■社会における求められる役割を演じつつ、自分だけの秘密基地を作っていくことで、HAPPYENDへの道は開かれるのだと思います
Contents
■オススメ度
高校生の主張!映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.10.8(MOVIX京都)
■映画情報
英題:HAPPYEND
情報:2024年、日本&アメリカ、113分、PG12
ジャンル:卒業間近の不安定な高校生と大人の関わりを描いた青春映画
監督&脚本:空音央
キャスト:
栗原楓人(入江ユウタ:音楽研究部のアウトローな高校生)
日高由起刀(コウ:ユウタの幼馴染、在日韓国人二世)
林裕太(アタちゃん/冨永あたろう:ユウタとコウの親友)
シナ・ペン(ミン:ユウタとコウの親友)
ARAZI(トム:ユウタとコウの親友)
祷キララ(フミ:ユウタとコウのクラスメイト)
佐野史郎(長井校長:いたずらに激怒しAI監視システムを導入する校長)
矢作マサル(平雅弘:校長の秘書)
奥居元雅(シオちゃん:校長の友人)
中島歩(岡田先生:ユウタとコウの担任)
田中光輔(拓郎:岡田先生のデモ仲間)
中野綾流(鈴子:岡田先生のデモ仲間)
熊谷智彦(ミノル:岡田先生のデモ仲間、歌披露)
【生徒の家族】
PUSHIM(福子:コウの母、食堂の店主)
渡辺真起子(入江陽子:ユウタの母)
ほしまゆみ(フミの母)
大勝壱夏(トムの母)
【生徒たち】
佐々木悠華(学級委員)
吉岡幹夫(廊下でキスしている生徒)
土西絵莉奈(廊下でキスしている生徒)
平野拓人(土屋:野球部のキャプテン)
相澤葉(タオ:別室に行かされる生徒)
ホーズ理紗ジョイ(ハンナ:別室に行かされる生徒)
森俊亮(アルウィン:別室に行かされる生徒)
エマニエル由人(アンジェロ:別室に行かされる生徒)
岸田瑛音(ロキ:別室に行かされる生徒)
すずきみあいムェンドウ(ジュリ:別室に行かされる生徒)
スリヤ(リスキー:別室に行かされる生徒)
桑波田洋実(さゆり:別室に行かされる生徒)
谷山拓之(久保田:卒業式の練習する生徒?)
下松谷嘉音(賛成する高校生)
緒方祥乃(賛成する高校生)
【学校関連】
福永壮志(緊張している先生)
中西政人(イラついている先生)
一瀬尚代(教師)
吉水真也(教師)
後藤公太(北沢:新しい担任の先生?)
河崎公(学校の警備員)
河野彰信(部室片付ける清掃員)
【その他】
門逸青(クラブ主催者)
大保達哉(クラブの客の声)
中根大樹(クラブのスタッフ)
YOU$UKE YUKIMAT$U(クラブDJ)
空央史(クラブに突入する警官の声)
松田エリク(クラブの外国人客)
福廣慶士(若い警官)
加藤俊久(若い警官)
三角園直樹(スポーツカー事件の担当刑事)
呉村芳建(金谷:食堂の客)
宮田サキ(木下:食堂の客)
高橋るり子(ニュースキャスターの声)
矢嶋俊作(鬼頭首相)
いしはらだいすけ(首相のSP)
曽我潤心(首相のSP)
蔦哲一郎(新聞記者)
若林秀敏(街頭演説者)
平野宗佑(カフェのバリスタ)
橋口徹(居酒屋の客)
小高えいぎ(楽器店の店長)
古賀裕太(安田優作:楽器店の店員)
東山龍平(機動隊員)
大夢(抗議者)
桑原良二(ベテラン刑事)
伊藤慎介(職質警察官)
足常裕美(職質警察官)
真丸(自衛隊員)
登弘聡(学校を取材する新聞記者)
有吉直文(カメラマン)
増渕愛子(街頭アナウンスの声)
高野力哉(サッカーの実況)
ゴールドステイン・ミミコ(サッカー観戦者)
■映画の舞台
20XX年の日本のどこかの学校
ロケ地:
兵庫県:神戸市
神戸市立化学技術高等学校
https://maps.app.goo.gl/6zvtjTUaTRnBwS6q7?g_st=ic
神戸市立神戸工科高等学校
https://maps.app.goo.gl/qYKWzgfxcgQjz9p48?g_st=ic
郷土料理からす
https://maps.app.goo.gl/rXUzB6ZbWTtBhstMA?g_st=ic
カフェパスクッチ
https://maps.app.goo.gl/rgTiXFjMKsC38zVy9?g_st=ic
韓国家庭料理 どんぐり
https://maps.app.goo.gl/G6ppijuwfFep5L6v6?g_st=ic
六甲アイランド リバーモール
https://maps.app.goo.gl/yCybh47KVumsJrGH7?g_st=ic
大日商店街
https://maps.app.goo.gl/WvzCCGAriY5Cfif5A?g_st=ic
みなとのもり公園
https://maps.app.goo.gl/rc2CM3yjxa2Y9w8d6?g_st=ic
港島住宅(地図はバス停前)
https://maps.app.goo.gl/ReP18uGJoRAPM8ie8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
20XXの近未来の日本では、緊急事態条項が法案を通過し、政権に対するデモが頻発していた
そんな情勢の中、幼稚園からずっと一緒の高校3年生のコウとユウタは、音楽研究会に属しながら、クラブ音楽にハマっていた
ある日、校長のスポーツカーにいたずらをした2人
校長は激怒し、AIシステムによる監視装置を校内に導入してしまう
名目上は生徒の安全のためだったが、明らかに生徒たちのプライバシーを侵害するものだった
さらに安全を理由にして音楽研究部の部室を追い出されるハメになり、コウはクラスメイトのフミや担任の岡田先生との時間を持つようになり、彼らが参加するデモに興味を示していくようになった
何も考えずに「今を楽しく生きたい」と考えるユウタとは考えが合わなくなり、さらに卒業後の進路も噛み合わなくなってきて、お互いの心が徐々に変化を見せていくのである
テーマ:考えるということ
裏テーマ:流される人生の正体
■ひとこと感想
どんな内容か何も知らずに鑑賞
予告編でも登場する立っているスポーツカーがインパクトが強く、どうやって立てたんだろうなあと思ってしまいました
制作費のほとんどがあの車代にかかってそうな感じですが、誰かの私物だったのかもしれません
映画は、不安定な社会に生きる不安定な若者というもので、自分の考えを保とうとする若者と、そんなことよりも今を楽しもうと考える若者が衝突する、という流れになっています
若者の考えはどこまでのものかは何とも言えない部分があり、もしかしたら誰かに感化されているだけ、という可能性もあります
それが体制側なのか、反体制側なのかというものがあって、導入された監視システムに対しても、それぞれの意見があったように思えます
物語は、昨年ぐらいに話題になった「緊急事態条項」が通った近未来を舞台にしている「仮想社会」ではありますが、その世界に生きる人はどう考えて、どう生きるのだろうかというものを頭で考えた内容のように思えます
実際に条項が通った段階で、権力者が何をするかとか、国民がどう生きるのかは未知数な部分があり、それに抗うことの価値というものをそれぞれが考える映画、と言えるのかもしれません
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
クラブミュージックにハマっている若者が自分の居場所をどんどん奪われるという感じの流れになっていますが、ある意味で自業自得な部分もありました
そうして、ズレてしまったもののせいで、分かり合えていたはずの仲間たちの間に亀裂のようなものが生まれてしまいます
それぞれが「今に夢中だった頃」はそれでもよかったと思いますが、それぞれには人生があって、そこで起きる変化に怯えているようにも思えました
映画は、自分の考えを持とうと行動しつつも、実は大人の考えに影響されていただけだったり、何も考えていないようでいて価値観だけはブレないという場面が描かれていました
子どもたちは好きに生きられると思っている反面、その自由を保障しているのは大人だったりします
その構造をわかった上で賢いふりをすれば良いというわけではありませんが、わかった気になるというのも危険なのかな、と感じました
物語は、どうしたら絆は壊れてしまうのかを試しているように思えますが、一周回って凝り固まった思考が体験を上回らないとわからない部分があるということなのでしょう
大人はそう言った道を歩んできて今の思考や行動があるのですが、それを頭ごなしに押し付けるよりは、体験させて、どこまでが自分の裁量で可能なものなのかを体感される必要があるようにも思えてしまいますね
■その考えは誰かの人生の集大成
本作は、若者たちの日常を描いている作品で、XX年後となっていますが、ほぼ現代劇となっていました
少し前に現実で進められていた緊急事態条項が発令された世界線を描いていて、イタズラによってAIを駆使した監視システムが導入されていました
生徒もインターナショナルな感じになっていて、主人公は在日韓国人で、音楽仲間たちも中国系と黒人系の子どもたちがいました
どうやら、彼らはマイノリティで、見えぬ迫害を受けている側で、それによって見えない差別意識というものが根付いてきます
それでも、日本人よりも移民もしくは移民二世の子どもたちが多いので、後半のあるシークエンスでは、クラスの半分が移動するという事態に至っています
そんな中で、若者たちが生き方を模索する内容になっていて、自分たちの置かれている立場の難しさに悩みながら反発する様子が描かれていきます
それに対抗する大人は法律とか秩序を全面に押し出して、論理的な正しさを振り翳していきます
そんな大人たちへの反抗という感じになっていますが、その思想が彼らの中だけで紡がれているものなのか怪しいという感じになっていました
映画の途中で教師の参加するデモに生徒が加入する流れでは、彼らは自分たちの思考を通じて行動しているように見えます
でも実際には、教師に興味があるフミ、そのフミに興味のあるコウという感じになっていて、このような会合に参加することでインテリジェンスが上がっているように感じています
でも、そこで彼らが得るものとか、そこに至るまでの思考や思想というものは、ダイレクトに受け続けてきたものの取捨選択したものなので、彼らの中で生まれたものとは言えない部分があります
わかりやすく言えば、言語化に乏しい若者はしっくりくる言葉を大人たちの発するものからチョイスしていて、そのチョイスが正確かどうかはわからないのですね
そう言った観点で見ていくと、思考している大人たちも同じような体験を経て成長しているので、その繰り返しの中で、心地良いものだけが生き残っていると言えるのかもしれません
■自分を生きることの意味
自分というものが何なのかを定義するとき、それは過去にふれた価値観の中から着心地の良い服を借りている存在だと言い換えることができると思います
自分の人生をどう生きるかもそれに通じるものがあって、完全なオリジナルになろうとする人と、何かの精巧なコピーになろうとする人がいます
無論、どちらも自分が決めた人生を生きているので、自分を生きていると言えるのかもしれません
自分の若かりし頃を考えると、何者になるかなどという考えが起こる隙間がなく、ただ生きていくためにはどうするかを考えてきました
自分らしくという概念が生まれたのは、おそらく映画『マトリックス』を観た頃で、ちょうど25歳くらいの頃でした
小学生の時に親が離婚して、下の子2人を面倒見ながら学校に通い、自分に課せられたミッションは「奨学金を取るために成績を上げること」でしたので、それが終わりを告げる18歳までは「自分らしさ」という概念にすら出会っていません
その後、大学に進学することになり、自分が何をしたいのかを考え始め、当初は本に囲まれた生活をしたいというものがあって、司書を目指すことになります
でも、教員免許が必要な司書教諭で、どうしても教育実習が嫌で断念し、それ以外の本に囲まれる道を探したところ、本屋で働くという選択に至ります
この段階でも、なりたい自分というよりは「自分がいたい状況を探している」というもので、どの環境がしっくりくるのかも模索している状況になっていました
金銭的にある程度裕福になってくると、買いたいものを自分で買えて、行きたいところに行けるようになります
そうしていくうちに映画『マトリックス』に出会うのですが、実際には映画に感化されたというよりは、その当時に流行っていた自己啓発本が『マトリックス』の宣伝に使われていたのですね
それが『思考は現実化する(ナポレオン・ヒル:1999年発売)』と『原因と結果の法則(ジェームズ・アレン:2003年発売)』でした
『思考が現実化する』が『マトリックス』、『原因と結果の法則』が『マトリックス:リローデッド』の時で、それが宣伝に使われていたのは、行きつけの書店員さんの好みだったと思います
当時、25歳〜28歳くらいだったので、かなり衝撃を受けて、それが自分の思考と対面するきっかけになっています
このように、ある程度自分自身の思考と行動の因果関係を考えるようになると、それが自分自身を形成する要素へと成長していきます
これも、私個人の心の装飾のようなものになっていて、ある人の人生の集大成を自分の人生の飾りにしているのと同じだと言えます
この状況に「自分らしさ」というものがあるとは思えず、概念を知った日から起こる出来事を照らし合わせていくことによって確認行為が為されます
「ああ、ほんとなんだ」と概念と理解したあとは、その概念を自分の人生にどのように生かすかを考えることになります
自分らしさ=自然体であることを考えると、その答えに辿り着く行動や思考というものがあって、それを逆順によって考えていく
そうすることによって、このような行動をするのは自分らしさにつながるということがわかっていきます
そうして、その行動によって自分らしさがより輝くことを確認できれば、それをルーティン化することで、さらに自分らしさというものに磨きがかかってきます
それができる頃には、自分らしさのための思考というものがある程度明文化されてくるので、それが自分自身に課するミッション・ステートメントのようなものになっていきます
それが、自分らしさと他者の論理の融合になっていて、それは発見ではなく、応用であることがわかり、その概念に出会えたことに感謝できるようになるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、学校で起きた出来事を境にして、仲良しだったコウとユウタが別の人生を歩む様子が描かれていきます
コウは大学に進学し、一応は社会の枠組の中で生きていくことになります
既存のコミュニティゾーンに足を踏み入れることは、大人が保証する安全地帯にいくことになり、そこにはある種の自由の制限というものがあります
一方のユウタは、そのような世界から離れていくことになり、バリアのない世界で生きていくことになります
そのバリアは大袈裟に言えば国家が作ったものなので、その外側は守られていない世界のようにも思えてきます
映画のタイトルは『HAPPYEND』なのですが、どっちの生き方がハッピーエンドに近いのでしょうか
コウは守られた世界の中で自分らしさとの共存を目指していきます
ユウタは全ての行動の責任が自分に跳ね返ってくる世界で、思う通りに生きれればそれで良いと言えます
結局のところ、それぞれが選んだ人生であれば、どのような結果になったとしてもハッピーエンドのように思えます
さらに、自分が選んだということを自覚し、その後の選択も自分で行なっていければさらに最良の人生を手に入れることができるでしょう
問題なのは、自分で選んでおきながら、選ばされたと思ってしまう人生で、その後も選択の失敗を自分ごとのように捉えないことではないでしょうか
どのような生きづらさを抱えようが、その場所にいるということは自分の選択の他なりません
学生であるうちは、両親の選択の影響を受けていると言えますが、よほど敷かれたレールから外れられない人以外は、その状況も選択のひとつであり、そこまで強要されたものではないでしょう
世の中には死ぬまで親や家の影響を受け続けて何もできない人はいますが、それでもその状況の中で自分らしい生き方を選ぶ人はいます
そのような人は、人格を幾等分にも分けて、社会的な役割を理解し、演者のごとく振る舞うようになります
そして、その影響を受けない秘密基地を見つけ出し、そこで呼吸をすることで、自分らしさを保っていくことになります
人は人間社会で生きていく中で「100%自分らしさ」というものを曝け出すことはできません
それでも、そう言ったものを解放できる場所を作れる存在でもあるので、多くを望みすぎなければ、そこまで無理難題ではないでしょう
それを思うと、他者との影響を受けることなく、また他者に影響を与えない空間を探し出してこそ、「自分らしきを損なわないハッピーライフ」になるのかもしれません
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/102070/review/04346952/
公式HP:
https://www.bitters.co.jp/HAPPYEND/