■光と色の三原色の相関性を考えると、彼女が自分を知りたがらない理由が見えてくるのかもしれません


■オススメ度

 

監督作品が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.8.30(イオンシネマ久御山)


■映画情報

 

英題:The Colors Within

情報:2024年、日本、101分、G

ジャンル:人が色に見える高校生が仲間と共にバンド活動を始める様子を描いた青春映画

 

監督:山田尚子

脚本:吉田玲子

キャラデザ:小島崇史

制作:サイエンスSARU

 

キャスト:

鈴川紗由(日暮トツ子:人が色で見える高校生、ピアノ担当)

髙石あかり(作永きみ:中退したトツ子の同級生、古本屋勤務、ボーカル&ギター担当)

木戸大聖(影平ルイ:離島に住む音楽好きの青年、テルミン・オルガン担当)

 

やす子(百道さく:トツ子のルームメイト、食いしん坊、森の三姉妹)

悠木碧(七窪しほ:トツ子のルームメイト、変わったもの好き、森の三姉妹)

寿美菜子(八鹿スミカ:トツ子のルームメイト、モノマネ上手、森の三姉妹)

 

戸田恵子(作永紫乃:きみの祖母)

井上喜久子(ルイの母、医師)

佐々木優子(トツ子の母)

 

木村有里(校長先生)

一龍斎貞友(シスター樹里)

新垣結衣(シスター日吉子:トツ子の学校のシスター)

 

増谷康紀(教材の映像ナレーター)

森なな子(バレエの先生)

 


■映画の舞台

 

日本のとある街のミッション系高校&その離島

虹光女子高等学校

 


■簡単なあらすじ

 

ある島のミッション系高校に通っているトツ子は、人が色に見えるという特性を持っていた

ルームメイトの森の三姉妹と仲良く過ごしていたが、彼女はいつも教会で主に祈りを捧げ、シスター日吉子からアドバイスを受けていた

 

トツ子はクラスメイトのきみの色が好きだったが、ある日彼女は姿を消してしまう

どうやら中退したようで、彼女がとある古本屋でアルバイトをしているという情報を得た

トツ子はきみを探しに街の本屋を片っ端から探していると、ある白猫が彼女に懐いてきて、その後を追うことになった

 

白猫は「しろねこ堂」という古書店の前にトツ子を連れていき、彼女はそこできみと再会する

彼女と久しぶりの会話を交わしていると、そこに本好きの離島の青年・ルイがやってきた

ギターの練習をしていることを知っていたルイは、自分も楽器を習っているという

その場にいたトツ子は何を思ったか、バンドを組もうという話をしていたと言い出す

そして、二人もその突発的な申し出に乗ってバンドを始めることになったのである

 

テーマ:心地良さの先にあるもの

裏テーマ:自分の色が見えるということ

 


■ひとこと感想

 

原作なしのオリジナルアニメ作品ということで、とにかく話題なので鑑賞

ミッション系高校に通うと女の子と、その学校を中退した女の子と、離島に住む音楽好きの男子がバンドを組むという内容でした

 

トツ子はきみに憧れを抱いていますが、それを彼女の色が綺麗だからという表現をしています

また、離島男子ルイの色も綺麗だと表現していて、この二人の色彩は青と緑で堂系統のようにも思えます

トツ子は自分の色がわからないようですが、それは彼女の精神が作用していることはよくわかります

 

映画は、色彩鮮やかではありますが、物語性があまりなく、かなりのスローテンポなので眠気との戦いになりそうでしたね

この世界観が好きな人ならと思いますが、どちらかと言えばマニア向けのように思います

女性ボーカルのバンドの主題歌がミスチルというミスマッチがありますが、これで集客が増えるのかは微妙なように思えました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

主人公には他人に色が見えてというもので、その中でも彼女の美的感覚にハマる色がきみという人物の色になっていました

映画のタイトルはこのきみというキャラクターの色のことだと思いますが、彼女がルイと会った後から、彼女の中にルイ色が混じっていったのはわかりやすい表現だったように思います

 

3人とも青春期の悩みを抱えていて、それは動いて変わっていくものに追いつけないジレンマのように思えます

自分の居場所はそこじゃないと思っていますが、どこにその居場所があるのかがわかっていません

これは裏を返せば自分というものが言語化されていないけれど確立しているというもので、それが色として表現されていたように思えました

 

そんな中でトツ子は自分の色がわからなかったのですが、ラストの中庭でバレエを踊るシーンにて、一瞬だけ腕が赤く光っていましたね

これが彼女の色だと思うのですが、それはうまくできずに劣等感を自分で育て続けた結果生まれたフィルターが曇らせていたもののように感じました

 


聖書の引用について

 

本作は、ミッション系の学校を舞台にしていて、そのために会話の中に多くの聖書の言葉が引用されていました

「詩篇121、7~8章」と「イザヤ書の43章4節」が印象的で、その引用は以下のものになります(いずれも新解訳のもの)

「詩篇121、7~8章」は、「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる(7章)。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる(8章)」となっています

この言葉は、授業にて取り扱われていましたね

 

そして、「イザヤ書 43章4節」は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」は、シスター日吉子がきみに対して語った言葉になっていました

この前後で、シスターはきみたちがバンドを組んでいることを知っていて、それを学校の行事で発表しませんか?という問いかけがありました

きみは中退しているのですが、シスターは「あなたのタイミングで卒業した」と言い、「あなたのことを慕ってる人たちは、あなたが元気で過ごしていることを知りたいと思いますよ」と付け加えていました

 

ミッション系の高校なので、それらは全て基礎教養になっていて、何かしらのメッセージを込めるとしても、このような引用が多く使われていました

このあたりの感覚が一般には浸透していないので、さほど難しくもないメッセージも、スッと入ってこなかったりします

メッセージには、その人の経験則から言葉を紡ぐ場合と、何かしらの言葉を引用する場合があるのですが、宗教観念が強い映画は、引用が多いように思えますね

このあたりが口コミで広がりづらい要素になっているように思えました

 


トツ子に見える色の正体

 

当初はトツ子は自分の色が見えないのですが、後半になってから「赤」であることがわかります

きみが「青」、ルイが「緑」なので、3人合わせて光の三原色(RGB)ということになっています

この3つが重なると白色になるのですが、これを無と捉えるかは何とも言えません

 

青と緑が重ねるとシアンになり、これは海や空の色であり、信頼、安全という意味があり、恋愛的には深い絆を意味します

青と赤が重なるとマゼンダとなり、 これには配慮や献身という意味があります

緑と赤が重なるとイエローとなり、キリスト教的には「キリストを裏切ったユダヤを示す色」とも言われています

これらの色の意味をトツ子視点で見ると面白い構図が読み取れると思います

 

トツ子から見たきみは憧れの存在で、ある種の好意というものがありました

その関係を補佐するのはルイではありますが、ルイはきみのことを好きで、その思いの成就はきみにとっては絶望的なことのように思えます

3人でいれば、そういった諍いは起きないのですが、誰かが欠けることによって、トツ子にとっては思わしくない未来が訪れるのかもしれません

でも、彼女が自分の色を忘れれば、そう言った概念が消えてしまうので、彼女の色がわかるのは一瞬だけ、ということになっているのかな、と感じました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、他人の色が見えるトツ子が描かれ、その色の美しさに惹かれていく様子が描かれていました

人の中には色んな色が混じっているものですが、おそらくは単色に見えているように思えます

人と人が混じると色が干渉しあい、それは別の色を生み出します

トツ子がその混色を美しいと感じるかはわかりませんが、色が価値観であるとするならば、それは容易に変化をするものでしょう

それでも、変化した色は美しさを失うことなく、さらなる深みのある色へと変わっていくように思えました

 

人に色があるとして、良い影響を与えてくれる色とそうではない色があると思います

映画の中だと、トツ子ときみ、きみとルイが混じることは良くても、トツ子とルイが混じるのは禁忌に近い印象があります

それは前述の黄色が持つ意味あいになっていて、悪影響を与える混色というものは確かに存在するのだと感じました

 

映画ではそこまでは言及しませんが、トツ子だけが自分の色を知らない理由は深いものがあると思うのですね

それは、自分が相手に影響を与えたくないとか、相手の影響を受けたくないというもので、彼女自身が無色であれば、そう言った混色は起きないとも言えます

でも、実際には彼女は赤であり、もっとも影響を与える色の一つであると言えます

 

ちなみに光以外にも三原色というものがあって、これを「色の三原色」と言います

この三原色は「シアン、マゼンダ、イエロー」のことを言い、これは光の三原色の重なりと一致します

また、この色の三原色が混じると「黒」になるのですが、これは光の三原色の「無」に対する「有」のようにも見えてきます

映画では、光に限定しますが、「有としての黒」が生まれるとしたら、それは人間の根幹の部分を表すようにも思えますね

それを闇と呼ぶかのはわかりませんが、そうならないためにもトツ子の色は一瞬だけしか登場しないのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/98520/review/04194520/

 

公式HP:

https://kiminoiro.jp/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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