■新しい人生の幕開けは、声を荒げて心を奮い立たせよう
Contents
■オススメ度
監督の自伝的映画に興味がある人(★★★)
前田敦子のファンの人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.2.15(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2024年、日本、118分、G
ジャンル:3つの島を舞台に、性被害の影響を受けた女性を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:三島有紀子
キャスト:
【北海道:洞爺湖パート】
カルーセル麻紀(マキ:娘を亡くした父)
片岡礼子(美砂子:マキの娘、長女)
宇野祥平(正夫:美砂子の夫)
長田詩音(さら:美砂子の娘)
【東京:八丈島パート】
哀川翔(誠:酪農家、海の父)
松本妃代(海:誠の娘)
原田龍二(龍:誠の友人)
金野美穂(山下恵理子:通りすがりの観光客)
米田登貴(恵理子の娘)
小野寛幸(恵理子の夫)
加茂美穂子(?)
【大阪:堂島パート】
前田敦子(れいこ:真歩の娘、次女)
坂東龍汰(トト・モレッティ:レンタル彼氏)
とよた真帆(真歩:れいこの母)
足立理(真歩の恋人?)
山下あかり(?)
泉希衣子(?)
増井友紀子(?)
藤井愛希子(刑事)
生田有我(上田:刑事)
奥井隆一(?)
鈴木日奈子(?)
八木拓海(伊藤拓人:れいこの元カレ、写真)
■映画の舞台
北海道:洞爺湖・中島
東京:八丈島
大阪:堂島
ロケ地:
東京都:八丈島
https://maps.app.goo.gl/YqtF9rNRmETmj6s9A?g_st=ic
大阪市:北区
マヅラ喫茶店
https://maps.app.goo.gl/SsNeDK6ezoEqVpp89?g_st=ic
北海道:洞爺湖町
グランヴィレッヂ洞爺・大和旅館アネックス
https://maps.app.goo.gl/ZEDj4BQcwJanBcQ57?g_st=ic
■簡単なあらすじ
北海道・洞爺湖にある町では、母マキがおせち料理を作り、娘とその夫、孫が訪れて団欒を囲んでいた
マキは次女を幼い頃に亡くしていて、その後悔がいまだに抜けきれずにいた
重苦しい年末年始は、娘夫婦をもいたたまれない気持ちにしてしまっていた
東京の八丈島で牛飼いをしている誠は、友人の龍とともに慎ましやかな暮らしをしていた
そんな彼の元に娘・海が帰ってきた
海はある男の子どもを身籠もっていたが、男は結婚届と離婚届を一緒に送りつけてきていた
大阪・堂島で暮らすれいこは、幼い頃に性的虐待を受け、自暴自棄なまま日常を送っていた
ある日、父の葬儀の後に母と再会したれいこだったが、自分勝手な母に辟易するしかなかった
その後れいこが町をぶらついていると、レンタル彼氏をしているというトトという男にナンパされてしまう
テーマ:傷のない人生
裏テーマ:もしもの先にある未来
■ひとこと感想
てっきりモノクロ映像の前田敦子演じる女性の物語かと思っていましたが、れいこという女性繋がりの3つのオムニバスになっていました
北海道、八丈島、大阪を舞台にしたもので、それぞれに「れいこ」という女性が出ているとされていました
実際には八丈島パートにはれいこという女性は登場せず、このパートの必要性というのはかなりわかりづらいものになっていたと感じました
映画は、かなりの長回しが特徴的な作風ですが、そのためにかなりテンポが悪く、睡眠不足だと快眠できる内容になっています
オムニバスのつながりが「船」ぐらいしかなく、第二部のれいこはパッと見ではわからない感じになっていますね
牛なのか亡くなった妻なのかという想像ができますが、おそらくは亡き妻であるように思います
北海道のれいこは娘に自殺された母、八丈島のれいこはこの世にはいないれいこ、大阪のれいこは自殺原因と同じ性被害者という構造になっているのだと思いますが、その必要性があるのかはわかりません
とにかく眠気との戦いになっていたので詳細を覚えていないので、本記事を書くまでに再度鑑賞する予定にしてあります
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作は、いわゆるオムニバス形式の作品ですが、パンフレットの監督のインタビューを見ると、それは否定されていました
オムニバスとは「いくつかの独立したストーリーを並べて全体で一つの物語にする」というもので、この映画は独立した3つの物語ではなく、根本では一本の映画として繋がっているということなのだと思います
実のところ、細部を覚えておらず、2回目を鑑賞する事になったのですが、確かにオムニバスではなく地続きになっているのかな、と思いました
映画は、3つの島を舞台にしていて、それぞれを繋ぐのはフェリーになっていましたね
どこかから乗って降りる女、フェリーから降りてくる男を待つ女、これからどこかに向かうフェリーに乗るかもしれない女、という感じでしょうか
このどこかというものが過去であるように思いますが、いまいち全容を掴み切れてはいません
映画は、第3章だけがモノクロということで、これは「監督のその当時がモノクロに生きていたから」というものでした
なので、裏を返せば残りの2章に関しては、カラフルな世界だった時に自分が投影されている事になります
カラフルな世界では、これから生まれてくる命であるとか、父の後悔というものがありますが、これはおそらくは監督自身の家族の物語なのかなと思いました
いわゆる、八丈島の海は母親、洞爺湖のマキは父親という存在だったのでしょう
マキが性転換をしている理由まではわかりませんが、ある時点で父性が欠落した人生があって、それが乗り移ったからなのかな、と解釈しています
■3つの物語が描いていること
本作は、3つの島(かつて島を含む)で起こっている出来事を描いている作品で、それぞれに喪失したものを持っている主人公が登場します
ひとつめの「洞爺湖・中島」では、6歳の時に性的被害を受けた娘れいこを亡くした父・マキが描かれていて、彼は犯人と同じものがついていることに絶望を感じていました
ふたつめは「八丈島」で、妻セイコ(と聞こえる)を亡くした夫とその娘がいて、事故による延命治療を断念した、という経緯がありました
みっつめは「大阪・堂島」で、6歳の時に性的被害を受けたれいこが主人公で、彼女はその時に「自分ではなくなるという感覚」を持っていて、そのまま成長しているという感じになっています
これらの3つの物語を繋げているのは、島を行き来するフェリーですが、それに乗って移動したのは、堂島のれいこと八丈島の娘・海だけでした
この二人は異性との性交の結果が真逆なものになっています
海はどうやら地元の青年と付き合っていて、彼は前科者だったという説明がされています
プロポーズされたけれど、不安は海の側にあって、その理由が「(自分が)罪人だから」というものでした
一方の堂島のれいこは被害者でありつつも、事件の際に相手を傷つけたことで加害者として扱われた経緯が仄めかされています
彼女の手に残った相手を傷つけたという感覚が、正当防衛としても罪深く残っている、という感じになっています
これらの3つの物語は連続しているものなのか、単体のものなのかはわかりませんが、監督の中にある抽象的なものを擬人化しているという意味では、繋がっているものになるのだと考えられます
れいこ=監督であるとするならば、洞爺湖は自殺をしてしまったかもしれない自分と取り残された家族の物語になりますし、大阪・堂島では自殺をせずに成長した自分ということになります
この2つのリンクは非常にわかりやすいのですが、ほとんどのレビューで指摘されるように、八丈島だけが繋がっていません
当初は「亡き妻」かと思っていましたが、2回目の確認で「妻の名前はれいこではなくセイコ」という名前でした
八丈島にはれいこは登場せず、母親はセイコで、その名前をつけた牛に語りかけるシーンがありました
れいこはどこに行ったのかな、と考えると、可能性として残っているのは「生まれてくる海の2番目の子ども(1番目は美砂子)」なのですね
そう考えると、被害に遭う前の母親を描いている事になり、彼女は自分のことを罪人であると感じていた、という事になります
見た目を無視すれば、洞爺湖のマキ=八丈島の礼太で、洞爺湖のれいこ=海と礼太の2番目の子ども(娘)=堂島のれいこ、という事になると考えられます
この辺りは勝手な推測に過ぎませんが、そうでもこじつけないと八丈島パートのれいこというものの存在が意味づけできないのかな、と感じました
■タイトルの意味について
タイトルは「一月の声に歓びを刻め」となっていて、「一月」は単純に「始まり」を意味していると思います
特徴的なのは「歓び」の部分で、「喜」「悦」「慶」ではないとことに意味があると考えられます
「喜ぶ」は一般的なよろこびを表す言葉で、他の言葉の「よろこび」を代用できる言葉となっています
他の「悦ぶ」だと、心のつっかえがなくなって嬉しいという意味があり、「慶ぶ」だとめでたいことを祝うという意味になります
映画で使われている「歓ぶ」は思わず声を発してしまうほどの喜びの気持ちというもので、劇的な意味合いがあります
これの気持ちを一月に刻もうというのが監督の趣旨なので、大声を出して分かち合えるほどの感情を共有する、という意味になるのだと思います
洞爺湖のマキは叫び、海もまた叫び、堂島のれいこも叫びを発します
さらに堂島では「自殺志願の女」も「今から死ぬから見ててや〜、本気やで〜」と叫んでいました
このシーンは当初は無意味に思えたのですが、あの女を見るれいこの視線に意味があるのですね
彼女の中には、自殺志願で注目を集めようとする幼児性もなければ、洞爺湖のれいこのような弱さもなく、そんな彼女が前向きな叫びをすることに意味があるのだと思います
タイトルは洞爺湖のマキが遺灰を海に持参して跪くところに、堂島のれいこが歌が被される演出の後に登場します
映画全体を通じて、れいこ(=監督)は、前を向く決意ができた、というふうな解釈で良いのではないかと感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画のプロダクションノートなどを読んでいると、本作をつくるきっかけになったのが、「事故現場を見ても普通でいられた」というものになっていました
そこから動き出したプロジェクトは、なぜそのような感情になれたのか、という事を描く旅になっていました
映画でも、洞爺湖のマキは現場の湖で嗚咽するし、堂島のれいこもその場所に咲いていた金魚草をむしり取ってしまいます
この時に、トトは直前に描いたれいこの絵を一緒に燃やすのですが、この絵には過去のれいこが描かれていました
彼女はそこで、過去の自分が忌まわしき記憶と共に燃えていくのを目撃します
これが監督の内面で起こったことで、それにまつわるようなエピソードが実際にあったのだと推測されます
映画は、暗喩を用いていると思うので、実際には花と絵を燃やしたというものではないと思いますが、映画としてわかりやすい転換点をつくるために、このような演出になっているのかな、と感じました
映画は、各種レビューでは酷評の嵐なのですが、それはやはり3つの物語の関連性がわかりにくいことだと思います
私も初見では意味が分からず、でも絶賛の声もあったりするので、どこを評価しているのかを確認する意味で、2回目を鑑賞する事になりました
2回目だからと言って特別な発見はなかったのですが、パンフレットを読んだ後に鑑賞したので、何を表現しようとしているのかを見るという視点で鑑賞したのも意味があったのでしょう
本来ならば、ネタバレありきで鑑賞するものではありませんが、本作では「先にパンフレットや監督の趣旨などを理解した」上で観た方が、よりスムーズな理解へと進むのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100393/review/03489168/
公式HP: