■明かされる秘密の先にあった、役割の伝承の必要性
Contents
■オススメ度
郡上八幡に関わりのある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.11.16(MOVIX京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、97分、G
ジャンル:世話になった人の死に際し、その秘密を守りながら、葬式に参加しようとするオネエ三人を描いたコメディ映画
監督&脚本:田中和次朗
キャスト:
滝藤賢一(バージン/坂下純:ベテランのオネエ、かつてドラァグクイーンで一線級だったオネエ、経理部勤務)
渡部秀(モリリン/石野守:若手の惚れられやすいオネエ、なっちゃんの小料理屋で働いている)
前野朋哉(ズブ子/沼田治彦:TVのリポーターも勤める認知度&人気のあるオネエ)
アンジェリカ(本人役:名古屋のドラァグクイーンの店舗のオーナー)
豊本明長(山田茂典:ショーパブの店長、バージンに踊り場提供をオファーしている)
本田博太郎(下田信之介:新宿二丁目の伝説、「グローリー」の店主)
本多力(内藤和彦:葬儀屋)
岩永洋昭(PAでモリリンを誘うトラック運転手)
永田薫(郡上八幡で3人と関わりを持つスーパーの店員)
菅原大吉(坪井仁:郡上八幡の旅館の主人)
生稲晃子(仁の妻、博子の母)
市ノ瀬アオ(坪井博子:仁の娘)
松原智恵子(並木恵子:なっちゃんの母)
カンニング竹山(なっちゃん/並木ワタル:急死する小料理屋の店主)
西田麻耶(バージンの同僚会社員)
宇乃うめの(バージンの同僚会社員)
坊薗初葉(バージンの同僚会社員)
■映画の舞台
東京都:新宿区
新宿2丁目
https://maps.app.goo.gl/s3UNygTctzNCucFPA?g_st=ic
岐阜県:郡上市
郡上八幡
https://maps.app.goo.gl/XNZm1v9E8NRghmyk6?g_st=ic
ロケ地:
東京都:新宿区
AiSOTOPE LOUNGE(冒頭のクラブ)
https://maps.app.goo.gl/RuNbEVtnc4VeEGjp7?g_st=ic
BAR ポンパドール(グローリー)
https://maps.app.goo.gl/Sfw4fbQkVCEtAkZF6?g_st=ic
東京都:渋谷区
アマランスラウンジ(ショーパブ)
https://maps.app.goo.gl/vtQJ9cDhZY6mZrA76?g_st=ic
岐阜県:北上市
レストラン北城
https://maps.app.goo.gl/9AwqxScXKpshyfsVA?g_st=ic
岐阜県:郡上市
道の駅 古今伝授の里やまと(PA)
https://maps.app.goo.gl/41NqJ5WYZFmQ7Lrq5?g_st=ic
和良川公園オートキャンプ場(野宿)
https://maps.app.goo.gl/SeeYJcsGbSyWSRW96?g_st=ic
郡上八幡旧庁舎記念館(郡上祭りの会場)
https://maps.app.goo.gl/uuS6VbReajm2QyvM7?g_st=ic
舟渡屋
https://maps.app.goo.gl/Aj8zak8xebS5VnpJ9?g_st=ic
■簡単なあらすじ
現役から退いて歳月が過ぎたドラァグクイーンのバージンは、今では会社員として働きながらも、ダンスに未練を感じていた
ある日、そんな彼女の元に一本の訃報が入る
それは、かつて教えを乞うた伝説のオネエ・なっちゃんの訃報で、経営している小料理屋で突然倒れて、そのままこの世を去ったという
その小料理屋で働いているオネエのモリリンは電話をかけまくり、ようやく見てくれたのがバージンだという
バージンはなっちゃんを師匠だと思っていて、同じように思っているズブ子にもそれを知らせる
ズブ子は全国区のテレビレポーターとして活躍していて、すっぴんでもバレてしまうほどの人気を博していた
なっちゃんの思い出話で盛り上がる三人だったが、ふと彼女のことを何も知らないことに気づく
そして、なっちゃんが「オネエであることを墓場まで持っていく」と言っていたことを思い出す
そこで3人はなっちゃんの家に行って、それらしきものを隠そうとするものの、そこになっちゃんの母親が現れてしまう
なんとか関係性を誤魔化すものの、なっちゃんの母は郡上八幡で行う葬式に来てほしいと告げるのである
東京から相当距離があり、しかも3人もオネエを隠していくしかない
迷いはあったものの、なっちゃんの最期の舞台だと割り切って、郡上八幡を目指すことになったのである
テーマ:踊りは人々をキラキラさせる
裏テーマ:隠し事は墓場まで持っては行けないもの
■ひとこと感想
滝藤賢一さんがオネエをやるという「一発ギャグ」のような設定に興味があって参戦
ポスターヴィジュアルの変わり身にかなり期待をしていましたが、内容としては残念としか言いようのない感じに仕上がっていました
オネエに扮した三人の掛け合いとか、秘密を守るために策を練るシーンなどは面白いのですが、個別に面白いシーンがあっても、全体を俯瞰して観てみるとおかしなところが多いのですね
ロードムービーとしても、ほぼいきなり郡上八幡にワープしているので、車で行く意味があんまり感じられません
最初に泊まったPAがいきなり郡上市に入っていたりするので、そこから会場に行くまでにグダグダやっている意味がわかりません
亡くなった翌日の朝に出発して、5時間の距離なのに夜になってもつかずに目的地の目の前で野宿をしたりしているのですが、作りたいエピソードを作るだけ作って、時系列の整合性を無視しているように感じました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
ネタバレになってしまうのでここで書きますが、誰もがあると思ったシーンが最後までなかったのはひどかったですね
それは「バージンが踊るシーン」で、冒頭で練習風景がちょこっと流れるだけというのはがっかりしました
踊れないクイーンが郡上祭りを通じて踊れるようになるという感じの流れになっていても、郡上踊りすら踊らないのですね
途中の民家で踊れないまで引っ張るのはわかりますが、葬式を終えた後ならば、クイーンになって踊るシーンを挿入することは可能だったと思います
このシーンがないのは、単に「絵にならないと判断された」と思われても仕方のないことだと思います
バージンが踊れない理由もイマイチ不明瞭で、想像するには「若者には勝てないと悟った」ということで、体力的かつ見た目の劣化によって、人前では踊れないと判断しているのでしょう
でも、この物語は郡上の人々と出会い、なっちゃんのルーツを知ることで、天国の彼女から教えを乞うというスタンスになっているはずなのですね
それを考えると、オネエに肯定的な母親に対して、「なっちゃんから教わったことを伝える」という最低限のアンサーというのは必要ではないでしょうか
■ドラァグクイーンとは何か
ドラァグクイーン(Drag Queen)とは、「女装をして行うパフォーマンス」のことで、男性の同性愛者が性的指向の相違を超えるために「ドレスやハイヒールなどの派手な衣装を身に纏い、大袈裟な厚化粧をすること」とされています
日本では、元々「歌舞伎の女形」の伝統があり、畿内で女舞が主体である上方舞の伝統などがありました
そんな中から人間国宝の吉村雄輝のような舞手が出現し、この一人息子がピーターさんだったりします
1980年あたりからクラブやショーパブでドラァグクイーンが登場し始めました
90年代初頭から京都で活躍し始めたミス・グロリアスを筆頭に、東京ではマーガレットなどがアメリカのゲイ文化としてドラァグクイーンの紹介をしてきました
現代では、マツコ・デラックスさんやミッツ・マングローブさんなどが活躍していますね
ドラッグと表記しないのは「薬物(Drug)」と混同しないためで、その語源はさまざまな言われがあるとされています
演劇界の隠語というものから、ドイツ語の派生、英語の「Dress as a Girl」の略語であるとか、色んな説があります
個人的にこの性的指向はありませんが、嫌悪感を覚えることもなく、個性を表現する方法としては面白いなあと思います
映画の三人も綺麗にメイクされていて、とても魅力的に描かれていたのが印象的でしたね
■勝手にスクリプトドクター
映画は色んな方面で酷評の嵐なのですが、その要因は「シナリオ」であると思います
特に、バージンが踊らないエンディングというのがその要因になっていて、演者が踊れないなどの理由は置いておいて、あの流れでダンスに回帰しないというのは意味がわかりません
映画のテーマとしても、古参の悲哀がメインになっていて、バージンが一線から退きつつも、未練があるという描写がありました
冒頭のダンスの練習シーンを見る限り、演出の方法によっては、バージンの踊りを物語のピークにできたと思います
以下、郡上八幡のPR要素も含めながら、バージンの再生劇としての改変を「素人なり」に考えてみました
【オープニング・イメージ】
若いダンサーのステージを客席から眺めるバージンの寂しげな顔
フラッシュバックする、過去の自分
その映像のまま、自宅で練習をしているシーンへと繋がる
【起】なっちゃんの死と秘密
自宅で眠るバージン、練習に疲れてそのまま眠っている
モリリンからの電話で目覚め、慌てて病院に駆けつける
家族と間違われているモリリンを宥めながら、葬儀社の男に関係を否定する
知らせを聞いたなっちゃんの母、郡上八幡から慌てて飛び出す
新幹線に乗り込み、幼少期のなっちゃんを思い出す
バージンとモリリン、関係のあったズブ子に連絡し、三人でなっちゃんの思い出話をする
色んな店を周り、なっちゃんの訃報を告げていく
なっちゃんが色んな人の師匠的な存在であり、多くの人が悲しんでいる
そんな中、弟子的存在の一人が、なっちゃんがカミングアウトしていないことを思い出す
【承】なっちゃんの母との出会いと約束
慌ててなっちゃんの店に戻り、店の権利書などから自宅を割り出す
なっちゃんの家に行くものの、鍵がなく入れず、そこになっちゃんの母がやってくる
友人であることを伝え、一緒に中に入ることになる
何か見つかるのではとヒヤヒヤしながら部屋に入るものの、そこは普通の部屋に見えて安心する
母、部屋を眺めながら、派手な衣装やメイク道具を見つける
バージン、なっちゃんは芝居を目指していたことを教え、自分たちも同じ演劇サークルに入っていたと嘘をつく
話の流れから、葬式に来て欲しいと言われ、承諾する
郡上八幡への旅路、様々な人々と出会い、奇異な目で見られてしまう
そんな中でも、好意的に接してくる人もいて、色んな人がいることを知る
【転】郡上八幡での秘密の出会い
目的地手前で作戦会議として食事処に入る(これが坪井家)
娘の博子がズブ子に気付き、ネットで見た映像からバージンにも気づく
踊りを見たいと言われるものの、バージンは拒否
モリリンとズブ子が踊るのを眺めるだけのバージン
そんな彼女が気になる博子、二人だけで話し、博子が郡上八幡を出たいと考えていることを知る
博子はなっちゃんと仲がよく、姉のように接していて、なっちゃんの秘密を唯一知っている人物だった
【結】バージンの再生と新世代への伝承
並木家に到着し、葬式に参加する
遺影を見て涙ぐむ3人(ここでようやくなっちゃんの顔が判明)
棺桶に花を入れる際に、バージンはなっちゃんが女装していることに気付き母を見る
母は口元に指を立て、バージンはこの場では母だけがその秘密を知っていることを悟る
葬式が終わり、酒の席にてモリリンとズブ子が悪ノリして踊り出す
博子にせがまれて、バージンも踊りに参加する
博子も一緒になって踊り出し、両親が腰を抜かす
そのまま、外に出て、郡上祭りに雪崩れ込んで行く
バージン、なっちゃんからもらったコンパクトを博子に渡す
【エンディング・イメージ】新しい息吹
新幹線に乗る博子、一路東京を目指す
バージンからもらったコンパクトを取り出して、口紅を塗り始める
ざっくりとこんな感じでしょうか
本来なら博子はボーイッシュな女の子よりは、綺麗な顔立ちの男の子にした方が良いかもしれません
でも、バージンを見て、同じ性的指向の若者が目指すよりも、彼女らの美しさに感銘を受けた女性が殻を破るという物語もありかなと思いました
本作の特筆すべき特徴というのが、「性的指向を奇異な存在にせずに、憧れの存在にする」というもので、憧れを持つのが男性である必要はないと思うのですね
なので、ここは「あえて少女がドラァグクイーンに憧れを持つ」ことで、彼女たちを肯定できるのではないかと感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は「バージンの老いへの恐怖」というものが根底にありながら、今のところ加齢問題と疎遠であるモリリンとズブ子を眺めるという構図になっています
バージンの老いへの抵抗の対比になっているのが、そのままでもモテまくるモリリンですが、その差を埋める必要はないでしょう
あくまでも、人としての自然なものとして捉え、熟女としても魅力があると結ぶ方が良いでしょう
また、ドラァグクイーンへの拒否反応を見せていくことも踏まえて、バージンたちが彼女たちのスタイルで郡上八幡に向かうべきだったと考えています
というのも、なっちゃんの秘密=バージンたちがドラァグクイーンであることに相関性はありません
あくまでもなっちゃんの交友関係の中にバージンたちがいるという設定なので、彼女たちが本性を隠しておく必要はありません
ズブ子は全国区の知名度がありますが、TVの格好をしなくても、素の姿で旅をすることに意味があると考えます
映画では、彼女たちが本性を隠して旅をすることがなっちゃんの秘密を隠すことと同義になっていますが、これは少しおかしいのではないかと感じました
彼女たちが郡上八幡に行くのは、言わばアウェーに行くようなものなのですね
なので、そのあたりの偏見を描きながらも、同時に憧れている人もいて、その憧れを隠さなければならないというジレンマを描く必要があると思います
博子が若気の至りでバージンに憧れを抱くのも、彼女自身が新しいLGBTQ+の世界観になると考えます
映画では、郡上八幡である理由をうまく使いこなせておらず、田舎の閉鎖性に対する恐怖とか、田舎独特の人情であるとか、都会に対する憧れなどが内包されている方が良いでしょう
また、郡上踊りを体験することで、踊り本来の楽しさを取り戻すことに意味があって、これまでは「かっこよく見せること」で限界を感じてきたバージンが、「ありのままが美しいこと」をダンスで表現するというのが、テーマに対するアンサーであり、主人公としての変化であると思います
映画では、郡上八幡のPRもありながら、博子を演じた市ノ瀬アオさんを売り出すための仕掛けだったと解釈しています
なので、彼女をもっとキーキャラにして、彼女自身が全国区になるという意味合いも含めて、上京させるエンディングはありなんじゃないかと思いました
色々と書きましたが、本作では「人が人に与える影響」というものが描かれていて、「葬式に行くべき人とはどんな人か」というテーマもあります
これまでは「なっちゃんがみんなにとっての葬式に行くべき存在」でしたが、それがバージンたちに移っていくことに意味があります
そう言った意味において、博子が担う役割はあんな中途半端なものではなかったのではないでしょうか
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/383701/review/8ae4a855-61f6-4217-bde7-d2deeb4d8499/
公式HP:
https://himitsuno-nacchan.com/