■復活祭で出したらダメな肉って、あるんですよねえ
Contents
■オススメ度
不穏なスリラーが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.12.12(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Family Dinner
情報:2022年、オーストリア、97分、PG12
ジャンル:食事制限を学びにきた女性が奇妙な体験に巻き込まれるスリラー映画
監督&脚本:ペーター・ヘングル
キャスト:
ニーナ・カトライン/Nina Katlein(シモーネ/シミー:体型にコンプレックスを持つティーンエイジャー)
ピア・ピアツェンガー/Pia Hierzegger(クラウディア:シミーの叔母、料理研究家)
ミヒャエル・ピンク/Michael Pink(シュテファン:クラウディアの夫)
アレクサンダー・スラデック/Alexander Sladek(フィリップ:シミーのいとこ)
Mico Basara(シミーの父の声)
Alice Schnelder(シミーの母の声)
■映画の舞台
オーストリア:
ウィーン郊外
ロケ地:
オーストリア:ウィーン
オーストリア
ニーダエスターライヒ/Niederösterreich
https://maps.app.goo.gl/h8BjMLXmzgVWG7nP6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
過食気味で体型にコンプレックスを持っている10代の女の子シミーは、料理研究家の叔母クラウディアのもとで、イースター休暇を過ごすことになった
クラウディアには息子フィリップがいて、再婚相手のシュテファンと三人で過ごしている
シュテファンとフィリップは狩に出て獲物を仕留め、それをクラウディアが調理していた
ある日、クラウディアはフィリップから「ここから逃げたい」と考えていることを告げられる
シミーは折り合いのつかない義父シュテファンから逃げたいのだと思っていたが、実は母親から逃げたがっていた
日を重ねるにつれて、クラウディアの狂気性を感じ取ったシミーは、フィリップと一緒に逃げることを約束する
だが、決行の日、フィリップはシミーを置いてどこかに消えていた
シミーは置き去りにされたと思い込み、そしてクラウディアの作る食事でイースターを祝うことになったのである
テーマ:呪縛
裏テーマ:捕食
■ひとこと感想
太った女の子が食事改善と叔母とすると言う愉快な雰囲気はなく、冒頭からホラー感溢れる内容になっていました
一見普通に見える家族が実はおかしくて
と言う系統のスリラーになりますが、オチ以外に響くものはありません
そのオチもある程度想定できるような感じになっていて、どうやったら逃げられるかと言うスリラー要素が強めになっていましたね
映画は、人里離れた一軒家で起こる惨劇を描いていて、時代設定が読めない作品になっています
シミーがスマホで母親たちと話す機会があったので、おそらく現代劇になると思いますが、この一家の生活様式は一昔前のもののように感じました
物語はあってないようなもので、オチの気持ち悪さくらいしか特徴がありません
クラウディアの秘密のノートもほぼ解説なしで進みますが、そこでオチをバラしてどうするんだ?と思ってしまいましたねえ
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
イースターに出てきたお肉は実は◯◯だったというオチで、わかっているけど気持ち悪さと言うのは感じられましたね
逃げ出せそうで逃げ出せないのが体型のせいなのかわかりませんが、意外と俊敏に動けているように思えました
フィリップがいつから母の異変に気付いたのかとか、自分の身がヤバいと感じたのかは分かりませんが、再婚相手との生活の中で「不要」を感じたのかもしれません
終始、不穏なムードが漂いますが、怖さを感じないホラーという感じでしょうか
気味悪さよりも、気持ち悪さの方が先立つ感じになっていて、全編を通じて室内会話劇になっているので、暗くて目が疲れる映画でした
オチに関してはあっさりとしたもので、素早いフットワークできるやんと思ってしまいましたね
クラウディアの最期はコントのようなものですが、介錯されないまま放置されるシュテファンは可哀想だなあと思ってしまいました
■クラウディアが傾倒していた思想
クラウディアは栄養士として働き、多くの知識を有するとともに、黒魔術が古代文字などに興味を持っていました
栄養士としての側面はそこまで分かりませんが、絶食させて、食事に対する渇望を誘発しようと考えていました
空腹に勝るものはないという感じで、欲望をコントロールしようと考えていました
全てはイースターのための布石ということで、計算されたものだったことがわかります
黒魔術自体がどんな属性なのかはほとんど示されず、古代文字などで埋め尽くされたページや、カニバリズムをモチーフにした絵画などがありました
イースター(復活祭)というのは、キリストの復活を祝うお祭りで、イースター前には断食というものが行われます
そして、イースター当日にはそれが解禁となり、卵や肉料理などを食べることになります
シミーの断食には意味があり、解禁に使われる肉にも意味がありました
イースターにおけるラム肉はキリストのシンボルとされているもので、それをフィリップに置き換えているのがクラウディアでした
神の子羊と言われるものを息子に置き換えているのですが、これは新たな命の復活を意味しているのだと考えられます
彼女にとっての、新しい子羊がシミーとは思えませんが、これら一連の神を冒涜する行為は、シミーの手によって罰を下されることになります
クラウディアは火炙りの刑となるのですが、これは最後の審判に彼女が参加できないという意味になり、クラウディアが行ってきた行為はそれに匹敵するほどの罪だったということになると言えるのでしょう
■勝手にスクリプトドクター
本作は、閉鎖空間における奇祭に巻き込まれるというもので、少し前に衝撃を与えた『ミッドサマー』を想起した人も多かったと思います
映画の導入は「ダイエットしたい」というもので、栄養士として名を馳せた叔母を訪ねるという設定になっていました
クラウディアはどの段階で計画を練っていたのかはわかりませんが、フィリップの恐れかたを見ると、初めての儀式ではないように思えます
とにかく、ヤバいので逃げなければならないという気持ちが強く出ていたと思います
映画は、一見普通に見える家族がおかしいというものですが、最初から不穏さを出しまくっているので、物語の展開というものが生まれていないように思えました
恐怖の緩急がほとんどなく、冒頭から「ヤバい奴」が暴露していてはほとんど意味がありません
家族は3人登場し、本来ならば見た目のヤバさは「父>息子>母」という感じになり、同性ゆえに心を許せるという前提があるように思えます
こんなに良いお母さんなのに、なんでみんなは怖がっているの?みたいな感じでしょうか
この不穏さを人物を際出させていく演出に使うのなら、前半は常に「陽の物語」になった方が良かったと思います
いきなり何も食べさせないなどの不穏な印象は無しにして、常に明るい場所での食事があり、イメージとしては「外のテラスで食事をする」というものになります
そこで、父が息子と捕まえてきたうさぎなどを調理して食べるという「ちょっと変だけど普通にも見える」というものが必要になってきます
そして、シミーが馴染んだ頃に、クラウディアの対応が豹変していくという流れになります
いきなり断食に入り、その意味がわからないまま食事を断たれてしまう
シミーは距離感のある父よりは、フィリップの方を頼ることになりますが、クラウディアのスイッチが入ったことを知り、怯えてそれどころではなくなってしまいます
フィリップの混乱がさらにシミーに不穏感を与え、シュテファンの目の色も変わって見える
この急展開によって、前半の明るいほのぼのとしたものが覆って、さらにホラー感が増してくるのだと思います
断食状態になったシミーは、唯一与えられる飲み物などで生きながらえますが、その飲み物には薬が混じっていて、さらに飢餓を増幅させていく
そして、頼りのフィリップが突然姿を消し、シミーの精神が耐えきれなくなっていきます
優しい叔母のふりを保ったまま、クラウディアがイースターの料理を出しますが、シミーにはその正体がわかりません
断食と薬によって狂ったように食事を食うシミーも、急激な飲食に体が拒絶反応を起こします
その絶望的なタイミングで、自分が食べたものがフィリップであることを知るのですね
精神的に崩壊寸前のシミーは、なんとか自分が獲物にならないように抵抗をし、そして、その後の展開はそのままで良いと思います
シミーはイースターの飾りでクラウディアを燃やしますが、そのままシュテファンと家も焼き払い、全てを無に返すことになります
そうして、シュテファンの車でその地を去って終わるというのが、素人なりに考えた改変かなと感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作では、ある目的を人物が不穏な空間に放り込まれて脱出するというスリラーで、残酷描写が重なってホラーのようになっています
とは言え、怖さよりも気持ち悪さの方が先立つ内容になっていて、純粋なホラーという感じはしません
後半のカニバリズム展開も、匂わせ程度になっていて、状況的にはわかるけど、確たる場面はあまり見せないようにしていました
この想像力に頼る恐怖という点では面白かったと思います
ベースがキリスト教の復活祭になっていて、そのあたりの絡みがわからないと意味がわからない内容になっていて、日本ではクリスチャン以外は「?」だらけの映画でしたね
ある程度キリスト教系の映画を観てきて、そこそこ知識があるからわかりますが、まったく知らない人から見たら意味不明な展開と帰結になっていたように思いました
復活祭におけるラム肉を息子の肉に置き換えたことで神の怒りを買うという内容で、その使者がシミーだったという構図になっていて、シュテファンが火炙りではないのも意味があると考えられます
おそらくは、この一連の神に背く儀式はクラウディア単体によるもので、意図を知らずに手伝わされていたというものでしょう
映画では、シミーが様々な不可思議な出来事に直面し、直感的に逃げ出そうとする過程が描かれていますが、背景の説明がほぼないので意味がわからない展開が多かったですね
また黒魔術的なものが暴露されるシーンも、「カニバリズム」であることをはっきりと明示しすぎててなんだかなあと思ってしまいました
そこは、一瞬映るけど「え? 何?」ぐらいの描写で良かったと思います
ガッツリと人が人を食っているイラストを見せてどうするんだと思いましたが、あれを見せないとわからない人もいると判断されたのかもしれません
飽食気味のシミーで、これまでにラム肉を食べたことがあるシミーなら、一口目で「食べたことのない肉」だとわかると思うので、いっそのこと「黒魔術的な何か」もまったく見せない方が良かったかもしれません
その一口によって、シミーがこの家はヤバいと気づくのが最良で、それまでは「人当たりの良さと鈍感さ」で気づかなかった
でも、彼女の味覚が「この家のヤバさを瞬間的に感じさせる」ことで、映画はさらにグッと引き締まったものになったと思います
この辺りは個人の好き嫌いの部分だとは思いますが、すごいスローモーションのスローカーブを見せられた内容だったので、改良の余地があるのかなと思いました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
https://klockworx-v.com/dinner/