■ベタな感動に走った方が評価が高かったかもしれません
Contents
■オススメ度
とりあえず犬が好きな人(★★★)
田中圭さんのファンの人(★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.8.25(MOVIX京都)
■映画情報
情報:2022年、日本、118分、G
ジャンル:行方不明になった大型犬が飼い主を探し求めて日本を縦断するヒューマンドラマ
監督:犬童一心
脚本:斉藤ひろし&犬童一心
原作:斉藤ひろし
キャスト:(役名役柄判明分)
田中圭(赤西民夫:突然犬を飼うことになった市役所職員)
ベック(ハウ:民夫が飼うことになった大型犬)
佐藤いすず(ハウの声)
池田エライザ(足立桃子:民夫の同僚、非正規職員)
野間口徹(鍋島史郎:民夫の上司)
渡辺真起子(鍋島麗子:民夫とハウを引き合わせた史郎の妻)
山村崇子(動物シェルターの職員)
後藤ユウミ(役所の嫌味な職員)
深川麻衣(真里菜:民夫を捨てる元カノ)
長澤樹(朝倉麻衣:福島帰宅困難地域の中学生)
前川佑(田口亮:麻衣の幼馴染)
深尾あむ(リサ:めぐみを嫌う女子高生)
原島凛々(リサの友人)
モトーラ世理奈(森下めぐみ:修道院に身を寄せる女性)
細川岳(森下ケン:めぐみのDV夫)
笠兼三(ケンの友人、配送業者)
井上みなみ(シスターヘレナ)
市川実和子(シスターセシリア)
伊勢志摩(マザー)
利重剛(神父)
宮本信子(関根志津:シャッター街で傘屋を営む老女)
石橋蓮司(関根次郎:志津の亡き夫)
草村礼子(シャッター街の手芸屋?)
嶺岸煌桜(沢村賢人:大型犬を飼う少年)
田畑智子(賢人の母)
西郷豊(テレビに映る大型犬の飼い主)
田中要次(岩手の車屋のおっさん)
田村たがめ(車屋の女性社員?)
諏訪太朗(陸前高田市の漁港のおっさん)
品川徹(役所に来る妻を亡くした老人)
黒田大輔(ハウを青森に連れてくる引っ越し屋の運転手)
金田哲(テレビ番組の芸人)
川島ofレジェンド(テレビ番組の芸人)
椿鬼奴(テレビ番組の芸人)
橋本小雪(テレビ番組の局員)
石田ゆり子(ナレーション)
■映画の舞台
青森県:下北郡、尻屋崎灯台
https://goo.gl/maps/Y5qx33QtZ8zs8THb6
岩手県:盛岡市&陸前高田市
宮城県:石巻市
福島県:双葉郡
茨城県:久慈郡
栃木県:さくら市、セキネ傘店
群馬県:桐生市、聖クララ修道院
神奈川県:横浜市港北
ロケ地:
東京都:稲城市
プラウドシーズン稲城南山 インフォメーションセンター
https://goo.gl/maps/JsdYZt2JLD3UuLxn9
群馬県:前橋市
セキネ洋傘店
https://goo.gl/maps/PEbqCXJ7jg8ex1xQ9
弁天通商店街(前橋市のアーケード街)
https://goo.gl/maps/CPcG9kFWUP3wn4YB6
東京都:練馬区
ピッツェリア・マルデナポリ大泉学園店
https://goo.gl/maps/PzEH4yMUp18Jy9KTA
酒蔵あっけし
https://goo.gl/maps/1CjrG5wYrjwqo5vY6
福島県:西白河郡
大堀相馬焼 松永窯
https://goo.gl/maps/mYFTgXHVdR5R3m5n9
神奈川県:川崎市
溝の口キリスト教会
https://goo.gl/maps/14mWgPijH1ZEf1q9A
■簡単なあらすじ
市役所の戸籍課で勤務する民夫は、ある日恋人の真里菜から一方的に婚約解消を言われてしまう
途方に暮れる民夫を見兼ねた上司の鍋島は自宅に招待し、妻・麗子の動物シェルターの保護犬を飼わないかと持ちかける
民夫は勢いに押されて大型犬を飼うことになり、声の出せないその犬に「ハウ」と言う名前をつけた
それから二人は家族のような関係になっていったが、ある日その絆は断ち切れてしまう
民夫が空き地でうたた寝をしていたその隙にハウは少年たちのボールを追いかけて、誤って引っ越しセンターのトラックに乗り込んでしまうのである
トラックは遠路はるばる青森まで到達し、ハウはそこから民夫の元に戻るための旅を始めることになるのであった
テーマ:ペットロス
裏テーマ:ペットの効能
■ひとこと感想
田中圭さんが犬と戯れると言う「ファンムービー」だと思って参戦
でも、ポスタービジュアルなどからは全く想像もつかない訳のわからない展開になっていて、レビューが超酷評なのが頷ける内容でした
主人公はハウで、彼が青森から神奈川まで帰ってくるロードムービーと並行して、ペットロスの民夫の苦悩を描いていきます
ちょい役でも著名なキャストが配されていましたが、瞬間芸的な感じで全員の顔を記憶するのは無理でしたねえ
物語は「ダンスJK」と「修道院の暴行事件」が映画のテイストを決めていて、また物議を醸したラストもかなり無茶な内容になっていました
犬好きが見たら確実にキレる内容でしょうし、最終的に何を描きたかったのかよくわからない内容になっていました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
ダンスJKの部分は絵になるのでよかったのですが、修道院の惨劇は映画のテイストとまったく違うので、何が起こったのかと困惑する展開でした
サイクリングの子どもたちは無事だったようですが、その後生き残った二人がどうなったのかとか、ハウ(ラッキー)の元の飼い主の元を離れることになった経緯がわかりませんでした
捨てられていた犬なので、本当の飼い主が現れる展開は理解できますが、民夫の自宅に戻ったら別の居住者が来ていて、と言うくだりから、本当のお別れになる展開に違和感を感じます
そもそもがペットロスの民夫と桃子が良い仲になって、動物どうでもいいよねみたいに見える展開は微妙でしたね
また、ハウと民夫の時間の描き方が早足すぎて、あまり関係性を構築できていないように思えました
時系列的には1年半ぐらいは一緒に過ごしたようですが、そのように見えなかったのは季節感のある描写が「雪だけだった」からのように思えました
とにかく、断片的に存在するエピソードを並べただけになっていて、ナレーションがさらにテンポを落としていくので、体感的には相当長く感じてしまいました
■ペットロスとどう向き合うか
ペットロス症候群とは、ペットと死別したり、行方不明になったり、盗難に遭ったりなどで発症する疾患ないし心身の症状のことを言います
愛情の対象を失うことによって、その喪失状態が心理的に大きな影響をもたらします
これを病理的悲嘆(Patholigic grief)と言い、慢性的になることもあります
基本的にはストレスが起こすもので、「6ヶ月以上経過しても強度の症状が継続」「身体的苦痛を越える激しい症状」「生活に支障をきたしている」というものとなっていて、民夫がペットロス状態であるかは微妙なところかもしれません(期間は該当しそうですが、そのほかのことは問題ないように思えました)
映画の時系列がどれぐらいなのかわかりませんが、ハウが民夫の元に戻ってきた時には、彼はそれなりにペットロス状態から立ち直っていたので、日にち薬的な効用と併せて、桃子の存在がペットロスを打ち消していると言えます
ハウに対する思い入れというものが民夫の中で「失踪」という状況で増大し、その依存度が増してきていました
同じ思いを共有できる桃子との関わりによって、話せるというここで少しばかり解消していましたね
ペットへの思い入れとかロスに関しては、同じくらいペットに思い入れがある人でないと理解できず、私なんかはかなり冷酷に見える対応をしてしまうと思います
「新しい犬を飼えば」というのは一番言ってはいけない言葉で、それは個体を個体と認識していないからですね
ペットならなんでも良いという人の方が稀で、一緒に生活する中で個体差というのが出てくるので、その個体差こそが愛着の正体であると言えます
それぞれが抱える愛着を言語化すると、その事象は誰にでも当てはまらないことがわかりますので、その共有ができるということは、「愛着の言語化をすると同じ属性になる」という意味になるかもしれません
なので、同じくらいの愛着度がある飼い主同士でないと話が成り立たないと思います
■勝手にスクリプトドクター
本作は「民夫のペットロスの状況&桃子との親密度の高まり」と並行して、「ハウが帰宅するまで」を描いていきます
この二つの物語は同時進行していて、絡まるのは最後の一瞬だけです
そのラストシーンの再会も「新しい飼い主と馴染んでいるから身を引く」というもので、これが正しいのかどうかは何とも言えません
民夫としては、死んだと思っていたロス状態だったところからようやく立ち直ったところで、言うなれば自分の中でハウの存在の抹消の儀式を終えてしまっています
なので、この民夫を心理の整理を考えれば、このエンドはありっちゃあありでしょう
でも、犬好きのたくさんの人からすれば、民夫とハウがもう一度飼い主と飼い犬の関係に戻ることだと思うので、フィクションであるならば「ハウを民夫の元に返す」方がしっくりきます
物語が二重構造になっていて、重きが置かれるのは民夫の物語でした
でも、時間配分は圧倒的にハウのロードムービーの時間の方が長く、印象的な物語がたくさんありました
大きく分けて「シャッター街の傘屋」「ダンスJK」「修道院の修羅場」となりますが、それぞれに社会問題を入れ込んでいるところが逆にノイズだったりします
シャッター街でハウが亡き夫に見えたとか、ダンスJKに被災地避難民の設定を入れたりとか、修道院では猟奇的なDVなどが描かれていきます
それぞれは独立した物語になっていて、ハウが何かをしたというよりは、「ハウを見て勝手に自己解釈を変えた人々」という趣になっています
これはある意味リアルで、ペットが能動的に対象者に対して何かを施すというのは漫画の世界のようなものでしょう
実際にはペットの行動を自己解釈して、自分の中にあったわだかまりを解消するというのが一般的な理解になると言えます
この映画では起承転結をいじる必要はありませんが、ペットロスとロードムービーのどちらかに完全にシフトした方がよかったと思います
基本的にハウの登場によって、接した人々が変化するというのが主体なので、ロードムービーを全面に押し出した方が良いでしょう
そして、あえて「民夫とハウの再会」を描かずに、ハウは民夫の家に引っ越してきた賢人少年と共に過ごすという風に話をまとめます
民夫は桃子と良い関係になり、街角でハウを見かけても、新しい飼い主といることで何かを悟ったような顔をさせる程度で留めた方が良いでしょう
もし、真逆の再会の物語を見せたいのなら、ロードムービーは簡潔にして、ペット探しに奮闘する民夫を描き、彼とのすれ違いを描かないとダメでしょう
そうなると、ある程度のハウの行き先を知っているということになり、ぶっちゃけ「ICチップ入ってなかったんかーい」というツッコミに耐えなければなりません
もっともマイクロチップに関しては令和4年の6月1日に義務化されたので、映画の制作段階では実装されていません
となると、マイクロチップがない時代の話なのですよというアピールはどこかで必要となります
いっそのこと回想録仕立てにして、10年前くらいを思い出しているぐらいにした方が、現行との乖離で言い訳をする必要がなかったかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作の観客層は「田中圭さんのファン」か「愛犬家」だと思いますが、結果的にどっちも裏切ってしまっているように思えます
田中圭さんが主演の割にはいうほど登場しませんし、彼の思いが報われることもありません
愛犬家の人たちは、おそらくは再会(元さや)を望んでいたでしょう
民夫がハウと元通りになって、それを嫉妬して桃子が振るみたいな流れになった方がコミカルだったかもしれません
それでも本作の致命傷は「修道院の修羅場」をリアルに描き過ぎたことと、無駄に社会問題を絡ませたことだと言えます
修羅場の血みどろのシーンは映画のイメージに全く合いませんし、暴れているのを取り押さえるぐらいでよかったでしょう
また、その後の事故で夫とハウが助けるというシーンまではまだ見れますが、そのあとにわざわざ夫にセリフを言わせる意味はありません
ハウからすれば二人のDVの顛末は意味がわからないでしょうし、単純に人を助けようと考えたのでしょうが、まだ飼い主時代の記憶があったとしてもめぐみを助ける方が感動的だと思えます
社会問題に関しても、過疎化の商店街であるとか、被災地問題がハウとは全く関係のない世界の話で、ハウ自身に関連するものがありません
結局のところ、ハウの目線で日本の問題のある地域と事象に遭遇させて、ハウの存在によって各地の人々が癒されたというものなので、変化しているのはそれぞれのキャラクター自身にとどまってしまっています
なので、かなり設定は盛り込んでいるけど、たまたま目に入ったポスターを見て「これだ!」と思ったのとそれほど差異はないので、あまり効果的ではないと思います
フィクション前提で設定を盛り込むなら、全てのキャラクターがハウもしくはハウのような犬を飼っていたなどのエピソードを付加することになりますが、それをやると胸焼けを起こすことは必至でしょう
世間がいくら狭いと言っても、そこまで深い関係性というのは連鎖しないものなので、シャッター街だと「ハウ=出ていった息子」とか、ダンスJKだと「ハウ=以前の自分」であるなどのそれぞれのキャラクターがハウに「動物以外の何かを投影する」というくらいしか手がありません
そうなった時に「シャッター街である必要性」とか、「被災地日難民設定の必要性」などは揺らぐと思うので、初めから「強調する意味はない」と感じました
せめて、「ひょっとしたら」ぐらいで余白がある方が映画的であると思いますので、観客の想像力を信用して、あからさまな誘導をする必要はなかったように思えました
この映画は思った以上に説明が過剰だと思います
ここまで説明されなくても十分に伝わるのですが、肝心のテーマ性が二極化して伝わらないという本末転倒な事態になっています
これが作家性なのか、さまざまな要因が重なったのかはわかりませんが、完成された映画はとても手放しで誉められるようなものではないというのは興行収入が示しているのかもしれません
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/380999/review/0fa88967-7546-42aa-a9bd-a286f5c6a1d0/
公式HP: