■いろんな感情が咲き誇るのが、人生というものかもしれません(私はまだまだ子どもでなのかも)
Contents
■オススメ度
母と息子のドラマを堪能したい人(★★★)
認知症を患う親を抱える人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.9.9(MOVIX京都)
■映画情報
情報:2022年、日本、104分、G
ジャンル:認知症を患う母との思い出を想起する息子を描いたヒューマンドラマ
監督:川村元気
脚本:平瀬謙太朗&川村元気
原作:川村元気(『百花(2019年、文藝春秋)』
キャスト:
菅田将暉(葛西泉:認知症の母を気遣うレコード会社勤務の37歳の息子)
(幼少期:桑名愛斗)
原田美枝子(葛西百合子:認知症を患う泉の母、ピアノ教室を経営)
長澤まさみ(葛西香織:妊娠が判明した泉の妻、同僚)
北村有起哉(大澤哲也:泉たちの上司)
岡山天音(永井翔太郎:噂好きな泉の後輩)
河合優実(田名部美咲:泉の後輩、新規プロジェクトのリーダーで大澤と噂になっている女性社員)
長塚圭史(佐藤雅之:百合子を診察する心療内科医)
板谷由夏(関綾乃:香織の主治医、産婦人科医)
神野三鈴(若年期の百合子の友人、二児の母)
永瀬正敏(浅葉洋平:百合子の手帳に記された謎の男性)
占部房子(百合子が入所する施設の職員)
ばくもとさきこ(百合子のヘルパー)
松角洋平(百合子の病院受診を薦める刑事)
■映画の舞台
日本のどこかの都市&神戸(1995年)
ロケ地:
長野県:諏訪市
諏訪湖
https://maps.app.goo.gl/mHegbQZe8u2JejXn9?g_st=ic
兵庫県:芦屋市
https://maps.app.goo.gl/pZxBHf2RJDKXesTb6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
レコード会社に勤務する葛西泉は、シングルマザーの母・百合子に育てたれたが、ある一年の空白があった
それによって、泉にはただならぬ想いが残っていたが、百合子はアルツハイマー型認知症が進行していて、記憶があやふらになりつつあった
泉の妻・香織は妊娠初期だったが、泉は母に孫ができることを伝えられていない
それよりも、百合子の生活がおかしくなっていることを懸念していて、その生活をどうしようか悩んでいたのである
施設に入ることが決まった百合子の私物を整理していた泉は、そこで母の日記帳を見つけてしまう
そこには「空白の1年」に起こったことが綴られていたのである
テーマ:記憶と記録
裏テーマ:母親という女性
■ひとこと感想
印象的な枯れた一輪の花のショットで始まる本作は、ゆったりとした時間が流れるスローテンポの作品で、ワンシーン=ワンカットという手法で作られていると言われています
鑑賞中はそこまでそれを意識しませんが、ゆったり流れている時間感覚は撮影手法によるもので、それを長く感じる人もいるかなと思いました
物語は百合子のアルツハイマー型認知症が進行していく様子と並行して、母との思い出を呼び覚ます息子の様子が描かれています
空白の1年とされる時間が泉の中にずっと残っていて、それを知ってしまうという流れなのですが、映像的にも感覚的にもとても丁寧に描かれていると言えます
映画はやや単調に感じるところはあるものの、やはり見どころは成人期から老齢期を一人で演じた原田美枝子さんの存在だと思います
めっちゃ似てる女優さんを見つけてきたなあ、と思っていましたが、どうやら一人で演じていたようで、メイクの技術もさることながら、時代によって演じ分ける表情などは特筆すべきものだったと思いました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
認知症を扱っているので、記憶が主題になりますが、「半分の花火」というミステリーが物語を牽引していたと思います
一つ目に出てきた湖に映った「半分の花火」がフェイクで、団地の影に隠れて半分に見えた花火が本当のものだったという流れになっていました
母はこだわった半分の花火とは、そのまま息子との良き思い出にもリンクしていて、空白の一年間と追うものは泉だけではなく、母も苦しめていたことがわかります
映画は若干雰囲気映画に近いイメージがあって、原田美枝子さんをはじめとした演技を堪能する内容なのですが、いかんせん物語にあまり起伏を感じません
単調になったところに「花火の音」と「阪神大震災の音」が挿入されるような感じになっていて、物語の行き先がある程度想定できるだけに、物語派にはウケが悪いかもしれません
同じ時間軸を母と息子がどのように捉えていたか、ということになるのですが、母親として尊敬するのは難しい人物でもあるので、その辺りが微妙かなあと感じてしまいました
■記憶の角度
本作では「半分の花火」を巡る泉と百合子の認識の違いが物語を牽引していきます
「半分の花火」を単なる過去の出来事だと捉えている泉と、「半分の花火」が過去を象徴する比喩になっている百合子との違いといえば分かりやすいでしょうか
実際には「半分の花火」の意味を泉が考えるためには、ものすごく大きな壁がありました
それが「空白の一年間」という、百合子が泉を捨てたとされる期間になります
実際にどれほど関係が断たれていたのかわからないのですが、少年期の泉を完全に放置していたとしたら、泉はどうやって生活していたのかという疑問が湧きます
通常なら孤児院なり児童相談所などの介入があるでしょうが、震災で洋平が死んで我に返るまでの間に、泉が一人で生きてきたとは思えません
なので、現実的には「たまに帰ってきてお金だけは渡していた」みたいな感じなのかなと想像していました
泉と百合子の「1年」の認識のズレは相当あると思いますが、それに対するこだわりも違います
百合子は捨てたという認識を持っていなくても、泉からすれば捨てられたと感じるということは普通の認識でしょう
あくまでも受け手側の捉え方になると思いますが、この二人のケースは「母親が完全に毒親」なので、共感も理解も示せないと思います
この二人がそれぞれの人生を生き、そして百合子の認知症の発症とともにその関係性を再確認していくというのが物語のメインになっていきます
母と接するたびにその記憶を取り戻していき、自分の中に封印したはずの「空白の1年」が想起されてしまう
そして、その1年の間に何があったのかを、母の日記で知ることになり、泉はその内容を読んで嘔吐をするというシークエンスになっています
自分が孤独だった1年に母は何をしていたのか?
それが「父親でもない妻のいる男性」と過ごした逢瀬が綴られていたということであり、それは嫌悪どころの騒ぎではないと思います
この洋平に関して、泉が全くの未知なのか、実は会っていたことを知っていたのかなどが映画からはあまり読み取れませんでした
原作でも「手帳の中にだけ登場」とされているので、おそらくは現実では会ったこともないし、その存在を母から聞いたこともなかったのだと思います
認知症の進行によってホームに入れる際に見つけた日記ですが、母はその存在すら忘れて行っていたのかもしれません
■母親という女性
母親はイコール女性であるというのは否定しようのない事実で、母の女性性が洋平に反応するというのは普通にある出来事だと思います
洋平との関係を築くために「泉は邪魔な存在」で、このように「子どもの存在を相手に隠す母親」というのは映画でもよく描かれています
映画では「生まれた時から父はいなかった」となっていて、百合子が泉を産む前に別れていたということになります
認知していたかどうかとか、実際に父親が誰なのかはわからず、でも洋平ではなさそうというところが一般的な見解になるのかなと思います
子ども目線及び客観的な目線で言えば、子どもを放置して不倫に走る母親というのは「地を這うほどに嫌悪の対象」になると思います
擁護する理由が一つもなく、泉が愛情を捨てても「そりゃ、そうだよね」と納得してしまうでしょう
でも、そう言った世間的とか子どもの心情を無視してでも激情に走るということがあって、それは母親だけの話ではないと言えます
個人的なことをさらっと書けば、ウチの両親は私が小学校6年生の時に離婚をしていて、その理由が「父の借金と女」でした
私が知らない要因はたくさんあるし、母親が墓場まで持っていく事実もたくさんあるでしょう
でも、小学6年生が「2号さん(=不倫相手のこと)」という言葉を覚えるという環境は尋常ではないと言えます
その後、子ども養育のために両親は離婚しますが、それは父が抱えた借金を子どもたちに被せないためという名目だと説明されました
実際、その後母親は父の借金を返していたみたいで、その借金も兄弟か何かの会社でこさえた「ヤバい借金だった」ということをチラッと聞きました
その借金で子どもが困るということはありませんでしたが、一連の事件でシャバにはいなかったようで、かつ父方の家族は父に擁護的だったという話も聞きました
それゆえ、私たち兄弟は父方の家族のことを全く知らず、父の家族構成がどんなものかすら知りません
無論、私を含めた子ども三人は父親に対して強烈な怒りを抱いているのですが、母はそれほどでもないということがわかりかなりショックを受けました
誤解を恐れずに言えば、「死んでも許さない」と言いながら、別の感情があることがわかり、この瞬間は泉が手帳を読んだ時の感覚に非常に似ていました
そのことを母が覚えているかはわかりませんが、それによって理解できない部分があるのだなという認識は深まりました
これを埋める意味はもうないと思うので蒸し返しませんし、母も百合子の状態に近いので、晩年に揉める意味はないと考えています
人間というのはそういうものだと捉えているのが現状の心理状態と言えるかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は私のプライベートと事情は違うけどかなり似たような感覚を有する作品になっていました
なので、ある種の両親に対する感情を想起する映画になっていて、非常に居心地の悪い内容になっています
事実は小説より奇なりと言いますが、本作は原作者の実体験に基づくものだとされているので、同じような過去があったのかなと妙な親近感が湧いていました
世間では「親に感謝しろ」とか、「親孝行をすべき」という論調が強いですが、この泉と百合子の親子関係を見ても同じことが言えるかは疑問だと思います
実際には「自分が生まれてきたのは両親のおかげ」であることは理解しているので、「産んでくれた感謝」「育ててくれた感謝」というものは感じています
でも、人間的に「尊敬できる親だったか?」ということに関すると、泉と百合子の関係性であるとか、私個人の家族関係を考えると「尊敬はできない」というのが本音でしょう
細かいところを書くと残酷なので濁しますが、子どもが感じる尊敬は世間一般に形骸化した尊敬の念とは違うと言わざるを得ません
映画は「半分の花火」の意味を泉が理解していくことで、こんな母親でも「子どもに対する愛情は失っていなかった」みたいな美談にまとめられていますが、泉からすれば「だから、何?」みたいな感じかもしれません
でも、この映画がこのような描かれ方をしているということは、原作者の中である程度の整理がつき、これが人間なんだというところに行き着いているからなのかもしれません
私はまだまだ未成熟な部分が多いので、この映画のようなまとめ方とか向き合い方には至れませんが、最終的にはこのような形の過去として、心に刻まれるのかなと思ってしまいました
この映画はそれぞれの家庭環境や過去によって捉え方が変わる作品である思いますが、共感度合いはかなり低い作品なんじゃないかなと思っています
ワンシーン=ワンカットという手法によって、場面的にはかなりゆったりと感じていて、それは「泉の心情を追体験するもの」であると思います
なので、俳優さんたちの演技であるとか、間とかの絶妙さは感じますが、エンタメ作品として面白いかと言われればかなり微妙なのですね
良い作品だとは思いますが、感想を言うと家庭の実情がもろバレしそうで嫌ですし、あまり語り合うのも難しい作品なのかなと思うます
面白いテーマだし、物語の作り方も丁寧だし、キャストのそれぞれ素晴らしい演技をされていましたが、さすがに興行的な伸びシロはあまりないのかなと思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/380323/review/2898e78a-695d-457a-b8ed-8b0afbf354fa/
公式HP:
https://hyakka-movie.toho.co.jp/