■二人の距離を変えたものは無垢だけど、二人の距離を消したのは大人のエゴなんだと思います
Contents
■オススメ度
思春期の友情の変化について考えたい人(★★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.7.27(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Close(親しい、閉じた)
情報:2022年、ベルギー&オランダ&フランス、104分、G
ジャンル:仲の良すぎる二人の男の子が周囲の疑問によって関係性を変えてしまう様子を描いた青春映画
監督:ルーカス・ドン
脚本:ルーカス・ドン&アンジェロ・タイセンス
キャスト:
エデン・ダブリン/Eden Dambrine(レオ:アイスホッケーが好きな13歳、レミの親友)
グスタフ・ドゥ・ワール/Gustav De Waele(レミ:オーボエをうまく吹ける13歳、レオの親友)
エミリー・ドゥケンヌ/Émilie Dequenne(ソフィア:レミの母、産婦人科の看護師)
ケヴィン・ヤンセンス/Kevin Janssens(ピーター:レミの父)
レア・ドリュッケール/Léa Drucker(ナタリー:レオの母)
マーク・ワイス/Marc Weiss(イヴ:レオの父、花農家)
イゴール・ファン・デッセル/Igor van Dessel(チャーリー:レオの兄)
レオン・バタイユ/Léon Bataille(バティスト:レミとレオのクラスメイト、レオのホッケー仲間)
Baptiste Bataille(バティストの父)
Serine Ayari(セリーヌ:教師)
Robin Keyaert(トーマス:担任)
Herman van Slambrouck(マーク:教師)
Iven Deduytschaver(アイスホッケーのコーチ)
Jeffrey Vanhaeren(アイスホッケーのコーチ)
Pieter Piron(レオを診察する医師)
Cachou Kirsch(ソフィーの同僚)
Ahlaam Teghadouini(ソフィーの同僚)
James(レミの家の犬)
Ines Bensacsh(イネス:政治家が夢のクラスメイト)
Jules Grecszak(ジュールズ:ドレッドヘアの大食いのクラスメイト)
Sekou Cherif Aidara(セクー:坊主頭のクラスメイト)
Salvatore Belluardo(サルヴァトーレ:セラピーでレオに怒鳴られるクラスメイト)
Courtney Louis(コートニー:付き合ってるか聞くクラスメイトの女の子)
Emelyne Boncher(エメリネ:コートニーと仲の良いクラスメイトの女の子)
■映画の舞台
ベルギーの田舎町
ロケ地:
オランダ:北ブラバント州
Zundert/ズンデルト
https://maps.app.goo.gl/1SQe9y9btnYYHY5G7?g_st=ic
ベルギー:フランダース
Wetteren/ウェレッテン
https://maps.app.goo.gl/W299QZtk7H2SjasXA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
13歳になるレオとレミは幼少期から仲良しで、レオはレミの家に泊まって寝ることも多かった
中学に入ることになった二人は同じクラスになり、いつも通りの関係を続けていたが、クラスメイトの女の子から「二人は付き合っているのか?」と聞かれて困惑してしまう
しかもクラスメイトの男の子から「女の子扱いされたことに腹を立てたレオは、それからレミとの距離を保つようになっていた
レミと過ごす時間は減り、アイスホッケーを始めたレオだったが、これまで以上にレミがどうしているかが気になってしまう
だが、人目を気にするレオは、どうしてもその距離を元に戻ることはできなかった
ある日、林間学校に出かけたレオたちだったが、そこにレミの姿はなかった
レミは欠席しているようだったが、林間学校は普通に行われた
だが、学校に帰ってきた彼らは、保護者全員が待っていることに困惑する
そしてレオは、母ナタリーからある事実を告げられるのであった
テーマ:羞恥と本能
裏テーマ:性徴期の微妙な感情
■ひとこと感想
少年期特有の微妙な距離感が集団生活が始まることによって認知が変わるという物語で、LGBTQ+と勘違いする人も多そうな話でした
実際に彼らがその感情を有していたかは分かりませんが、まるで兄弟のように過ごしていた日々の喪失によって、孤独に苛まれる時間が増えていきます
レオはアイスホッケーに傾倒することでそれを埋めようとしましたが、レミはオーボエだけではそこに至らなかったのでしょう
レミにとっては、レオに褒められることがオーボエを続ける理由のようになっていて、それが失われたことが重大な転機となっています
物語は繊細な機敏を描きながら、自然音と自然光によって、シーンを組み立てていきます
何が起こったのかは感覚的に分かっても、それを問い詰めずにレオのタイミングを待ったのは英断だったように思えます
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
予告編の雰囲気からLGBTQ+の雰囲気があるものの、実際にはホモフォビアと呼ばれる同性愛嫌悪が関係性を否定していく流れになっていたように思います
レオはそうではないけど、レミはそのように見えるのですが、レミの苦悩と決定打に関しては映画では描かれていません
物語には起伏はありませんが、水面下の感情の動きは荒れ狂う波の如く、穏やかなる時は一つもありません
ざわつくような背中のむず痒さを感じるとすれば、体験が重なるからなのかもしれません
映画は、決定的なものは描きませんが、人の察する能力をうまく利用して、最低限の情報だけで進んでいきます
「CLOSE」は「Close Friendship」から引用されているタイトルで、その意味は「親密な友人」というものになります
スラングでも「Close=親しい」という意味になり、なんでも話せる間柄の際に使われる言葉となっています
■第二次性徴と友情
第二次性徴とは、人間の場合だと思春期に出現するもので、それによって種の性別の区別が始まります
人間の生殖器は出産と同時に識別可能ですが、第二次性徴に入ると、性的な活動性に伴って成熟していくものになります
これらは、繁殖に向けての変化であり、人間以外の動物にも見られる特徴とされています
人間の性分化は妊娠中に始まり、生殖腺というものが形成されます
その後、思春期に入って、性ホルモンのレベルが上がると、性差というものが生まれてきます
男性のテストテロンレベルは生殖器の成長を促し、前立腺の成長を伴います
女性の場合は、エストラジオールやその他のホルモンによって、乳房の成長が見られます
脇毛と隠毛は第二次性徴で起こりますが、両性ともに始まるので、非二次性徴と分けられる場合もあります
これらの第二次性徴が起こるのは、男性だと11歳6ヶ月から16歳前後、女性は少し早く10歳から15歳前後とされています
映画のレオとレミはともに13歳なので、第二次性徴の真っ只中ということになります
性徴によってホルモンの分泌量が変わってくるため、それに伴って異性を異性として意識し始めます
個人的な感じだと、小学1年生ぐらいには好きな女の子というのはいて、クラス替えことに好きな子が変わるという経験があります
それでも、女性的な身体的特徴に興味を示し始めたのは小学校6年生ぐらいでしたね
精通というものが起こるのですが、それはのぼり棒の刺激だったことを鮮明に覚えています
■通過儀礼と分岐点
私の場合は、異性を意識し始める頃から、他の子どもたちの関係性に興味を持つようになっていました
誰と誰が好き合っているのか、ということに興味を持ち始め、同性同士の関係性などにもある程度の興味を持ち始めます
でも、この時期に家庭がエラいことになっていて、それどころではない感じになっていましたね
中学は名うてのワルがいるような学校で、今では考えられないと思いますが、校門にバイクで乗り付けてくる連中と喧嘩になるというのを何度も目撃していました
幼馴染というのはそれほどおらず、異性で一人いましたが、家庭事情もあって引っ越したため、そこで関係は終了しています
無論、小学校の時の友達との関連もそこで終わりで、中学になった時には新しい人間関係が始まることになりました
気の合う友人3人ぐらいとつるむ感じで、それぞれにも幼馴染のような存在はいなかったように記憶しています
幼馴染は親同士の交流の末に紡がれる関係性なので、その時期に家庭が地域から浮いていれば出現しませんし、周りに同世代の子どもがいないと生まれないものなのですね
でも、レオとレミのような関係性を見たことがなく、男の子同士で手を繋ぐとか、寄りかかりあうところに遭遇した経験はありません
これらの関係性への興味は普通に起こっていて、クラスの中で関係性が構築される段階で、「誰と誰が仲が良い」などの派閥のようなものができていきます
低年齢の時に作られた関係は、中学生ぐらいまでの間は継続されることが多く、高校に進学すると途端に途絶えてしまうものが多かったですね
個人的には、人間関係リセット症候群の兆候がこの頃から顔を覗かせていて、中学時代の友人たちと高校時代に遭うということはほとんどありませんでした
また、高校時代で紡がれた関係性もそこで途切れるし、大学時代の友人と卒業後に会ったのも数回程度でした
これらの人間関係の継続とその分岐点は、その関係性のみならず環境や性格に左右されるものだと考えられます
私の場合は性格が最も強く、それを環境が後押ししたという感覚があります
映画のレオとレミの場合も、性格というものが前面に出ていて、特にレオはそれが顕著に描かれていました
レミがレオから離れて行ったのは、レオによって作られた環境、すなわち壁の存在があったからで、それが出来上がってからは、レミの方もレオを拒絶するシーンが生まれてきていたように思います
ここで起こる拒絶が永遠になる場合もあれば、修復に向かう場合もあります
拒絶は他者の反応に対する反応のようなもので、レオの中では「女みたい」と言われたことが最重要で、それがレミといるからそう見えると思いこんのだとだと推測されます
彼は男らしさというものに憧れがあるのですが、その男らしさへの訴求というものがアイスホッケーという競技に向かうことになりました
この時のチームメイトのバティストとは家に遊びに行ったりしますが、ある程度の距離感の中で維持されている関係(我慢しているようにも思える)のように思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画のタイトルである「Close」は、閉じているという状態を表していますが、それと同時に距離の近さというものが付随しているように思えます
スラングでは「親しい」という意味になり、「Close Friendship」は「親友」という意味になります
パンフレットの監督のインタビューでも「Close Friendship」という言葉に触発されたと答えています
距離が近くなるのは、その周囲にあるものが内側に押し込んでいくことと同意でしょう
自動ドアなどのCloseも、開かれていた空間が閉じていくという意味になっていて、そのドアが人間関係の場合はパーソナルスペースであるように思います
パーソナルスペースは、近づきすぎると反発し合うものですが、稀にその境界線が消えて融合してしまう関係性というものが生まれる場合があります
パーソナルスペースは「警戒心の距離感」でもあるので、それを感じなくなると、そのスペースというものが瞬間的に消えてしまうのですね
それがレミとレオの状態で、それを可能にしたのが「擬似兄弟」という関係性であるように思えました
二人は同年代なので、兄弟というよりは双子のような感覚で、特にレミの方がそれを欲していました
レミには兄弟がおらず、母親は看護師なので多忙で家にいません
レオの家庭は農園を家族で切り盛りしているので、いつも一緒にいられるのですね
この家庭環境への憧れがあって、その中に溶け込むことで、レミなりの理想の家族というものを生み出していくことになりました
レミの自殺の理由ははっきりとしませんが、ドアを閉じて自殺をしたという経緯、遺書を残さなかったということは、家族には自分の気持ちは理解できないと考えていたのだと思います
レミは家庭内でパーソナルスペースを作り出し、強固な壁によってそれを守り通す
彼にとっての安息が消え、レオの隣には別の友人がいて、それはレミとは真逆の性質を持っている
この対比構造がレミの中で絶望を増幅させ、行き場を無くした心が解放を求めたのかな、と感じました
遺書も何もなかったことで、レミの母ソフィーは答えを求めてレオに近づきます
レオとしては「突き放した」という事実があるだけで、それがどのような経緯を経て、レミに決断させたのかはわかりません
彼自身もレミの死の理由を探していたと思いますが、彼の中では突き放したということ以上のものが生まれないのですね
でも、そのレオの不完全で不正確な思い込みは、ソフィーを納得させるには十分だったことがわかります
映画では、何気ない言葉(興味の言語化)によって壊れた関係を描き、エゴによって完結させたソフィーの行動によって、レオはさらに苦しむことになります
うろ覚えではありますが、レミが描いていた家族の絵は4人だったと思います
これはレオを含んだ4人ということで、それが彼にだけわかるレミの本心だったように思えました
あの絵を見てソフィーが何を感じたのかはわかりませんが、おそらくはレオとは違う感覚を持っていて、それを無視して、レオの言葉だけを答えにしていたように感じました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/386498/review/0569c351-6b48-4f55-8a48-4d788968d298/
公式HP: