■自分の知り得ない世界に浸ることで、元いた世界を忘れられるかもしれません
Contents
■オススメ度
釣りに興じる女子高生を見たい人(★★★)
とにかく可愛い女の子を眺めたい人(★★★)
いじめのリアルを知りたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.5.11(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、83分、G
ジャンル:都会でいじめられてた女子高生が田舎町に来て人生を撮り戻す青春爆釣映画
監督&脚本:城定秀夫
原作:井上かえる『女子高生の放課後アングラーライフ(KADOKAWA)』
キャスト:
十味(追川めざし:東京でいじめられていた女子高生)
まるぴ(白木須椎羅:めざしのクラスメイト、めざしを勧誘する海釣り同好会「アングラ女子会」の会長)
森ふた葉(汐見凪:クール系女子のメンバー、メガネっ子)
平井珠生(間詰明里:勝気な性格のメンバー、椎羅LOVE)
カトウシンスケ(めざしの父)
中山忍(めざしの母、元教師)
西村知美(白木須ケイコ:椎羅の母、釣具店経営)
宇野祥平(山神:面倒見の良い地元のおっちゃん、椎名の母LOVE)
三遊亭遊子(西川先生:クラスの担任、英語教師)
藤田朋子(たい焼き店の店主)
南条采良(めざしの元クラスメイト)
吉松磨黎(めざしの元クラスメイト)
麻木貴仁(船長)
■映画の舞台
東京のどこか
兵庫県:たつの市
室津漁港
https://maps.app.goo.gl/rwHUvJHs3TPr6Xvv7?g_st=ic
ロケ地:
兵庫県:たつの市近辺
■簡単なあらすじ
かつて東京でいじめられていためざしは、父の転勤によって関西の港町に引っ越すことになった
いじめていたのが元は友達だったこともあり、めざしは「友達を作らない」と言う目標を掲げていた
転校初日、前の方に座っていた二人組から、いきなり「メッセージ」が届き、めざしは「終わった」と思っていた
二人は「アングラ女子会」の会長・椎羅と凪で、めざしの名前を気に入って女子会へと勧誘していた
めざしは「友達を作らない」と言う目標のほかに、「頼まれたら断らない」と言うものも掲げていて、流れに逆らわずに女子会に入ることになった
だが、魚をさわったこともなければ、虫嫌いで餌もつけられない
そんな彼女に懇切丁寧に教える椎羅だったが、別のクラスのメンバー・明里が乱入し、めざしに対して「LikeかLoveかどっちやねん」と迫る
明里は椎羅LOVEで、No2の座も明け渡したくないとこだわりを見せる
だが、カワハギ釣り対決でいきなり大物を釣るなど、めざしは予期せぬ出来事に翻弄されていくのである
テーマ:いじめの怖さ
裏テーマ:一目惚れと徐々に惚れ
■ひとこと感想
城定秀夫監督作品と言うことで、「アンダーグランドだと思いながら」参戦
釣り映画だとは知っていましたが、思った以上にハードな内容になっていました
あまりにも公開規模が少なくて、パンフレットもなければ、情報がほとんどない始末
キャスト欄の主要なものは埋めれましたが、いじめっ子二人に関してはちょっと自信がありません
(本人のSNS発信も事務所発信も皆無なので裏が取れてません)
映画は、都会から田舎に来たいじめられっ子が、その体質から抜けられない苦悩を描いていて、相手の身になって考えると言う次元を超えていましたね
それほどまでに東京でのいじめが堪えていて、実際のいじめもこのような些細なことからエスカレートして、大きな傷を残していくのだなと思います
個人的には魚がさわれない人なので、めざしに共感度MAXで、餌のクローズアップがあったら死んでたかもしれません
釣りは幼少期にやった記憶がありますが、釣った記憶はありません
じっとしているのが嫌なので、向いていると言われますが、じっとしているのが嫌のレベルが違うので無理だと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画は、釣り映画ではあるものの、本質は「いじめの克服」を描いていて、めざしがどのようにして「友達をもう一度作れるか」と言う段階を丁寧に描いていきます
いじめられっ子っぽさをうまく表現しているのですが、彼女のビジュアルだと、実際にイケズをする人は多そうに思いますね
それほどに、普通の女子の妬みを買う要素が満載だと思います
その妬みを一身に受けていた明里も可愛いキャラで、ドーナツキッスの乙女顔は最高でしたね
ずっとツンデレキャラだったので、笑顔が見られて何よりでした
椎羅の天然っぽさとか、凪の繊細で観察眼の鋭いところもうまく表現されていて、なんでこの公開規模なのかと悩んでしまいます
ご当地系映画としても売り出せそうだし、パンフないけど「キャラグッズは豊富」だし、少しばかりプロモーションが下手すぎやしないかと心配になってしまいますね
■いじめからの脱却
かつてのめざしは東京の高校に通い、そこでいじめに遭っていました
彼女の回想から紐解くと、元々友人関係だったクラスメイトとの関わりの中で、相手の反感を買う出来事があったと描かれています
文化祭か何かのダンスのペアで先約があったために断ったのを根に持っていて、それからいじめというものがエスカレートしていきました
いじめ問題は些細なきっかけで発生し、行動がエスカレートするのですが、めざしのクラスメイトへの対応が拍車をかけているのだと推測できます
相手の中で何かしらのトリガーがあり、それが快楽へと結びつく
行動の自己肯定が起こり、賛同するクラスメイトが出現する
それによって、さらに複雑化していくという流れを汲んでいきます
いじめを何とかすることは難しく、対象者との関わりを断つ以外に方法はありません
こういった場合、日本だと「いじめられる側がどこかに行く」という対応になり、加害者側は自分の行為が肯定されたように感じます
なので、本来ならば加害者側を隔離する方向に向かう方が良いのですが、いじめに関しては他の犯罪とは逆の措置が取られるという不思議な現象が起こっています
アメリカでは「いじめ反対法」があって、加害者は未成年であっても罰せられ、有罪判決は犯罪歴として残ります
日本の場合だと、いじめられる側が悪いとか、教員の指導が悪いという風潮になりがちですが、アメリカの場合だと「加害者の資質による」と考え、加害者が社会に出ても同じことを起こす危険性の方を重視して、加害者に対するカウンセリングなどが行われます
また、いじめに加担することを防ぐために厳罰化の流れに進んでいて、社会復帰が困難なほどに追い込まれるケースというものがあります
このあたりは一長一短あるのかもしれませんが、いじめを犯罪と捉えるのなら、他の刑罰と同様にコミュニティから除外されるのは加害者側になるという方が理に適っているように思います
加害者と親しかった人たちが代わりにいじめを継続しても、同じように除外されるリスクを考えればしない可能性があると思いますし、そもそもが同調圧力で加担していたゆえに、首謀者がいなければ沈静化する可能性もあるのかなと思います
■友達とは何か
映画の中で、めざしの友達観というものがあって、そこでは「一緒に釣りをする同好会仲間」というくくりをしていました
でも、周りから見れば「友達関係」のように見え、主観と客観の違いというものが如実に現れています
とは言え、めざしが友達じゃないと思い込みたいのは、友達状態からの裏切りによる落差を恐れていた、と言えます
かつて、友達だったクラスメイトからいじめを受けることになっためざしは、同じいじめを受けても「友達ではなければマシ」と考えていたのかもしれません
起こっていることは同じでも、心の傷の深さが変わると感じていて、それは「友達」という定義よりは、その人との関係性の深さによって変わるという意味になります
なので、友達という呼称に意味はなく、単純に心の距離が縮まることを恐れていたことになります
友達というのは、「この瞬間から友達」というものもあれば、「いつの間にかなっている」というものまであります
あるコミュニティに属する呼称から友達に変化するのは、そのコミュニティの枠外での行動がどれほど多いかによるのですね
なので、学校の教室内以外で関わりがなければクラスメイトとなり、部活以外で関わりがなければクラブ仲間というふうになっていきます
そんな中、めざしが所属したコミュニティは「同好会」というものなのですが、その実態は同好会の活動とその他の関わりのバランスが曖昧になっているように思えます
同好会とは「好きなことを一緒にする集まり」のようなもので、趣味が合う人たちが団体で活動することを言います
なので、何かしらの目的意識を持ったクラブ活動とは少しだけ趣が違います
アングラ女子会にも目標がないわけではありませんが、流れによってその場で決まるというものなので、この「行動の決定」が友達の感覚に近いと思うのですね
クラブだと来年の大会に向けてですが、友達と来年に向けて何かをする、というのは不定期的なものになっていると言えます
この行動の曖昧さを付随しながらも、ずっと同じ行動をしているというのが「友達」というカテゴリーに属するのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は、予期せぬきっかけをもとに釣りを始めるめざしを描き、彼女にそれをさせていた椎羅と凪にはある思惑があったことがわかります
椎羅は面倒見の良い子で、仲間を増やしたいという思惑がありました
凪はいち早くめざしの異変に気づいていて、「何かに夢中にさせる」というアイデアを椎羅と共有します
こうして、二人はめざしをアングラ女子会に強引に誘い込み、考える間を持たせないように、次々と新しいことをさせることになりました
環境を変えることができない場合、このように畳み掛けるように新しいことに晒されるというのは一定の効果があるように思えます
人は考えれば考えるほどに「思考が研ぎ澄まされて視野が広くなる人」もいれば、「一つの思考に囚われて、その意味の肯定のために精査する人」というものがいます
めざしは後者のタイプで、友達が自分をいじめた理由というものを探し出し、それを二人の関係性の中に見つけていきます
この内省によって、いじめっ子は自己肯定感を持ち、それが行為のエスカレートをもたらします
このような思考の迷路になっている時は、頭の回転を無にすることが効率的なのですが、何もしていないと逆に考えが過るのすね
なので、思考の及ばない回転速度にて、身体を効果的にいじめることで、その思考に向かう時間というものが減っていきます
失いたくないものと得たいものがあった時、人は「喪失」に重きを置くことがあるのですが、しがみつけばしがみつくほどにそれは逃げていきます
そして、逃げていった理由を探し、最終的に自分に行き着いてしまいます
人は他人のことはわからず、わからないことをわかろうとして、ありもしない思考を巡らせます
そうした先にある想像というものは、ほぼ「悪い方向」へと向かうのですね
そして、この「方向」を変えることは容易ではありません
なので、無理にこだわるよりも、忘れるくらい何かに打ち込むという、「新しい情報の雪崩に晒されること」の方が有意義ではないかと思います
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/388590/review/a6cccdae-4788-4c20-a02b-4f5df12f502a/
公式HP:
https://anglerlife.jp/