■怒りというのは、その人のこだわりを表しながら、その弱さのバロメーターにもなっていると思う


■オススメ度

 

社会的な疎外感から生きづらさを感じる青春を描いた作品に興味のある人(★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.11.19(京都シネマ)


■映画情報

 

情報:2022年、日本、112分、PG12

ジャンル:フィリピン人を母に持つ青年の生きづらさを描いた青春映画

 

監督&脚本:飯塚花笑

 

キャスト:

塚家一希(渡辺純悟:ザッピーナと呼ばれる自分の出自に悩む高校生)

 (幼少期:佐田佑慈

ガウ(渡辺レイナ/リサ:フィリピンパブに勤める純悟の母)

 

岩谷健司(渡辺哲司:昔のレイナを知るタクシードライバー)

沼尻紗和(渡辺愛美:哲司の娘)

田村悠翔(渡辺翼:哲司の息子)

 

篠原雅史(金子優助:純悟の恋人、高校生)

宮前隆行(金子透:優助の父、ボウリング店経営)

田村菜穂(金子洋子:優助の母)

藤田あまね(金子鈴花:優助の妹、長女)

鈴木咲莉(金子優花:優助の妹、次女)

 

高野恭子(橋下時子:ボウリング場の店員)

 

村山朋果(佐々木里奈:優助と純悟のクラスメイト)

木村鈴香(細木美波:純悟たちのクラスメイト)

天満夕歌(宮田優里:純悟たちのクラスメイト)

 

森下信浩(森下信浩:レイナの再婚相手)

長尾卓麿(レイナの務めるフィリピンパブの黒服)

加藤亮佑(大里亮介:レイナの元勤務先のパブの店員)

 

橘芳美(元木静香:純悟の父を知る女性、和菓子屋の店員)

中田喜之(元木:純悟の本当の父親)

小野孝弘(和菓子屋の店主)

 

竹下かおり(シスター:純悟が通う教会のシスター)

 

関幸治(役所の福祉の窓口係)

 

山田真理子(担任の先生)

 

松永拓野(中学時代のいじめっ子)

新大悟(中学時代のいじめっ子)

 

花垣秀美(フィリピンパブ嬢)

テレシータ・シュクハラ(フィリピンパブ嬢)

ジュリアン・フクシマ(フィリピンパブ嬢)

ジュリエット・シダ(フィリピンパブ嬢)

セシル・カワムラ(フィリピンパブ嬢)

マリカ・フクシマ(フィリピンパブ嬢)

 


■映画の舞台

 

群馬県:太田市

https://maps.app.goo.gl/1pfDpajLMgWAw1QDA?g_st=ic

 

群馬県:高崎市

https://maps.app.goo.gl/BLeYBnNTdeUW5anGA?g_st=ic

 

ロケ地:

群馬県:安中市

新島学園中学校・高等学校

https://maps.app.goo.gl/ygxsXuGrVzBtCSY6A?g_st=ic

 

群馬県:藤岡市

藤岡ボウル

https://maps.app.goo.gl/wuknvfwFLg6L4eJM7?g_st=ic

 

群馬県:高崎市

ナイトパブ高崎

https://maps.app.goo.gl/VhPKyWDPMTGso1h18?g_st=ic

 

群馬県:邑楽郡

Restaurant Big Beef

https://maps.app.goo.gl/LznKRAYUNzDaCH2i7?g_st=ic

 

群馬県:高崎市

九重ねぼけ堂

https://maps.app.goo.gl/2p94bn7YB98uDRXf9?g_st=ic

 

群馬県:佐波郡

福嶋屋

https://maps.app.goo.gl/ypzF8CW4MfxJBdyi7?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

フィリピン人の母に育てられたハーフの純悟は、ことあるごとに母とぶつかり喧嘩になってしまう

父のことは教えてもらえず、交際相手との関係も自分の出自を気にして前に進めなかった

 

ある日、交際相手の優助から、二人の未来について真剣に考えようと言われた純悟だったが、頭の中はゴチャゴチャでとてもそんな余裕などなかった

優助は「真剣に考えてくれないなら別れる」と言い出して、彼の元を去ってしまう

 

途方に暮れる優助だったが、自分のルーツを探るべく、母の勤め先や彼女の荷物から手掛かりを探し始める

そうした先で、タクシーの運転手が夫という情報を得た純悟は、そのタクシー会社に行くものの、男は結婚は日本にいるための偽装結婚で、本当の父親ではないと言われるのである

 

テーマ:不安定の起因

裏テーマ:与えられた愛と欲しかった愛の違い

 


■ひとこと感想

 

ほとんど情報を仕入れずに、LGBTQ+の映画だと思って参戦

良い意味で濃厚な内容になっていて、複雑すぎるパーソナリティが抱える普遍的な苦悩というのが描かれていました

 

フィリピン人と日本人のハーフである純悟は「ジャッピーノ」と呼ばれた少年期があり、自分自身のアイデンティティが不安定な青春時代に突入しています

副題にあるように、「ずっと怒っている純悟」ですが、自分の怒りが収まるのが「母が笑顔でいる時」という共通点がありました

 

彼は写真を趣味にしていますが、その被写体は恋人でもなく母親というところにいじらしさを感じます

かなりの小規模公開で、京都でも一日一回二週間限定というのは少し寂しい限りですね

スケジュールにピタッとハマったことが奇跡のような映画でした

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

副題を見た時、これは母親視点の物語なのかなと思っていました

でも、映画本編はほぼ純悟の一人称に近い感じになっていましたね

世界に気づいて欲しかったのが怒りではないはずで、気づいてもらうために必要なのが怒りということになるのかもしれません

 

純悟にとっての世界は、半径5メートルぐらいのもので、言わば「母が世界のほとんど」という感覚に近いと思います

キツい言葉をぶつけても、そこから逃れられず、純悟自身が自分が受け取りたいものを受け取れる状況にない、というシーンが延々と続きます

 

一見すればかなり重くてしんどい内容なのですが、レイナの再婚相手とかタクシードライバーたちの存在がアクセントになってユーモアが挿入されていたのは良かったと思います

 

純悟は母親のことがとても好きで、特に笑顔が好きなんだと思います

彼がカメラを向けるのは、いつも母の機嫌の良い時で、そうしてしまう理由は彼にとっての至福が自分の行動によって壊してしまっているという自覚があるからなのかな、と感じました

 


外国人出稼ぎ労働者の現状

 

厚生労働省のまとめによりますと、令和3年10月末現在の外国人雇用は、172万7221人で、前年比2893人増加、平成19年の届出義務化以来最高を更新した、とされています

外国人雇用事業所数は28万5080箇所で、こちらも前年比1万7837箇所増となっています

国籍別では、ベトナム人が約45万人、中国人が約38万人、フィリピン人が約19万人となっています

在留資格の内訳は、「特定活動」が6万5928人、「専門・技術分野の在留資格」が39万4509人、「身分に基づく在留資格」が58万328人、「技能実習」が35万1788人、「資格外活動のうちの留学」は26万7594人となっています

 

「特定活動」とは、「日本に在留する外国人、またはこれから入国して就職したい外国人に対して、出入国管理庁が許可する在留資格」のことを言い、「在留カードには『指定書により指定された就労活動のみ可』と記載」されています

「特定活動」の中には、「技能実習」「EPA(経済連携協定=Economic Partnership Agreement、特定の国や地域のこと)に基づく外国人看護師」「介護福祉士候補者」「外交官などに雇用される家事使用人」「ワーキングホリデー(2国間協定に基づく、青年の異文化交流を目的としたもので、その期間の滞在資金を補うための就労のこと)」などが含まれています

「専門・技術分野の在留資格」とは、「産業及び国民生活に与える影響を総合的に勘案して個々の職種ごとに決定」されるもので、「高度な専門技術」「大卒ホワイトカラー、技術者」「外国人特有又は特殊な能力等を活かした就職」に大別されています

「身分に基づく在留資格」とは、「定住者(主に日系人)」「永住者」「日本人の配偶者」などを言い、これらの在留資格は「活動に制限がない」という特徴があります

 

レイナが渡辺と交わした偽装結婚は「身分に基づく在留資格」を得るためのもので、フィリピンパブで働きに来た当初は「興行ビザ」や「短期滞在ビザ」によって日本に入国しています

その後、客として来た渡辺に話を持ちかけて、「身分に基づく在留資格」というものを得たという流れになっていますね

純悟の父親は元木という人物で、映画の後半で元木が純悟を認知していたことがわかり、純悟は日本人としての戸籍があることがわかります

18歳になるまでの養育費を妻・静香経由で受け取っていた純悟は、その資金に手をつけることなく、最終的には母に渡そうと考えていました

でも、レイナは母親であるプライドがあるので、生活費に関しては自分で稼ぐと決めていました

 

元木の養育費は、おそらくは純悟の大学への準備金という名目になりますが、純悟は「就職すること」を選びます

これは、優助との世帯を持つために自分で決めたことで、元木の養育費というのは「いざと言うときの蓄え」になるのでしょう

優助自身の就学に関する費用は、優助本人がバイトをするか、彼の父が出すものだと推測されますね

 


愛が交錯する理由

 

この映画では「愛し合っている母子が衝突」し、「愛し合っているパートナー同士が衝突」すると言う内容になっています

母と子の諍いに関しては、純悟の出自の不明瞭さが苛立ちとなっていて、彼に送られてくる謎のお金の主と言うものに興味を持ちます

と言うのも、純悟の名前は「渡辺」なのに、「元木」という謎の人物からの送金があるのですから、子ども心にも説明が欲しくなるのは当然のことだと思います

レイナが父親のことを隠している理由は分かりませんが、おそらくは「相手に迷惑がかかる」という考えだったのかもしれませんし、二人の父親(特に偽装結婚)について知られたくないと考えたのでしょう

法律上はセーフだとしても、倫理的にはアウトの案件になっていますので、それに対して純悟がどう思うかと言うのは想像に難くありません

 

この出自を隠すと言うレイナの行動は、「純悟にとっての障壁」になっていて、それが高くて分厚いほど「登りたくなる」と言うのは普通のことだと思います

特にレイナは一切耳を貸そうとしないスタイルで、それによって衝突が起こっています

純悟にとっては、自分自身が「望まれて生まれて来たのか」と言う疑問があって、それがアイデンティティを揺るがす事態になっています

レイナはそれを汲み取れていないので、純悟との交錯が置き、愛があっても理解されないと言う状況を生み出していました

これの解消方法は一つしかなく、レイナ自身が「純悟の立場に立って、自分が愛されていると感じるかどうか」について考えることしかありません

 

純悟と優助の諍いの原因は、二人の時間感覚がズレていることが要因でしょう

純悟は母との関係において「過去」にフォーカスしていて、優助自身は「二人の未来」にフォーカスをしています

純悟の悩みは優助にシェアされていないので、優助自身も「なぜ、純悟が二人の未来について考えていないのかわからない」という感じになっていました

この解消については、「純悟が過去へのこだわりを無くす」という前提があるので、優助側がもう少し純悟に寄り添う必要があるのかもしれません

でも、純悟も優助の感情や考えに聞く耳を持っていない状態だったので、母と同じことをしていると言えます

 

この二人の関係性において、優助が歩み寄る必要性がありますが、純悟自身も「なぜ、優助が未来のことを考えているのか」について考える必要があります

優助から見れば、「心は過去、体は今」みたいに映っているので、「単にセックスしたいだけなのか」という言葉になるのは当たり前のことなんだと思います

 

これらの愛の交錯の多くは、お互いの思考の時間軸を共有していないことが多くて、「何について考えているか」という内容にフォーカスするよりも、「どの時間軸にフォーカスしているのか」を見て行く方が良いと思います

優助のこだわりが二人の未来であり、純悟のこだわりが自分の過去であり、レイナのこだわりは生きていく今というふうに、三つの時間軸に重点を置いているので、その構図を理解することで、違った見方ができると言えるのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画のタイトルは『世界は僕らに気づかない』なのですが、個人的な感覚だと、主要3人の世界というのは「愛の対象である相手」が多くの部分を占めていると言えます

純悟にとっての世界は、「自分の出自、母からの愛」に特化されています

優助にとっての世界は、「純悟との未来、純悟への愛」に特化されていましたね

そして、レイナにとっての世界は、「純悟を大人に育てるためにもがく現実」という感じになっていて、彼女は「自分の過去」にはほとんどこだわりを見せていません

それは、今をどう生きるかということに必死で、フィリピンから出稼ぎに来たことを今悩んでも仕方ないからだと思います

 

レイナは「国に仕送りをするため」というのが第一義になっていて、純悟はそれも「自分が愛されていない要因の一つ」だと感じています

自分たちの生活よりも母国の家族の方が大事となると、一緒に暮らしている身からすれば意味がわからないのは当然のことだと思います

そうしたものが積み重なっていく中で、「レイナの愛が説得力を失っている状態」になっていて、それを本人は気づけていません

客観的に見ると、「言っていることとやっていることが違う」という問題なのですが、そもそもがレイナが日本にいる目的というものが「純悟と暮らすためではない」というところに断絶を生んでいるのですね

なので、レイナ自身が「純悟に対してフィリピンとは何か」というものを教えてあげないとダメなんだと思います

 

一番良い方法は純悟をフィリピンの家族に会わせることですが、その資金も余裕もなく、レイナ自身が純悟にフィリピンのことをほとんど話していないことも原因の一つでしょう

彼女がなぜ話さないのかはわかりませんが、おそらくは「言ってもわからない」と考えていて、それは裏を返せば「純悟を信用していない」というところに繋がっています

前述の父親の件にしてもそうですが、レイナは純悟に対して開示しているものが少なすぎるので、ある程度大人になっていろんなことことを理解し始めている純悟のことを考えるならば、「話すべき時が来た」と言えるのではないでしょうか

 

映画のラストでは、純悟が過去の自分のそばに寄り添って、そして「授業参観に恋人を連れてくる母」に対して憤っていることについて宥めていました

あの場面で何が語られたかはわかりませんが、個人的な感覚だと「母親は愛に不器用で、生きていくために必死なんだ」ということなのかなと思いました

純悟が欲しい愛の形をレイナは見つけられていなかったのですが、純悟が精神的に成長することによって、その空白というものを埋めていきます

そして、純悟にそれができるようになったのが「人生に覚悟を持ったから」だと言えます

 

母は日本にくる時に「覚悟」を決めていて、それは「自分の子どもから軽蔑されようが、嫌われようが貫く」というものでした

その母の感覚が純悟には理解できず、周りの親と比較する中で飢えてきたのだと思います

そうしたものがどうして起こっているのかというのは、大人になってから見えてくるものですが、実際には完全に同化することは不可能だと思います

日本人同士の親子でも、両親の苦悩というものは共有されず、それを開示しないことが「親としてのプライド」というところに集約されがちかなと思います

でも、その詳細を知らなくても、本気で生きている人の熱量というものは少なからずわかるので、子どもというのはそれを鋭敏に受けてめて生きていく存在なのかもしれません

このあたりの鋭敏さというのは個々のものではありますが、個人的な話だと「3人の子どもを一人で育てた親の苦労」に対しても、3兄弟妹による捉え方であるとか、その後の行動というものは随分と違います

でも、同じ視点で物事を見ろというのはほとんど意味がないので、個々の鋭敏さは「そのまま人生の成果に繋がるという残酷さがある」ということは肝に銘じておいた方が良いと言えるのではないでしょうか

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/383472/review/51cdc700-c99f-4414-8293-1cae07673fe8/

 

公式HP:

https://sekaboku.lespros.co.jp/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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