■呼吸で会話をする男性、体温で会話をする女性
Contents
■オススメ度
ちょっとややこしめの青春映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.10.6(京都シネマ)
■映画情報
情報:2021年、日本、128分、G
ジャンル:仲良くなった友人の母のために嘘の旅行をする青年を描いた青春映画
監督&脚本:工藤梨穂
キャスト:
佐々木詩音(阿利直己:父の不用品会社で働く青年)
諏訪珠理(柳瀬槙:直己と仲良くなる青年)
伊藤歌歩(高槻朔子:海外に行く直己の想い人)
甲本雅裕(阿利保:直己の父、不用品会社の社長)
風吹ジュン(柳瀬美鳥:盲目の直己の養母)
高林由紀子(佐渡悦子:認知症を患う直己の顧客の母)
木村知貴(佐渡翔:直己の顧客)
淡梨(蓮池文哉:直己の友人)
円井わん(矢野瑞希:直己の友人)
細川佳央(栗原彰:直己の同僚)
■映画の舞台
日本のどこか
ロケ地:
長野県:岡谷市
岡谷市市民屋内水泳プール
https://maps.app.goo.gl/dLAv3Rqvcu8ZDh8y5?g_st=ic
長野県:諏訪市
霧ヶ峰高原
https://maps.app.goo.gl/yJihiMHUBWcT4ac86?g_st=ic
長野県:下伊那郡
不動滝
https://maps.app.goo.gl/QJ1s7Uje1xKiPuyH8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
父の不用品工場で働く直己は、あまり父と折り合いがつかず、ガレージを避難場所にして自分の居場所を作っていた
同級生の朔子に想いを告げる勇気もなく、彼女は外国へと旅立ってしまう
空虚な毎日が訪れそうになったある日、友人たちと海に行くために泳ぐ練習をしていた直己は、そこで柳瀬槙という青年と出会う
槙は盲目の母の世話をしている青年で、二人はやがて打ち解けあう
ある日、母から通帳を受け取った槙は、「そのお金で好きなところへ行きなさい」と言われる
だが、200万あると言っていた残高は数万円しかなく、そこで槙は砂場の音を砂漠に見立てて旅行しているふりをしようと考える
偶然、録音現場に遭遇した直己は、槙を手伝うようになり、一緒に働き始めるようになる
二人はある想いを秘めながらも、それを言葉に出さないままに、同じ時を過ごすことになったのである
テーマ:無防備なふれあい
裏テーマ:救済
■ひとこと感想
単館系でひっそりと公開している作品で、タイトルの響きと「音を録音しながら旅をする」というアイデアに惹かれて鑑賞
荒削りの青春ドラマで、想いをぶつけ合えない内向的な若者を切り取っていました
映画の完成度は少しばかり難点はあるものの、随所に光るものを感じる演出が冴えていましたね
特にラストシーンの並走に、二人のお互いを思いやる気持ちが溢れていましたね
直己と槙の二人の関係は「そうなんだろうなあ」と思いながらも、「そうではないことを確認しあっているのかな」と思ったり思わなかったり
二人の旅は自分自身が何者かを相手を通して探るというものでしたね
彼らの取っ組み合いは結構しつこめに思えて、それが少しテンポを削いでいましたが、やりたいことはなんとなくわかるという印象がありました
それがストレートに伝わってこないところも、この二人の中に監督が棲んでいる表れなのかもしれません
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
予告編だとガッツリLGBTQ+ものかなと思っていましたが、そっちに行きそうで行かないという微妙な取っ組み合いが延々と続いていました
この意図があまりわからず、物語の本筋である「養母のために音を撮る」との関わりをずっと考えていました
映画は「ふれあい」を極端に怖がる二人を描いていて、さわれないのでぶつけるという勢いに任せていく様子が描かれていきます
直接的に思えて、間接的なふれあいをしている感じがして、それはカセットテープの音を介して会話をする槙と養母の関係にも似ています
タイトルの「裸足で鳴らしてみせろ」は劇中の槙のセリフですが、文句ばかり言っている直己が初めて「槙の代わりに槙の動作をする」シーンだったと思います
これまではサポート役だった直己が「カセットテープの世界の主役になる」という意味があって、ようやくそこで直己が生き方を定めつつあったのかなと思いました
■言葉にすると陳腐になる
二人はおそらくはお互いに好き合っていて、それぞれは「特殊だと思い込んでいる性癖の一歩」を踏み出せません
直己はのちに朔子と関係を持つし、元から朔子に告白できないことをウジウジと悩んでいる男でした
直己が槙と出会ったことで、どうしてこれまでに見せなかった性癖が出てきたのかはわかりません
でも、槙の体にふれようとした直己の様子は、何かしらの危うい感情を迸らせていました
彼らはお互いに友情以上の何かを相手に感じながら、最後までそれを言葉にはしません
その代わりに二人は「くんずほぐれつ」みたいなスキンシップを繰り返していて、それが徐々にエスカレートしていきます
でも、二人は最後まで「下半身はさわらない」のですね
それがトリガーなのか、実はそっち方面の性癖がないのか微妙な判断になっています
彼らの「くんずほぐれつ」は原則的に「手のひら同士を組む」「相手の腕を取る」「背後から絡む」と言うもので、見方によっては「寝技主体の格闘技」のような動きなのですね
でも、そこに危うさを感じるのは、その行為の根幹に感情があるからで、その感情というものは「滝の場面」の「つたない感じでふれようとして、暴力的に変える直己のシーンがあるから」だと思います
結局のところ、想いも伝えなければ、性的な関係にもならないのですが、相思相愛は直己の暴走によって引き裂かれてしまいます
ラストシーンでは、「美鳥宛のテープを流す槙」がいて、それを聴く直己がいました
直己の隣には朔子が乗っていて、彼女はそのテープの意味を知りません
あの場面では、お互いがお互いを認識しながらも、行く道が違うことを悟っていますが、槙はテープを流すことで心の代弁をしていました
それを感じて直己の心は揺れるのですが、彼には彼の道があって、テープが流れてからは一度も槙の方を見なかったのは印象的でしたね
■言葉にすれば伝わるだろうか
この映画の特徴的なところは、それぞれのキャラが「自分の思いを自分の中で醸成させたまま自分なりの結論に辿り着いてしまうところ」であると思います
直己と父の関係でも、お互いの本音は晒さずに、相手の表層を見て相手を規定します
直己と槙の関係でも、体のふれあいはあっても、最後まで思いを言葉にしません
槙と美鳥の関係でも、音声テープに自分の声を吹き込んでいますが、そこに本当の槙がいるのかは微妙だったりします
言葉にしないと伝わらないのは言うまでもありませんが、その前に「想いを言語化する」と言うハードルがあります
この映画に登場する人物はほぼ全ての人物が「心の言語化が不得手」で、その隙間を相手が悟ると言う感じで関係性が続いていきます
直己と朔子の関係でも、雰囲気先行で言葉は後回しになっていて、その空気感がお互いの感情を拾い集めているように思えました
このセンサーは鋭敏ですが、単純に好意を持つ相手への観察というものが、それを可能にしているように思えます
なので、そのセンサーは直己と父の間では働きません
阿吽の呼吸と言うものがありますが、それは一方が口を開き(阿)、もう一人が閉じている(吽)ことで、そこから「呼気と吸気が重なる」という意味があります
神社にある狛犬などは、一方は口を開けていて、もう一方が口を閉じているのですね
これが意味するのは「万物の根源」と言うものが「一切が帰着する知徳」と言う考えがあるからです(密教など)
また、梵語(インドのサンスクリット語のこと)の悉曇の字母表では、最初の韻は「阿(a)」で、最後の韻が「吽(hum)」であることに由来しています
言葉が伝わるのは呼吸と同じで、一方が発したものをもう一方が聴くという構図によって成り立ちます
両方が言葉を発すると、直己と父のように「発せられた言葉の真意を両者が共有すること」ができなくなります
言葉を吐きあっているだけでは言葉に込められた想いも伝わらないのですが、それは「それぞれが言葉に持っているイメージが異なるから」なのですね
同じ日本語の言葉でもさまざまな意味があるように、単純に色を表す「赤」一つにしても、思い描くものは違います
このように、言葉は万能ではなく、時には「呼吸」の方がお互いの心情や想いというものが伝わる事があったりするものなのですね
この映画では、その言葉を極力排除していますが、直己と槙の交流は言葉よりもそれ以外の表現の方がお互いを分かり合えると判断されたからこのような表現になったのかなと感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は「美鳥のための録音旅行がメイン」になっていて、タイトルも旅行中の槙の言葉になっていました
彼らは滝や砂場のように外に出ていましたが、最終的には部屋の中で擬似的に音を作り出すというところに行き着いていきます
彼らが作り出した音を美鳥がどのように聴いていたのかは描かれていませんが、彼女自身が「世界旅行をしたのは嘘だった」と告白しているように、おそらくは「二人の優しい嘘」というものに気づいていたように思います
それは「本当の音を知っているから」ではなく、「嘘をつく人には嘘をつく人のことがわかるから」であると思います
美鳥が嘘をついた理由は明言されませんが、おそらくは「自分に縛られている槙を旅立たそうと考えたから」ではないでしょうか
外の世界の話をすることで、少しでも羽ばたいてほしいと願う
それが美鳥の願いで、その行動を起こさせるために預金を渡すという行動もつながっています
でも、彼女に認知症の兆候があるのかはわかりませんが、預金のほとんどは彼女の認識とはズレていて、それを美鳥はわかっていませんでした
美鳥が亡くなっても槙は外に飛び出すことなく、直己の父の会社で働き続けるのですが、その理由は「直己が帰ってくるまではそこにいる」というものだったのかなと思いました
でも、帰ってきた直己には朔子がいて、その再会は槙にとっては傷心をもたらす現実だったと言えます
直己が「音」を流したのは、直己への未練と抱えてきた想いをぶつけるためだったのでしょう
でも、直己は別の人生を生きることを選び、それゆえに槙の「音」に気づきながらも視線を合わせることをしません
これまでに何度も「呼吸」で会話してきた二人だからこそ、「音に無反応である」という事実は、槙に直己の想いを突きつけることになっています
この二人の特別な関係は朔子には永遠にわからないもので、おそらくは説明してもわからないものだと思います
この関係は意外なほどに男同士で多い対話で、この映画で描かれていることは男性の方が理解できるんじゃないかなと思います
なので、このテーマと内容を女性監督がカタチにしたことがすごいなと思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/382124/review/c68ef173-2eaa-4ddc-9acc-733a14108a11/
公式HP:
https://www.hadashi-movie.com/