■特性からの解放が自我の喪失につながるかはわかりませんが、とりあえずは普通に生きていけるならば良かったのかもしれませんね
Contents
■オススメ度
どちらかと言えばリアル寄りのファンタジー映画が好きな人(★★★)
少女の自立の物語が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.5.18(T・JOY京都)
■映画情報
原題:Freaks Out(怖がらせる)
情報:2021年、イタリア&ベルギー、141分、R15+
ジャンル:ナチスの部下の暗躍に翻弄されるサーカス団を描いたファンタジー映画
監督:ガブリエル・マイネッティ
脚本:ニコラ・グァッリャーネ&ガブリエル・マイネッティ
キャスト:
クラウディオ・サンタマリア/Claudio Santamaria(フルヴィオ:「メッツァ・ピオッタ」の団員:全身毛むくじゃらの怪力男)
アウロラ・ジョビナッツォ/Aurora Giovinazzo(マティルデ:「メッツァ・ピオッタ」の団員、電気を帯びた少女)
ピエトロ・カステリット/Pietro Castellitto(チェンテオ:「メッツァ・ピオッタ」の団員、蜂以外の虫を操れる男)
ジャンカルロ・マルティニ/Giancarlo Martini(マリオ:「メッツァ・ピオッタ」の団員、磁石のように鉄を引きつける男)
ジョルジュ・ティラバッシ/Giorgio Tirabassi(イスラエル:「メッツァ・ピオッタ」の団長)
【パルチザン】
マックス・マッツォッタ/Max Mazzotta(猫背の男:パルチザンのリーダー)
Francesca Anna Bellucci(チュジーラ:パルチザンの戦う女)
Michelangelo Dalisi(ガンバレット:パルチザンの間抜けなメンバー)
Olivier Bony(片目の男、パルチザンの孤独を愛する男)
【ベルリン・サーカス】
フランツ・ロゴフスキ/Franz Rogowski(フランツ:「ベルリン・サーカス」のピアニスト)
Eric Godon(ガス:フランツの部下、研究者)
Marcello Arnone(フランツの部下、機械工)
Sebastian Hülk(アモン:フランツの兄)
Anna Tenta(イリーナ:フランツの恋人)
【ベルリン・サーカスのメンバー】
Emilio De Marchi(ウルフ:エラ男?)
Astrid Meloni(毛むくじゃらの女)
Francesco Russo(クラウン)
Rony Vassallo(調教師)
Alessia Dell’Acqua(竹馬の男)
Doriana Dell’Acqua(竹馬の女)
Mirco Pellegrini(クラウン)
Massimo Carbonari(ナイフ使い)
Clayre Carbonari(空中ブランコ)
Aris Martini(アクロバット)
Nando Picard(ジャグラー)
Doroty Picard(豊満な女)
Claudio Carbonari(クラウン)
Armando Melgiovanni(火を食べる男)
Nicolas Picard(ジャグラー)
Desiré Balena(ダンサー)
Andreina Caracciolo(ダンサー)
Anna Gargiulo(ダンサー)
Antonella Martina(ダンサー)
Noemi Mele(ダンサー)
Maria Pia Taggio(バレリーナ)
【ナチス】
Christoph Hülsen(ベン・シュミット:フランツの部下、兵士)
Thomas Steinküler(ユダヤ人を連行するナチスの親衛隊)
Matteo Simone(ユダヤ人を連行するナチスの親衛隊)
Robin Mugnaini(ユダヤ人を連行するナチスの親衛隊)
Riccardo Angelini(ドイツ兵)
Elia Pietschmann(ドイツ兵)
Edoardo Purgatori(ドイツ兵)
Franco Pistoni(タイガー戦車の運転手)
Alessandro Arcodia(ナチス)
Mauro Aversano(ドイツ陸軍総帥)
【ユダヤ人】
Valeria Perri(赤ん坊を助ける女)
Marilena Anniballi(赤ん坊の母)
Daniele Pollace(逃げようとする男)
■映画の舞台
イタリア:ローマ
ドイツ:ベルリン
ロケ地:
イタリア:コゼンツァ・スッペツァーノ
Camigliatello Silano/カミリアテッロ・シラノ
https://goo.gl/maps/AjEnEBhWL9d9G4QBA
イタリア:ペルージャ
Castelnuovo/カステルヌオーヴォ
https://goo.gl/maps/qKShUJ8TNjwfyLfB7
イタリア:ローマ
Viterbo/ビテルボ
https://goo.gl/maps/SaULtRpb6ktds9dm7
イタリア:ローマ
Manziana/マンツィアーナ
https://goo.gl/maps/jwM5m8z7tW5qVYL27
イタリア:ローマ
Tiber Island/ティベリナ島
https://goo.gl/maps/983tBVQPxsZ6NgXV8
イタリア:ローマ
Soriano nel Cimino/サリアーノ・ネル・チミーノ
https://goo.gl/maps/4UmjzXy6nAPuTPHDA
■簡単なあらすじ
イタリアの郊外でサーカスを披露していた「メッツァ・ピオッタ」だったが、ドイツ軍の空爆にあって、命からがら逃げ出した
何とか生き残ったものの、観客となる街人は死に絶えてしまう
そこで、新天地を求めて移動するものの、団長のイスラエルが団員たちの金を預かったまま行方をくらましてしまう
フルヴィオはベルリンのサーカスで仕事を見つけると言い、イスラエルを父のように慕っていたマティルデはイスラエルを探すと言い出す
ベルリンに着いたフルヴィオたちは、サーカスに潜り込むものの、そこを管理しているフランツに捕まってしまう
マティルデもドイツ兵に見つかるものの、相手が体にふれたために電気が生じ、それによって逃げることができた
だが、森の中に逃げ込んだものの、発動した力を制御できずに、そのまま意識を失ってしまった
そして、偶然そこを通りかかったパルチザンに保護されることになる
パルチザンはナチス相手にゲリラ活動を展開していて、彼らの多くは戦争で負傷し、体にハンデを抱えた者たちだった
パルチザンは「花火」を上げる計画をしていて、その邪魔になるマティルデにキツくあたる
「電気を出せば助けられた」というものの、ある理由から、彼女はその能力を封印していたのである
テーマ:トラウマの克服
裏テーマ:異形の悲しみ
■ひとこと感想
治ったはずのバイクが乗り出し10分で再度入院になり、その都合で鑑賞できることになった本作
来週に回ると時間的に無理だったので、滑り込みで観ることになりました
こういった場合はハズレなしという感覚があって、そのジンクスは継続されることになりました
サーカスの見せ物だった4人が団長を救う中で、ナチスに虐げられている人々に遭遇するのですが、戦争の本当の姿をいきなり見せられて困惑しているという感じになっていました
冒頭のサーカスからの空爆の流れが物凄くて、このクオリティで突き進んだら凄い映画になるなあと思っていました
さすがにあのテンションで最後までは無理でしたが、ラストの爽快感は久々のものがありましたね
劇中でも「ファンタスティック・フォー」とか普通に言っちゃうので、意識して小ネタとして使っていましたね
地味な能力ばかりかと思っていましたが、やはり主人公だけは別格のように変身を遂げることになりました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
サーカスのはみ出し者が奮闘する物語で、いわゆる電気少女が覚醒する序章のような内容になっています
師匠越えならぬ、父との離脱という感じになっていて、精神的に成長したマティルダを慈しむ内容になっていました
敵側も異形の悲しみを抱えていて、自分を肯定できるものを探していたという悲哀があります
その起点がヒトラーに捧げるというところがさらに悲しさを倍増させていますね
メッツァ・ピオッタの4人もキャラが立っていて、微力ながらもマティルダを支える役割を担っています
彼女とチェンテオの恋愛が余計かもしれませんが、エネルギーの放出によって、普通に生きていけそうな未来が見えたのはよかったと思います
映画のタイトルはダブルミーニングになっていて、そのままの意味の「怖がらせる」というものと、「Freaks(異形)からの脱却」というものがありますね
マティルダはエネルギーを放出することで能力を失い(確定ではないけど)、フランツは6本目の指を叩き斬るという暴挙に出ました
自分の中にある「Freaks」とどう向き合うかということが命題になっていて、フランツが指を落とした瞬間に勝敗は決まっていたのかもしれません
■見えるFreaksと見えないFreaks
「Freaks」には「異形」という意味がありますが、「何かに熱中している人」という意味もあります
でも、「Freaks Out」というスラングになると「怖がらせる」という意味になるので、「異形のもの」という意味が強調されてしまいます
映画には多くのFreaksが登場するのですが、大きく分けて「見えるもの」「見えないもの」に大別されていました
ベルリン・サーカスのプレイヤーであるフランツは「見えるFreaks」で、左右の指が6本あり、それによって普通よりも困難な音楽を奏でられるというものがありました
彼の容姿は「指を手袋で隠せば」普通に見えるのですが、本人は「ヒトラーのために軍人になりたかった男」なので、見せ物としてサーカスにいるのは不本意であったと言えます
彼と同じように目にみえる系は「フルヴィオ」で、それ以外の3人は「見た目ではFreaksとはわからない」という感じになっています
フルヴィオはベルリン・サーカスにいた猿女(役名です)とおとなの関係になりますが、それは同じ種類の悩みを抱えていたことで共感力が強まり、それによって「これまで封印させてきたもの」が一気に噴出する流れになっています
映画の主人公マティルデは見えないFreaksですが、それゆえに悩みを抱えていました
彼女からすれば見える方がマシに思え、愛する人が能力に気づかないうちに犠牲になるというリスクもはらんでいます
最終的に彼女はチェンテオと良い感じになりますが、それは元々相思相愛だったけど、チェンテオを認めてなかったという部分があったのでしょう
でも、チェンテオのマティルデへの想いは本物で、いわゆる「好きな子に悪戯をする少年」みたいな立ち位置になっていたのは面白かったと思います
彼は「電撃を喰らうこと」を知っていても彼女とキスをしようとする人物で、彼女の特性をすべて許容し、その犠牲になっても良いと考えています
この想いはマティルデにとっては最上の肯定であり、彼女の能力が消失した(ように見える)ことで、接触へのリスクが軽減されていきました
実際に能力が無くなったのかはわかりませんが、彼女の能力の起点となるのは怒りなので、それが消えた今はうまく付き合えるのかもしれません
Freaksに関しては、その特性をどう捉えるかというのが問題で、それは周囲の人間もそうですが、最終的には「本人がどう思うか」に集約されています
映画に出てくる「メッツァ・ピオルタ」のメンバーは、どちらかと言えば肯定はしているのですが、サーカス以外のことで生計を立てられないので「やむを得ず」という側面は否めません
社会に彼らの居場所がないのをやむを得ないと考えるかは何とも言えないのですが、サーカスという職業に貴賎を感じないのであれば、立派なエンターティナーとして、誰にもできないことをしていると捉えることができます
あとは、彼らが真のエンターティナーとして、確固たる自分を持てるかだとは思いますが、彼らのそばにいる人が本人を肯定しながら寄り添えるという背景は必要になってくるのかな、と思いました
■トラウマを消す方法
映画では、マティルデが能力を封印している理由が描かれ、それが幼少期に母を殺した過去であることが知らされています
能力者が能力を封印する理由として、近親者を殺めたという歴史があり、その能力の解放と制御についての苦慮がなされてきたことがわかります
その上で、電球を光らせて破裂させるというところまではできるのですが、その能力によって誰かを傷つけるというところまでは行けません
それが彼女の優しさであると同時に弱さでもありました
マティルデがその能力を解放できたのは、自身の生命の危機というものがあり、仲間が危機に瀕しているというものがありました
生へのこだわり以上に能力を発揮する理由はなく、ナチスからみんなを守るために自我を解放するという方法に出ています
これに関しては、制御云々というものではなく、そうしないと死ぬからであり、生命としての普通の対応になっていると考えられます
映画では、このマティルデの能力の解放を「母との過去からの脱却」というニュアンスで機能していて、それによってマティルデが能力から解放されるという流れになっていました
いわゆるトラウマの克服として、その原因を取り除くという方法になっていて、これは実社会でも使える方策となっています
トラウマ、いわゆる「PTSD=心的外傷後ストレス障害」の治療法にはいくつかあって、「自分の言葉で過去を語る」という「持続エクスポーシャ療法」があります
これは「安全な場所でトラウマの記憶を思い出させる」というもので、トラウマに慣れさせるという効果を期待します
他には、トラウマの原因と自分との関係性を変えるというものがあり、「トラウマが起こったのを自分のせいだ」と考えている人に、そうではないという視点を持たせる意味があります
映画でも、マティルデはそのような思考に陥っていたので、通常の両方だと「事故はマティルデのせいではない」という原因の置き換えを行なっていくことになります
とは言え、特殊な能力を有していたマティルデに、このような療法が通用するかどうかは微妙なところかもしれません
この他には「慣れさせる」という方法で、例えば事故などだと「事故現場に何度も足を運ばせる」という手法になります
その現場は事故を想起させ、また起こるのではないかと思うのですが、何も起こらないことが続くと、それに対する警戒心が薄らいでいくかもしれないということを期待することになります
ちなみに「トラウマとPTSDは混同されがち」なのですが、実際には全く違うものなのですね
トラウマというのは「体験」であり、「PTSDに至るための起因」なのですね
トラウマ(=体験)によって、「ASD=フラッシュバックなどの追体験」が重なり、それが1ヶ月以上続く状態を「PTSD」というのだそうです
トラウマ体験が必ずしもPTSDに結びつくわけではありませんが、結びつかないようにカウンセリングを施すことがあって、これがいわゆる「事件が起きた時の被害者に施される精神的なケア」ということになっています
映画では、トラウマ体験に対する補助的な精神療法は無視されたまま時間が経過しているので、それによってマティルデはPTSDのような状態になっていたのだと考えられます
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は、ほぼ「ファンタスティック・フォー」ということで、映画内のセリフにもパロっていることを匂わせる発言がありましたね
絵的には『X-MEN』のような感じになっていましたが、昨今の「能力系」は出尽くしているので、同じような映像表現になるのは仕方のないことだと思います
フルヴィオは怪力、マティルデは電撃、マリオは磁力、チェンテオは虫を操るということになっていて、それぞれの見せ場をうまく使っていたと思います
映画は、ナチスの力になりたいフランツを描いていて、その狂信的な崇拝が異常行動を誘発していました
彼の特性を知りながらも愛していたイリーナがいたにも関わらず、彼は出世欲と承認欲求に囚われた末に、制御できない能力を支配しようと考えて自爆をしていると言えます
戦場にイレーナが追従し、そこで彼女が非業の死を遂げたとしても、絶対的な能力の前にフランツは何もできません
いわゆる「神の怒りにふれた」という感じになっていて、己の業の深さを認知する暇さえも与えられずに終結へと向かいます
戦車の影にいたことで生き永らえたフランツですが、最終的には自害を選んでいましたね
これは灰になってしまったイリーナが直接的な原因になっていて、彼女の愛を受け取ることができなかった後悔がその行動を促していました
イリーナはフランツが指を切り落としたことを知りショックを受けますが、彼女が思っていた以上にフランツの苦悩は強かったのですね
なので、イリーナはフランツと一緒に死ぬことを考え、無理に戦場に向かったのだと言えます
イリーナの純粋な愛を逃したフランツは、自戒の中で死を選びますが、これは頑なに自分を否定し続けた結果起こったことのように見えます
この苦悩はマティルデ側にもあったものですが、唯一の違いは「選択肢がなかったこと」なのだと思いました
フランツの環境では「軍に認められれば軍人になれる」というものがあってそれに心を奪われていましたが、マティルデたちは「生きていくためにはパフォーマーになる以外にはなかった」のですね
この環境の違いが、Freaks自体を肯定できるかどうかにつながっていて、それが明暗を分けたように思えました
映画では、フランツの苦悩がきちんと描かれているゆえにビターエンドっぽさが付随し、マティルデの能力解放によって得たカタルシスとのバランスを取っているように思えます
このあたりは意図的なもので、もっとフランツ側を悪にすることもできたと思うのですね
でも、それをしなかったのは、Freaks自体が持つ悲壮感とか境遇というものにもっと広義な含みを持たせたかったから、なのかなと感じました
好みは分かれると思いますが、個人的にはこのバランスは良かったと思いますし、フランツが敵だったからこそ、オルガの解放に紆余曲折が生まれたように思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/387340/review/6aab55da-d6a2-4345-8ec8-3c44581acd12/
公式HP:
https://klockworx-v.com/freaksout/