■子どもの良くない行動は、親が見せた他愛のない行動によって培われている
Contents
■オススメ度
ナチス系映画に興味がある人(★★★)
人道支援について考えたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.8.21(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Når befrielsen kommer(解放が来るとき)、英題:Before It Ends(終わりが来る前に)
情報:2023年、デンマーク、101分、G
ジャンル:ドイツ難民を受け入れさせられた大学長家族の葛藤を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:アンダース・ウォルター
キャスト:
ピルウ・アスベック/Pilou Asbæk(ヤコブ/Jacob:難民の受け入れさせられる大学の学長)
ラッセ・ピーター・ラッセン/Lasse Peter Larsen(セアン/Søren:ヤコブの息子、小学生)
カトリーヌ・グライス=ローゼンタール/Katrine Greis-Rosenthal(リス/Lis:ヤコブの妻)
Elinor Kongstad(フリーダ/Frida:セアンの妹)
【デンマーク人】
モルテン・ヒー・アンデルセン/Morten Hee Andersen(ビルク/Birk:ナチスを憎む音楽教師)
ウルリッヒ・トムセン/Ulrich Thomsen(ラウリッツ・ハンセン/Lauritz:大学の理事)
Mette Munk Plum(アンデルセン/Enkefru Andersen:未亡人の理事)
Jens Jørn Spottag(エリクセン/Pastor Eriksen:ヤコブの友人、牧師)
Henrik Knudsen(マドセン氏/Hr. Madsen:ヤコブの友人、体操を教える男)
Hans Henrik Clemensen(ニールセン医師/Dr. Nielsen:セアンを診る医師)
Jytte Kvinesdal(エレナ・ニールセン/Erna Nielsen:ニールセン医師の妻)
Bertram Juhl Hansen(ビョルン/Bjørn:セアンの友人)
Andreas Vang Holt(カール/Karl:セアンの友人、大将格の少年)
Villads Røygaard(ヘルマン/Hermann:セアンの同級生)
Silas Rump(パルレ/Palle:セアンの同級生)
Karl Oscar Roos(マグナス/Magnus:セアンの同級生、母が売春婦)
Anne Bengtsen(マグナスの母/Magnus’ mor:売春婦として吊し上げられる女)
Simon Hilmoine(オグ/Åge:ビルクの友人)
Emil Hyldeborg(モーゲンス/Mogens:ビルクの友人)
Nicolai Duckert Perrild(若いレジスタンス/Ung modstandsmand)
Marius Aggerholm Jensen(レジスタンスの男/Modstandsmand 1)
Emil Steendahl(レジスタンスの男/Modstandsmand 2)
Amalie Drud Abildgaard(看護師/Sygeplejerske:オーデンセの看護師)
Claus Riis Østergaard(医師/Overlæge:オーデンセの医師)
【ドイツ人】
Ronald Kukulies(ヘルツォーク司令官/Kommandant Hertzog:ドイツ人将校)
ペーター・クルト/Peter Kurth(ハインリヒ/Heinrich:ドイツ難民の医師)
Liv Vilde Christensen(ギセラ/Gisela:ドイツ人孤児)
Peter Michaelsen(オットー/Otto:鶏を殺すドイツ人難民)
Clara Sindel(ローラ/Laura:娘が病気に罹るドイツ難民)
Ulla Jessen(鍋を奪う難民の女性)
Hans Christian Schrøder(ドイツ兵1/Tysk soldat 1)
Dennis Due(ドイツ兵2/Tysk soldat 2)
Robin Sondermann(ドイツ軍将校/Tysk officer)
Mads Bjørn(ドイツ難民/Tysk flygtning)
Silja Ellemann Kiehne(難民の子ども/Flygtningebarn)
Emmeli Haugbølle Pedersen(難民の子ども/Flygtningebarn)
Mille Haugbølle Pedersen(難民の子ども/Flygtningebarn)
Steffen Pihl(ペーターグループの構成員/Petergruppen:デンマーク抵抗運動の非破壊活動家)
【判別不能】
Katrin Weisser(フォン・ヴェンク夫人/Frau von Wenk:)
Jasmin Stein(ジョアンナ/Johanne:?)
Daniel Sønderiis(ポール/Poul:?)
Sandie Munck(母親/Moderen)
Susanne Bruun(女性1/Kvinde 1)
Lysser Kirstine Andersen(女性3/Kvinde 3)
Wilhelm David Lumholt Hakesberg(少年1/Dreng 1)
■映画の舞台
1945年4月、
デンマーク:フュン島
リルリンゲ・ホイスコーレ校
ロケ地:
デンマーク:
ノルドヒュン/Nordfyn
https://maps.app.goo.gl/VgqsbNYsfM21HLSF9?g_st=ic
リュスリンゲ/Ryslinge
https://maps.app.goo.gl/rqu151hfHiFSAkYT8?g_st=ic
ボルティングガード/Boltinggaard
https://maps.app.goo.gl/VwSXJpB7KkPiTjuJ7?g_st=ic
トメルップ/Tommerup
https://maps.app.goo.gl/E8nqGrmeZ9oAt8N17?g_st=ic
コリント/Korinth
https://maps.app.goo.gl/5AyzSjKYQ2Np25JX9?g_st=ic
■簡単なあらすじ
1945年4月、デンマークのフュン島にあるリュスリンゲ大学では、ドイツ難民を受け入れるように命令されていた
当初は200人の予定だったが、実際に訪れたのは500人を超える人数で、体育館を提供するものの、キャパオーバーだった
ドイツとの協定では場所の提供だけだったが、難民の間でジフテリアが流行し、次々と体の弱い人々が倒れていった
学長ヤコブの妻リスは反対を押し切って、子どもを抱える母親たちにミルクの提供を行ってしまう
それはすぐに問題となり、理事のラウリッツ、音楽教師のビルクはドイツ人を助けると自分たちの命が危ないと警鐘を鳴らした
だが、人道的な観点からヤコブはジレンマを感じ、理由をつけて感染者を助けようと考える
その行動は町人の反感を買うことになり、ヤコブの息子セアンもいじめの対象になってしまう
セアンは父の行動が正しいと思えず、音楽教師のビルクと行動を共にし始めるのである
テーマ:人道的支援
裏テーマ:戦争と祖国
■ひとこと感想
ナチス映画のカテゴリーには入る本作ですが、一風変わった視点になっていました
第二次世界大戦末期にて、ドイツ難民が溢れ出し、それが支配国に押し付ける流れになっていました
デンマークの学校がその場所に選ばれ、その大学長が苦難に苛まれることになりました
いわゆる敵国の難民を受け入れることになっていて、彼らを助けることは、敵国を支援することにつながると考えられていました
そんな中、当初は無関係を装おうとしていたヤコブも妻の行動に感化されるようになっていきました
この流れに巻き込まれるのが息子のセアンで、どうしたら良いかを悩みながら、父とビルクの行動に挟まれるようになっていました
物語は終戦直前ということで、ドイツ軍の敗戦が濃厚だと思っている人もいて、時間が解決すると考えていました
それまでは静観した方が良いと考えていましたが、ヤコブはじっとはしていられなかったのだと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
人道的にどうするかという観点もありますが、目の前に困っている人がいてスルーできる感性も何かを押し殺さなければできないことのように思います
ヤコブは割り切れなかった人間で、ドイツ人に親を殺されたビルクは迷うところがありません
理事のラウリッツも義務だけ果たせば良いと考えていて、それ以上に手を突っ込むことを避けようと考えていました
結果として、ヤコブたちの行動は自分たちの居場所を失うことになるのですが、「私たちの行動は間違っていなかった」と胸を張って去ることになりました
住民たちは余計なことをしやがってという感じに睨んでいる一方で、死にゆく人々を見捨てたという現実をどう消化していくのかは分かりません
自分自身が実際にこのような状況になった時、戦時中の敵国難民をどうするかは分かりません
関わらないことを選ぶ可能性が高いと思いますが、道標だけを教えて去るという感じになるのかなと思います
見捨てもしないけど深くも関わらない
それが良いとは思わないけれど、現実的な選択肢を取るような気がします
■ドイツ難民について
映画では、ソ連の侵攻から逃げてきた難民をデンマークにある大学が受け入れるという内容になっていました
これらはドイツの支配が終焉した地域から徐々に開始されていた移住計画で、建前上はドイツが食料などを提供するという内容になっていました
でも、実際には、それらの行為はソ連などによって禁止されていて、この「ドイツ人追放」によって、50万人から200万人のドイツ人が亡くなったとされています
ヤコブたちは敵国(支配国)の難民に対してどう向かい合うべきかを悩んでいて、反ナチスのビルクは戦況を鑑みて、寝首を掻く算段を立てていました
どこまで戦況を正確に捉えることができていたかはわかりませんが、ドイツから反ナチスではない難民の受け入れ要請が来るというのは、ドイツ国内の危なさが露呈している状態だと言えます
いずれはナチスの敗北によって戦争は終わると考えていて、その反撃の機会を伺っていたことになります
本作では、そのような戦況とは別に、自分たちに助けを求める人たちにどう向き合うべきか、というものを問うていました
デンマーク国民としてはビルクの行動は正しいのかもしれませんが、結局のところ、ナチスがユダヤ人に対して行ったこととさほど変わりません
かと言って、ヤコブの行動が当時のデンマークで受け入れられるとは思えません
映画は、そうだとしても人間としてどう振る舞うかという変化が描かれていて、自分の信念や哲学、感覚などを信じて突き進む姿が描かれていたように思います
■最適解という最悪の選択
映画では、ヤコブが右往左往する状況が描かれていて、大学の雇われ学長という立場の弱さが露呈していました
大学の姿勢とすれば、デンマーク国民としてどう振る舞うかが問われていて、それは「学内でドイツ人がどれだけ死のうと気にしない」というスタンスになるのだと思います
でも、その場所でジフテリアが流行ったことで、学生や教職員にも感染拡大する懸念がありました
本来ならば、人道的な側面よりも、感染拡大の懸念を伝えることで、ドイツ人に対する医療の提供を推し進める手はあったように思います
とは言え、ドイツ人は見殺しにしても良いというスタンスのデンマーク民もいるわけで、それを考えると「閉じ込めて燃やす」みたいなことが起こらないとは言えません
戦時中というのは、理性が薄まる場所でもあり、自国民がされたことへの復讐を考えるのは自然の摂理にも思えます
そんな中で、慈善的なことは戯言のように思えるので、ドイツ人が病気で苦しんでいるから助けようという精神では説得はできないのですね
なので、感染症を引き合いに出して休学させることになるのですが、大々的に手助けをするという行動は拒絶されます
ドイツ人を助けたことで同胞からどんな目で見られるか
これを恐れるあまり、自分の良心に蓋をして、その行動を正当化させていきます
そんな相手に対してどのように「ドイツ人を助けることを正当化するか」という問題はとても難しいと言えるでしょう
このような状況の中で「最適解」を探ろうとするのは愚かなことで、自身の行為が正しいと考えるならば、迫害を恐れずに堂々と行うしかありません
石を投げてくる者もいるだろうし、あからさまな妨害も起こるでしょう
また、子どもの遊びの中で「いじめられっ子がナチス役をさせられる」ということで、遊びを正当化する風潮もありました
このように「大人の行動は必ず子どもにも波及する」ということを念頭において、自らの行動の正しさというものを貫くしかないように思えます
それによって、最悪の場合は命を落とす可能性もありますが、「私の手は何も知らない子どもたちを助ける手だったが、あなたの手は全てを知りながら同胞を殺すための手だったのですね」と堂々と言ってやれば良いのかな、と感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、「大人と子どもの心根の連動」がテーマになっていて、父ヤコブのスタンスがそのまま息子のセアンに波及するようになっていました
セアンはヤコブよりもビルクを信頼している部分があり、これは教職者と父の両方の距離感があったからだと思います
その点、ビルクとの関係は教師と生徒ではありますが、個別なピアノレッスンを行うなどの近しい距離感を保つことができていました
でも、その後のドイツ人への対応によって、その距離感が微妙に変わっていくことになりました
ヤコブがドイツ人を助けたことで「反逆者の息子」というレッテルを貼られるようになり、いじめの対象へと変わってしまいます
このいじめが「ナチスごっこ」という悪質なものになっていて、このような遊びというものは大人が規制しなければならないことのように思います
でも、親たちは「ナチス憎し」を連日こぼし、それによって子どもたちは「ナチスが相手なら何をしても構わない」というマインドになっていきます
そして、その行動はエスカレートし、同じデンマーク人であることも忘れて、恥辱に晒すという行為にまで発展していきました
この流れを受けて、自分がいじめられているのは父のせいだと思い込むことになり、その感情はビルクによって肯定されます
そして、彼はビルクから同胞に向けての武器調達を行うようになり、ビルクも目的のために手段を選ばないという行動になっていました
その行為をヤコブが見つけて辞めさせるのですが、この一連の行動が「戦争だから」という言葉で括って良いのかは何とも言えない部分があるでしょう
ヤコブはビルクのこの行動を受けて、大人(父)としてどう生きるべきかというものを確立させることになります
ジフテリアに苦しんでいる「戦争に関係のない子ども」を救おうとすることがなぜいけないのか?
この行動に対して、デンマーク国民は何を考え、どのように行動したのか
最終的に「人道的観点」からオーデンセにいた医師がギセラを救うことになるのですが、これが人間に残された最後の良心なんだと思います
本作は、時代や国の状況、自分の置かれた立場などの要因があったとしても、人間としてどう生きるべきか、というものを問うています
ヤコブ一家が胸を張って町を出ることになったのは、彼らは自分たちの行動に自我と持念と責務を持っていたことを示していると言えます
彼らのような行動を取れた人はほとんどいないと思いますが、結局のところ「自分の行動に苦しめられるのは自分」なのですね
一時の感情で行動を正当化できても、自分の子どもが同じことをした時に何を言えるのか?
そう言ったものが大人として、人間としての行動について回るのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101984/review/04162854/
公式HP:
https://cinema.starcat.co.jp/bokuno/