■タイトルでほぼネタバレだけど、オチの斬新さもまた映画の主題とは向き合えていない気がする


■オススメ度

 

『レオン』っぽい映画が好きな人(★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.9.28(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Clean

情報:2021年、アメリカ、94分、G

ジャンル:娘を亡くした清掃員が親しくなった娘を助けるクライムムービー

 

監督:ポール・ソレット

脚本:ポール・ソレット&エイドリアン・ブロディ

 

キャスト:

エイドリアン・ブロディ/Adrien Brody(クリーン:ゴミ収集の職員)

Victory Brinlcer(レイヤ:クリーンの亡き娘)

 

リッチー・メリット/Richie Merritt(マイキー:出所する青年)

グレン・フレシュラー/Glenn Fleshler(マイケル:マイキーの父、麻薬マフィア)

Catherine Nastasi(マイキーの母)

 

チャンドラー・アリ・デュポン/Chandler DuPont(ディアンダ:祖母と暮らす10代の孤児)

ミシェル・ウィルソン/Michelle Wilson(エテル:ディアンダの祖母)

 

ミケルティ・ウィリアムソン/Mykelti Williamson(トラヴィス:クリーンの友人の床屋)

RZA(クリーン行きつけの質屋)

David Fierro(ダニー:清掃会社の配車係)

Dinor  Waloctt(クリーン行きつけのペンキ屋)

Antino Crowley-Kamenwati(ドラッグ依存の会のタトゥー男)

 

ジョン・ビアンコ/John Bianco(フランク:マイケルに従事する汚職警官)

Gerard Cordero(ヴィック:スキンヘッドのマイケルの部下)

Alex Corrado(トミー:マイケルの部下)

 

Jade Yorker(ダンテ:マイキーのツレ)

Johnny Boogotti(マイキーのツレの大男)

Semaj Grant(マイキーのツレ)

 

Wayne Pyne(クリーンを手当てする医者)

Tait Rupert(マイキーを手当てする医者)

Jack Koering(牧師)

 


■映画の舞台

 

アメリカ:ニューヨーク州

ユーティカ

https://maps.app.goo.gl/KaZWDxy2YhW5ETNk7?g_st=ic

 

ロケ地:

上に同じ

 


■簡単なあらすじ

 

ニューヨークのユーティカで清掃車の作業員をしているクリーンは、ゴミの中か使えるものを質屋に持って行って監禁し、ドラッグ依存の会に参加し、行きつけの床屋で散髪をする男だった

彼には幼い頃に亡くなった娘がいて、今では懇意にしているディアンダのことを娘のように可愛がっていた

 

ある日、街の麻薬王マイケルの息子マイキーが刑務所から出てきた

マイキーは父を無視して仲間たちとどこかへ行き、父もそれ以上は深く追わなかった

 

クリーンの日常もさほど変化はないと思われていたが、ディアンダが家の向かいに屯する若者たちに絡まれているのを見つける

それからも若者たちはディアンダにつきまとい、クリーンはレイプされそうになった彼女を救い出すことに成功した

 

だが、その場でぶちのめした相手の中にマイキーがいて、マイケルは汚職警官にクリーンを追わせることになったのである

 

テーマ:溺愛と後悔

裏テーマ:環境と意思力

 


■ひとこと感想

 

邦題で「殺し屋」とネタバレかましていますが、本編では最後の方までクリーンが元殺し屋であることはわからなかったりします

ただの清掃員が実はという、ちょっと前に公開されていた『Mr.ノーバディ』によく似た感じですが、こっちは妻子がいません

 

疑似的な娘として、近くに住むディアンダと関わりますが、祖母はその関係をあまり良くは思っていません

クリーンに何かあると感じていて、街の清掃や空き家の修繕などの慈善活動をしていても、どこか危うさが漂っている男だったからでしょう

 

映画はゆっくりと進んでいき、銃撃戦やアクションはちょこっと出てくる程度でしたね

基本的に夜のシーンが多くて、画面が暗い印象がありました

 

物語性はさほど感じず、クリーンの娘が死んだ経緯も「ドラッグ」っぽいのですが、詳細は分かりませんでした

一応は娘の死を機に殺し屋から足を洗ったようですが、有事の際にはきっちりと武器を隠し持っていたので、引退する気はなかったんだろうなあと思ってしまいます

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

どこかで見たことのあるような設定で、正直なところ使い古されたネタの宝庫のように思えます

ドラマも古ければ、演出も古めだったので、2000年代に入った頃の作品でも再上映されたのかな、ぐらいの感覚になってしまいました

 

映画としての面白さはあまりなく、淡々と物語が進んでいきますね

敵も組織の規模がしょぼくて、狭い地域で商売をやっている半グレよりも規模が小さく思えました

 

一応ガンアクションらしきものはありますが、このシーンが夜中の室内という最悪のシチュエーションだったので、何が起こっているのかよく分かりません

ワンショット、ワンキルの凄腕がバンバン殺していきますが、あまり爽快感がないように思えます

 

ラストは少し捻っていますが、「だからどうした」レベルに留まっていて、この後マイキーがどうするのかは完全に放置されていましたねえ

 


街の荒廃

 

映画の舞台であるユーティカはニューヨーク州にある内陸の街で、いわゆる一般人がイメージするニューヨークからは随分遠いところにあります(あくまでも日本人の感覚かな)

州の中央部にあり、北にはオンタリオ湖(ナイアガラの滝があるところ)が迫っています

ユーティカの歴史としては、街を流れる運河の影響で発展し、第一次世界大戦までは「繊維産業」の街として栄華を極めます

その後、設備の老朽化などによって閉鎖され、賃金の安い地域に生産拠点が動いていくことでゴーストタウン化した街でした

 

その後、1930年から1950年代にかけて、マシーンと呼ばれる集団票の獲得により、ルーファス・P・エレファンテの独裁が起こり、汚職が横行する街になりました

その後、1950年代にはゼネラル・エレクトリックがラジオ工場の生産拠点を置いたことで、「世界のラジオの首都」と呼ばれるまでに成長を果たしました

それでも、そのブームは一過性で、1960年に入ってからゼネラル・エレクトリックは生産拠点を中東に移してしまいます

これによって、ユーティカは「ラストベルト」と呼ばれる脱工業化の流れに巻き込まれていきます

 

1980年代に入って、急速にユーティカの人口は減少し、1996年にようやくゼネラル・エレクトリックの施設をコンメッド(医療機器メーカー)の生産拠点に誘致することに成功します

それでもユーティカは今現在も人口が減り続けている街となっています

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のボニスア系移民の受け入れを実施し、現在では「セカンドチャンスの街」と言われたりもしています

 

映画でこの街を舞台にした明確な理由は明らかになっていませんが、工場の撤退などによる寂れた感じが「かつての栄光」みたいな感じになっていて、それがクリーンの心情とリンクしているように思えます

この街で清掃業者として働く彼は、マイケルからの賄賂に見向きもせず、でも家族同然のディアンダに対する仕打ちには恐ろしいほどの執念を燃やします

彼自身が過去の過ちに囚われていて、同じ失敗をしたくないと考えているのでしょう

ドラッグに関しては自分の服用歴、娘の死因などから、相当に気を揉んでいたことがわかります

彼の名前は最後まで明確になりませんが、街に蔓延るゴミを一掃するという意味合いと同時に、他力本願だった(内需産業がない街)過去に対するアンチテーゼ(後始末に苦慮する街)があるのかなと感じました

 


勝手にスクリプトドクター

 

本作は「普通のおっちゃんが実はヤバい人だった」系なのですが、冒頭からクリーンの内省問題のモノローグが被りまくっていて、それがなんなのかがわからないまま進んでいきます

一連の中で「親子関係」というものがクローズアップされ、クリーンと娘、クリーンとディアンダ、マイケルとマイキーという親子関係が同時に描かれていきます

クリーンとマイケルは「自身の欲望を最優先させた親」として共通点があり、クリーンはマイケルがディアンダに関わらなければ暴力を向けるつもりはなかったでしょう

でも、マイキーがディアンダにちょっかいを出したことによって、クリーンの中にあった箍というものが外れてしまいます

 

マイキーが破天荒な行動に出るのは、言ってみれば父親への反発と、父親の人生を無意識になぞっていることの裏返しのように見えます

反発しているものの、行動の中身は一緒というもので、そのリンクに無頓着だったのがマイキーという人物でした

でも、マイキー自身が「娘を必死に守ろうとする親=クリーン」の存在にさらされることで、親としてのマイケルが箍であることを再確認することになりました

親殺しを果たすことでマイキーは自由を得て、クリーンの危機は去るのですが、これがメインになっているために、クリーンが主人公だったのか怪しいという感じに思えてきます

 

映画はずっと暗い雰囲気に包まれていて、クリーンの過去の暴露によって、彼を縛り付けていたものの正体がわかるのですが、クリーンの行動によって、その過去が清算されたみたいなことは起こりません

足を突っ込んだマイケル–マイキー親子の断絶騒動の中で「子どもが親を殺さざるを得ない状況」というものを目撃するので、それはクリーン自身の親子の関係性というものに波及していきます

クリーンと娘の関係性の整理は、そのままジョアンダとの関係の整理につながるのですが、エンディングでは日常に戻って清掃作業をしているであろうクリーンと、その様子を見て微笑むディアンダという構図になっているだけで、二人の関係がどうなったのかというのは直接は見せません

ディアンダを救ったものの正体を彼女は知ることもなく、それで映画は幕を閉じてしまうので釈然としないなあと感じていました

 

クリーン自身がマイケル親子の顛末で何を学んだのかという言及もなく、日常に戻っているっぽいで終わっているのもナンセンスでしょう

なので、せめてクリーンがジョアンダとどう向き合うかぐらいのエンディングはあった方が良かったと思います

結局のところ、クリーンの内部思考の転換すらわからないまま終わった感があったので、モヤモヤが残ってしまいます

マイキーに親殺しをさせたのは誰なのかという問題も放置されていて、実質はマイケル自身のマイキーへとの関わりがメインだとは言えますが、クリーンはマイキーの行動を止めるべきだったと言えるでしょう

 

彼がそこで傍観者になったことで、マイキー自身は自分の箍を外すことに成功しているように見えますが、実際には「親殺し」という新たな枷を手に入れただけなんですね

なので、それは今後のマイキーの生活の中では「武勇伝」になると同時に、彼が親になった時の枷にもなってしまいます

 

そのあたりが完全にスルーなので、物語が終わってないよねえという感覚になってしまいました

マイキーの親殺しを止めるクリーンを描くか、それを見たことによるクリーンの変化を描くかという二択になると思いますが、本作が選んだ後者のシナリオだと、クリーンはディアンダの元を去るのではないかと思います

なので、清掃車を見たディアンダが降りてきた清掃員を見て落胆する、という「クリーンは危機と共にどこかに去った」ことを仄めかす方が良かったのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画ではクリーンの正体が最後の方まで明かされないのですが、邦題では思いっきり「ある殺し屋」というふうに明言されています

なので、このひょっとしたら怖いおっさんは何者?という一種のミステリーが台無しになっていたりします

前半ではドラッグ依存症であること、床屋のトラヴィスが彼を支援していること、仕事中に見つけたものを質屋に捌くなどの日常が描かれていました

なので、「ドラッグに悩むアウトローの再生の物語」のような状況で突き進んでいきます

 

ディアンダとの関係が判明すると、今度はクリーンのフラッシュバックが挿入され、彼には幼い娘がいたことが仄めかされ、ディアンダの祖母からも「気にかけてくれるのはありがたいけど」という微妙な関係であることがわかります

この祖母がクリーンの過去を知っているのかはわかりませんが、クリーンがよそ者ではないと思えるので、クリーンの娘の死などを知っているのかなと思っていました

祖母は彼が殺し屋であったことは知らない様子で、もし知っていたら「孫に近寄るな」的なやりとりがあったはずですね

なので、普通に考えると、壮絶な過去を持っている男ということを知っているけど、その深淵は知らないということになると思います

 

物語の起点となるのは、ジョアンダが向かいに住む素行の悪い男たちとつるんでいくからなのですが、これが強制か自発なのかはいまいち不明瞭でしたね

クリーンが声をかけるとジョアンダが嫌がっていたように思え、そこは自発的と考える方が自然であると思います

クリーンは向かいの連中が何をしている人たちなのかを感覚的にわかっていますが、彼女の手前でそれを暴露することはありませんでした

でも、ジョアンダが彼らのテリトリーに踏み込む、すなわちクリーンの娘の行動とリンクすることによって、クリーンはジョアンダをそこから引き剥がす名目で彼らのテリトリーに足を踏み入れることになりました

 

そこでぶちのめした相手が間が悪くマイキーだったということなのですが、ジョアンダは自分が関わろうとした連中がどれだけヤバいかということを理解していないのですね

でも、祖母はなんとなくわかっている感じで、クリーンの言われるがままに一緒に逃走することを選びます

この時点でようやくクリーンは一般人じゃねえなということがわかる流れになっていたと思うので、本当の邦題のネタバレは酷いものだと思います

映画の中で早々にクリーンが殺し屋だとわかったとしても、彼自身がそれを隠している身ならば、映画前に提示するのはナンセンスでしょう

それを考えると、副題として正しいのは「ある隣人の献身」もしくは「ある清掃員の献身」と言ったところになると思います

 

映画のタイトルは興行収入に直結すると思うので、そこで提示される公式のあらすじなども配慮すべきでしょう

本作はパンフレットすら作られていないので、それほど配給側も力が入っていないのだと思いますが、公式ホームページで「その正体は過去を捨てた凄腕の殺し屋<クリーナー>」とまで書いたらアウトだと思います

訳あり清掃員が近所の孤児と心を通わせていくという物語なので、その理由、過去、迫り来る難題へと視点が移っていく作品でした

なので、邦題をつけた人は映画をざっくりとしか観ていない印象があって、それでいて身も蓋もない邦題になったのかなと思いました

ちなみに本国のホームページでは「Tormented by a past life, garbage man Clean attempts a life of quiet redemption」となっていて、ざっくり訳すと「自分の過去に苦しめられたごみ収集人のクリーンは、静かな贖罪の人生を歩もうとしています」という説明になります

トレイラーは相変わらず全てを見せていますが、作品の内容に沿うプロモーションをするのであれば、このような邦題にはならないのではないかと思いました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/383733/review/18825f6a-be95-493f-9bbf-fff29004f378/

 

公式HP:

https://clean-kenshin.com/

 

アバター

投稿者 Hiroshi_Takata

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA