■事件によって親子の絆がどう変化したのかを描くことで、物語の深みというものが生まれたのではないでしょうか
Contents
■オススメ度
ワンシチュエーション・スリラーが好きな人(★★★)
ナオミ・ワッツさんを愛でたい人(★★★)
銃社会反対映画に興味がある人(★★★)
■公式予告編
https://youtu.be/DKathSTlrqI
鑑賞日:2023.5.15(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
原題:The Desperate Hour(絶望的な時間)
情報:2021年、アメリカ、84分、G
ジャンル:息子の通う高校で人質事件が起き、その母がスマホ1台でなんとかしようと考えるワンシチュエーションスリラー
監督:フィリップ・ノイス
脚本:クリストファー・スパーリング
キャスト:
ナオミ・ワッツ/Naomi Watts(エイミー・カー:夫を事故で亡くしたシングルマザー、収税課の職員)
コルトン・コボ/Colton Gobbo (ノア:エイミーの引きこもりがちの息子)
シエラ・マルトビー/Sierra Maltby(エミリー:エイミーの娘)
Edie Mirman(ナンシー:エイミーの母)
クロストファー・マラン/Christopher Marren(ピーター: エイミーの亡き夫)
デビッド・リール/David Reale(CJの声:自動車整備工場「リライアブルオート」の従業員)
ポール・ペイプ/Paul Pape(迎車タクシー)
ジェイソン・クラーク/Jason Clarke(グレッグ・ミラーの声:エイミーの同僚)
ミシェル・ジョンストン/Michelle Johnston(ヘザーの声:ノアが出かけたのを見るエイミーの隣人)
ジャックリーン・キング・シラー/Jacqueline King Schiller(スーザンの声:エイミーの友人、ノアのクラスメイトのマッケンジーの母)
Evelyn Wiebe(マッケンジー:現場から逃げ出せたノアのクラスメイト)
レベッカ・フリン=ホワイト/Rebecca Flinn-White(フィッシャー先生の声:エミリーの担任)
アンドリュー・チャウン/Andrew Chown(ロバート・エリス:高校の職員)
ベブラ・ウィルソン/Debra Wilson(ディードラの声:911担当者)
ウッドロウ・シュリーベル/Woodrow Schrieber(ポールソン刑事の声、事件の責任者)
エレン・デュビン/Ellen Dubin(ブラント巡査部長の声、交渉係)
Josh Bowman(事件現場の警察)
Diane Johnstone(事件現場の女性警官)
Zehra Fazal(ニュース番組のアンカー)
Finley Sellers(叫びながら逃げ出す生徒)
Todd Collins(現場のニュースレポーター)
■映画の舞台
アメリカ:インディアナ州
マリオン郡レイクウッド
https://maps.app.goo.gl/uyFunnZXUz5y4CwZA?g_st=ic
ロケ地:
カナダ:オハイオ州
ノース・ベイ/North Bay
https://maps.app.goo.gl/jiDjgtrPFQCz8GZUA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
夫ピーターを事故で亡くしたエイミーは、事故以来ふさぎがちの息子ノアとの関係が悪化していた
郡の収税課で働く彼女は、ノアに気をかけながらも、小学生のエミリーも放ってはおけず、板挟みの中で心身を疲弊させていく
ある日、ノアを起こしにいったエイミーは、「体調が悪いから休む」といわれ、やむを得ずに学校に連絡を入れる
それから日課であるジョギングに向かうものの、休日なのに職場や母からの連絡が途絶えず「おやすみモード」にして走り続けた
家から8キロほど走ったエイミーだったが、突然郡保安局からの緊急通知を受け取る
事態が飲み込めないまま、「住民に自宅待機を命じ、学校には近づかないように」との文言を聞いたエイミーは、一目散に学校を目指そうとする
タクシーの迎車を頼んでも時間がかかり、事態を知るために911や友人のスーザン、隣人のヘザーなどと連絡を取り合う
ヘザーはノアが出かけたと言い、そこでエイミーは学校の近くにある自動車整備工場のCJの協力を得て、少しでも多くの情報を得ようと奮闘する
だが、警察からの電話では、ノアが立てこもり犯であるようなニュアンスの質問が続き激昂する
そして、CJを頼りにノアの車を確認してもらうことになったのである
テーマ:母は強し
裏テーマ:iPhoneの使い方
■ひとこと感想
シナリオの話をしたしたら1週間が終わりそうな程ヤバいのですが、とにかく勢いだけで魅せてくれましたね
ほとんどナオミ・ワッツさんしか出てこない眼福映画ではありますが、本人も協力者も含めて、本当にヤバい奴しか出てきません
収税課勤務ということで、おそらくは公務員だと思うのですが必死とは言え、あれ最後は逮捕されないのかドキドキしましたね
映画は、ちょっとジョギング行ってる間に「息子の高校で銃器を持った犯人による立て籠もり事件勃発」というシチュエーションになっていて、そこからどうやって息子の無事を確認するか、という流れになっています
その過程で「犯人かも?」という疑惑が出てきて、というお約束のような展開を迎えていきます
とにかくに協力的で危険を厭わない人たちがたくさん出てきますので、アホな話だなあと思って、ニコニコしながら眺めるのが良いのではないでしょうか
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画はほぼナオミ・ワッツさんの一人芝居で、出演者はほとんど「声の出演」になっていましたね
少し前に公開された『THE GUILTY』っぽさを感じました
あの事件が起きた状況で、911担当のディードラが何度も電話で応対できるというのはネタだと思いますが、最大のネタは「母の車を修理しただけの関係の自動車屋が現場近くまで行く」という流れで、彼の情報に振り回されているのはコミカルに思えてしまいます
また、職権濫用で犯人に辿り着くシーンは無茶苦茶ではありますが、逮捕覚悟ならあそこまでできるものなのでしょうか
映画のラストでは「SNSで銃社会と戦う宣言をするノア」が描かれるのですが、危険な方向に向かうなあと思ってしまいます
事件の被害者というネームバリューからインフルエンサーのようになっていくと思いますが、それによって「標的になる」可能性も捨て切れません
このあたりを変化と取るのかは微妙ですが、父の喪失でウジウジしていたキャラとしては変わりすぎに感じました
■銃規制あれこれ
「アメリカ合衆国憲法修正第2条(Second Amendment to the United States Constitution)」にて、「A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.(規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない)」というものがあります
これによって、アメリカでは銃の携帯が保証され、銃規制反対派の根拠となっています
アメリカではすべての銃が登録されていて、手続きを踏まずに譲渡すると、元の持ち主が罰せられることになり、譲渡が確認できる「第三者」としてのガンショップで売り払うことが推奨されています
世界的に見ても「規制」の国の方が多いのですが、規制の国でも「裏取引」などは横行している現状があります
日本だと所持でアウトですが、韓国だと「警察署に預けていればOK」だそうです
中国や台湾では規制が厳しくても「裏流通」は問題視されていますね
インドでは「自衛目的だとOK」で、パキスタンはアウト、マレーシアでは厳格な審査ありでOK、フィリピンは規制が緩いなどの特徴もあります
アメリカではスーパーマーケットで銃が売っているという現実があり、また狩猟用のライフルなどの所持も普通にあったりします
規制するかどうかは国民性によりますが、アメリカの場合だと憲法を変えないと難しいでしょうね
現状で規制が厳しい国が方針を変えることはほぼないと思いますが、裏流通による事件が多発すれば、自衛のための所持というものが認められる風潮はあると思います
銃についての規制は考え方がそれぞれあると思いますが、すべての銃にGPS内蔵のマイクロチップを内蔵させて、リアルタイムで場所と所有者がわかるというぐらいのことをすれば、銃を使った犯罪というのは減るのかもしれません
■勝手にスクリプトドクター
本作は、シチュエーションスリラーの部類になっていて、母と息子の間にある「距離感」というものが命題になっています
その距離感を左右するのが「疑念」となっていて、「息子が犯人なのか?」というものが描かれていきます
その後、その疑惑が晴れるのですが、エイミーの疑念はさほど深くはなく、どちらかといえば「信じているけど裏付けが欲しい」という感じになっていました
この「裏付け」を揺るがそうとするのが前半の「警察の質問」と「いないはずの学校にいるかもしれない」というところになっていましたが、そもそも導入における「エイミーとノアの距離感」というものがはっきりしていないと感じました
映画から読み解けるのは、「事故以来引きこもりがち」で「エイミーは過干渉しない」というもので、父(夫)の事故死によって、「どうしてエイミーとノアの間に距離感ができるのか」というものが描かれていません
もともとノアと父が必要以上に仲が良かったからなのか、エイミーの日常に帰るスピードが速すぎるのかなど、同じ痛みを持っている二人の「心の距離」「事故への向き合い方」の変化というものがわかりません
エイミーと夫の関係性では、「子ども二人を育てないといけない」というシングルマザーとしての義務感があって、仕事に向かう時間がこれまでよりも増えていると考えられます
この「仕事に向き合う」というものを息子目線で捉えると、「立ち直りが早い」という感覚になり、それによって距離感というものが生まれます
この場合は「誤解」というものが先行していて、エイミーの喪失への向き合い方というものがノアには理解できないことで生じます
経済的なこと、親としての自覚に相まって、「何かに没入しなければ精神を保てない」という状況があります
これが如実に現れているのが「ジョギング」なのですね
でも、エイミーが「没頭の手段にジョギングを選んだ理由」というものが映画では描かれていません
ノアと父の関係性、エイミーとジョギングの関係性、これらをまとめ上げるには、「父(夫)の日課だった」という設定にするのが無難だと思います
ノアからすると「父の死後に父の真似をする母」というところに違和感が感じますし、エイミーとしては「夫の真似をすることで夫の世界観の中に自分を残しておきたい」という衝動が描かれます
そうした先にある和解というのは、一緒にジョギングをするというもので、SNSで戦う宣言をするよりは、よっぽどメッセージ性があると思います
エイミーがノアに疑念を抱く流れとしても、頑なに自分を拒む理由探しをする中で、「自分の行動が息子にどう映っているか」というところがスルーされています
映画では「エイミーとジョギングの関係性」が描かれないのと、「母がジョギングをしていることに無関心」というものがあって、この「ジョギング」が「単なる森の中に彼女を置き去りする」という効果しかないのですね
なので、「スマホ一台しかない」という状況を作り、その絶望的な「物理的な距離」しか生まれていないといえます
それ故に、警察の質問で誤認をさせていく流れにしても、「エイミーとノアの心の距離感がわからない」ので、「疑念にすらなっていない」という感じになっていて、ただ「エイミーが警察に対して不信感を持つ」という効果しかなかったように思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画では、まさかの犯人への直電という展開があり、それによって事態が悪化したように思えるという感じになっています
でも、実際には「電話越しの情報しかない」ので、あの電話でどこまで悪化したのかはわかりません
なのに、「コンタクトを取れたのはエイミーだけだから」という安直な理由で、「時間稼ぎのための電話」をすることになっていました
エイミーと犯人のファーストコンタクトで「脈がある」ということなら可能性はありますが、「事態を悪化させている」という警察の警察の見解が「ほぼ秒で覆る」という訳のわからない流れになっていました
また、警察に対する不信感を募らせているはずのエイミーが協力をする流れになるのも不自然で、それよりは「不本意な立てこもりをしている犯人側がエイミーにコンタクトを取る」という方が理に適っています
ファーストコンタクトのエイミーの衝動、そこから犯人が思慮を重ねた上で逆コンタクトを取るという流れは、犯人の動機が衝動的であり、後悔の念が生じているという心理を浮かび上がらせます
映画の中では「バカにされた」という理由で自分が働いていた高校に立てこもるのですが、「誰に、どのように」という視点が完全にないので、犯人像というものが全く伝わってきません
犯人の人間性をクローズアップする必要はないと思われますが、計画的なのか衝動的なのかというところでも警察の対応は変わりますし、動機の有無というものは人間性を際立たせます
なので、エイミーのファーストコンタクトは「犯人を人間にする」という観点では有効で、それに対する「反応」というものが人間像を浮かび上がらせていくといえます
エイミーのコンタクトによって何が変わったのか、というところが描かれていないのは悪手で、エイミーの息子が中にいると訴えていたことは「犯人の行動原理を刺激する」という効果があったはずなのですね
何かしらの欲求を通したい場合、ノアは人質としての機能を有するでしょう
快楽殺人であるならば、ノアを狙うことは犯人の達成感を強調します
今回の場合は、その反応がないことで犯人像が浮かび上がらず、それによって事件の深刻さというものが伝わってこないように思いました
子どもに対して銃を向ける意味を考えた時、それが同年代でないのならば、ある種の思想というものが芽生えていると言えます
なので、犯人が大人であるという観点で生まれるものというものが欠落しているように思えました
映画は、スマホ一台でどこまで犯人に迫れるかという方法を描いていますが、それを操作する側が感情的で過保護で自己中心的なエイミーというところが効果的ではないように思えます
単純な「母は強し」というところから抜け出ておらず、「彼女の職業という特殊性が偶然を産んだだけ」ということになっています
映画のテーマは「子どもを守る母の強さ」ということになると思いますが、エイミーの強さというのが一体何なのかはわからないのですね
ある目的のために見知らぬ他人を巻き込んで、結果オーライになっているだけなので、それでは映画としての深みが足りないのではないかと感じました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/386765/review/1b579235-aa77-449d-95d0-b5c507a6df38/
公式HP: