■幸福と一緒に訪れる苦痛の正体に、あなたは気づいているだろうか
Contents
■オススメ度
LGBTQ+系の映画に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.12.20(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Croce e delizia(直訳すると「十字架と喜び」と言う意味、イタリアの慣用句で「徹夜して読書する人」という意味がある)、英題:An Almost Ordinary Summer(「いつもの夏」と言う意味)
情報:2019年、イタリア、100分、PG12
ジャンル:高齢の父のカミングアウトによって乱れる家族を描いたヒューマンコメディドラマ
監督:シモーネ・ゴダノ
脚本:ジュリア・シュタイガーヴァルト
キャスト:
アレッサンドロ・ガスマン/Alessandro Gassmann(カルロ:妻を亡くした漁師)
ファブリッツィオ・ベンティヴォリオ/Fabrizio Bentivoglio(トニ:バイセクシャルとしてカルロと婚約する美術商)
ジャスミン・トリンカ/Jasmine Trinca(ペネロペ:トニとジュリエッタの娘、保育所の所長、父の同性婚に反対する)
アンナ・ガリエナ/Anna Galiena(ジュリエッタ:トニの元妻、ペネロペの母)
クララ・ポンソ/Clara Ponsot(オリヴィア:トニの娘、ペネロペの異母妹、有名女優)
Olivia Godano(エロディ:オリヴィアの娘)
ルネッタ・サヴィーノ/Lunetta Savino(イーダ:トニの妹)
ジャンドメニコ・クパイオーロ/Giandomenico Cupaiuolo(ジャンルコーネ:イーダの恋人)
フィリッポ・シッキターノ/Filippo Scicchitano(サンドロ:カルロの息子、父の同性婚を許容できない)
ローザ・リレッタ・ロッシ/Rosa Diletta Rossi(カロリーナ:サンドロの妻、妊婦)
Fabio Bizzarro(アダム:サンドロとカロリーナの息子)
Davide Santoro(ディアゴ:年の離れたサンドロの弟、カルロの息子)
■映画の舞台
イタリア:ラツィオ州
ガエータ/Gaeta
https://maps.app.goo.gl/Wc4V2qEiQeVaFcR68?g_st=ic
ロケ地:
イタリア:ラツィオ州
ガエータ/Gaeta
イタリア:ラティーナ州
フォルミア/Formia
https://maps.app.goo.gl/2iZRPB7XPUMftB2k8?g_st=ic
イタリア:ローマ
■簡単なあらすじ
美術商として成功してきたトニは、ある発表をするために家族をバカンスへと招待した
そこに集ったのは、前妻ジュリエッタと彼女との娘ペネロペ、ペネロペの異母妹のオリヴィアとその娘エロディ
そして、トニの妹イーダは彼氏のジャンルコーネを連れてくる
そこは地中海を臨むロケーションで、トニの「ある発表」とは、漁師のカルロと同性婚をすると言うものだった
突然の父のカミングアウトに戸惑いを見せたのはペネロペだけでなく、カルロとともに訪れた彼の息子サンドロも同様だった
カルロにはまだ幼い息子ディエゴがいて、子育てをどうするのかなど、父の暴走を見かねていた
しかも、数日後にはこの地で結婚式を挙げると言い出し、そこで反対派のペネロペはサンドロを巻き込んで二人の関係を悪化させようと目論む
だが、反対派の工作は浮き足立って上手くいかず、同性愛に無理解であることで孤立していく
また、ペネロペは個人的に父との諍いを抱えていて、それも噴出し始めるのであった
テーマ:同性愛と嫌悪感
裏テーマ:ソウルメイト
■ひとこと感想
高齢のおじいちゃんが中年のおっさんといきなり結婚すると言う物語で、それに戸惑う家族たちのてんやわんやが描かれていました
反対というよりも許容できないペネロペが破壊工作を敢行し、それにサンドロが巻き込まれていきます
サンドロとしても同性婚には不快感がありますが、裏工作には抵抗がありました
元々、親子の仲が悪かったところに、その仲違いの原因が増長するような出来事が舞い込みます
サンドロも「母とは何だったのか?」と疑問を呈し、それに対してカルロは「妻の死の後に本当の理解者と出会った」と言います
これらの流れはLGBTQ+への寛容さであるとか、親子の絆の修復などが盛り込まれていて、悲壮感のないロケーションで多くのことが描かれていきます
結構「ハッとさせられるセリフ」とかもありますので、鋭いところにメスを入れたなあと思いました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
ペネロペは独身でプライベートも上手く行っておらず、保育所の所長として子どもと接する機会は多いキャラクターでした
異母妹のオリヴィアは有名で美しい女優さんで、チヤホヤされる妹の陰で地味で苦渋な生活を送っていたように思えてきます
オリヴィアには娘のエロディもいて、全方面で負けている感がありました
その根幹となるのが、父の愛を受けてこなかったことと言うように結ばれていて、トニが仕事一辺倒で子どもを構わなかったという面が描かれていました
相手となるカルロは海の男で、息子サンドロとともに命懸けで生きています
カルロの妻は病死した設定になっていて、その心の穴を埋めたのがトニだったと語ります
そこでカルロは「相手がたまたま男性だった」と言い、「不快に感じるのは感じる側の問題だ」と言い切ってしまいます
同性愛に関しては、自身はその趣味はないので迫られたら困りますが、家族や知り合いにそういう人がいても別に気になりません
彼らの行為を不快に感じるかは微妙なところですが、人前でOKなコミュニケーションなら問題ないと考えています
■同性愛に嫌悪感を覚える理由
同性愛者を嫌悪することをホモフォビア(Homophobia)と言い、同性愛者に対する差別・偏見・拒絶・恐怖感・嫌悪感などの総称で、宗教的な教義に基づいた否定的な価値観のことを意味します
1960年代にジョージ・ワインバーグ(George Weinberg)によってこの言葉が作られましたが、ホモセクシャルにギリシア語の恐怖を表す「フォボス(φόβος)」が組み合わさったものでした
これらは生理的なものから、制度的なものまで多岐にわたります
制度的な例を挙げると、「キリスト教における聖書」「イスラム教のシャリア」などが主だったものになります
新約聖書の「レビ記、18章、22節」に「憎むべきもの」という記述があったり、ソドムとゴモラの物語は「同性愛への非難」と捉えられることが一般的です
イスラム教では、シャリアによって「法の下で犯罪」とされ、ほとんどのイスラム教国で同じように扱われています
一部のイスラム教国では死刑の適用で、イランではこれまでに4000人もの人が処刑されていたりします
ホモフォビアの問題は、その批判がどこから来ているかというところで、制度的な批判や教育的批判というものもあれば、単純に生理的に無理というものまで多岐にわたります
映画の中だと、サンドロは生理的に無理(同性愛者ではないから)で、ペネロペは同性愛者の娘と見られるのを嫌がるという感じに描かれていました
特にペネロペは自分の寵愛のなさが絡むややこしいもので、自分を愛さないのにカルロは愛するのかとか、様々な感情が入り混じっていました
その中には、自分が不幸だから、幸せそうな父を見て不快感が募ったというものもあります
映画では「宗教的」というところは描かれていなくて、それは彼らがイスラム教圏ではないから、であると言えます
なので、単に宗教的な側面とか、制度的なものではない「同性愛への嫌悪」というものを主軸に物語を組み立てていました
もっとも、人が感じる「同性愛嫌悪」の出自は「自分とは違う感覚を有するものへの恐怖」から来ていると思うので、その「人」の立場(宗教家、権力者)によって、それが制度的なものへと移行していった可能性はあります
それを考えると、現在のLGBTQ+の動きなどは、「声上げる人」の資質によって、反対勢力が生まれる、という構図になっていると思えます
■ふたつの家庭で起こったこと
映画では「裕福なトニ一家」と「中流の労働者階級カルロ」の対比がありますが、それが格差的な問題を生み出すまでには至っていません
でも、父が裕福だったことが子どもに影響を与えていて、その代表格がペネロペだったと言えます
ペネロペは美術商を継ぐことなく保育所の所長をしているのですが、世襲できない職業であるという特性がありました
美術に関する知識、鑑定眼、人脈や振る舞いなど、そのどれもがペネロペが欲する世界とは違っていたように思えます
彼女が保育所所長をしている経緯はわかりませんが、結婚には縁がないけど子どもは好きなのかなと思います
でも、保育士ではなく所長という「少しだけ子どもと距離のある地位」というものが微妙な心理状態を表していました
対するカルロは漁師一家で、親の背中を見て育って、その跡を継ぐという職人家庭なのですね
サンドロは父から技術を学んでいる最中で、今は卸の方を専門にサポートしています
カルロ自身が「自分は死ぬまで現役」と考えているタイプで、卸を息子に任せているのは、「金勘定は苦手だけど、釣るのは好き」という属性があるからだと思います
ある意味、自由で力強く、このキャラはトニが出会うことのないタイプの人間だったと言えます
この映画では、価値観の違う二つの家族を登場させて、同性婚嫌悪がどちらの家族にも生まれる様子を描きます
でも、その嫌悪から行動に移すところに熱量の差があるのですね
それが「その人物と父の関係性」というパーソナルな部分に特化して描かれています
サンドロは自分にはない特性なので理解ができないというスタンスですが、ペネロペは自分に向けられた羞恥のように感じているし、そもそもが幸せそうな父が許せないという歪んだ感情に支配されています
なので、サンドロは早々に降りることになりますが、ペネロペの固執はもう少し続いてしまうのですね
それらが飽和する瞬間というのが、「他人の幸せの邪魔をすることがいかに愚かであるか」ということを自認する瞬間となっていました
自分の思惑が成功しても、本人の落胆、周囲からの嫌悪を受けてまで貫くものだったのか
それでも、ペネロペには自分が嫌われても許せないという感情が先張っていたように思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作の原題は『Croce e delizia』で、直訳すると「十字架と喜び」という意味になります
ですが、イタリアの慣用句表現として、「徹夜してまで本を読む習慣」という意味があるのですね
転じて、「好きなことに夢中になって時間を忘れる」という意味になります
また、「強烈な幸福と組み合わされた痛み」という意味があり、これがイタリアでの慣用表現として長く使われています
この映画にこのタイトルが使われたのは、ひとえに「それぞれの感情」を意味していて、人に理解されない「幸福と苦痛の同居」という意味合いで使われていました
この映画の主人公はペネロペで、彼女が父の同性婚に寛容になれるかという流れがメインになっていて、その解消は「同性愛嫌悪」が原因ではなく、父と娘の個人の感情のもつれであると紡いでいきます
そうして、父の幸福を祝いたいはずなのに、どうして自分は苦しいのかと悩んでいくのですね
その感情が幼少期の父との関わりであることが呼び起こされ、ペネロペ自身が「トニのとっての幸福と苦痛になっている」という構成がありました
ペネロペ自身は娘として、不遇に思えた少女時代を過ごし、父は自由に別の女性と結婚して義理の妹が生まれるし、その妹は周囲からチヤホヤされる疎ましい存在だったりします
人生の何もかもが父の行動によって荒らされてきたと感じているペネロペは、これまでの人生の「父の行動」に感情的に振り回されてきた存在であると言えます
映画のラストでカルロが「同性愛を不快に思うのは、受け手側の感情だ」と言い、それは同時に「受け手の感情を私は変えることができない」という意味を持ちます
これはペネロペとトニの関係性でも同様で、不遇だと感じているペネロペの心理をトニはどんなことをしても変えることができないところに通じています
タイトルにあるように、「幸福に痛みが同居する」というのは、人生には「喜怒哀楽があって、一方面だけの人生はない」という意味に通じます
邦題もこのテイストを準えられた『泣いたり笑ったり』というものになっていて、原題の意味とドラマの内容を理解していれば、その深みを知ることができます
映画は「同性愛」に関わることから、人生の教訓まで込められた作品で、イタリアの開放的なロケーションも相まって、軽やかに観られる良作であると思います
なかなかイタリア映画を観る機会はないと思いますが、配信などで見かけたらチェックしてみてはいかがでしょうか
エンドロールも含めて、多幸感に包まれる映画になっていましたね
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/376861/review/1f12d0b1-cdad-42a8-86bb-862399e58241/
公式HP:
https://mimosafilms.com/naitari/