■完全箱男視点で自由に見てもらったら、どんな映像が撮れたのか気になってしまいますね
Contents
■オススメ度
シュールな社会風刺映画が好きな人(★★★)
原作を読んだことがある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.8.29(MOVIX京都)
■映画情報
英題:THE BOX MAN
情報:2024年、日本、120分、PG12
ジャンル:ダンボール箱に隠れて世の中を俯瞰する男を描いた社会風刺映画
監督:石井岳龍
脚本:いながききよたか&石井岳龍
原作:安部公房『箱男』
Amazon Link(原作)→ https://amzn.to/3XkRRKt
キャスト:
永瀬正敏(わたし:箱男に憧れるカメラマン)
浅野忠信(ニセ箱男/先生:箱男を狙う謎の男)
白本彩奈(戸山葉子:わたしを誘惑する謎の女)
佐藤浩市(軍医)
渋川清彦(ワッペン乞食:わたしを撮る男)
中村優子(事件を追う刑事)
川瀬陽太(刑事の上司)
植野純平(警察の書記)
宮木和成(先代の箱男)
木村文哉(匿名の箱男)
荒巻全紀(匿名の箱男)
中島歩(匿名の箱男)
柳英里紗(箱を気にする通行人)
■映画の舞台
日本のどこかの地方都市
ロケ地:
群馬県:高崎市
高崎中央銀座商店街
https://maps.app.goo.gl/TDRdF3igYAvVfayc9?g_st=ic
■簡単なあらすじ
カメラマンの「わたし」は、街で見かけた「箱男」に心を奪われていた
意を決してダンボールを被ることになったわたしは、その世界にさらに心を躍らせることになった
その後、箱男としての道を極めんがために日常を過ごしていると、不可思議な男に付け狙われるようになった
一方その頃、街の診療所では、軍医に箱男のことを報告する者がいた
彼は軍医の世話をしつつ、ある計画を秘密裏に進めようと考えていた
ある日、ワッペン乞食に襲われた箱男だったが、謎のスナイパーによって助けられる
そう思った束の間、スナイパーは箱男目掛けて発砲してきた
箱男はなんとかスナイパーから逃げ切り、一命を取り留めることになった
そして、そんな彼の元に謎の女が封書とお金を渡しに来た
封書には地図が入っていて、箱男は箱から出てその場所に向かうことになったのである
テーマ:社会を除く窓
裏テーマ:箱男に通じる道
■ひとこと感想
原作を読んだ記憶が奥底にありますが、ほとんど引き出せていない状態で鑑賞
箱に入った男が社会を眺めているというもので、それに興味を示す人々が集うという感じになっていました
豪華な顔ぶれが訳のわからない物語を演じていて、その解釈が非常に難解なものになってたように思います
絵面として面白いのですが、社会派なのかコメディなのかよくわからない部分がありましたね
先代から語り継がれている手帳に興味を示し、そこに書かれていることを実践し始めるようになったり、箱男に興味を示す軍医などが真似をしたりしますが、それだけでは箱男になれません
いつしか三人の男は本物の箱男になりたいと願い、行動をエスカレートさせていきました
このあたりのわかるようなわからないような微妙な感覚が続くのですが、箱男を誘惑する謎の女は、そのロマンを全く理解しようとしません
この男だけがわかる謎の感覚で突っ走っているのですが、映画として面白いかは微妙な感じになっています
わかりやすく「覗くことに何かを感じる」というものから、相手に認知されていないことに意味があるとか、覗いていることを知られた上で感じるものなど、かなり行動な心理戦が描かれていたように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
箱の中からの景色は見たいものが見れるようで見れないというジレンマがあって、この不自由性というものが見えない部分の想像を膨らませていきます
ニセ医者は軍医の願いを叶えるために箱男とは何かを理解しようとしますが、単に箱に入っただけではダメで、手帳を読んでも、箱男になりきって何かを書いても箱男にはなれません
見えない部分は見たくない部分ということもあって、当初の箱男の視線はほぼ足だけを見ていたりします
単なる足フェチのような感じになっていて、その全体像が見えないことに意味があったと思います
視界をコントロールしているのは箱男のはずですが、謎の女はそれをコントロールしているように思えます
結局のところ、その視界はスクリーンと同じだったというオチになるのですが、それを言ったらおしまいじゃないのと思ってしまう部分がありましたね
言うんだろうなあと思ったら言ったと言う感じで、語りすぎている部分が多かったように思いました
■箱の中から見えるもの
本作は、ダンボール箱の中から社会を見るという構図になっていて、その世界に没頭するわたしが描かれていました
でも、実際には、元祖箱男が残したノートに魅せられていて、その思考に至ったものというものを追求していったように思えてきます
テーマとしては、知らないところで見られている監視社会であるとか、自分自身の姿が相手にわからないという匿名性などがありますが、その社会との関係性が変化したことで、自身の中にある本当の自分が浮かんでくる、というものだったように感じました
箱の中に入って外を隠れて見たことはありませんが、相手がこちらを認知していない状態で「こちら側だけが相手を見ている」という状況ならたくさんあると思います
今では、みんながスマホの画面に夢中で、周囲のことをほとんど見ていませんが、それによって、無防備な客観視が増えているように思います
このような社会の情勢を考えると、この作品のテーマは時代性を帯びると思いますが、さすがにもう10年ぐらい前じゃないと、意味合いが薄れているようにも感じられます
現代的な感覚でいけば、箱の中から見える世界というのはデバイスの中の世界に通じると思います
このデバイスに映し出される世界というのは、道端の箱から見る世界とは真逆で、それは「被写体となるべき人物が意思ある発信者である」というところなのですね
なので、見られたい人たちがデバイスの中に詰まっていて、それを見るという感覚は、箱の中から見られるというものとは違うと思います
匿名性と秘密性を持っていると勘違いしているわたしは、実はもっとも見られていた存在だったというメタ構造があるにはありますが、それはある意味蛇足のような説明だと思います
映画のラストでは「箱男はあなただ」と言ってしまうのですが、それは言わんでもわかりますよという感じなのですね
箱の覗き窓がスクリーンと同じという構造を利用して、箱の中からわたしが見ようとしているものは、観客が見ようとしているものということになりますが、だから何?という感覚が拭えません
映像になってしまうと、箱男視点が描かれた瞬間、もしくは覗き窓がアップになった瞬間にわかってしまうので、いかにしてそれを隠すかというところが映画の肝だったように思います
■映像化したことによる弊害
原作は活字ゆえに、読者が体験したことのない「ダンボールの取手の穴から外を見る」という構図を想像させることになりますが、映画になると想像の世界が完全に消えるので難しいと思います
原作の映像化をどのようにするかというのは難しいのですが、方法は2つしかないと思うのですね
一つはFPSの視点として、常に「わたし」だけの視点で展開されること
もう一つは、完全に客観的視点として、定点カメラで「わたし」の行動を映すというものになります
FPSの視点だと、覗き窓=スクリーンになるので、それ以外の情報は音だけで感じることになります
また、「わたし」の視点に固定されるので、同化した観客が見たい方向を見てはくれません
この構造だと、観客は「どうしてわたしはこの映像を見ようとしているのか」というものになり、それが後々に明かされていくという展開になります
完全客観的視点だと、箱男は何をしようとしているんだというものになりますが、同時に「箱男は観客を認知していない」という構図になり、覗き穴=スクリーンという構図は成り立っています
視点固定と同じように「わたしの行動原理」を追うことになりますが、わたしに降りかかっているもの、降りかかろうとするものも見える神視点になるので、それはそれでも面白いように思えます
どちらかが面白いかというのは撮って見ないとわからない部分がありますが、よりカルトな映画作りならFPS、エンタメ要素を強調するなら固定カメラになると思います
でも、映画はどちらかと言えばブレブレの視点になっていて、それが一貫していないために、観客にどのような映像体験を与えようとしているのかという部分が不明瞭に思えました
個人的にはどちらも面白いと思うのですが、感覚のストレスを与え、劇場を出た時の開放感という効果を考えると、FPSの方が面白かったように思います
特に、葉子が服を脱ぐシーンなどは「もっと違うところを見てくれ」という下世話な感情が生まれるし、ジレンマもすごいと思うので、そう言ったちょっといやらしい部分というものをもっと強調しても良かったのではないか、と感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、27年の時を経て、永瀬正敏主演で実現したと聞きますが、その執念の源泉は監督の頭の中にあったもので、それが伝わったのかどうかは何とも言えません
永瀬正敏以外の役者が演じたらどうなっていたのかとか、27年前に感じた直感が今の永瀬正敏に残っていたのか、というのはわかりようのない感覚だと思います
それが伝われば凄いとは思いますが、個人的にはそこまでのこだわりについては映画を通じてだけではわかりませんでした
確かに永瀬正敏と浅尾忠信がダンボールの中に入って追いかけっこをするという構図はすごいなあと思うのですが、シュールすぎてついていけないところがありました
スタントマン使って、みたいなダサいことにはなっていないと思いますが、大の男が箱の中で縮こまって演技しているというのはメタ構造的にも面白いとは思います
でも、やはり箱男視点で固定して欲しかったですね
それは、相手が無防備に思えるところで「どこを見るか」という箱男の人間性(アドリブなら永瀬正敏の人間性になる)を見たかったからです
葉子が脱ぐシーンで、箱男は胸を見るのかお尻を見るのか、はたまた目を逸らしてしまうのか、脱いだ衣服を凝視するのか、など、「どこを見ようとしているのか」というのは非常に重要な情報だと思います
見せようとしているシーンと、見られているかわからないシーン(実際には別の人間が見ている)では、葉子の行動(脱ぎ方など)は変わるのか、なども面白い情報なのですね
それを俯瞰で見せてしまうと面白みがなくなり、被写体と見学者の関係性で変化するものを見せ損なっているように思えました
FPSにして、シーンの説明だけして、あとは好きに見てくださいという指示があれば演者は何を見るのか
これはかなり個人的な部分が入ってしまい、演者としては引き受けたくない案件のように思いますが、そこはプロなので、「わたし」という人物をどれだけ理解しているかがわかるし、監督が思い描く「わたし」というものとの共鳴関係も見えてくると思います
そうしたものが化学反応を起こすのが映画の醍醐味だと思うので、そういったところも込みでFPSになって、想像の余地と自分の好みとの違いを突きつける内容になっていたら、より効果的な映画になったのではないかと思いました
とは言え、この企画でお金が出るかは何とも言えないので、自主制作映画を低予算で作りたいという人がいたら、このアイデアをパクって形にして欲しいですね
演者がみんな拒否ったら「監督が演者になれば良い」ので、めっちゃ低予算で思ったものが制作できるのではないでしょうか
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101069/review/04191797/
公式HP:
https://happinet-phantom.com/hakootoko/