■「彼女のいない部屋=家族のいる部屋」となるまでに、彼女の中で起こった出来事とはなんだろうか
Contents
■オススメ度
ややこしい系の映画が好きな人(★★★)
考察系の映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.9.8(京都シネマ)
■映画情報
原題:Serre moi fort(「私を抱きしめて」という意味)、英題:Hold Me Tight
情報:2021年、フランス、97分、G
ジャンル:ある女性が家を出た理由を追うサスペンス風のヒューマンドラマ
監督&脚本:マチュー・アルマリック
原案:クロディーヌ・ガレア『Je reviens de loin(2003年、未発表、「遠くから帰ってきます」という意味)』
キャスト:
ヴィッキー・クリープス/Vicky Krieps(クラリス:家族に内緒で家を出る母)
アリエ・ワルトアルテ/Arieh Worthalter(マルク:クラリスの夫、列車保安員)
アンネ・ソフィ=ボーエン・シャテ/Anne-Sophie Bowen-Chatet(リュシー:ピアノを習う長女)
(思春期:Juliette Benveniste)
サシャ・アルデリ/Sacha Ardilly(ポール:活発な長男、リュシーの弟)
(思春期:Aurèle Grzesik)
オーレリア・プティ/Aurélia Petit(ガソリンスタンドの女性、クラリスの友人)
サミュエル・マチュー/Samuel Mathieu(マルクにブチ切れる同僚)
Jean-Philippe Petit(マルタ・アルゲリッチのアマチュア・フルート奏者)
Pauline Benveniste(リュシーの思春期に登場する女性)
Faustine Obry-Renevier(リュシーの思春期の友人)
Sandra Minel(ポールの思春期に登場する女性)
Valérie Mercier(リュシーに戸惑うマーケットカフェの女店主)
■映画の舞台
フランスのどこかの田舎町
ロケ地:
フランス:ガンティー
https://maps.app.goo.gl/WhYGWiM4C9zRYPq67?g_st=ic
■簡単なあらすじ
ある日の早朝、クラリスは夫マルク、息子ポール、娘リュシーに声を掛けぬまま、ガレージにしまっていた車で何処かに出かけた
すぐ近くにあるガソリンスタンドも開店前で、クラリスは無理を言って開けてもらう
その頃、マルクたちは「母さんはどこに行ったのだろう」などと言いながら、朝の準備に明け暮れている
机の上には買い物リストだけが残っていて、ポールはそれを冷蔵庫に貼り付けた
テーマ:事実の受け止め方
裏テーマ:事実を整理する女性の思考
■ひとこと感想
ネタバレなしで観た方が良い映画で、各映画のレビュータイトルを見るだけでもネタバレになってしまいそうな作品でしたね
非常に感想が書きづらい内容になっていますが、ある女性が事実をどう受け止めるのかという心理過程を描いている、というところまではOKでしょうか
映画はフランスの山奥、おそらくはピレネー山脈の麓に向かうクラリスを描きながら、彼女の家族の様子を描いていきます
時系列がかなり入り組んでいるので、表面上はかなり難解に見えるかもしれません
原案の戯曲はラストで全てがわかる系だったようですが、映画では始まってから30分程度でクラリスの状況がわかるようになっていました
それでも、タイトルが出るまでのオープニングにかなりの情報量があって、ここをちゃんと観ていた人ならば、その後の物語がどのような質感であるか、というのが理解できるのではないでしょうか
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
え? 書いてもOK
マジで、OK?
というわけでここまでスクロールした人のクレームは受け付けませんよー
物語は家族を失ったクラリスが事実を受け止めて整理する前を描いていて、彼女の心理的な葛藤というものが「架空の家族像」を描いていきます
この物語の元になっているのがクラリスの後悔で、それによって「自分がいない世界で幸せになっている妄想家族」と「現実世界にいる他人を子どもだと思って接してしまうという愚行」を同時に描いていきます
冒頭では「ポラロイド写真」で神経衰弱をするクラリスが描かれていて、それは永遠に揃うことのないカードでした
ひとつは家族が写っている写真で、もう片方は家族が写っていない写真になっていて、それがちょうど対になっているように思えます
その後、マルクは熟睡、ポールの寝相を治した後、リュシーはクラリスをじっと見つめていました
それに驚いて車の鍵を鍵盤の上に落としてしまうのですが、これらの一連のシーンも彼女の妄想であることがわかります
そして、車庫にしまっていたマルクの車をわざわざ取り出してドライブに向かい、ガソリンスタンドでは「次の金曜で2ヶ月になる」という会話がありました
空にはヘリコプターが飛び、テレビのニュース映像は雪山を映しています
ここまでの情報だけでも、クラリスの家族が雪山で遭難したのではないかという想像がつくように紡がれていましたね
■描かれていた世界
母クラリスの視点で描かれる本作は、文字通り「彼女の不在のシーンもクラリスの視点」であるという変わった作風になっていました
ネタバレしない方が楽しめる一方で、理解が追いつかないくらいに複雑に作られていましたね
物語を俯瞰すると実に単純で、要は「家族を事故で失ったクラリスが、その喪失に向き合う」という過程を描いています
その過程の中で心に去来した様々な心理というものが凝縮されていて、それは二つの要点に大別することができます
一つ目は「自分がいない世界での家族への妄想」で、マルクは職を変えてちょっと男前になっていますし、ポールは活動的なロッカーに傾倒、リュシーはピアニストとして成功を収めていきます
もう一つは「家族のいない世界で、自分の妄想を現実に求める」というパートで、リュシーに似たような少女をストーキングして音楽学校の入試を妨げたり、サッカークラブの中にいるポールに似た子どもを自分の子どもだと思ったり、バーで似たような男性をマルクと見做して寄りかかったり、という奇行が描かれていきます
最終的には「捜査の進展」によって遺体と対面することになりますが、そのシーンは秀逸だったと思います
最初に子どもの遺体が運ばれてきて、それはチラ見で終わり(次の遺体袋が見えたから)、二つ目の子どもの遺体で泣き崩れ、3つ目のマルクの遺体に怒りをぶつけるという流れでした
クラリスが彼らと行動を共にしなかった明確な理由はわかりませんでしたが、金曜日にクラリスは何をしているのかを家族は非常に気にしていて、それらもクラリスの妄想になっていました
なので、実際にあの金曜日にクラリスが何をしていたのかまではわからず、現場に行かなかったということだけがわかっている、という感じに受け止めました
それが描かれない理由は想像に依りますが、振り返っても意味のないものだったということなんだと思います
クラリスがマルクに対して怒りを持つのは、「立ち入り禁止区域に子どもを連れていったから」であり、前半にその現場に立ち入ったクラリスが注意されるようなシーンがあったと思います
子どもを守れなかった事故はマルクの責務ではありませんが、それが立ち入り禁止区域なら別の話になってきますね
このあたりは少し記憶が曖昧なのですが、元々禁止区域だったのか、事故が起きたために禁止区域になったのかまでははっきりと分かりませんでした
■事実を整理するために辿る道程
クラリスの旅は「家族に内緒」という起点があり、これが冒頭の一連のシークエンスになっています
この時点での家族とのやり取りから既にクラリスの妄想で、誰もいない家にまるで家族がいるかのような描写になっていました
この一連のシーンでは、「マルクは普通に寝ていてスルー」「ポールは寝相が悪くてベッドに寝かす」「リュシーは起きていてクラリスを真っ直ぐ見ていたけどスルー」というふうに描かれていました
このリュシーが母を見ていることに動揺して車のキーを鍵盤に落とすのですが、それがあっても誰も反応しません
ゆえに、このシーンが現実ではないということが明示されていました
その後、クラリスは車庫から車をわざわざ取り出しますが、これは現在使われていないマルクの車なのですね
この車にはカセットデッキがあって、そこにリュシーの演奏を録音したテープを入れて、旅(事故現場)に向かうことになりました
その後、事故現場近くのロッジに向かい、そこで食事をしますが、後半のシーンでは「4人テーブルに4人分の料理を注文する」というものが出てきます
給仕係のおばさんがギョッとして、厨房の料理人が驚いて(事故の家族であることを思い出して)皿を割るというシーンがありました
前半でも同じようにロッジを訪れますが、そこでは奇行的に見える行動はなく、ウェイトレスなども普通に接していたと思います
なので、前半と後半では「想像と現実」という区分けがなされているような印象を受けました
クラリスの行動を整理すると、
金曜に別行動、事故の知らせを聞く
冬のために捜索はできないと告げられる
マルクたちの行動を追うように現地を訪れる
長い日常を過ごす
ガソスタで友人と話す「もうすぐ2ヶ月になる」
自分だけが死んでいる世界の妄想
再度、現地を訪れて、ロッジなどで奇行
戻ってきて、家族に似た人たちへの執着、問題行動を起こす
捜索にて遺体発見の知らせ
現場に向かう
という流れになるのだと思います
実際に上記の流れだったと確定はしていませんし、これらの行動が全てごちゃ混ぜになっていたので、心理的な流れを考えるとこうなるのかなと構築してみました
おそらくは、事故の知らせを聞けばすぐに現場に向かうでしょう
その後、捜索についての詳細が知らされ、そこで2ヶ月の待機を余儀なくされます
その後、クラリスは内省的な感じになって、自分が代わりにその場所で死んでいたら、というような妄想をし始めるのでしょう
でも、それが虚しいことだとわかり、今度は脳内ではなく行動に動きます
先に行われるのは「現地への訪問」で、そこで家族が何を見てきたのかを妄想し、自分も一緒に行っていたらという過程を想像するでしょう
現実的には一緒には死ねなかったので、現実に立ち返った時に「喪失を埋める現実的な心理変化」が起こると想像します
これによって、現実世界に「家族が生きていたら」という妄想を重ねることで、家族によく似た人を家族に見立てるということが起きると考えます
それが対象者からすれば完全なる奇行に移り、そうしてそれらが壊れた(拒絶された)後に、現実的な家族の死に向き合うことになったのではないでしょうか
上記はあくまで執筆者の見た世界になるので、他の人は違う感じ方をしたかもしれません
あくまでも、こういう見方をしたということなので、最適解ではないことをご了承ください
(多分、もう一回見たら印象が変わるかもしれないくらいあやふやな部分が多いように思います)
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作が描いているのは「喪失と向き合うために余白があったらどうなるか」というもので、事故が起きてすぐに遺体と直面していたら起こらないことなんだと思います
舞台設定として、現実的に遺体と直面するタイムラグがあるという状況で、これは戦地に行った子どもの死の知らせを聞いたけど、実際には遺体が戻ってこない、などの時にも起こるものかなと思いました
いわゆる「失踪」状態なんだけど、状況的には死んでいる可能性が高いというもので、死という現実を心の中だけで整理しなければならない状況について描いていたのでしょう
そこで起こる様々な心理状況をクラリスの視点だけで描き、その混沌とした心理状態を表現するために、一見すると分かりにくいような映像作品になっていたのではないでしょうか
実際に心の整理というものが起こるのは、この映画のクラリスだと遺体と直面した後になり、それまでの道程ならば様々な心理が襲ってくると思います
おそらくは時系列的なものは明確ではなく、妄想と奇行、現実認知は同時に起こり、その転換に関しては本人の意識の外側によって起こるのではないでしょうか
自分が死んでいたらという妄想と同時に、彼らの未来を想像したり、その思考が現地に向かう時に巡るということは普通に起こります
なので、一つ一つの事象に時系列があったとしても、それぞれの事象の時間軸は重なっていると考えるのが自然なのかもしれません
この映画ではその心理過程のリアルさというものを映像にしたらこうなるのではないか、という仮定で作られていて、その分分かりにくさもありますが、ある種のリアリティを感じてしまいます
映画の原題は「私を抱きしめて」という意味になり、それは失われた熱への渇望になっています
また、邦題も秀逸で、「彼女=クラリス」のいない部屋(家庭)という言葉はダブルミーニングとなっています
冒頭の家出を思わせる「彼女のいない部屋」と、想像の中にある「彼女のいない部屋」というものがあって、最終的には「彼女のいない部屋=天国にいるはずの家族の部屋」になっていくのでしょう
家族のいる部屋(=彼女のいない部屋)に行くかどうかは映画の後のクラリスの決断になりますが、彼女の性質を考えると「ずっと囚われたまま生きる」のかなと思ってしまいます
実際に家族の遺体と対面した時にどのような心理になるのかは分かりませんが、妄想と後悔はこれまで以上に鮮明になって強くなるのではないかなと思ってしまいました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/383009/review/cbe24f62-7245-4a7c-b131-a71548cba706/
公式HP: