ロバ目線に興味のある人(★★★)

社会風刺の映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2023.5.9(京都シネマ)


■映画情報

 

原題EO

情報2022年、ポーランド&イタリア、88分、G

ジャンル:サーカスのロバの目線で描かれる人間世界を描いた社会派啓発ドラマ

 

監督イエジー・スコリモフスキ

脚本エバ・ピアスコフスカ&イエジー・スコリモフスキ

 

キャスト:(ほぼ登場順)

HolaTako&Marietta&Ettore&Rocco&Mela(EO:サーカスのロバ)

 

サンドラ・ジマルスカ/Sandra Drzymalska(カサンドラ/マグダ:サーカスのパフォーマー)

Tomasz Organek(ジオム:サーカスの団員)

 

Aleksander Janiszewski(EOを没収する廷吏

Delfina Wilkonska(動物愛護団体の活動家の女性)

 

Lolita Chammah(ドーラ:馬と写真を撮るモデル)

 

Andrzej Szeremeta(獣医)

Piotr Szaja厩舎の用務員

 

Agata Sasinowska(カジャ:牧場の従業員、子どもたちに童話を読み聞かせる女性)

 

Michal Przybyslawski(ゼネク:サッカー選手、消防隊員)

Anna Rokita(ドロータ:ゼネクの同僚)

Katarzyna Russ(バーテンダー)

Wojciech Andrzejuk(フーリガン)

Mateusz Muranski(フーリガン)

 

Waldemar Barwinski(EOを治療する獣医)

Saverio Fabbri(EOに蹴られる動物のトレーダー)

 

マテウシュ・コシチュキェビチ/Mateusz Kosciukiewicz(マテオ:馬運車の運転手)

Gloria Iradukunda(ジーア:物乞いの女

Fernando Junio Gomes da Silva(マテオを襲う男

 

ロレンツォ・ズルゾロ/Lorenzo Zurzolo(ヴィトー:司祭)

イザベル・ユペール/Isabelle Huppert伯爵夫人、ヴィトーの恋人)

 


■映画の舞台

 

ポーランド:ヴロツワフ

 

ロケ地:

ポーランド:ブコフスコ

Bukowsko, Podkarpackie, Poland

https://goo.gl/maps/Rf5Q6q6vPWWsonSF9

 

ポーランド:リマヌフ

Rymanów, Podkarpackie, Poland

https://goo.gl/maps/esxdECBw37n4y7y79

 

ポーランド:ビスウォチェク

Wisloczek, Podkarpackie, Poland

https://goo.gl/maps/h7taPvWZM8YtWAP5A

 

ポーランド:ビストシツキエ湖

Jezioro Bystrzyckie, Dolnoslaskie, Poland

https://goo.gl/maps/Rk34d68RQejFUeyk8

 

ポーランド:ヴィラヌフ宮殿

Palace, Wilanów, Warsaw, Mazowieckie, Poland

https://goo.gl/maps/LnLvwJKt2NiBq1229Wilanów

 

イタリア:ローマ

Rome, Lazio, Italy

https://goo.gl/maps/1Men3nZbgVnE7xKN8

 


■簡単なあらすじ

 

サーカスに所属しているロバのEOは、パフォーマーのカサンドラとともに観客を湧かせる名コンビだった

だが、動物愛護団体の活動によってサーカスは禁止され、EOは没収されてしまう

失意に暮れるカサンドラだったが、現実は容赦なかった

 

その後、EOは競走馬の厩舎に預けられたり、牧場で飼われたりしていたが、カサンドラとの再会をきっかけに辺りを彷徨うことになってしまう

夜の森ではハンターに遭遇したり、闇の中に潜む何かに怯える時間を過ごしていたが、町に向かった際に消防隊員に保護されてしまう

 

消防隊員たちがサッカーに明け暮れている中、試合の重要な局面でEOは物音を立ててしまい、負けたチームに腹いせに殴打されてしまう

生死を彷徨う中、EOは懸命に生きて、次なる土地へと向かうことになった

 

テーマ:動物目線の人間の行動

裏テーマ:エゴと暴力と承認欲求

 


■ひとこと感想

 

動物愛護団体の活動の余波を受けて保護されるロバのEOを描いている本作は、彼の目線で人間の愚かな行動を描いていく力作になっていました

赤と黒のコントラストが強烈で、そのシーンの前後でテイストが変わる印象がありますね

 

保護されたあとは無関心な愛護団体は、EOがどのような顛末を経たのかを知る由もないでしょう

都会に来てからも扱いはそんなに変わることはないのですが、より一層危険な匂いが漂っています

より暴力的になって、むちゃくちゃになるのですが、その煽りを受けたりと散々だったりします

 

EOを愛する人から剥ぎ取られ、それによって動物以下の扱いを受ける中で、ようやくEOを愛する人が登場しても長続きしません

人間社会において、家畜の幸せとは何かを突きつけてきますが、人間が愚か以外の感想がなかったりしますね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

前半は牧歌的な雰囲気がありましたね

EOの扱いが悪くても、どちらかと言えば無視されている存在でした

でも、後半になると、EOは暴力の対象になり、その存在が良くも悪くもクローズアップされます

 

行く先々で様々なことに巻き込まれるのですが、EOの瞳はいつも健気で儚さと哀愁を漂わせています

時折、カサンドラとの日々を思い起こすようなショットが挿入されますが、このイメージは人間側が植え付けているものだったりします

なので、EOが本来何を見ているかはわからなかったりするのですね

 

映画は、説明がほとんどなくても意味がわかる内容になっていて、唯一理解できなかったのはロボットのシーンですかね

あれは唐突すぎて意味が分からず、ちょっとだけ困惑してしまいました

 


動物目線で見た人間世界

 

映画は、EOがサーカスから連れ去られ、その後様々な場所を転々とする様子が描かれていきます

競走馬の厩舎、牧場、寂れた邸宅などを経て、最後は屠殺場へと向かいます

サーカスでは役割がありましたが、厩舎では単なる飾りになりモデルの添え物として被写体になってしまいます

それでも、ここまではまだEOには役割があるのですね

でも、牧場に来ると役割が完全に消えてしまいます

 

牛や馬には役割があっても、EOはただそこにいるだけで、それは楽に思えますね

でも、これまで何かに仕えてきたEOにとっては、何もせずにそこにいれば良いと言うのは苦痛に近いものかもしれません

その牧場にカサンドラが来たことで、「ここは自分のいる場所ではない」と考えます

そして、牧場を抜け出した先にあったのは「生死の危険」だったのですね

牧場は役割はないけど「安全」があり、そこから出ることは「役割も安全もない場所」になる

サッカーの試合で「存在感」を見せたEOは、望まれていない役割を主張することで危険へと向かいます

 

なんとか一命を取り留めたEOは、二束三文でも良いからと言う感じで売られ、「誰かの役割になれるかもしれない場所」に向かうことになります

馬運車に乗せられたEOでしたが、そこで運転手が殺されると言うアクシデントに見舞われ、司祭のヴィットに拾われる

ヴィットは慈悲の心でEOを保護しましたが、ヴィットは聖人ではなかった

彼がEOを保護したのは、自分の置かれている状況を無視した上での自己満足に過ぎず、EOを助けたことで自分の心を軽くしようとしているだけでした

そして、EOはその場所から逃げ出し、運悪く屠殺場に向かう群れの中に紛れ込んでしまうことになりました

 

これらの流れは、EOを受動から能動に変化させることになるのですが、あくまでも意図的なストーリーテリングになっているのですね

そして、EOが屠殺場に送られることと言うものが、「サーカスを追われた段階でいずれ来るであろう未来」として、観客が想像したものに近かったように思えます

EOがカサンドラ以上に愛してくれる人と出会う確率と、無惨に虐待を受ける確率と、役に立たずに廃棄される確率を考えた時、家畜としての役割のないEOは、自然に還る以外の生き残る道がありません

でも、EOはずっと人間社会で生きてきたので、森に帰っても怯え、そこでは暮らせないことを悟りました

EOが街に来たのは、人間の匂いを追ってきたとも言え、EO自身がカサンドラの代わりを探していたようにも見えてくるのが不思議なところだと思います

 


門を出た先にあったもの

 

EOがヴィットーの屋敷を出た後、ダムのあたりで映像が逆再生になっていました

ダムの放水が逆になり、流れていく水も逆さまに流れている

でも、カメラのアングルは「上から下へ」と逆再生にはなっていなかったりします

 

あの門を出たのはEOの意思のようにも見え、それは「人間社会で生きることへの絶望」が導いたようにも思えました

カサンドラの代わりになれそうな人物はサッカー選手のぜネク、馬運車の運転手マテオ、司祭のヴィットと言う順に遭遇します

勝利の神様のような扱いだった町では、フーリガンによってゼネク共々命の危機に瀕する状況まで追い込まれます

マテオとの旅はそれなりに希望がありましたが、彼の行動によって通り魔に殺されると言う事態が発生します

 

その先にあったヴィットとの時間は、ようやく安息を見つけたかのように思えました

彼はロバの肉を食べたことも話すし、自らの過ちを後悔している節がありました

人生をやり直そうと考えていたとも思えるのですが、彼には伯爵夫人がいたのですね

ヴィットのギャンブル依存症によって屋敷を失った伯爵夫人は、何の役にも立たないEOにどのように接するでしょうか

彼女に秘められた暴力性は、「モノ」に対して発揮されるのですが、彼女がEOを愛玩動物と取るか、「モノ」と取るかは微妙なところがあるように思えました

なので、野生的な直感として、彼女から何かしらの憎悪を感じていたのかもしれません

そして、神の啓示のように扉が開き、EOは吸い込まれるように屋敷を後にすることになっていました

 

この前提を考えると、EOの行動は主体的かつ受動的であるように思えます

相反する二つの感覚ではありますが、理由づけができれば主体的と言う見方もできるので、この二つの行動原理は実は曖昧なものになっています

そうした観点から、この先の出来事が「運命なのか否か」と言う感じにも見え、それを暗示するかのように「逆再生」と言うものが生まれます

これは「警告」の意味を持っていて、「行くべきではない場所に行こうとしている」と、神様がヒントを与えている、とも解釈できます

でも、EOはそれに気づくことなく、屠殺場への群れに紛れ込むことになってしまいました

 


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本作は、動物愛護団体の行動が引き金となっていて、その後団体はEOに対するフォローをしません

あくまでも、サーカスで使われていることが動物虐待だと訴えていて、それが叶えば「その後EOが虐待を受けようが殺されようが知ったことではない」と言う風に描かれています

実際の愛護団体がどこまで面倒を見るのか知りませんが、本作のテイストでは「人間のエゴに振り回されるEO」を描いていて、その発起こそが最大のエゴであると言う風に描いています

 

動物愛護の観点からすればサーカスでEOを使うことは虐待になると思います

でも、サーカスで鞭を振るう者もいれば、大切に扱う者もいて、環境が愛情の有無を保証するわけではありません

厩舎ではEOは競争にも参加できず、競走馬の興奮を和らげる清涼剤にもなりません

牧場は安全で食事もできるので良い環境に思えますが、EOはそこで何かをすることはできません

ただ、1日中草を食べて過ごす日々しかなく、飼い主は餌さえやれれば完全に放置と言う感じになっていました

 

サッカー場では勝利の神様に祭り上げられますが、負けたチームのフーリガンによって、忌み嫌われる存在になって、攻撃対象としてボコボコにされてしまいます

サッカー場では、EOは何もしていないのに「役割を押し付けらている」と言う状況になっていて、暴力も安全もEOに何かを与えることはありません

人間のエゴのぶつかり合いの末に巻き込まれ瀕死になる

この流れになることを動物愛護団体が想像しているとは思えません

 

愛護団体からすれば、EOを厩舎に預けたことで、「プロならば問題ない」と言うやや傲慢な押し付けを行なっています

言わば、EOにとってふさわしい場所選びには興味がないのですね

ただ、保護をして主張さえ通れば良い

これが映画で描かれる愛護団体ということになり、本当の愛護団体からすれば反発するでしょうし、「ちゃんと最後まで面倒を見る」と言う団体もあると思います

EOに人権があるのかないのかと言う問題に行き着き、それを認めることで虐待と言う状況が認知されるのですが、広い視点で見れば、「EOにとっては、サーカスこそがいるべき場所だ」と言うことがわかると思います

むしろ、そう思うように作られているのが本作の仕掛けであると考えられます

 

EOがいずれ無惨な死を迎えるで有ろうと言う想像は、これまでの動物虐待の歴史の中で積み上げられた経験値のようなものです

これは、人間側の想定する「虐待動物の末路」の一つであり、絶望的な運命へと進んでいきます

EOが誰にも愛されずに終わることを想定するのですが、それはカサンドラとの別れ方がそう思わせているのでしょう

 

EOにとって帰るべきところはカサンドラの元しかなく、それを肯定できないマインドがあるですが、映画の本質を見ればその意図というものが汲めると思います

本作の映画制作でも動物たちが演技をしますが、それらは広義の意味で虐待にあたると言えます

動物の安息が「好意的に接してくれる人間のそば」ということであれば、それは愛玩、家畜に限らず、自分のことを愛し、役割を与えてくれる存在であると言えます

なので、愛護の立場を尊重しつつも、全ての動物が同じように不遇であるとは言えないのですね

これをまともに描くと反発が多いのですが、そのリスクを避けつつも「思いっきり」愛護団体のせいでEOが死んだと見せているのは巧妙であると思います

 

ラストシーンは屠殺に使われる銃の音がしましたが、普通に考えれば殺されたということになるでしょう

でも、殺されているシーンもなければ、悲鳴を上げながら息絶える音も聞こえません

なので、ラストは解釈によるとは思いますが、EOは殺されていない可能性があるのですね

それが冒頭のサーカスの演目と繋がっているように思えました

 

カサンドラと披露していた芸は「死んだフリからの生き返り」であり、それを見事に決めていました

なので、EOが屠殺場で殺されたかもしれないというものと、「屠殺場で殺される前に死ぬ演技をしたかもしれない」と思わせることも可能だと思います

 

映画の冒頭は点滅映像でカットインされまくっているのでよく見えないのですが、ラストの屠殺場との関係性を考えると、「臨死からの再生」というふうに捉えられます

EOがどこまでサーカスに熟知しているかはわかりませんが、冒頭が希望になっているようにも思えるし、そのパフォーマンスは気合の入った極上のサプライズに思えます

 

本来屠殺するべき対象ではない動物が紛れ込んだ時、「仕事として屠殺をしている人」がEOを同じように殺すでしょうか

一応、ロバも食用になるとは言え、EOはそのために育てられたものではないので、流通に乗ることはないと思います

なので、その場にいる人が食用として殺すのか、単にルーティンで殺すのかはわかりません

屠殺の銃の音を聞いて倒れる豚を見たEOが、死んだふりをしたら撃たれないと考えたとしたらどうだろうか?

そんなことを考えるのもアリなのかなと思ったりもしました

でも、ここまで描かれた人間たちを見ていると、その希望は1ミリもないように思えてきますね

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/385639/review/0a5dede3-487a-420a-8636-7c0d4b9dc97a/

 

公式HP:

https://eo-movie.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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