■状況をどう捉えるかで、休息後のスタートの質は変わってくる


■オススメ度

 

永野芽郁さんと奈緒さんの演技を堪能したい人(★★★★)

不安定で不確かな女性の心理ドラマを堪能したい人(★★★★)

原作ファンの人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.10.6(TOHOシネマズ二条)


■映画情報

 

情報:2022年、日本、88分、G

ジャンル:突然友人を亡くした女性の葛藤と選択を描くヒューマンドラマ

 

監督:タナダユキ

脚本:向井康介&タナダユキ

原作:平庫ワカ(2019年、KADOKAWA)

 

キャスト:

永野芽郁(シイノトモヨ/椎野:26歳の愛煙家、ブラック企業のOL)

 (中学時代:佐々木告

奈緒(イカガワマリコ/五十川麻里子:トモヨの同級生、26歳でマンションから転落死する)

 (中学時代:横山芽生

 

窪田正孝(マキオ:旅先でシイノを助ける男性)

 

尾美としのり(マリコの実父)

吉田羊(タムラキョウコ/田村恭子:マリコの実父の再婚相手)

 

伊礼姫奈(石崎理央:旅先でシイノが助ける女子高生)

 

川島潤哉(マリコの部屋の管理人)

米村亮太朗(シイノのクソ上司)

 


■映画の舞台

 

東京都:中野区

まりがおか岬(架空、おそらく東北のどこか)

 

ロケ地:

青森県:八戸市

種差海岸

https://maps.app.goo.gl/QYHef86ZuH8uuY326?g_st=ic

 

葦毛崎展望台

https://maps.app.goo.gl/x88qVv7aUzVtCMZB9?g_st=ic

 

東京都:練馬区

中華料理 二葉

https://maps.app.goo.gl/CzfXnTAZPfUfFhsKA?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

都内のブラック商社に勤務するシイノは、ある日の昼食の時に親友・マリコの訃報をテレビのニュースで知ってしまう

死因はベランダからの転落死で、事故賈自殺かわからない状況だった

 

シイノは「何かをしなきゃ」と思い、マリコの実家に営業のふりをして近づく

そこには後妻のタムラキョウコという女性がいて、奥には遺骨の前で肩を落とすマリコの実の父がいた

 

シイノは何を思ったのか、突然仏壇から遺骨の入った壺を奪い、隠し持っていた包丁を二人に突きつけて逃げる

途方に暮れるシイノだったが、ふとマリコとの会話を思い出して、「まりがおか岬」に行くことを決めた

 

テーマ:受け取ったもの

裏テーマ:与えてきたもの

 


■ひとこと感想

 

原作も未読で、ポスタービジュアルだけを見て参戦

なんの話かすら調べていなくて、いきなり中華料理屋で友人の訃報を聞くというシチュエーションに驚きました

 

そこからはシイノとマリコの回想録が混じりながら、二人の絆というものが描かれていきます

自殺か事故かは断定できないようになっているものの、シイノはどこかで「自殺した」と思い込んでいる節があります

それは、過去のマリコのエピソードでその危うさというものがあって、観客もそれの引っ張られていきますね

 

でも、実際にどうだったかというのは「内容の明かされない手紙」によって示されていて、その内容についての議論は尽きないようです

原作でもそこに何が書かれていたかはわからないみたいで、監督も見せるのは野暮だと思ったとか

 

個人的に思うところは後ほど書きますが、シイノの表情が全てを物語っていると思いました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

中学時代からのダチが急に死んだという内容で、唯一繋がりがあるLINEに書き込んで、電話をするところは今風になっていましたね

永遠につくことのない既読、これまでの関係性を考えると、死の理由は想像できますが真実ではないと感じます

 

映画はともかく主演二人の演技を堪能する映画で、これまでのイメージを覆す永野芽郁さんと、憑依がものすごい奈緒さんの演技に圧倒されます

脇を固めるベテランも、回想録の子どもたちの演技も素晴らしく、この世界をずっと見ていたいという思いにさせられます

 

手紙に関しては、内容よりはそれが遺書になるのかどうかというところが焦点で、シイノの表情を見ればそれがどんな内容なのかは想像つきそうですね

生きている人の中で生き続けるのが生を終えた人たちなのですが、その生を生のままにしておけるのは、マキオの言葉通り「生きている人だけ」なのですね

 


マリコの死因について

 

マリコは精神的に危うくて、シイノへの依存が強い性質をしています

彼女は幼い頃から父親に虐待され、青春期になると性的虐待の対象になっていました

シイノとの関わりが消えることで彼女の救いの場所が消えてしまいますが、同時に自分自身がシイノにとっての重荷であることも感じています

彼女は依存先を求め、シイノといる時と同じ心地になる異性を探しますが、そのどれもが破綻へと向かっています

 

自傷行為に及んでいる描写もあり、意図的に身体を傷つけることで、その心理的な苦痛を和らげていきます

自殺する人のうち、自傷行為の後に死ぬ人は1.4%と言われていて、明確に定義分けがなされています

自傷行為は報告されることが多く、今回でもシイノの前で行うなど、自分自身の心理的な抑圧が「行動を起こしていることを通知」していました

原因には様々なものがありますが、今回のマリコのケースだと「自己の再確認」のようなものかなと推測できます

痛みが生きている実感をもたらすというもので、ストレスの解消とは意味合いが違うように思えました

 

マリコは何らかの精神疾患を患っている可能性が高く、彼女は大量の睡眠薬を服用していたというニュース報道がありました

それがそのまま自殺に結びついているような印象がありますが、映画内で言及されているのは「状況の説明」だけで、薬物の多量摂取による死亡ではなく、転落死となっていました

どのような薬を飲んでいたかわかりませんが、睡眠薬のマイスリーやリスミー、レンドルミンなどは致死量だと150錠程度とされています

基本的には致死に至る前に睡眠に至り、結果的に重度な障害になることが多く死ぬに至らないと言われています

 

現在では危険性のないベンゾジアゼピン系、さらに危険の少ない非ベンゾジアゼピン系が処方されることが多く、過量内服をしても死に至ることはないとされていて、薬だけので死ぬには数百錠は必要と言われています

ちなみに薬でも死に至るケースがあって、それはフルニトラゼパム(サイレース)と呼ばれる薬の場合ですね

この薬は犯罪に使われるケースもあり、現在では入院患者や他の睡眠導入剤ではダメな重度な不眠症などに使われる「麻薬及び向精神薬取締法の第2種向精神薬」に指定されています

マリコがそこまでの重度な処方薬を使われていたかは微妙ですが、背景を考えると様々な処方薬が試されていた可能性は否定できません

 

マリコが死んだのはベランダからの転落死と報道されていて、それ以上のものはわかりません

向精神薬や睡眠薬の過剰摂取による突発的な行動なのか、筋弛緩剤が入っているタイプの薬物によって、普段と同じ行動をしたのにも関わらず、想定外の動きになったかも知れません

マリコの死因については一概に言えませんが、個人的には「最後の手紙」の存在によって、自殺は否定できると考えています

 


最後の手紙について

 

最後の手紙に関しては、原作でも映画でも内容はわかりません

映画では奈緒さんが使われない手紙も含めて書いていて、その内容は監督さんも読んでいないとパンフレットに書かれていました

なので、その内容を知るのは読んだ永野芽郁さんと書いた奈緒さんの二人ということになります

内容が映画で描かれないのは、「最後の手紙を読んだシイノがどのような感情表現を見せるか」というのが主たる目的なので、見せることは野暮であると判断されています

 

マリコの手紙は何種類か登場しますが、その多くは「シイノのことを書いている」ので、違う系統の手紙だとシイノの表情は強張ったものになっていたでしょう

なので、そこで書かれていたものは、これまでの手紙と同系統であるということは推測できます

変わっているのは、マリコが死んでいるという状況と、マリコの死に対して一定の受容がシイノの中でなされているというところでしょう

シイノがそこで笑ったということは、その手紙の中のマリコは生きているということなので、遺書のようなものでもなければ、精神的に重い言葉の羅列ではないと言えます

 

感覚的には「いつもと同じ」で、おそらくは「ベランダに鳥がいたよ」みたいな感じなんだと思います

身の回りに起こった些細な出来事からシイノの存在に結びつけるのがマリコの特性なので、その流れは変わらないでしょう

手紙を読んだシイノには二つの感情が去来していて、一つは「もうマリコの書いた手紙は読めないという現実に対する寂しさや喪失感」で、もう一つは「内容から自殺ではないと感じた安心感」のようなものだと思います

手紙の中にだけ存在する「シイノの知るマリコ」なので、そこだけは汚さないというマリコなりの配慮があったのかも知れません

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画のタイトルは「My  Broken Mariko」となっていて、普通に訳すると「私の壊れたマリコ」という意味になります

ここで「私の」という言葉が入るように、シイノにとってはマリコに「ある種の所有感」というものを感じています

「壊れた」は過去分詞でも形容詞でも意味は同じで、「元々は問題なかったものが壊れた」という意味になります

「Broken」は「Break」の過去分詞で、その意味は「壊れる」「中断する」「分割する」「発表する」という意味があります

この中で映画に関連を持つ意味は「(精神的かつ肉体的に)壊れる」と「(これまでにあった関係性が)中断する」になると考えられます

 

コーヒー・ブレイク(Coffee Break)という「一服する」という意味の言葉は「中断する」から派生していて、「これまでの仕事などの流れをコーヒーを飲むことで中断させる」という意味になります

これが転じて、「人生を中断させる」なんて言い回しもできそうに感じました

 

シイノにとってのマリコは、そのままでシイノを癒す存在で、一般的に「壊れた」ように見えるマリコだからこそ、シイノにとっては大切な存在になり得たと考えられます

ここで使われる「壊れた」は、転落死によって身体的に壊れたという意味に近く、でも人間の肉体を壊れたと表現することはあまりありません

どこか所有物としての人形の手足が外れたというような言い回しになっていて、シイノがマリコをそのように表現するとは思えませんでした

なので、考え得る最適な訳としては「私の元を離れて、人生を休むことになったマリコ」ということになるのかなと思います

 

人は休息を求め、日常でうまく取れる人もいれば、そうでない人もいます

特に「頑張る」傾向の強い人ほど、オンオフの切り替えはうまくないように思えます

私個人は「常にオフで、必要な時だけオン」という考え方を持っています

脱力して日常を過ごし、必要な時だけ真剣に物事に取り組むという感じなので、必要に迫られないといつまでもスイッチのようなものは入りません

 

ブログを書くときも、「気分が乗らないと書くのをやめて寝ます」し、「書きたくなったら書く」というスタンスになっています

一応は締め切りを設定していて、どんなに遅くとも「火曜の早朝までには前週分の記事はまとめまで書く」というものを決めています

うまくスケジュールできる時は土曜くらいからアップロードされますが、時には「月曜の夜中にまとめて6本アップ」みたいなことになっていますね

これには「気分が乗らない」以外にも「本業の合間に書いているから」というエクスキューズがあります

 

今のスケジュールだと「月曜の昼間は休み」なので、ここでまとめて書くようにしていますが、それまでの準備段階でうまくスケジュールが組めないと月曜の夜間の本業中に雪崩れ込んでしまうのですね

それで頭の中にあるものを慌てて文章化するとことになってしまいます

一週間のスケジュールは基本的に決まっていますが、当直中のいつどこでどんな患者が来るかは読めません

なので、ガッツリ朝まで何もできねえという時もあれば、比較的サクサクと進む場合もあって、それこそ「水物」のような毎日になっています

 

現在はコロナが少しだけ落ち着いているので、今週などは土曜日から少しずつアップできていますが、コロナ逼迫期はマジでヤバいくらいに救急搬入依頼が来るので、思ったようには事が進みませんでした

でも、瞬間的にオンオフを切り替えられるように習慣をつけていけば、空いた10分に全力投球みたいな事もできるようになります

もっと具体的なことを書けば、救急で受付した後に医師がオーダーを出すと、患者が会計に帰ってくるまでの時間が読めるので、その時間にいきなりフルスロットルONにする感じです

で、そこから加速力が無くなってきたらキリのよりところでストップさせるという感じですね

 

文章を書いたり読んだりする人ならばわかると思いますが、直前に書いてあることを読み返すだけで、一時停止した思考が再度動く事があります

それに固執するとしんどいですが、そこで再始動しなかった場合は「しっくりこないので書き直す」ということをします

ある意味、中断は神の計らいぐらいに考えていて、そこで中断になっている理由を肯定的に考えるのですね

なので、行き詰まり感が出るとすぐに書くのをやめて、消す前に一旦保存してパソコンの前から姿を消します

 

そうした積み重ねというものが習慣になってくると、書いている途中で「あ、これもうすぐ中断入るわ」とわかるようになります

そうなった時は「外部の中断を待たずに、自分で中断させる」という方法を取ります

そして、また書きたくなったら書き始めるという感じに、常にモチベーションに身を委ねるような行動をとっていきます

すべての事がこのように動かせるわけではありませんが、こと趣味に関しては何とでもなると思うので、人に迷惑のかからないところから試してみてはいかがでしょうか

オンオフというのはスイッチの切り替えのように思いますが、完全なるオフというのは意外になくて、緩やかに通電しているけど動力には変わっていないみたいなものだと考えると、その仕組みがわかってくるかも知れません

ちなみに、この記事は途中で3回くらい中断を食らいましたが、その都度「書きたいこととずれてたんやろうなあ」とのんびりと考えていましたねえ

中断は休息であり、休息は再開のための充電なので、その切り替えを多く行なった人ほど、習慣化したりコツが掴めるようになるのではないでしょうか

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/381119/review/af46133a-1b17-412e-840f-11bfb5e06cf7/

 

公式HP:

https://happinet-phantom.com/mariko/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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