■栞への愛がどうなったのかまで描いてしまうと、『僕愛』で描くことがなくなってしまう気がする
Contents
■オススメ度
パラレルワールド系の青春ドラマが好きな人(★★★)
「僕が愛したすべての君へ」を観た人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.10.7(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2022年、日本、98分、G
ジャンル:幼少期に出会った男女があるトラブルに巻き込まれてしまい、人生をかけて恋人を助けようとするSFファンタジードラマ
監督:カサヰケンイチ
脚本:坂口理子
原作:乙野四方字『君を愛したひとりの僕へ(2016年、ハヤカワ文庫)』
キャスト:(声の出演)
宮沢氷魚(日高暦:離婚した父と暮らし、虚質学研究所に赴任する青年)
(少年期:田村陸心)
(老齢期:西岡徳馬)
蒔田彩珠(佐藤栞:暦が研究所で出会う少女)
橋本愛(瀧川和音:暦の同僚、同級生)
(老齢期:余貴美子)
浜田賢二(日高翔大:暦の父、研究所の副所長)
園崎未恵(高崎真由美:暦の母、離婚して実家で父と共に暮らしている)
西村知道(高崎康人:暦の祖父、真由美の父)
キャストなし(ユノ:康人が飼う大型犬)
水野美紀(佐藤絃子:栞の母、虚質学研究所の所長)
石原慎也(今留良平:栞の父、離婚後は疎遠)
■映画の舞台
大分県:大分市近辺
モデル地:
昭和通り交差点
https://maps.app.goo.gl/88DziE1dWxEYs5P99?g_st=ic
住吉緑地
https://maps.app.goo.gl/zTuP5arnUo2ESnXk8?g_st=ic
大分城址公園
https://maps.app.goo.gl/iEhCk1DnEjKQTZgR6?g_st=ic
天神社
https://maps.app.goo.gl/vCSpsuucLo1rBhZ8A?g_st=ic
■簡単なあらすじ
両親の離婚後、父について行った暦は、父の勤める研究所にて、同年代の少女・栞と出会う
栞の母は研究所の所長で、母は並行世界の研究をしていて、虚質学の概念で他のパラレルワールドに行き来するためのIPカプセルを製作していた
栞は行きたい並行世界があって、それを手伝ってもらう代わりに、先に暦の願いを叶えることになった
それから二人は同じ時を重ね、14歳になった頃、暦の父と栞の母の再婚話が浮上してしまう
二人は両親が離婚していない並行世界に行くことを望み、そこへ到達するものの、その先では栞が事故に遭って死んでしまう並行世界に繋がってしまったのである
これによって、栞は14歳のまま、事故の起きた交差点に「幽霊」として動けなくなってしまうのであった
テーマ:純愛と狂気
裏テーマ:執念と地縛
■ひとこと感想
企画が面白そうだったので記念に参戦
順番は特に決めていなくて、映画館のスケジュールに合わせてこちらを先に観ることになりました
結果的には正解で、原作未読だと『君愛(赤)』の方が先の方が良さそうに思えました
並行世界が実在する世界で、虚質学という学問がそのカラクリを研究しています
この理論の説明が映画では相当わかりにくいので、「そういうもの」と割り切ってあまり考えない方が良いかと思います
物語は「喪失の回復」のために人生を捧げる暦が描かれていて、和音がその研究のサポートに回る様子が描かれています
映画のラストでは『僕愛』に続くかのように「エンドロール後の映像」があるので、この構成を考えても、こちらが先で良いのではないでしょうか
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
パラレルワールドを並行世界と言い換えたり、虚質学という理論を重ねていくのですが、この世界観の説明が「ほとんどセリフ」という不親切設定になっていました
ぶっちゃけ、何を言っているのかわからない感じになっていて、説明を理解するよりは「とりあえず、彼らの研究で並行世界に意識だけが行けるようになった」と解釈するしかなかったですね
映画は「栞の地縛の理由」とその解決を目指すもので、同僚として和音が登場します
二人に恋愛関係があるかどうかは仄めかされる感じで、その関係性は『僕愛』で描かれる「別の並行世界」によって解明されるように作られていました
様々な理論が出てきて、睡眠不足でトライすると寝ること間違いなしで、聞いたことのないワードで溢れかえっています
この辺りをきちんとビジュアルで説明できればよかったのですが、よくわからない数式の板書と、説明セリフで誤魔化していたのは、映像にできるまでの理解が足りていなかったからなのかなと思ってしまいました
■劇中における「虚質科学」の世界
映画では並行世界の研究を行なっていて、それを「虚質科学」と呼んでいました
実際に「虚質科学」なるものがあるのかはググっても出てきませんが、物語の設定として「そういう学問がある」と考えるのが良いと思います
パンフレットには用語の説明が詳しく載っていて、「虚質空間」のような物語の中で通じる世界設定であるとか、「アインズヴァッハの海と泡」のような理論などがたくさんありました
そのどれもが小説の中の世界で、一般にありふれているものではありません
なので、世界観の説明が必ず必要になってきます
映画では、暦が研究所の中で遊んでいて、そこで栞と出逢います
栞は研究所の所長である紘子の娘で、幼いながらも「虚質科学」というものをある程度は理解しています
子どもである暦にわかるように説明していきますが、観客側は「用語をすぐに文字化できない」ので、理解に少しばかり時間がかかります
本作では、この世界観の説明がほとんどセリフになっていて、イメージショット的なものが少なく思えました
映画を一度だけ観て、原作未読の私の理解だと、現実世界を「0」として、ある時点で起きた分離された世界が渦巻きのように広がっていくイメージです
並行世界と言っても、分岐点があって、そこから派生する並行世界があるというものなので、元を辿れば「何らかの最初の分岐点」というものに集約されていくと思います
そう言った渦巻きに似たようなものを直線に並べることによって、分岐から枝分かれしたものが工場のパイプラインのように伸びていきます
この隣接するパイプラインの距離を測定するのが「IP端末」と呼ばれるもので、元の自分のいた世界からどれだけ遠ざかっているのかがわかるというものだったと思います
IPカプセルは、その中に入って「念じること」で、意識だけを並行世界にいる自分の中に憑依させるような装置で、それによって並行世界の自分の意識は、移住してきた意識が居ついている間だけ隠れるという感じになっていました
でも、その時間は僅かなもので、自分の意識は再び元の体に戻ろうとします
そんな中で、栞は「移動した並行世界のその瞬間で事故に遭って死んでしまった」ので、入れ物を無くした意識はその場所に留まり続けることになりました
元の栞の体にその意識が戻れなくなって、それが「脳死」という状態を産み出しています
そこから、暦はその状態を元に戻すための努力を重ね、そして、その研究に和音が加わることになりました
おそらくこんな感じで合っていると思います
■並行世界の範囲の規定について
この世界観を映像で見せずにセリフに丸投げしたのは、映像化のイメージが湧かなかったか、理屈が理解できていないかのどちらかだと思います
脚本家は複雑な並行世界を理解してシナリオを作成していますが、ビジュアルとしては世界観を十分に示せたとは言えません
とりあえず言葉で説明して、暦のファーストテイクによって、祖父の生きている世界であるとか、愛犬が生きている世界などに「意識を飛ばすこと」で、大まかに世界観を描いていました
別の場所にテレポートしたような感じで、並行世界の自分に入り込むのですが、IPカプセルの動作ビジュアルと意識の移動に関する動きがあんまり作り込まれていないように思えました
映像的なイメージだと、IPカプセルの操作とその動き、中に入っている人の変化などが「バイタルサイン」などを交えながら描かれるのが一般的でしょうか
でも、機械の使い方を知らなくて適当に押したら動いたみたいなことになっていて、そこまで曖昧な描き方になってくると、並行世界への移動というものが嘘くさく感じてしまいます
栞は理論を他人に説明できるほどに理解していても、IPカプセルを動かすための知識はゼロという状況なので、偶然うまくいくというシナリオはどこか陳腐に思えてしまいます
意識を並行世界に届けるというものも、「念じる」というフワッとしたものになっていて、それこそ「祖父が死んでいない並行世界」は数え切れないほどあるはずなのですね
人は1日に35000回選択をしていると言われていて、その都度別の並行世界が生まれるなら、10日で35万通りの並行世界が出現し、1年で1277万もの並行世界が生まれていることになります
映画内の説明だと、分岐を起こすほどのセンセーショーナルな選択は「離婚した両親のどちらを選ぶか」というほとんどの人生であまり起きないレベルになっています
なので、映画内で並行世界を生み出すような出来事というのはそれほど多くはないと考えられます
例えば、朝ご飯に何を食べたかで迷ったとして、そこでパンを食べた世界とご飯を食べた世界という軽微な並行世界は分岐にはなり得ないということになります
映画では「父についていった世界」「母についていった世界」というものが根幹になっていて、その後に起こるはずの分岐というものはほとんど言及されていません
ぶっちゃけると、この二つの並行世界しかなくて、それを行き来したというレベルの話なのですね
この二つの並行世界の距離がどれぐらいかわかりませんが、わかりやすく二種類にしていると考えるのが妥当でしょう
というのも、自分の人生の帰路の背景には、多くの人の帰路が入り込んでいるはずで、それらが複雑に絡み合ったものというのが現実世界であると言えます
それを全てカバーすることは時間制限の面と、構造的な問題から不可能であると言えます
暦が両親のどちらかを選ぶという分岐の前にあるのが両親が離婚するかしないかになりますし、そもそも結婚するかしないか観たいなところまで遡ると、自分の生まれていない並行世界というものも当然あるはずです
でも、それを言い出したらキリがないので、ある特定の人物の分岐によって生まれた二つの世界というところに的を絞らざるを得ないということになります
これらの複雑性を考えると、例えば自分が生まれていない並行世界には行けないという前提を描くことも一つの要素になりますが、そこまで言及してしまうと、物語が始まらないといえるでしょう
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は「研究者である父についていった世界」で、それによって「研究所つながりで栞に出会う人生」に行き着きます
そこで事故が起きてしまい、それによって「暦の人生の目的が定まる」という世界線を生きていくことになりました
こちらを先に見た人がどれぐらいいるかわかりませんが、『君愛』の方は「世界観とルールの説明」が大半で、「暦の研究過程を追う」というシナリオになっています
それゆえに、複雑な世界と技術の説明セリフが極端に多くなり、内容を理解するのに時間を要するという印象が強く残りました
映画のタイトルは『君を愛したひとりの僕へ』となっていて、「君=1」「僕=1」という「1対1」の物語になっています
この二人の関係性を回復させるために和音はいて、終着点は「タイム・シフトの実行」になっていました
タイム・シフトによって、暦と栞が出会わない世界を作ることになり、それは「並行世界先で起きた事故」と同じ状況を「余命で作る」ということになります
そうすることで、脳死になる元の世界の暦は「目覚める前に余命が尽きて死んでしまう」という結末へ向かうはずでした
でも、実際には目覚めても生きていて、目覚めたということは元の世界に戻って来れたということになります
彼を元の世界に戻したのは並行世界の和音ということになりますが、本作ではそれがわかりません
なので、『僕愛』を観ることで、『君愛』だけでは説明されていないことを補完することになっていました
個人的には、やはりこちらが前編に思えていて、それは本作が「世界観の説明」と「暦という人間がどんな人間であるか」を描いているからなのですね
映画では「エンドロール後」に『僕愛』の映像が流れるのですが、それは両方観たから「この映像が『僕愛』のものだとわかる」のですね
でも、感覚的に作画の感じなどが微妙に違うので、エンドロール後の映像は『僕愛』の予告編あるいはプロローグであるということは明白なのですね
タイム・シフトを行い、そして「目覚めて覚えのないスケジュールを知る」という結末は、どう考えても「終わっていない」と考えるのが自然です
でも、タイム・シフトに向かった段階で物語が終わってしまうと、「え? どうなったの?」となってしまうので、「脳死になっている暦」を描かざるを得なくなります
その脇には和音がいるわけで、そういった悲しみを描くことになってしまいます
また、タイム・シフト即ち暦の思惑が成功したかどうかということを描かないと映画は終わらないのですね
タイム・シフト後に脳死になったかどうかを描く必要もありますが、「脳死と作戦は別の話」なので、その顛末を投げて終わるわけにはいきません
そこで、目覚めて見知らぬスケジュールを知るという、どう考えても次につながります的なエンディングを用意せざるを得なくなったのだと思います
作戦の結果を本作で描くと、『僕愛』で何を描くのかということになってしまいますよね
そういった意味において、濁しつつも「終わったようにも見える(何となく失敗したように思える)」感じの結末になってしまっているのかなと感じました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/382863/review/e87b9b07-4687-4679-b735-4be73cd6d78e/
公式HP:
https://bokuaikimiai.jp/