■流れくる木屑のを繋ぎ止める機会は、何度も訪れるものではないのかもしれません
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■オススメ度
文学的印象の強い映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.11.15(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、137分、R18+
ジャンル:同じ夢を持った男同士が過去の女について語るヒューマンドラマ
監督:荒井晴彦
脚本:荒井晴彦&中野太
原作:松浦寿輝『花腐し(講談社)』
キャスト:
綾野剛(栩谷修一:5年映画を撮れていないピンク映画の映画監督)
柄本佑(伊関貴久:アパートに居座る男、元脚本家志望の男)
さとうほなみ(桐岡祥子:女優志望の女)
吉岡睦雄(桑山篤:ピンク映画の映画監督)
川瀬陽太(寺本龍彦:ピンク映画の映画監督)
赤座美代子(小倉多喜子:ピンク映画の制作会社の社長)
奥田瑛二(沢井誠二:ピンク映画の脚本家、講師)
MINAMO(リンリン:中国からの留学生)
Nia(ハン・ユジョン:韓国からの留学生、リンリンの友人)
マキタスポーツ(金昌勇:伊関が居座るアパートのオーナー)
山崎ハコ(韓国スナックのママ)
下元史朗(祥子の父?)
阿部朋子(祥子の母?)
外波山文明(桑山の親族?)
志水手里子(桑山の親族?)
サトウトシキ(葬式参列者)
いまおかしんじ(葬式参列者)
女池充(葬式参列者)
坂本礼(葬式参列者)
伊藤清美(劇中劇の女優)
Samantha Farmer(女娼)
山科彫科(アナウンサーの声)
■映画の舞台
都内のどこか
ロケ地:
東京都:江戸川区
こころの風東京
https://maps.app.goo.gl/RWcGuVtASs8qrUG16?g_st=ic
東京都:杉並区
高円寺シャンダバ
https://maps.app.goo.gl/i32uV8Sw9BobRRwK6?g_st=ic
東京都:杉並区
スナック舞
https://maps.app.goo.gl/Fvjg9wSfaF5wKrhy6?g_st=ic
ザムザ阿佐ヶ谷
https://maps.app.goo.gl/R2CPmWKttt6Adw27A?g_st=ic
新潟県:柏崎市
ファミリー旅館海月荘
https://maps.app.goo.gl/xSgoY9WRXQvpDGsXA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
映画制作から5年も離れている監督の栩谷は、家賃の支払いもままならず、映画制作会社の事務所で寝泊まりをさせてもらっていた
ある日、彼の元に恋人・祥子が知り合いの映画監督・桑山と心中をしたという知らせが入る
通夜に向かうものの、彼女の両親からなじられ、桑山の通夜に参加することになった
その後、家主の金に呼ばれた栩谷は、支払い猶予と引き換えに「あること」を頼まれることになった
それは、金が所有しているアパートから出ていかない男がいるとのことで、その男を追い出してほしいというものだった
栩谷がアパートに向かうと、そこにはかつて脚本家を目指した男・伊関がいて、二人は同じ業界人ということもあって意気投合することになった
そして、二人はかつて愛した「祥子」という女性と過ごした時のことを話し始めるのである
テーマ:腐るほどの執着
裏テーマ:腐りしも続く命
■ひとこと感想
ピンク映画が廃れていく時代に生きる人々を描いている映画ですが、ピンク映画そのものが世代ではないので、デジタルではダメなこだわりというものは分かりません
映画は、かつて愛した女のことを話し合う男の物語で、そこで登場する女性が同一人物のように描かれていました
でも、実際にはカラクリがあって、この女性は同一人物でありつつも、同一人物ではないという感じになっています
映画は、さとうほなみが体を張っている作品として話題ですが、それ以上に調教される柄本佑というのも衝撃的なものがありました
タイトルの「花腐し」は万葉集の一句が由来になっていますが、それをセリフで説明するところは少しばかり陳腐に思えました
物語の構造も、過去がカラーで現在がモノクロという変わったものになっていて、その意図というものが最終的にわかる感じに仕上がっていましたね
少しばかり文学かぶれの側面があるので、興味のない人は寝てしまうかもしれません
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画は、モノクロが現在軸になっていて、回想シーンがカラーになっていました
ラスト付近で「自身の過去のセリフを改変する」のですが、このシーンを考えると、過去編はいずれも「栩谷の創作」であるように思えます
実際にどうかはなんとも言えないのですが、栩谷と伊関の「祥子との関わり方」は真逆の構造になっていました
冒頭の祥子の心中騒ぎが現実だとして、その後の伊関の語る物語と、心中に至るまでの栩谷の回想は創作のようにも思えてしまいます
一連の伊関との関わりによって、書いている脚本を書き換えるのですが、この書き手は栩谷の方だと思います
もしかしたら、栩谷が眠っている間に伊関が書いたかもしれないのですが、伊関が存在していたかどうかというのも微妙な感じになっていましたね
この変化が起こったのは、栩谷が伊関の物語を聞いたからだと思うのですが、それは自分自身の過去の選択を際立たせるものに過ぎなかったのかもしれません
伊関と祥子の過去は栩谷の選択の残酷さを突きつけることになっていて、彼が真摯に祥子と向き合っていれば、違った未来があったと思わざるを得ないものだったように感じました
■万葉集について
本作のタイトルは劇中でも紹介される万葉集が語源となります
「卯の花を 腐す霖雨(ながめ)の始水(みづはな)に
寄る木屑(こつみ)なす 寄らむ児もが」という歌のことで、作者は大伴家持です
意味はそのままで、卯の花を腐らせる長雨の流れる水に寄ってくる木屑のように、私に寄り付いてくれる娘さんがいたらいいな、という感じの意味になります
本作の栩谷と伊関は共に同じ女を愛したという感じになりますが、祥子はどちらの手の中からもするりと抜けて去っていってしまう存在でした
この歌は、天宝勝宝2年の5月にあった長雨が「上がった後の晴れの日に詠まれたもの」で、恋愛が終わった後に引用されているのは皮肉のようにも思えます
劇中ではずっと雨が降っていたのですが、そんな時に彼らの前に現れてくれた祥子を生涯の妻にすることはできませんでした
祥子は女優になりたいから子どもを堕したという世界線と、堕ろせと言われてショックで流産した世界線のどちらにも登場します
同一人物かは分かりませんが、2人の恋愛に関する立ち位置は一緒で、「失って気づく大きな存在」になっていました
長雨は逆境のようなもので、そこに登場した木屑があったとしても、それは「長雨があるからそばにいてくれた」というものかもしれません
なので、その縁を紡げるかどうかは、人生における「晴れの時代」になる前に、その木屑を雨水から救うことができるかが重要なのかなと思いました
■結局は誰の物語だったのか
映画は、回想録がカラーで、現代パートがモノクロになっていました
祥子の心中と通夜〜栩谷が伊関のところに来るまで(モノクロ)、栩谷の回想(カラー)、伊関の回想(カラー)となっています
2012年に祥子が亡くなり、伊関が付き合っていたのが2000年頃(居酒屋で吐いているシーン)、栩谷と付き合っているのが2006年頃(飲み屋で話すシーン)になっていましたね
最後の原稿を書くのが何年頃なのかは覚えていない(おそらくは現在パートなので2012年?)のですが、ドラッグから覚めた後に目の前にあったものを改変していました
栩谷と祥子の関係で彼女は堕ろせと言われているのですが、時系列的には「伊関との子どもを堕した後」ということになります
祥子は、伊関との生活で女優の道を選んで堕胎し、女優は細々と続けているけど、栩谷はうだつが上がらないので、子どもを持つことを拒否している状態なのですね
なので、一度の堕胎で流産しやすくなるかは置いておいて、祥子としては母親になるラストチャンスだったと言えます
マジックマッシュルームパーティーの後、栩谷は目を覚まし、そこには誰が書いたかわからないシナリオがありました
そこには「伊関に話した祥子との顛末」が書かれていて、それを書き直すに至ります
この経緯は、祥子が一度堕胎したという事実を知ったからだと思われるのですが、書き直したとしても祥子が元に戻ることはありません
栩谷はここでも現実から目を逸らしてしまうのですね
伊関の話が同一の祥子の話だとしても、栩谷と祥子の過去は消えるはずもありません
シナリオの上でそれを直しても、何も変わらないのが現実ですが、あの時に「父親になる覚悟ができていたら」というもしもを描きたかったのかなと思いました
その後、栩谷は白いワンピースを着た祥子を目撃し、彼女は栩谷に気づくことなく、伊関の部屋へと向かいます
栩谷が彼女を追いかけて、伊関の部屋の扉を開けたところで映画は終わるのですが、ラストではその光景を見た栩谷が涙を流していました
これらのシーンを考えると、栩谷は自分ではなく、伊関との時間が続いていればよかったと思ったのかなと感じました
伊関と祥子の関係は女優優先と脚本家断念で終わりを告げるのですが、そのようなしがらみがない状態で2人が出会っていたら良い家庭を築けたと思うのですね
なので、どうしようもない2人と交わることになったけど、祥子が幸せになれた道はこれしか無かったと思いたかったのかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画のラストでは、回想録となるカラオケのシーンになるのですが、これは劇中の歌唱シーンの続きになるのだと思います
このシーンで栩谷がマイクを持ってデュエットに移行した際に、桑山は2人から視線を逸らしていました
この段階では、桑山は祥子のことを気にかけていたけど相手にされていなかったか、片思いだったかのどちらかだと思います
そして、祥子が楽しそうに栩谷とカラオケをしているのを直視できなかったのですね
この桑山の想いはずっと燻っていて、彼は祥子のためにシナリオ『くちびる』というものを完成させていました
でも、それは映像化されることもなく、未来があるように思えたのに無理心中を図る結末へと向かっていきます
2人がその行動に至った理由は不明ですが、伊関や栩谷ができなかったことを桑山はやったはずなのに、そちらに向かってしまう
桑山は「祥子が主人公のシナリオを書く」のですが、伊関も栩谷もそれをすることは可能だった立場にありました
祥子がそのシナリオを読んだかはわかりませんが、その内容は桑山から見た祥子であり、それは祥子自身と乖離した偶像だったようにも思います
そうした葛藤が生まれた末に、祥子は決断をし、それを止めようとした桑山が巻き添えになったのではないかと感じました
実際にどうなったかはわかりませんが、祥子が欲しかったものを桑山が与えることができていれば、心中という道には入らなかったと思うのですね
なので、そうではない何かを桑山から感じ取ることによって、その未来を閉ざす絶望を感じ取ったのではないかと思いました