■好き嫌いはどっちでも良いけど、恋愛要素が必要だったのかすら微妙な展開でしたね
Contents
■オススメ度
ボーイミーツガール的な青春映画が好きな人(★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.5.29(T・JOY京都)
■映画情報
英題:My Oni Girl
情報:2024年、日本、112分、G
ジャンル:母を探す鬼の女の子を助ける引っ込み思案の少年を描いたファンタジー映画
監督:柴山智隆
脚本:柿原優子&柴山智隆
キャラデザ:横田匡史
キャスト:
小野賢章(八ッ瀬柊:頼みごとを断れない高校生)
富田美憂(ツムギ:母を探す鬼の少女)
日髙のり子(しおん:ツムギの母)
三上哲(いずる:ツムギの父)
田中美央(八ッ瀬幹雄:柊の父)
ゆきのさつき(八ッ瀬みくり:柊の母)
神戸光歩(八ッ瀬楓:柊の妹)
京田尚子(御前:陰の郷の長)
浅沼晋太郎(高橋竜二:フリマに向かう兄妹)
山根綺(高橋澪:フリマに向かう兄妹)
塩田朋子(山下志麻子:旅館「宝寿の湯」の女将)
斎藤志郎(山下直也:旅館「宝寿の湯」の旦那)
関幸司(番頭)
漆山ゆうき(仲居)
佐々木省三(谷本耀一:カフェのオーナー)
演者不明(谷本の娘)
小橋里美(はると:谷本の孫)
神戸光歩(田沢愛:彼氏役を頼むクラスメイト)
衣川里佳(あおい:愛の友人)
金田愛(とうこ:愛の友人)
玉井勇輝(ゆきむら:宿題借りるクラスメイト)
武田太一(さとし:宿題借りるクラスメイト)
高橋伸也(美術の先生)
藤高智大(古典の先生)
山根雅史(バスの運転手)
上西哲平(眞島:?)
天希かのん(栞:?)
大平あひる(芽衣:?)
陶山恵実里(葵:?)
宮島岳史(テレビキャスター)
宮崎遊(いさみ:郷の鬼)
佐伯美由紀(ふうこ:郷の鬼)
橘あんり(双子の母鬼)
観世智顕(あらた:郷の鬼)
草野太一(なぎさ:郷の鬼)
與那覇拓樹(あさひ:郷の鬼)
徳留慎乃佑(野球部後輩A)
照井悠希(野球部後輩B)
庄司更紗(さくら:ネコ?)
■映画の舞台
山形県:山形市&米沢市
山寺日枝神社
https://maps.app.goo.gl/Jo7k2wmpG8aHoR4P6?g_st=ic
陰の郷(架空)
小野川温泉(宝寿の湯)
https://maps.app.goo.gl/Hu7uxnfWEWx5555c6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
人に嫌われるのが嫌いな高校生の柊は、人の頼み事を断れず、何でも引き受けて損な役回りをするばかりだった
ある日、バス停にて困っている少女・ツムギを助けた柊は彼女を自宅に迎えた
食事を終えた頃、進路の話で父と険悪になった柊は、そのまま部屋へと閉じこもってしまう
何にでも口出しする父に我慢がならない柊は、密かに鬱憤を溜めていて、その日は彼の体から泡のようなものが放出し始めた
泡は次第に多くなり、さらにその泡に向かって龍のような生き物がやってきて、柊はそれに捕まってしまう
危機を察知したツムギは彼を救い出し、自身の正体が鬼であること、母親を探す旅に出ていることを告げる
そこで柊は、彼女の目的のために、彼女の母がいるとされる神社に同行することになったのである
テーマ:親の務め
裏テーマ:子の自立
■ひとこと感想
スケジュールがぽっかり空いたところに、何の下調べもせずに鑑賞
鬼と遭遇する少年ということで、ボーイミーツガール的なファンタジーだと思っていました
その予感は的中で、訳あり少女を助ける展開の中で、自分自身の抱えてる問題が噴出する、という流れになっていました
自分の言いたいことを押さえ込むと泡が出てきて、それは小鬼と呼ばれていましたね
それを食べる龍のような存在いて、溜めすぎると鬼になると言われていました
でも、食べられたらどうなるかとか、そのあたりの設定があまりよく分かりませんでした
映画は、分かりやすい親子関係の修復というものを描いていて、ツムギは母が不在の理由を知り、柊は父親に自分の思いを告げるに至ります
パンフレットがないのが残念で、どの声優さんがどのキャラを演じているかなどはマニア以外には分かりません
せめて、主要キャストだけでも公式HPで解説してくれていたら良いのですが、カフェのマスターは載っているのに、その娘が載っていないとか、鬼の里で活躍する鬼たちも誰が誰だか分かりません
エンドロールのキャスト欄もクレジット順になっていて、それを埋めていくのは至難の業のように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作のネタバレ要素といえば、母親がどこにいてどんな存在かというところなのですが、実にあっさりとしたもので、それを秘密にする理由はあまり伝わりませんでした
鬼の世界を守るために犠牲になっているのだと思いますが、それは隠すことではなく、誇ることのように思います
映画は、最後に取ってつけたようにラブコメ要素がありましたが、そもそも人間と鬼なので、住む世界が違うように思います
泡を食う龍なども既視感満載の感じで、食べられた柊が何らかの力で光輝いて、それに反応した龍が苦しがって、不時着したのが鬼の村というのは、シナリオ上の都合とは言え、結構ざっくりしているなあと思いました
柊の父も何度も登場する割には扱いが悪く、単に物語の場面転換を促すだけのキャラになっていましたね
とにかく映画内でお互いを呼び合わないので、キャラの名前がほとんどわからない作品になっていました
後付けで設定がたくさん盛り込まれていってしまう流れと言い、あまり練られたシナリオではなかったように思えました
■ボーイミーツガールだったの?
本作は、若い男女が偶然出会い、その中で恋心が芽生えると言う「ボーイ・ミーツ・ガール」系の映画になっています
冒頭では、人から嫌われることを恐れる柊が描かれ、その一環としてツムギを助けることになっていました
この段階で「?」と言う感じになっていて、それは柊にとってのツムギは、自分の青春に関与しない、赤の他人だからなのですね
受動的な主人公が能動的に他人を助けにいくと言う段階でキャラ設定がおかしなことになっているのですが、それを指摘しただけでは終わらない話になっています
映画では、ツムギの強引さに引っ張られる形になっていますが、小鬼の出現によって、柊は旅に同行せざるを得なくなっています
自分から出た小鬼の正体を知るのはツムギだけなので、その謎を追っていくことになるのですね
この時点では、柊の中にあるツムギへの感情は無いに等しい感じになっています
この手の若者の恋愛映画では、出会いに何らかの感情を有し、それを否定する中で育っていく感情と向き合うと言うものが必要になってきます
でも、本作では微塵もそれらの感情もエピソードもないまま進み、単なる冒険ファンタジーになっていました
恋愛要素なしの冒険譚も面白いと思うし、今回の旅もそれで終われば良かったと思います
でも、ラストで唐突に描かれる恋愛要素が謎で、何か見落としたのかなと思うほどに意味がわかりませんでした
そもそも人から嫌われるのを怖がると言うタイプの人間が変わろうとする物語でもなく、単に「人の世話付きの一環」で巻き込まれているだけなのですね
もう少し冒険に対する能動的な行動理由が必要で、わかりやすく「ツムギに一目惚れをして、その弱みのまま惰性でついていっている」ぐらいの方が良かったように思えます
ツムギに格好良いところを見せようと奮闘するとか、少しでも彼女のことを知りたくて同行すると言う本音の部分があって、それによってツムギのミッションがクリアされる
冒険の褒章をどこまで描くかは何とも言えませんが、同行する中でツムギの心情が変化し、彼女にだけ見える柊の男らしさのようなものが描かれれば、ラストにスムーズに繋がったように思えました
■勝手にスクリプトドクター
本作は、母親を探す旅に出ている少女を助けると言うもので、その起点としては「小鬼」と言う謎の物体が見えたことになっています
柊はツムギならその答えを知っていると感じていて、そこで同行を決意するのですが、実際には「家族のもとを離れたい」と言う願望がありました
父親から威圧的にあれこれ言われることを嫌っていて、それに反発できない自分と言うものを抱えています
彼に強烈な動機があれば父親と対決できるものの、彼にはそれがなかったことがわかります
映画では、ツムギを助けると言う一方的な動機を見つけ出し、それを父親への反発の材料にしていました
それゆえに「父が柊の行動から彼の本質を知ることになるのか」と言うのは命題になるはずですが、そのあたりはざっくりとしたまま終わっていましたね
この旅は、柊にとっては「目的ある行動は父の思惑を壊す」と言うものになるはずで、柊が何をしようとしているのかを父が知って、それをどのようにこなしたのか、と言うのは必要不可欠だったと思います
でも、運転手レベルの雑な扱いになっていて、柊が何を成して、どう成長したのかを父が見届けていないのはナンセンスだったように思えました
これとは逆に、ツムギの方の命題は「母親の行動理念を知る」と言うことで、こちらの方は「みんなのために犠牲になっていた」と言うことが明示されます
でも、それをツムギに知らせなかった理由はわからず、母親の行動を評価できても、ツムギにはその行動の尊さと言うものが伝わっていないように思えました
鬼の郷を守るために犠牲になっているのですが、それが母である理由(能力が高い、血筋である)などがわからず、龍が暴れていることが何かの予兆であるのかとか、それがどうして暴れ出したのかなどが見えてこないのですね
そのあたりをスッキリさせるなら、ツムギが幼少期に時に知らずに封印を解いたとか、そのために母親が犠牲になる必要があるなどのわかりやすさがあった方が良いと思います
また、封印していた龍が外界に出たのも、解かれたからではなく、人間界における餌のようなものが社会情勢によって、多く溢れるようになったとかもありでしょう
人間界の小鬼の存在が多くなり、龍が封印の中で感知、出るために暴れているところを幼少期のツムギの行動で逃げ出してしまう
それを知った郷の長たちは対策を講じ、その中で原因であるツムギの母が自らを犠牲にして儀式に入る、と言うものでしょう
そして、それらの流れを知ったツムギは、その役割は母ではなく自分であると認識し、母と一緒に龍を封じ込める、と言うのが一般的でわかりやすいシナリオになると思います
ここまでベターなものを作ってもどうかと思いますが、本作の設定の作り込みだと、このあたりが限界でしょうね
あとは、ツムギに惹かれる柊として、「実は鬼とのハーフなんて設定」も考えられないことはありませんが、そこまで込み入った話になると、120分では収まらないと思います
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作のタイトルは『好きでも嫌いなあまのじゃく』と言うもので、どういう回収をするのかなあと思っていました
好き嫌いの感情が柊とツムギの間にあってこそ意味があるのですが、恋愛的な要素は最後の最後で「実は」と言う感じになっていて、本編では恋愛要素が全くないのは唖然としてしまいました
これじゃあ、好きも嫌いもないやんと思いながら見ていて、どちらか一方に恋心が芽生えてくると言う隙間もほとんどない展開になっていましたね
小鬼に襲われる、鬼の郷がヤバいと言っている中で、相手のことが好きだから云々と言う話にもならず、唯一恋バナになりそうだったのがヒッチハイク兄妹のところだったように思います
この時、ツムギは二人が今はうまくいっていない恋人同士だと思っていて、その思いを相手に伝えなければならないと言う感じに動いていました
そこで二人が思いを話し合い、妹の方の本音と言うものを兄が汲み取ることになりました
この二人の会話は単なる「小鬼が生まれる過程の説明」のようなものでしたが、柊のエピソードで既に終わっているのであんまり意味がなかったりします
そもそも恋人同士だと誤認させる意味はほとんどなく、二人のやり取りから柊とツムギが恋愛を意識すると言うこともなかったように思えました
あまのじゃくと言う言葉は「表面と内面が違う」ことを表しているので、恋愛感情がないように関係を深めていって、実はゾッコンだったみたいな展開になりがちのように思えます
でも、この構図になりそうなのは、柊がツムギに心を奪われていると言う関係性の方だと思うのですね
なので、ラストで実はツムギの方にその気があったと言われても、それを汲み取れと言うのは無茶じゃないかと思ってしまいます
それにしても、なんでパンフレット作らなかったのでしょうねえ
わからないところを色々と補完したかったし、設定とか、イラストボードとか見たかったので残念でなりません
採算が合わないと判断されたのかはわかりませんが、色々と作り込んだものが残っていかないのは寂しく思えて仕方ありません
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101426/review/03866699/
公式HP:
https://www.amanojaku-movie.com/