■絶望感が足りないのは、時代設定的な最終兵器が登場していないからだと思います


■オススメ度

 

とりあえずゴジラ映画ならOKの人(★★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2023.11.3(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

情報2023年、日本、125分、G

ジャンル:戦後復興の最中に突如現れた未確認巨大生物に蹂躙される東京を描いた怪獣映画

 

監督脚本山崎貴

 

キャスト:(わかった分だけ)

神木隆之介(敷島浩一:戦争から帰還した青年、元特攻隊員)

 

浜辺美波(大石典子:焼け野原で生き残った女性)

永谷咲笑(明子:典子が焼け野原で保護した少女)

 

佐々木蔵之介(秋津清治:戦後処理の特殊任務船「新生丸」の船長)

山田裕貴(水島四郎/小僧:戦後処理の特殊任務船「新生丸」乗組員)

吉岡秀隆(野田健治/教授:兵器開発に携わっていた男)

 

青木崇高(橘宗作:元海軍航空隊の整備班)

阿部翔平(橘の助手、整備員)

三津川隆介(稲垣栄次郎:整備員)

遠藤雄弥(斎藤忠征:整備員)

赤妻洋貴(山縣重治:整備員)

日下部千太郎(加治木末吉:整備員)

 

安藤サクラ(太田澄子:敷島の隣人)

 

田中美央(堀田辰雄:元「雪風」艦長、巨大生物対策チームの責任者)

 

飯田基祐(板垣照夫:東洋バルーンの係長)

伊藤亜斗武(東洋バルーンの社員)

 

持永雄恵(「高雄」乗組員)

市川大貴(「高雄」乗組員)

 

松本誠(松本:作戦に参加する元軍人)

谷口翔太(谷口:作戦に参加する元軍人)

鰐淵将市(元軍人)

 

橋爪功(逃げる都民)

阿南健治(役所の人事課)

水橋研二(震電の格納庫案内人)

弓島菜央(女娼)

須田邦裕(実況リポーター)

千葉誠太郎(国電の運転手)

 


■映画の舞台

 

1945年、

日本:東京

 

ロケ地:

茨城県:笠間市

筑波海軍航空隊記念館

https://maps.app.goo.gl/qFqLi3mScxyAjvVd6?g_st=ic

 

茨城県:美浦村

 

静岡県:浜松市

天竜川沖の遠州灘&浜名湖

 

長野県:岡谷市

旧岡谷市役所

https://maps.app.goo.gl/UQEFCxp5sa9X8YyU9?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

1945年、戦争に負けた日本は、軍部が解体され、GHQ主導のもと復興に向かうことになった

先の大戦で生き残った元特攻隊員の敷島は、生家に帰るものの、隣人の太田ぐらいしか顔見知りで生きているものはいなかった

 

ある日、通りがかりに逃げる女・典子から子どもを託された敷島は、そのまま典子と赤子を家に住まわせた

赤子は典子の実の子ではなく、死にかけていた人物から託されていて、彼女には先立つものが何もなかった

奇妙な共同生活が始まり、敷島は海洋に投棄された機雷の回収の仕事に就くことになった

 

船長の秋津、見習い小僧の水島、元技術士官の野田たちと機雷の撤去をして金を稼いでいたが、ある日、沖合で破壊されている米軍駆逐艦と遭遇する

それは、ソ連のミサイルなどによる被弾なのではなく、未知の存在によるものだと推測された

そして、その爪痕は敷島のある過去を甦らせてしまうのである

 

テーマ:民間の力

裏テーマ:命を賭ける意味

 


■ひとこと感想

 

戦後復興期に突如現れた大怪獣ゴジラということで、その映像的迫力を堪能する作品なんだろうと思って鑑賞

思った以上にドラマパートが長く、その質が低いので、ちょっとだけ中弛みしてしまったように思えます

 

映画は、元特攻隊員の生き残りが活躍するというもので、焼け野原の縁で関わりを持つことになった女性との関係が描かれていきます

その女性が赤の他人の子どもを託されていて、その奇妙な生活の中で何かが芽生えるのではと思わせる内容になっています

 

特殊な仕事をする中で、特殊な任務に携わっていくのですが、案の定、なんでもかんでも台詞で説明するという、ダサい邦画の特質を踏襲する内容になっていましたね

また作戦自体の説得性もありませんし、上陸後の影響もほとんど無視されていたりします

 

主人公たちが孤軍奮闘で戦う理由も台詞で説明されますが、あの状況でその判断をするアメリカ、日本政府、米軍というものの存在はファンタジーにしか思えませんでした

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

本作は、アメリカの核実験の余波を受けてかどうかわかりませんが、どこかで生まれたゴジラが巨大化するという流れになっていました

それが終戦末期の島に登場し、そこにいたほとんどの人間を殺してしまいます

それも咥えては投げという感じで、食べるとかではないところが不思議な光景でもありました

 

そこから東京近郊に登場し、なす術もなく上陸し、勝手に帰っていくのですね

このあたりの流れは、怪獣映画あるあるという感じで、人智の及ばない行動になっています

 

映画は、首都上陸を果たしたゴジラの再上陸を迎撃しようとするもので、その作戦が駆逐艦二隻で囲んで、科学原理を利用して海底に一気に沈めようと考えていました

そして、奥の手として、再度上昇させて、重力を以てゴジラを倒そうとするのですが、このあたりの科学的な説明も結構ザルな感じになっています

 

この段階で、敷島による特攻は既定路線のようなもので、その特攻をどう描くかということが命題になっていましたね

無音効果で戦闘機が飛んできて、ゴジラの口にガツンと突っ込んでボン!という、これまたシュールな内容になっていたのは困惑してしまいました

 


ゴジラ迎撃を民間で行う理由

 

本作の特徴は、国難であるはずのゴジラに対して、民間主導で戦うと言う構図であると思います

ぶっちゃけると、GHQの配下にある駆逐艦4隻とか、その他の作戦に関する物資、燃料、人員などの配備の裏側には政府関係者がいることは明白でしょう

でも、表立っては登場できないので、民間主導と言うことにして、ガッツリと政府筋が絡んできたと思います

 

時代設定が戦後になっていて、これは意図的に「日本政府が主導にならない状況」と言うものを生み出しています

GHQが動かない理由は色々とありますが、そこにリアリティはありません

と言うのも、あの時期の東京や横須賀には多くの米兵もいたし、アメリカ人民間人もいました

新宿で多くの人が犠牲になっているのに、ソ連と睨み合いしているから無理というのは、アメリカ本国でも物議が沸き起こる案件だと思います

 

アメリカが登場するとド派手な戦闘シーンが必要で、マッカーサーなら3つ目の核を横須賀に落とすということもしたと思われます

でも、流石にそのシナリオで作るのは不可能に近いので、無理やりアメリカを排除することになっています

ゴジラに負けたとも描くことはできないのですが、できることとすれば「アメリカも突然のことで判断できない」くらいになると思うのですね

首都に大怪獣が上陸して何もしない政府というのはないので、横須賀とかいろんなところから爆撃機が飛んで、戦車隊も激撃をするものの、軍隊=火器使用では歯が立たないということで、民間のアイデアを登用するという流れになると思います

でも、この作戦が成功するとは思えないので、道具の準備は手伝うが、政府が関わったとは言わないでくれという密約があったという方がリアルサイドには寄っていくのかなと思いました

 

映画は、そういった政治寸劇は完全に無視していて、それは「太平洋戦争における軍部主導は間違いだった」というメッセージを強調したいからなのですね

なので、それをやるのならば、駆逐艦ではなく、民間の捕鯨船を使うなどして、軍事色を完全に排除した方が良かったように思えます

 


勝手にスクリプトドクター

 

映画は、朝ドラレベルの昭和劇が話題になっていて、その部分のパートが丸ごと酷評の嵐になっています

敷島が雨に濡れて帰ってきた時に「大雨でずぶ濡れだ」というセリフを言うのですが、見ればわかることをわざわざセリフにしていたりします

この部分だけを見ても、脚本のレベルの低さというものが伺えます

 

映画は、ゴジラの強さを見た目でわかるように強調しているのに、人間ドラマだけはやたら説明セリフが入ってしまう

これでは「安い」と言われてしまうのもやむを得ず、ひたすら説明セリフを繰り返すために、肝心のメッセージ性が込められた長セリフも埋もれてしまっているのですね

そこまで語らないキャラが熱く語るからこそ伝わるのであって、普段から饒舌な人間の言葉に重みが感じられるとは思えません

 

また、最後の作戦に関しても事前ネタバレが過ぎて、敷島の震電での特攻を予告しすぎなのですね

橘を迎え入れて「爆弾を積み込ませるシーン」があるのですが、そこでもガッツリと説明を入れてしまう

これによって、浮袋ミッションの失敗は確定してしまっていて、緊張感も何もあったものではありません

あのトンデモ科学作戦が成功するのでは?と思わせることもなく、特攻のための前振りになっているところは稚拙としか言いようがありません

 

橘を招くというシーンは必要でも、戦争が終わっているので「特攻」の匂いは完全に消さないとダメでしょう

作戦の失敗もゴジラが袋を噛み切ったというものよりは、成功したけど耐えたという方がわかりやすいのですね

それぐらい人智を超えたものとしての畏怖があって、それを何とかする方法として、敷島が特攻を思いついてしまう

このシーンは橘の想像をも超える必要があって、彼との会話の中で「ようやく覚悟が決まったか」とか言わせるべきではないでしょう

橘は頼まれたものを積んだけど、それはゴジラが圧力で苦しんでいる時に落とすものだと思っていて、でもその想像を超えた選択を敷島が選んでしまう

その先に、「実は爆弾用のレバーは脱出ポッドのレバーだった」みたいなネタバレがあっても良かったのかなと思います

 

敷島は低空飛行で「内部で爆発をさせるためにギリギリを飛ぶ」ということは読めるし、それを作戦の一環に考えているとする

そして、機を完成させるに至って、敷島の異変に橘が気づく

あの時、部下のために犠牲になれと言ったことを彼は思い出し、そして敷島に特攻をさせないように細工をすることになる

それが、爆弾投下と同時に脱出ポッドが開くという仕様になるというもので良かったと思います

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作はゴジラ映画として、彼が暴れるシーンは最高だったと思います

でも、ドラマが朝ドラっぽくなっていて、昭和の苦労する人々というところが重なりまくっていたからでしょう

若くて健全な男女が、ひとつ屋根の下で暮らしているのに何も起きない

ここまで来ると、何もしないことで典子を傷つけているようにも思えるのですが、「俺の戦争は終わっていない」という一言で全てを説明してしまっていました

 

典子も彼がその気ではないことを気づいていて、自立しようと考えるのですが、彼女の気持ちはあまりはっきりとは描かれていません

こういう時に澄子が余計なことをいうというのがセオリーで、ここまで朝ドラ感があるのなら、明子に「パパ、ママ」と言わせて、典子がまんざらでもない表情をするというベタな展開があっても良いと思います

敷島は「人並みの幸せを考えたことで典子に不幸が起きた」と思い込んでいますが、そこまで幸せに近づいているようにも思えないのですね

なので、典子が敷島に好意を抱いていることを見せ、それに応えようとした時に悲劇が起こるぐらいの演出は必要だったように思います

 

映画は、予算の都合上だとは思いますが、これ以上の戦闘シーンを描くことは難しかったと思います

本来ならば、もっと派手に暴れ倒して、米軍も怖くて撤退とか、3つ目の核を落とすけど効かないぐらいの絶望まで描いた方が良かったのですね

それをすると各方面から避難殺到なので日和ったと思いますが、政府&GHQの機能を停止させて、そこから民間主導の有志が立ち上がるという方が胸熱展開だったと思います

火器が役に立たないと言っても、核兵器に耐えられるかどうかというところが曖昧のままで、映画内では「駆逐艦の主砲を至近距離で受けて耐える」というのが最大の被弾だったと思います

でも、それ以上を本土決戦で描かないと、絶望感というものは生まれないのですね

なので、どんなに激おこ案件で避難が殺到しようとも、核兵器使用からの米軍撤退までは描いた方が良かったように思いました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

Yahoo!検索の映画レビューはこちらをクリック

 

公式HP:

https://godzilla-movie2023.toho.co.jp/

アバター

投稿者 Hiroshi_Takata

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA