■DitO


■オススメ度

 

ボクシング映画が好きな人(★★★)

父娘の和解の映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.7.29(アップリンク京都)


■映画情報

 

情報:2024年、日本&フィリピン、118分、G

ジャンル:母を亡くし、疎遠の父のいるフィリピンに来る娘を描いたヒューマンドラマ

 

監督:結城貴史

脚本:倉田健次

 

キャスト:

結城貴史(神山英次:ボクシングにしがみついている壮年のボクサー)

 

田辺桃子(神山桃子:英次の疎遠の娘、17歳)

   (幼少期:鈴木さくら

尾野真千子(神山ナツ:英次の亡き妻)

 

Mon Confiado/モン・コンフィアード(シシ:ジムのトレーナー)

Lesley Kina/レスリー・リナ(アナリン:シシの妻、寮母)

Stefanie Veneze Llagas Catimbang(シシの娘、長女)

Princess Ashley Nicole Malgon Durog(シシの娘、次女)

Caden Hann Felomino Villarante(シシの息子)

 

Lou Veloso/ルー・ベローソ(タマゴン:ジムのオーナー)

Buboy Villar/ブボイ・ビラール(ジョシュア:ジムの若手選手)

Sese Claudevan(ロビン:ジムのボクサー、英次のスパーリングパートナー)

Jericho Rodriguez(ジムの若いボクサー)

John John Servilla(ジムの若いボクサー)

Kirt Kian Mejoroda(ジムの若いボクサー)

Kenneth Obianda Alquiza(ジムの若いボクサー)

 

Manny Pacquiao/マニー・パッキャオ(ガブリエル:プロボクサー、王者)

Bennie Lagos(ガブリエルのトレーナー)

Rina Saito(ガブリエルのマネージャー)

Allie Canega(サラザール:ガブリエルのジムのボクサー、英次の対戦相手)

 

ミゾモト行彦(鈴木:フィリピン在住の日本人、不動産屋)

P-san(加藤:鈴木の連れ)

Benzon Dalina(鈴木の手下)

Kazunobu Kitaguchi(鈴木の手下)

 

Benji Bekena(売店の店主)

Noreen Elfondo(街角の娼婦)

Jacq Yu(街角の娼婦)

 

Jaime Villanera Jr.(リングアナウンサー)

 


■映画の舞台

 

日本:山形県

 

フィリピン:

マニラ

https://maps.app.goo.gl/ceNgf2vNkxsx16AcA?g_st=ic

 

バギオ

https://maps.app.goo.gl/3vF359118ehdhbXr8?g_st=ic

 

カビテ

https://maps.app.goo.gl/gkqKgLcb4XxEkev7A?g_st=ic

 

サラガニ

https://maps.app.goo.gl/1bXjP4nPACxZZZUg7?g_st=ic

 

ロケ地:

上記に同じ

 


■簡単なあらすじ

 

フィリピンに渡り、ボクシングに傾倒している英次は、自分よりも若手のボクサーにチャンスを譲り、日々体を鍛える日々を過ごしていた

ある時、疎遠だった娘の桃子がやってきて、奇妙な同居生活が始まる

 

英次の妻・ナツが病気で他界し、高校生の桃子には行き場所がなかった

だが、言葉の通じない国で、さらに彼女の居場所は無いように思えた

 

ある日、英次はジム仲間のロビンとスパーリングを行うことになった

それを見ていたトレーナーのシシと会長のタマゴンは、英次にその気があれば試合を組めると考え始める

だが、英次は一向に心が動かず、そんな折、桃子の住居を探していた際に詐欺師に金を騙し取られてしまった

 

テーマ:空白を埋めるもの

裏テーマ:居場所を作る要素

 


■ひとこと感想

 

フィリピンのロートルボクサーの元に疎遠の娘が来るという流れで、不仲に見える父娘がどのように和解していくのかを描いていました

タイトルはタガログ語で「居場所」という意味で、文字通り「自分の居場所を探す人」たちの物語になっていました

 

かなり地味な作品で、ボクシングシーンも特段凄いわけでは無いのですが、わだかまりを抱えた不完全燃焼感というのはとても伝わってきたと思います

ほぼフィリピンしか登場せず、弱小ボクシングジムの一幕を描いているのですが、背景を知らなくても楽しめる映画だと思います

 

妙な社会性とか、メッセージ性を込めているわけではなく、単に生きづらい方向に行ってしまう不器用な人たちを丁寧に描いていましたね

安心して観られる一方で、特筆すべき特徴が無いと言えば無いので、退屈に感じる人がいるのもわからないではないですね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

本作にネタバレがあるのかは何とも言えないのですが、落ち着くところに落ち着いたという感じになっています

奇跡的なことが起きるでもなく、ファンタジックなことが起きるわけでも無いのですね

あくまでも、等身大のまま、起こるべくして起こった結末になっていますが、本人の中である種の完結感というものが得られたと思うので、ラストの試合には大きな意味があると思います

 

おそらく彼らはフィリピンのどこかに居場所を見つけて、そこから普通の生活を送っていくのでしょう

ボクシングと離れることになるますが、これは神様がもう耐えなくて良いよ、と言っているようにも思えます

 

栄光を見つけたいわけでもなく、ただ許せない自分を追い込みたかった

そんな中で、過去とけじめをつけるためにあの試合があるように思えました

 


フィリピンのボクシング事情

 

フィリピンでは、ボクシングはバスケットボールと並んで最も人気のあるスポーツと言われています

これまでに45人の王者を生み出し、これは世界最多の記録とされています

歴史は古く、外国人がフィリピンに来る前から「スントゥカン(素手格闘という意味)」という競技があり、これはナイフを使った格闘技「カリ」から発展したと言われています

スペインの入植地時代にはスポーツが禁じられていましたが、この際にナイフなどの武器が使えないことから、素手の競技へと展開し、その後は主流となったという歴史があります

 

1898年のパリ条約にて、スペインはフィリピンをアメリカに譲渡し、1899年にはフィリピン・アメリカ戦争が勃発します

戦後、アメリカ人がボクシングを持ち込み、ソル・レビンソンの作ったボクシンググローブが歴史的な証拠として扱われています

また、フィリピン人の捕虜に教えたという説もあり、その後、黄金時代を迎えることとなりました

 

1902年にフランク・チャーチルとエディ・テイト、スチュワート・テイトがフィリピンを訪れ、彼らがフィリピン人にボクシングを教えていきます

1921年には、フィリピンでボクシングが合法化され、3人はマニラにオリンピック・ボクシングジムを設立します

これを機に、デンシオ・カバネラ、スピーディー・ダド、フローレス兄弟、ピート・サルミナント、シルビーノ・ジャミート、マカリオ・ヴァロンなどの偉大なボクサーが各地から出てくることになりました

その後、パンチョ・ビリャがジミー・ワイルドに勝ち、世界フライ級チャンピオンとなります

パンチョは3回の防衛に成功しますが、その後、狭心症を発症して亡くなってしまいます

さらにフランク・チャーチルも亡くなったため、フィリピンの黄金時代は幕を閉じることになりました

 

1939年、アティリオ・ガルシアがアメリカのフレッド・アポストリを倒し、NYSAC世界ミドル級チャンピオンシップを獲得します

その後の彼は防衛戦を含め、4階級制覇を成し遂げます

1955年には、セブアノ人のガブリエル・エロルデが当時の世界フェザー級王者のサンディ・サンドラーを倒し、これがフィリピンの第二黄金期の始まりだとされています

このエロルデの活躍に触発され、ロベルト・クルス(Roberto Cruz)、ジェリー・ペニャロサを含む20人の世界王者が誕生することになりました

現在は、マニー・パッキャオが1990年代〜2020年代で世界タイトルを獲得するなどがあり、第3黄金時代に突入している段階になっていますね

 


痛めつけた過去に意味はあるのか

 

本作の主人公・英次はボクシングに固執している男で、フィリピンに渡って、そこそこの年になってもずっと続けている人物でした

彼がボクシングに傾倒していた時間、理由などははっきりと分かりませんが、それが原因で家族と距離を置くことになっているというよりは、家族との距離を置くためにフィリピンに逃げている、という感じに描かれていました

おそらくは、妻に対する無力感を感じていて、それが距離を取ることで精神的に耐えている、という印象がありました

 

そんな彼の元に、母親が亡くなったことで行き場をなくした娘・さくらがやってきます

彼女は高校生なので、そのまま一人で日本にいることはできず、全てのしがらみを断ち切って、フィリピンの地を訪れることになりました

英次は父としてどう接すれば良いのかわからず、自分の夢や行き先も定まっていません

その状態で何をしてやれるのかはわからず、元々の不器用さもあって、その関係性はとても気まずいものになっていました

 

人は過去に起きたことを引きずる傾向があって、英次はその傾向が特に強いように思います

彼はあまり試合には前向きではなく、常に体を虐めている印象があって、自分よりも有望な若手にチャンスをあげて欲しいと考えていました

でも、ジョシュアの敗戦と離脱によって、英次は考え方を改めることになります

過去に対する考え方も変わり、どちらかと言えば「今」を見るようになっていったと思います

 

彼が自分を痛めつけるのは自分への怒りだと思いますが、殴っても殴っても、過去は何の痛みも感じてはくれないのですね

逆に、過去を殴っている英次を見て傷つく人がいて、それをさくらを通じて、母親が見ているような錯覚を覚えていくようになります

でも、このジレンマから逃れるためには「区切り」というものが必要で、彼自身は「自分が倒れない程度の力でしか殴れない」という弱さがありました

そして、その強さを与えてくれるのは試合相手しかいない

それが彼がリングに立つきっかけを生んだのかな、と感じました

過去に囚われている自分を倒してくれるもの

それがリングにあると確信し、全てを捨てる覚悟で試合に臨んだのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、監督が主演を務めている作品で、ストイックなトレーニングのシーン、試合のシーンなどを演じて、演出されている作品でした

ボクシング映画はたくさんありますが、監督が自らボクシングをする作品は珍しく、同時期に公開された映画では『YOLO 百元の恋』などもあります

こだわりが強い反面、映像を客観視して観られない(撮影中)というデメリットがあるのですが、これは撮りたい画に対して、撮影監督や他のスタッフとの連帯感、信頼関係が相当強いのだろうなと想像しています

 

スティーヴン・R・コヴィーの『7つの習慣』には、「終わりを思い描くことから始まる」という言葉がありますが、この「終わり=目標」を個人で設定するのと、それを共有するのとではレベルが格段に違います

監督自身がOKを出す撮影を重ねていく上で、演者も撮影者も監督の中にあるスケールというものを理解していきます

これは「演者が演じる場合」なので、同じ目線(客観視)で指摘をしあえるのですが、演者が監督の場合に客観視を共有するというのはなかなかハードルが高いものだと思います

演者の場合は、演者の力量、心理状態を考慮した妥協が生まれる場合がありますが、自分が演者だとその妥協が生まれにくいのですね

なので、必要以上に追い込むことになってしまい、オーバーワークになる危険性があります

 

自分に甘い人はそうでもないと思いますが、映画から感じる印象だと、監督の暴走を誰かが止めないとヤバいという印象はありますね

その匙加減が非常に難しいのは、監督が演じる英次というキャラクター設定にも理由があります

彼は自己嫌悪によって自分を痛めつけるキャラでもあり、その歯止めをどこに設定するのかが監督自身のスケールになっています

それが第三者的に見える場合もあれば、心理的バイアスによって危険を察するレベルで止めるという感覚的なものに委ねられます

そう言った意味において、今回のセルフマネージメントはかなりハードルが高いのかなと感じました

 

実際のボクシングでもタオルを投げて試合を止めたり、レフリーストップがかかる場合があるのですが、それは得てして「限界を超えてしまう手遅れ」と「限界手前の後悔を残すレベル」の間でせめぎ合うことになります

スポーツだと命に直結するので判断は早いし、熟練したプロが身近にいるのですが、映画撮影におけるボクシングはある意味プロ(撮影に関して)である一方で、ある意味素人(スポーツのリスク)という部分があるので、専門家の監修のもと、映画的にはギリギリを攻めたいという欲求に応える必要があると思います

このあたりの匙加減が絶妙だなあと思って観ていたので、相当ブラッシュアップさせた結果の映像なのだと思うのですね

そういった意味において、本作は心に刺さる部分があるのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/100819/review/04087231/

 

公式HP:

https://www.ditofilm.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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