というものを意識させることに繋がっているいくことになるのですね
自己愛性パーソナリティ障害があっても、注目の持続性をコントロールすることで、その欲求を満たしつつ、場の空気を支配することができるようになります
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、違法薬物の副作用を利用してまで注目を浴びようとするシグネが描かれていて、その病的な承認欲求というものが描かれていきます
トーマスも盗難品をアートに組み込むことで注目を浴び、その代償を支払うことになっていました
これらの顛末は予期できるもので、当然の帰結を迎えていると言えます
あまりにも一般的な感覚から外れているのですが、誰にでも持ち合わせている感情であると言えます
本作では、注目の永続性という無理難題に挑むシグネが描かれていて、人の飽き性というものを理解していません
人の興味ほど移ろいやすいものはなく、その飽き性によって社会は動いていると言えます
一つの注目すべき題材があっても、現在はその拡散による爆発力の速さと比例して、次に向かう間隔というものも短くなっています
逆にじんわりと浸透していったものの方が、持続性が高いという感じになっていて、拡散ビッグバンを起こすことの意味は薄れていると言えます
エンタメの世界でも、何かしらの要因で一気にバズると続かず、じわじわと広がっていくものの方が広く拡散される傾向があります
SNSを中心としたバズるものは一過性のものが多く、それらの瞬間的ムーブメントに乗ることが戦略として正しいとは言えないのですね
この情報の拡散力は「認知」と「戦略」の二面性を持って利用され、情報投下のタイミングに長けるプロデューサーほど、効果的な継続性というものをコントロールしていけると考えられます
とは言え、SNSの拡散力は非コントール性の最たるもので、思わぬ拡散力によって、意図しない方向へと向かうことの方が多いように思います
これらを効果的に利用するためには、「質の高いものを持続的に生み出す」という、ごく当たり前のことが必要になっていきます
現在では、同等のクオリティをどれだけ繰り返されるかというものが必要になっていて、質の維持ができないと一発のバズリで終わってしまうのですね
なので、ファン及び支援者の予想を良い意味で超え続けられるかという命題があります
ファンの期待値をコントロールすることはできないので、常に自己研鑽で新しいものに挑戦し続け、ファンと共に成長していくという姿勢が必要になってきます
この地道なものの積み重ねと、過剰な拡散を抑えることで、ある程度は抑制しつつ、継続できるのではないでしょうか
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
https://klockworx-v.com/sickofmyself/