‏■「あーイキゴメだわ、まぢゴメン」というのが莉奈の本質なのかもしれません


■オススメ度

 

生きづらさを感じている人(★★★)

穂志もえかさんのファンの人(★★★)

 


■YouTube予告編

鑑賞日2023.2.15(京都シネマ)


■映画情報

 

情報2023年、日本、107分、G

ジャンル:特別になりたい編集者がある女性を保護したことで人生を変えていく様子を描いたヒューマンドラマ

 

監督山口健人

脚本山口健人&山科有於良

 

キャスト:

黒羽麻璃央(園田修一:オーシャン出版の編集部勤務、小説家志望)

穂志もえか(清川莉奈:園田と同棲する何をやっても上手くいかない女)

 

松井玲奈(相澤今日子:園田の高校の先輩で、園田の憧れの作家の担当編集者)

安井順平(西川洋一:園田が担当を押し付けられる売れっ子コメンテーター)

 

冨手麻妙(望月彩菜:園田の同僚

長村航希(森脇:園田の同僚、西川の担当編集者)

山崎潤(品田守:園田の上司)

 

飯島寛騎(神宮寺葵:莉奈のバイト先のカップル)

八木アリサ(有栖川麻里亜:葵の彼女)

中川春樹(莉奈のバイト先の居酒屋の店長)

 

安藤聖(武井すみれ:莉奈の行きつけのペットショップの店員)

春海四方(武井輝:すみれの父、ペットショップ「ヴィオラ」の店長)

ラムネ(莉奈が保護する犬)

川畑和雄(ペットの保護業者)

 

松原江里佳(ブックフェアの司会者)

堀桃子(シェアハウスの住人)

植松愛(公園管理事務所の職員)

 


■映画の舞台

 

都心のどこか

 

ロケ地:

東京都:豊島区

㈱すばる舎

https://maps.app.goo.gl/HQoCSHvCXcZikyW59?g_st=ic

 

東京都:千代田区

神保町ブックセンター

https://maps.app.goo.gl/ViVzuKsgawqTwK2Q7?g_st=ic

 

東京都:立川市

曙町場内酒場

https://maps.app.goo.gl/otTvjH2Jq8Fw11Bd8?g_st=ic

 

千葉県:富津市

鋸山ロープウェー

https://maps.app.goo.gl/XZFyvoeiCk3XferEA?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

都内の出版社で働く園田は、ある夜に居酒屋で店員が客にカニの足を投げつけているとこを目撃する

別れ話をしているカップルに注文を間違えた店員は、すごむ客に対してそれを投げつけて店を飛び出した

店員は清川莉奈と言い、園田は彼女をおんぶして自宅へと連れ帰った

 

それから1年後、二人は同棲生活をしていて、莉奈は無職のまま部屋でぶらぶらしていた

まるでペットのように懐く莉奈と、飼い主のように世話をする園田の関係は、ある日を境にして、少しずつ変わり始めていた

 

園田はやりたくもないビジネス啓発本の担当をやらされ、高圧的なコメンテーター・西川に嫌気を差している

そんな折、忘れ物を届けにきた莉奈を仕事に巻き込んでしまった

西川は莉奈を気に入って仕事に同伴させ、園田の上司・品田も応急的に莉奈を雇い入れる

 

そして、プライベートでは高校時代の先輩に再会し、小説を賞に出すことを勧められてしまう

仕事と夢がゴッチャになり、編集の素人の莉奈が認められることが園田をさらに追い詰めていくのである

 

テーマ:休息場所のつくりかた

裏テーマ:二面性を育てると楽になる

 


■ひとこと感想

 

タイトルが衝撃的で、しかも穂志もえかさんが出演していると言うことで迷わずに参戦

好きな俳優さんがたくさん出ていて、松井玲奈さんも良いアクセントになっていましたね

主演の黒羽麻璃央さんも徐々に壊れていく感じとか、発した言葉を取り繕う嘘っぽさとか、随所に極まってるなあと思いました

 

物語は「生きづらさ」を感じている人たちの物語で、園田と莉奈の関係は「飼い主とペット」と言う感じに見えます

そんな中、他の人たちにチヤホヤされ出してから独占欲を強めるのですが、その関係性は「莉奈と捨て犬」の関係に通じるものがありました

「この子なら助けられると思った」と言う、使命感にも似た自己肯定感ですが、ペットと人は違うわけで、展開は真逆の未来に突き進んでいきました

 

この映画の面白さは「内面と表現の乖離性」で、中盤あたりから莉奈の正体が顔を覗かせていました

それが計算ではなく天然というところが彼女の強みではありますが、それに振り回される園田は人間として未熟だったと言わざるを得ません

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

園田の同僚・望月が「バズっているツイッター」を見せ、それを園田がスルーするシーンがありました

そのツイートは「#イキゴメ」というハンドルネームの主が「世の中の不条理に物を申している」のですが、文学青年の園田は「数行の素人の文字列」に価値はないと切り捨てていました

後にそれが「莉奈のツイート」であることがわかるのですが、勘の鋭い人は「初見でわかる」でしょうし、少なくとも西川との問答で気づくと思います

 

それが二人の運命を決定づけていて、「生きててごめんなさい」というハンドルネームをつける莉奈が「生きているだけで十分じゃないですか」と持論を展開していました

この二面性というものが本作のキーワードになっていて、それが乖離していると思うことこそが罠にハマっていることだと気付かされます

 

高尚な文学と低俗なツイート

でも、大衆が望むものは何か?

編集者は作家の書いたものを世に出して、それをヒットさせる使命を持っています

それを投げてまで書いたものは、読む価値に値しないのですが、これは「園田の作家性」をそのまま表しています

金銭という対価を得る以上、その創作物は商品であり、誰かを楽しませたり、心を動かしたりするために存在します

園田が書き殴った私小説は、ただ自分をよく見せたいという装飾品のようなもので、読み手というものが全く欠如していたと言えます

 


生きている価値とは何か

 

劇中で莉奈は「生きているだけで、それだけで良い」と言います

これは西田に対する彼女の答えで、その返答に対し西川は彼女の価値を感じ取っています

西川は彼女が「#イキゴメ」であることも知らないし、単なる園田の荷物持ちみたいに思っていたかもしれません

 

ここでポイントがひとつあって、西川がこの時に作っていた書籍が『目の前の時間を生きろ』という本なのですね

文章は編集者が書きますが、そこにある「思想」「思考」は、西川が「目の前にいる編集者との関わりの中で作る」もので、彼は「機会」というものをとても大事にしていました

それゆえ、その思考は「莉奈との邂逅の意味」を探り出します

これは西川の人生の嗅覚というもので、それは書籍に詰まっているものなのですね

 

莉奈はただ普通に生きているだけで、それだけで機会を得ることになるのですが、人生とは得てしてこういうものであると思います

西川にはそれを敏感に感じ取る感性があり、人生におけるヒントは「向こうからやってくる」と考えているように思えました

人は能動的に動いて何かを得ることもあれば、何もしなくても向こうから訪れてくるものもあります

そういった「機会」に対する心構えは、「機会」を「何か」に変える力があると言えます

 

莉奈は西川との関わりを持とうとも考えないし、部屋から出ることすら考えていません

彼女は何もしていないのに、なぜかその機会が訪れ、そして然るべき場所に来る

でも、彼女も何もしていなかったわけではありません

彼女は「#イキゴメ」として、日々考えを巡らし、それをアウトプットすることで価値観をブラッシュアップしてきました

一部の人が知る世界でそれは評価されて、彼女の中では「自分の思考にある程度の評価がある」ということを知っています

なので、西川と話す機会が得られた時、彼女はとても堂々としていて、迷わずに自分の考えを披露します

 

西川はその思考に感銘を受けたと同時に、彼女がその答えに至った過程に興味を持ったのでしょう

彼女は単なる園田の荷物持ちではなく、自分の知らないところ価値を磨いている人であると感じていた

そして、面白いことに、このような嗅覚を持てる人は、「園田との距離感」で莉奈の本質に気づくことができます

園田がどんな人物であるかはこの時点でわかっていて、そんな彼と莉奈の関係性に隠されたものが見えてくる

このような思考に至るためには、「生きる」ということに対して本気であると同時に、本気になれない人に対する背景を熟慮する必要があります

西川はそのような潜在的なニーズを捉える嗅覚があり、その要素を莉奈の中に感じたのではないかと感じました

 


謝りながら生きていく強かさ

 

莉奈は何かにつけて園田に謝るのですが、それによって園田は苛立ちを見せていきます

それは、園田が謝罪を求めているわけでなく、行動の改善を求めているからなのですね

でも、莉奈は行動を変えたくはないので、その矛先を変えようとします

莉奈は園田の特性を見抜いていて、その行動の単調さというものを把握しています

 

何か問題をあったときに衝突する人と、「負けて勝つ」というスタンスで流せる人がいます

莉奈は処世術として「負ける」ことを選んでいて、それは「勝つため」ではなく「維持のため」だったりします

目的があって、それに対して自分ができることを知って、そして最短距離でそこに向かう

これらは過去の衝突の繰り返しの中で生まれてきたもので、人は体験によって学習をします

 

莉奈の人生は一部しか表示されませんし、冒頭の居酒屋のように「同じような失敗を重ねてきたこと」は想像できます

でも、本当に「同じことだったのか」は彼女しかわかりません

結果として、その職場に居られなかったとは思いますが、「クビになるまでの過程、時間、労力」というものは進化していったかもしれません

仕事でヘマをして、それによって顧客や上司に咎められたりしてきたとき、多くの人はそこで時間を費やして自分を変えようとする努力を試みます

でも、そこに居続ける価値を感じているかは別の問題であると言えます

 

何度かの失敗を経ると、そこに適性はないと感じるのが一般的で、それでも変化を恐れるということは良く見受けられます

そこで費やす時間が無駄であると感じていても、その環境を変えようとする努力よりも、耐える方が楽だと考えてしまう

でも、莉奈のようなタイプは、リセットをいかにして行うかということに長けていて、それが「カニの殻を客に投げつけて逃げる」という行動に繋がっている

これは一見すると理解し難い行動に見えますが、莉奈の目線に立つと「手っ取り早い脱出」になっていて、その後の「追求が生じない行動」に見えてきます

関わりたくないと店主に思わせ、客の怒りは雇った店に向かう

そこから消えることで、トラブルメイカーなのに不在を勝ち得る

計算されたものかどうかは別として、のちの人生に対して最も効果的な行動になっているところが面白くもありますね

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は「人間の相反しながら同居する二面性」を描いていて、莉奈は「生きててごめんなさい」を茶化しながら、「生きているだけで良い」と言い切ります

「#イキゴメ」と言うように、言葉を短縮すると、その意味は変異して、時にはキャラ化すると思います

「生きててごめんなさい」と言うふうに言われると重たくて距離を置きたくなりますが、「イキゴメ!」と言われると「なんでそんなに軽いんだよ」と感じて、「本当にそう思っているの?」と言う反応を呼び起こします

また、「#イキゴメ」をカタカナにしているところにも本性が現れていて、「“生きごめ」と言う単なる短縮から感じるものとは違った印象を持ちます

 

これらを計算してやっているかは置いておいて、彼女が人生の中でいろんな言葉を拾い、それに対する持論を展開する中で、「#イキゴメ」と言う表現に到達しているのですね

これは「生きててごめんなさい」と言う人生の否定を「否定しつつ」人生はそこまで深く考えて、自分を追い詰めるものではないと言うところに繋がっていきます

また「#イキゴメ」はうまい具合にダブルスタンダードになっていて、「意気込め」と言う自分自身への暗示があります

これは「人生をもっと真剣に生きろ」と言うような意味合いに通じていて、「生きててごめんなさい」と言う悲壮感と、それを解消するために「意気込め」と言う力強さとか覚悟のようなものが付随していきます

でも「#イキゴメ」にすることで、この二つの真剣な重さと言うものから重量を引き抜き、ものすごくポップなものに変えていきます

そこで、人生はもっと単純で力を抜いても良いんだと言う持論があって、それが「生きているだけで良い」と言う言葉に結びついているのだと言えるのではないでしょうか

 

人は「良いことをしながら悪いことをする生き物」であり、ちゃんとしなきゃと思いながら怠惰な生活を送るし、やせなきゃと言いながらケーキバイキングに行く生き物なのですね

これをちょっとかしこまった風の言い方になると「清濁合わせ呑む」と言うような、どこかで聞いたような格言めいたものになってしまいます

自分の中に相反する行動起点があると知ったとき、多くの人はそれに思い悩み、どちらが本当の自分なのか論議を始めてしまいがちです

でも、ぶっちゃけるとどっちも本当の自分で、行動や思考というものは秒単位で入れ替わるほど「あってないようなもの」だったりするのですね

本作だと、園田は思い悩んで「自分を定義化しなければならない」と考えるタイプで、莉奈は「そんなことはどうでもいい」と考えています

 

これは私の持論ですが、人は全て多重人格者だと考えています

その入れ替わりは目に見えるものから見えないものまで多数あって、死なないように最適の人格をチョイスすることができます

いわゆる「処世術」というもので、そこには主体性よりも優先される社会性というものがあります

人は一人では生きていけず、それを勘違いしている人ほど苦しんでいるイメージがあります

こんなに努力しているのに、とか、色々と自分の内面を磨く行為はたくさんありますが、それを「誰のためにしているのか」というのはとても重要なのですね

多くの人は、それを他人のために行なっていて、それを言い換えると「嫌われない自分をつくる」というような言葉になります

でも、自分自身の内面の成長は他人が評価するものではなく、自分自身が生きやすいのであればOKなのではないでしょうか

 

本作の莉奈の生き方は一見すると枠組みに収まらないと思いますが、枠組みに収まって体裁を整えることよりも、「自分らしく生きること」を優先しているので、それをしたくてもできない人(映画で言えば園田がこのタイプ)からすれば受容し難いものだと思います

これらの心理的重圧を避けるのは意外と簡単で、「そもそも自分は他人にそこまで何かを求めているか?」と自問することでしょう

大概の場合、それは最優先事項にはなり得ないので、後回しにするか捨てちゃうことで、心の向きが少しづつ変わっていくものなのかもしれません

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/385288/review/d16ae082-5821-4043-9e12-e7f83cf0bbc2/

 

公式HP:

https://ikigome.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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