■道路標識を理解せずに運転をしても、事故るだけだと思います
Contents
■オススメ度
母の執念を堪能したい人(★★★)
ぶっ飛んだ展開でライドしたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.10.6(アップリンク京都)
■映画情報
原題:The Justice of Bunny King
情報:2021年、ニュージーランド、101分、G
ジャンル:服役後に我が子と会いたい一心で破天荒な行動を起こす母親を描いたヒューマンドラマ
監督:ゲイソン・サバット
脚本:ソフィー・アンダーソン&グレゴリー・デビッド・キング
キャスト:
エシー・デイビス/Essie Davis(バニー・キング:子どもに会いたい一心で行動を起こす非常識な母親)
トーマシン・マッケンジー/Thomasin McKenzie(トーニャ:バニーと共に行動する姪っ子)
Amelie Baynes(シャノン:バニーの娘)
Angus Stevens(ルーベン:バニーの息子、シャノンの兄)
エロール・シャンド/Erroll Shand(ビーバン:グレースの夫、トーニャの義父)
トニー・ポッター/Toni Potter(グレース:バニーの妹、ビーバンの妻、トーニャの実母)
シャナ・タン/Xana Tang(アイリン・家庭支援局のバニーの担当者)
Darien Takle(シルビア:家庭支援局のアイリンの代理)
タネア・ヘケ/Tanea Heke(トリッシュ:バニーに監禁される家庭支援局の職員)
ザビエル・ホラン/Xavier Horan(トリッシュの同僚)
Bronwyn Bradley(リサ:家庭支援局の職員)
Anapela Polataivao(ロセフィーヌ:セムの母)
Lively Nili(セム:バニーの車洗いの仲間)
Bride Sisson(ロビン:バニーの車洗いの仲間)
Samu Filipo(ジャー:バニーの車洗いの仲間)
Harry Adams(ハリー:バニーの車洗いの仲間)
Max Crosby(フェニックス:シャノンとルーベンの養父)
Penelope Crosby(ミリアム:シャノンとルーベンの養母)
Phil Peleton(ニール:バニーが交渉する不動産屋)
ペネロペ・クロスビー/Penelope Crosby(不動産屋の女)
Georgia Pringle(バニーに面接用の服をあてがう店員)
Laura Thavat(バニーに10ドル払う運転手)
Debbie Newdy–Ward(悪態をつくVWの運転手)
Ryan O‘Kane(ジェリー・グッドマン:バニーと交渉する刑事)
■映画の舞台
ニュージランド:オークランド
ロケ地:
ニュージランド:オークランド
■簡単なあらすじ
服役を終えて路上で車洗いで生計を立てているバニー・キングは、愛娘のシャノンと息子ルーベンと一緒に暮らすことを夢見ていた
住む家がないと里親から離すことができず、小銭を貯めながら妹のグレースの家に居候をしていた
お金も順調に貯まり、不動産の見込みも立ちつつあった矢先、バニーは妹の夫ビーバンが義理の娘のグレースに性的な嫌がらせをしている場面を見てしまう
怒りを抑えられないバニーは激昂し、とうとう無一文で追い出されてしまう
途方に暮れるバニーを救ったのは車洗いの仲間セムで、彼女はそこでわずかな間住まわせてもらうことになる
バニーはシャノンの誕生日までに住処をなんとかしたいと思っていたが、一向に決まる気配はなかった
テーマ:親子愛とシステム
裏テーマ:正義と愛情
■ひとこと感想
予告編のイメージでは姪っ子と街を飛び出して、ロードムービー的なものなのかと思っていましたが、実際には「貧困と支援の闇」を描いていて、ラストの展開はかなりぶっ飛んでいました
怒りを抑えられないバニーの行動は、俯瞰的に見ると引いてしまうほどの無茶で、犯罪を犯すことに躊躇いがありません
母親の愛情と言ってしまえばそれで許されるわけもなく、かと言って「愛があればOK」というスタンスになっていないところも良かったと思います
彼女の性格が起こす行動が自分自身を締め付けていくのですが、これを不器用と言ってしまって良いのかは微妙なところでしょうか
社会の支援の問題もありますが、ルールで動くのがシステムである以上、目的のために耐える努力は必要だと言えます
同じような境遇にいる人がどれぐらいいるかわかりませんが、短絡的な行動がいかに未来を閉ざしてしまうのか、という反面教師的な意味合いを強く感じてしまいましたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
母親が子どものために奮闘するドラマなのですが、バニーの行動が斜め上すぎて、同じ母親でも共感性は低そうに思えます
夫殺しで服役したものの、更生活動も行いながら地道に進んできたものが、バニーの関係ないところで綻びていくのは見ていて辛いものでした
バニーの気持ちもわからないではありませんが、トーニャの問題に関わるには情報が無さすぎて、突発的に動きすぎだとは思います
この怒りを抑えられないという性格が身を滅ぼしていて、目的地はわかっているのに、どうしても真っ直ぐにその道を行くことができません
息子のルーベンはその辺りをわかっていて、母の行動が良くない結果を招くことがわかっています
でも、彼も母の資質を受け継いでいるようで、学校での喧嘩が発端で移動させられたと思い悩んでいたりします
この家族が一緒になることで幸せになれるのかは微妙なところで、安定した賃金、安定した住居などを用意できない母親に母親としての資格があるのかは微妙だと思います
すべてがうまく行かない中で、その原因は他人からすれば明白で、自分自身も自覚していますね
でも、わかっていてもできない人というのはたくさんいて、いかにして自分を律するかは難題中の難題と言えるかもしれません
■アンガー・マネージメントについて
アンガー・マネージメント(Anger Manement)とは、「怒りを予防し、制御するための心理療法プログラム」のことで、怒りをうまく分散させる事ができると言われている方法です
本作のバニーを見ていて思うのは、直情的かつ即断的というもので、それによって「起こり得るであろう未来」よりも瞬間の感情を優先している事がわかります
本人的には「一呼吸置いて」というような感じになっていますが、「怒りを抑えられない」と本人が言っている通り、「その怒りを何らかの行動に転嫁する」ことで、その怒りというものが抑え込めると考えています
怒りに対する対処の歴史は、古代からある問題で、紀元前4世紀の書物などでも登場しています
それが中世になると、「神様が怒りの自制の理想像として存在し、引き起こされた論争を調停する」という役割が出るようになりました
地方の統治者のような権力を持った人が当事者間に入って仲裁することになるという流れにつながって行きます
有効とされるアンガー・マネージメントの手法は、「リラクゼーション・テクニック」「注意深い呼吸」「認知の改善」「イメジェリー」などがあります
怒りが発生した後に起こす「思考と行動」に大別され、また事前にマインドを穏やかにするための手法などがあります
アンガー・マネージメントで行われる「認知行動療法」では、患者の感情をオープンにして、怒りの制御を達成させることで、患者は認知的な動機を得ることができる、とされています
わかりやすく言えば「今、自分は怒っている」と感情を言語したりして、それによって「怒っている自分」を認識させるということですね
それによって、俯瞰的な視点が備わり、結果として「怒りの質」というものに気づくことになります
その他にも、「アンガー・ジャーナル」という「怒った時に日記をつける」というのも有効で、これは「自分の感情を理解するため」に効果的であると言えます
特に子どもが自分の感情を学ぶ上で有効で、怒りのメカニズムを探ることにも繋がります
怒りのメカニズムがわかれば、そのプロセスや特性を見つけることができます
自分自身が怒った場面を思い返してリストにしてみるとわかりますが、「何に対して」とか「どのような場面で」などを客観的に置き換えていくと、意外なほどに同じようなものが並んでいることに気づくと思います
そもそも「怒り」とは、「人間の原初的な感情」であり、その根幹は自分の価値観が揺さぶられた時に起こります
相手を許せないとすれば、相手と自分の価値観の相違がありますし、自分の思い通りにならないと自分自身の価値観に揺らぎが生じます
根本的には「自分自身が危険に晒されている」ということへの警告になっていて、身体的なダメージから、自尊心や名誉、価値観のようなものまで多岐に渡ります
個人的にはあまり怒らない方だと思いますが、それは感情を無くしているのではなく、制御もしていない感覚に近いですね
とにかく一旦「吐き出して」、内にこもったエネルギーを誰にも当たらず、自分も傷つかないところにぶつけます
「小言で罵る」みたいなことで内なる気を外に発散させて、同時に深く息を吸うことをします
ゆっくりと呼吸を意識しながら、「自分が怒っていること」を認識します
そして、その怒りがなぜ起こったのかを考えますが、相手の態度とか表層なのか、自分の内面と相手の内面の差異が引き起こしているものなのかをじっくりと考えます
この時、相手の内面は知る由がありませんが、単純に考えると「自分の価値観と大きくズレている」というのが一般的です
その後に考えるのは、「相手の行動で自分にどんな不利益があるのか」ということですね
この段階で、大体の怒りが「その瞬間に自分を揺さぶったもの」で、その影響は「断定的(この相手といる間だけ)である」とわかると思います
相手が態度を変えるとか、自分もしくは相手が認識を改めるとか、自分自身で距離を取るとかをすると、その怒りは意外なほど簡単に収まります
怒りは脊髄反射みたいなもので、誰にでも起こることなのですが、そこで内観を瞬間的に行う癖をつけることと、自分の怒りのパターンを知っておくことで対処できます
私個人の場合だと「相手と自分の知識差、認識差が埋まらなくて、より良い提案だと自分が思っているけど、相手が受け入れてくれない」という瞬間に怒りにつながる事が多いですね
相手の目的に対して最優先に提案しても、相手がそれを受け入れられる状態ではないのに押し付けているとか、そもそもこちらの提案の真意まで伝わっていないという「自分側の問題であること」がほとんどだったりします
なので、これに対する対応は「相手の精神的な状況の把握」「相手との価値観の差異の大きさ」「相手の価値観の根幹となるものを読み解く力」「相手が求めているのは解決か共感かの見極め」ということになります
言葉で書くと難しそうですが、「男性は解決を、女性は共感を求める」という「一般的な相談」にように身近なことに照らし合わせてみるとわかりやすいかも知れません
■母親が母親でいるための障壁
バニーは母親でいるために多くのことをしますが、そのどれもが逆効果になっていました
愛情が最優先されていますが、それをかなり冷静に見ているのが長男のルーベンでしたね
彼は「家族に戻るためのルール」を理解していて、母の行動がそこから逸れていることに気づいています
また、ルールが立場を危うくすることにも気づいていて、彼自身はシャノンのように「母と会うこと」を喜んではいません
バニーの言い分だと、「子どもに手をあげる夫から守るための行動が殺めることにつながった」となっていて、その主張を司法は認めなかったということになります
実際に何が起きたのかは映画では描かれず、トリッシュが報告書を読むとか、バニーが少しだけ語るというところに留まっていました
でも、社会的には「服役、更生プログラムを終えた状態」となっていて、母親に戻るための条件も明示されています
目的も目標もはっきりしているのにバニーが一直線にそこを辿れないのは、彼女が自分のその場の感情に流されすぎているということと、置かれている社会的な立場というものを受け入れていないからだと思います
司法の判断は妥当でないと思っているし、示される道も容易ではなく、行動の原動力となる子どもとの接近は自分の足枷になっている
これら全てはバニーの目線の話ですが、彼女を俯瞰して見ている観客側としては、彼女の行動がなぜ「逸れてしまうのか」というところが理解できません
彼女が起こす行動の全てが、彼女が得たいと思っている未来から遠のくばかりで、かと言って「そこまでの難題があるのか」と考えてしまいます
でも、服役を終えた人への風当たりは強く、特に「夫殺し」のレッテルがあるので、まともな職種にはつけません
それゆえ、チップ目的の車洗いで凌いでいるのですが、彼女はまだ妹夫婦の家に居候ができるだけ恵まれているのですね
なので、本当の難題からは優遇されている面もあっても、バニーはそれに気付けていません
バニーはただ親子でいたいだけだと主張するものの、社会の目線でみると「定職なし、住居なし、公的機関には嘘をつく、犯罪を厭わない」という客観的なものしかありません
なので「母親から子どもを守る」と言われるのですが、これはどう見ても真っ当で社会的な考え方であると思います
バニーに対してキツい物言いをするならば、「いずれ独り立ちする子どもたちに対して、現時点の自分が愛以外の何を与えられるのか?」ということになります
幼少期の情操教育に母親が必要だとしても、感情的で反社会的な行為を厭わない人が関わることで、子どもに対して良い影響があると考える方が少ないのではないでしょうか
シャノンは状況がわかっていないのでバニーに会えれば喜びますが、ルーベンはもう大人になりつつあるので、母の行動の愚かさというものを理解し、おそらくは恥じているでしょう
ルーベンは男性的思考で、解決に向けての道を模索し、そこで「今は我慢すべき」と感情を殺しています
でも、彼は母親がいないことや前科者であることでいじめられていて、それに対抗する暴力を振るってしまったりします
彼もまた、バニーの性格を受け継いでいて、感情の抑制ができずに悪しき行動を起こしたために後悔の念を抱いたりしています
おそらくルーベンの性格だと、自分のことも母のことも恥じていると思われ、それを養父母がケアできるかは不透明のように思えます
養父母もバニーの接近禁止命令違反を家庭支援局に通報している立場なので、養父母としての社会的な責任を痛感していると言えます
彼らの目線で一連の事件を考えると、「バニーは母親にはふさわしくないので、私たちが育てるべきだ」という思考をより強固にしただけのように映っているし、立て篭もり事件は彼らにとっては幸運な事故のように見えるかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は俯瞰してみると、直情的に流されている母親がその理不尽に対して足掻いているように見えますが、冷静にみると示された道の意味を理解していないように見えます
システムに馴染むかどうかはその人次第とは言え、バニーの世界は「母親として生きられる道を遮断はしていない」のですね
その条件が厳しいかどうかは環境に委ねられますが、どのようなビジョンを持っているかで行動は変えられます
バニーはシャノンの誕生日を重視しますが、それまでに何をなすべきかということはほとんど考えていません
期日も条件もあるのに、自分に降りかかる全ての感情に対して反応をしていくだけで、結局のところ「自分が一番大事なんだ」という事が露見しているのですね
そこには「自分の置かれた境遇に対して悲劇的なヒロイン像を重ねている」ところがあり、自分自身が他人からどう見えているかを理解していません
この映画で提示されるバニーの環境における最適解は、言い方は悪いですが、トーニャの一件でビーバンをコントロールすることです
状況を整理すると、「トーニャへの性的嫌がらせはやめさせたい」「家族で住める場所が欲しい」という二つがメインで、バニーが家族をあの家に引き入れるための障害は「ビーバンがYESと言うかどうか」なのですね
グレースはビーバンがOKならガレージに姉を住まわせることも許容できる人で、シャノンたちがガレージで住むことで「ビーバンに対する監視の目が増える」ことになり、彼が性的な嫌がらせを行っていたガレージ(場所)もなくなります
この状況を作り出すには、ビーバンが悟られていることを認知することで、彼の否定や狼狽は必要ありません
疑念の芽を蒔くことで、ビーバンは勝手に思考を巡らせ、動きは封じられていきます
こうなるとビーバンは外に出て二人きりになると言う状況を選ぶかもしれませんが、そうなればグレースに対して「最近、あの二人は二人きりでよく出かけるね」とグレースに疑念の種を蒔くことで封じ込められます
グレースは自分自身がビーバンに捨てられることを恐れるのと同時に、トーニャの母親としての母性が逼迫することになります
あの家でバニーが自分の仲間を増やすことと、キーパーソンの動きを封じることを同時に行いながら、表面上は波風を立てずに、水面下で相手の感情だけが勝手にざわつくのを放置するだけでこれらの状況は生まれてきます
ここまで持ってくるために必要なことは「トーニャへの性的いたづらに対して脊髄反射をしない」と言うことだけです
あの場面におけるバニーは、トーニャの心理も考えていなければ、ビーバンの心理も考えていません
ただ、自分が見たことが許せないことだと言う自分の感情があるだけです
あの場面で問題を表面化させたことで、バニーは行き場を失い、バニーの排除に成功したビーバンはこれまで以上にトーニャへの行動を加速させる事ができてしまいます
これらのことは「自分に芽生えた感情」を殺さなければできないことではなく、生まれている最悪の状況をどう打開するかは、「問題を噛み砕いて本質を見極めて、最適解の行動をするマインドを持つことだけ」なのですね
心理誘導を悪だと捉えるとここまで非情にはなれないかもしれませんが、あの家で問題が表面化して困るのは実際にはトーニャだけだったりします(グレースの怒りを買って追い出される可能性もある)
結局のところ、トーニャ自身の選択も加味されて、彼女は一人で生きていく旅をすることを強いられます
最終的な決断はトーニャに委ねられているように見えますが、実質的には「今、逃げるしかない」と言う強迫観念が彼女を突き動かしています
彼女の行動が正解かどうかはわかりませんが、この映画の状況における最適解は「ビーバンを抑制し、あの家に全員が集結すること」にしか思えないので、映画の結末がその真逆になっているのはバッドエンドのように思えます
どのように捉えるかは観た人の感情に委ねられるものですが、個人的には「千載一遇のチャンスをフイにして最悪の結末を呼び込んだだけ」になっているので、もう少し彼女に知性があればうまくいったのになあ(実際には夫殺しも起きていないと思うけど)と感じました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/383993/review/93add377-b09e-4995-9b56-e448c2f3ea0c/
公式HP:
https://bunny-king.com/