■枯れないカーネーションと余生をともにするクローブの間には、何があると言うのだろうか


■オススメ度

 

トルコ映画に興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.1.18(京都シネマ)


■映画情報

 

原題:Bir Tutam Karanfil(ひとつまみのクローブ)、英題:Cloves & Carnations(クローブとカーネーション)

情報:2022年、トルコ&ベルギー、103分、G

ジャンル:最愛の妻を生誕地で埋葬しようとする老人と孫を描いたロードムービー

 

監督:ベキル・ビュルビュル

脚本:ビュシュラ・ビュルビュル&ベキル・ビュルビュル

 

キャスト:

デミル・パルスジャン/Demir Parscan(ムサ:妻を失くした年老いた男)

シャム・シェリット・ゼイダン/Sam Serif Zeydan(ハリメ:ムサの孫娘)

 

バハドゥル・エフェ/Bahadır Efe(ユルマズ:おしゃべりな二人組)

タシン・ラーレ/Tahsin Lale(コルクマズ:おしゃべりな二人組)

 

イート・ヤゲ・ヤザール/Yigit Ege Yazar(コバン:羊飼い)

 

セルチェク・シムシェック/Selçuk Simsek(トラクターの運転手)

 

フラート・カイマック/Firat Kaymak(段ボールに移す提案をする大工)

エミネ・チフチ/Emine Çiftçi(ハヴヴァ:大工の知り合い、おしゃべりなおばちゃん)

 

セルカン・ビルギ/Serkan Bilgi(知らずに荷物を運ぶトラックの運転手)

 

演者不明(ハヴヴァの父)

演者不明(ヒクメット:ハヴヴァの知り合い、ガソスタで給油する男)

演者不明(ミルクをくれる軍の女性職員)

演者不明(国境の指揮官)

演者不明(埋葬する男)

 


■映画の舞台

 

トルコ南西部アナトリア地方→シリア北部

 

ロケ地:

不明

 


■簡単なあらすじ

 

隣国にて妻を失ったムサは、彼女の亡骸を郷土に連れ帰るために、孫娘のハリメとともに棺を引き連れてヒッチハイクを繰り返していた

おしゃべりな二人組に途中まで送ってもらった二人は、羊飼いと出会い食事を提供してもらう

 

その後もトラクターで村まで連れてもらい、そこにいた大工は「棺のままでは国境を通れない」と言って、棺を偽装するために段ボール箱にそれを移し替える提案をした

 

一方のハリメは、一切言葉を発せず、時折絵を描いて過ごしていた

だが、ムサはそれを見つけると戒め、破り捨てたり、燃やしてしまう

ムサは家族を失った悲しみから逃れられず、ハリメの描く家族の絵は彼の心に爪痕を残してしまう

 

そして二人は、とうとう国境近くの給油所に到着し、段ボールに詰めた遺体を国境へと運び込もうとするのである

 

テーマ:妻との約束

裏テーマ:死は再生への第一歩

 


■ひとこと感想

 

トルコの映画ということで、ほとんど予備知識のないまま鑑賞することになりました

広大な荒地の道のど真ん中で結婚式らしきことをしているシーンから始まり、主人公のムサとハリメはほとんど喋らないキャラとして淡々とした流れになっていました

 

二人が喋らない分、他のキャラのマシンガントークが凄まじいのですが、その会話にはほとんど意味がありません

後半に大工の知り合いの女性ハヴヴァがサイード・ヌルシーの言葉を引用したり、ラジオから意味ありげな言葉が流れてきますが、ぶっちゃけ何のことかわかりませんでした

 

タイトルは劇中で登場するお菓子のようなものがクローブで、カーネーションは墓に手向けるものになっていましたね

おそらくは「生と死のメタファー」であると思いますが、邦題は「生」の方が無視されているので、何だかなあと思ってしまいます

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、ほぼ喋らない二人が淡々とシリアに向けて旅をするというもので、出発地点はおそらくトルコのシリア寄りのどこかなのではないかと思います

ラストで埋葬地は国境を越えれていなかったので、おそらくトルコ国内ということになるのでしょう

そこから鉄条網を越えるムサが描かれていて、その後、結婚式の花嫁の隣に座るという「多分、死んでいるんだろうなあ」と思わせる流れになっていましたね

 

冒頭とラストで結婚式が登場するのですが、それに挟まれているのが葬儀というところに意味があるのでしょう

サイード・ヌルシーの言葉も「死は終わりではなく、来世への入り口」という言葉が紡がれていて、これは死生観がまだ育っていないハリメへの教訓なのかなと思いました

 

何らかのトラブル(地震もしくは戦争)によって、家族の中ではムサとハリメしか生き残っていないのだと思われ、ハリメは在りし日の祖母を絵に描いていましたね

それが墓標となり、カーネーション(花言葉は無垢で深い愛、亡き母を偲ぶ)が添えられるのは感慨深いものがありました

 


シリア情勢について

 

シリアの内戦は2011年3月15日から始まり、現在進行形で続いています

映画の正確な時期はわかりませんが、国境にいた軍人が「まだ向こうでは戦争が続いている」と言っていたので、ここ十数年の間であると思われます

この内戦では、現時点で46万人の死者が出ていますが、これはシリア人権監視団によるもので、国連は推計自体を中止する状況に悪化しています

 

内戦ではあるものの、シリア&ロシアVS反体制派&アメリカの戦争になっていて、シリア内部の政治情勢の背景にロシアとアメリカがいると言う構図になっています

元々はアラブの春が起点とも言われていますが、シリア史上類を見ない内戦になっていて、ロシア空軍の爆撃1000回以上、アメリカ空軍による爆撃2000回以上と言う、とても一国の内戦とは思えないほどの火力が飛び交っています

当初はバッシャール・アル=アサド政権派のシリア軍と反政権派の民兵との戦いだったところに、サラフィー・ジハード主義勢力のアル=ヌスラ戦線とシリア北部のクルド人勢力との衝突も同時に起こっています

これまでの民間人の犠牲数も推測で33万人を超えていて、その正確な数字は把握できていません

 

映画では、ハリメの両親はシリアで亡くなっていて、そこからトルコに祖父母と一緒に避難してきたと言う設定になっています

そして、トルコで祖母が亡くなり、その遺体を母国シリアに埋葬しようと考えているのですね

棺のまま運び込むことは難しく、ダンボールの箱に遺体を詰めても見つかってしまうのですが、元々不可能に近いものだったように思えます

トルコ内の墓地に埋葬されましたが、ムサは国境を隔てるフェンスをよじ登ってシリア国土内に侵入し、砂漠の真ん中で行われていた結婚式に参加すると言う不思議なエンディングになっていました

おそらくはムサの妄想によるもので、ベールに包まれた花嫁はムサの妻なんだと思います

 


サイード・ヌルシー(Said Nursí)について

 

映画の後半にて、ハヴヴァはサイード・ヌルシーの言葉を引用していました

サイード・ヌルシー(Said Nursí)は1877年にオスマン帝国に生まれたクルド人のスンニ派イスラム神学者でした

彼は、コーランの「リサレ・イ・ヌール・コレクション(Risale-i Nur)」を記した人物で、「リサレ・イ・ヌール」はコーランのタフシール(Tafsir=神の意思を明確にするための解説書)であり、全部で14冊の書物から成り立っています

この書物は、トルコの発展のために制作されたとされています

 

この書物を書いたことで、神の知識との新しい直接対話の道を開いたとされていて、彼自身は「コーランそのものから生じたものだ」と語っています

コーランの中から読み解いた「宇宙との対話の必要性」と言うものを熟考する目的を有していて、神の名前、属性、信仰の真実を学ぶ場として提供されてきました

ヌルシーは、この方法こそが「神聖との一体化に通じる」と信じていて、その真実を否定するために生まれてきた学問を非合理的かつ不合理である、と考えていました

 

影響力の強かったヌルシーに危機を感じた政府は、世俗主義を義務付ける法律に違反した疑いによって逮捕し、追放することとなります

その後、イルパルタ市に移住し、ウルファへの旅行の後に、極度の疲労で亡くなったとされています

彼は一度はイブラハムが生まれた洞窟の前に埋葬されましたが、1960年のトルコ・軍事クーデターの際に墓は暴かれて、別の場所に埋葬されることになりました

これは大衆の崇拝を妨げる目的になっていたのですが、それほどまでに影響力が強かったと考えられていました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画は、場所の説明もほとんどないまま進み、どこに向かっているかを明確には説明していません

冒頭で結婚式の行列に巻き込まれるのですが、あれでどこの国のどの辺りとわかるのは現地民だけのように思えます

あとはヒントになるのが国境警備の軍隊の旗などですが、さすがに詳しい人しかわからない感じに描かれていました

 

映画は、どこからどこへと言うのはそれほど重要ではなく、誰と誰がどのような目的で向かっているのかを描いていきます

両親を失った土地に戻ることを余儀なくされる孫娘と、妻との約束を果たしたい祖父がいて、彼らの手元には棺しかありません

ヒッチハイクで少しずつシリアに向かうものの、異国の地の施しを受けながら、寡黙な旅を続けていきました

 

映画では、ムサとハリメの会話はほとんどなく、ムサが「ハリメ!」と呼ぶシーンぐらいしかないのですね

でも、彼らと一緒に動く人たちは雄弁で、どうでも良い話から、説教じみた引用まで多数ありました

後半のハヴヴァとの会話の中で「クローブ」が登場し、それはムサが虫歯になっていると言う会話のなかで登場しています

クローブは香辛料の一種で、この場合は薬的な意味合いを持っていました

なので、生きると言うことのメタファーになっていると考えられます

 

対するカーネーションは、ハリメが持ち歩いている造花で、最終的には祖母の墓に添えられることになります

そこにはハリメが描いた祖母の似顔絵があるのですが、ハリメはこれまでに多くの絵を描いてきました

劇中でムサが彼女の絵を破るのですが、それは冒頭で見た結婚式の行列の絵だったと思います

そして、ラストでは、結婚式の中に身を投じることになっていて、この旅でムサの心境がガラリと変わったことを示していたように思えました

 

映画は、目的を達成できなかったムサを描いているのですが、現時点ではどうにもならないことだったのだと思います

フェンス越しに母国があっても、そこに妻を埋葬することはできません

それが後悔となるのかはわかりませんが、人間が物理的に引いた線の上にあるフェンスの下には、ただの地続きの荒野があるだけなのですね

その線に強いこだわりさえ見せなければ、目的は達成されたと見ても良いのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/97976/review/03379273/

 

公式HP:

http://cloves-carnations.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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