■あの暴露を許せる女性なら、不満を書き込むこともないのではないだろうか
Contents
■オススメ度
夫婦の本音と建前を感じたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.9.23(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2022年、日本、117分、G
ジャンル:妻の本音を知った夫が右往左往する様子を描いたコメディ&ホラー映画
監督&脚本:市井昌秀
ノベライズ:市井点線(『犬も食わねどチャーリーは笑う(2022年、小学館)』)
キャスト:
香取慎吾(田村裕次郎:ホームセンターの職員、副店長)
岸井ゆきの(田村日和/杉本日和:裕次郎の妻、夫に内緒で「旦那デスノート」に不満を投稿している。コールセンター勤務)
マルちゃん(チャーリー:二人が飼うフクロウ)
井乃脇海(若槻広人:裕次郎の後輩)
的場浩司(浦島:裕次郎の職場の店長)
余貴美子(蓑山/MINOYAMA:裕次郎の同僚、日和と交流を持つ女性)
中田青渚(鈴木汐音:裕次郎にアプローチかける同僚)
小篠恵奈(小清水まや:つい手助けしたくなる裕次郎の同僚)
松岡依都美(裕次郎の職場に来る配送業者)
眞島秀和(葛城周作:日和の職場のセクハラ上司)
森下能幸(小杉正:ヘタレでいつも怒られてばかりいる日和の同僚)
めがね(日和に共感する職場の同僚)
きたろう(本人役:ホームセンターの客、エコバック大使)
浅田美代子(田村千鶴:裕次郎の母)
清水葉月(倉持晶:日和の親友)
新垣璃空也(倉持陸:晶の息子)
田村健太郎(塚越達也:日和にデスノートの出版を持ちかける編集者)
徳永えり(さんなすび:デスノートに書き込む主婦)
峯村リエ(猛毒散布:デスノートに書き込む定食屋の嫁)
菊池亜美(逆立ちクジラ:デスノートに書き込む育児丸投げ被害の妻)
有田あん(通天閣:デスノートに書き込む大阪弁の女)
瑛蓮(巨大レンゲ:デスノートに書き込む嫁姑問題でキレる嫁)
■映画の舞台
都内のどこか
ロケ地:
東京都:立川市
東京都:新宿区
株式会社TMJ(日和の職場)
https://maps.app.goo.gl/nK5PZVtQ4aDmCfnz7?g_st=ic
埼玉県:さいたま市
ニトリホームズ宮原店(裕次郎の職場)
https://maps.app.goo.gl/a9N1jgkrBTSnUpvb7?g_st=ic
ヴィラ・デ・マリアージュさいたま(若槻の結婚式場)
https://maps.app.goo.gl/Nhjrkn3h8gofskU88?g_st=ic
■簡単なあらすじ
ホームセンターで副店長を務める裕次郎は、商品や雑学の知識が豊富で、客にウザがられることもあった
ある日、地震対策商品の購入に訪れた女性客・日和に丁寧に説明したところ、その縁もあって就活中の彼女に再会することになった
それから数年後、二人は結婚4年目を迎え、家事は日和に任せっきりで、裕次郎は趣味の筋トレに励んでいた
ある日、職場の同僚・蓑山から「旦那デスノート」について教えてもらった裕次郎は、その書き込みが日和のものではないかと疑う
後輩の若槻も「これ、奥さんじゃないですか?」と的確なツッコミを入れ、場の空気は凍りついてしまった
問い質すタイミングを逃し続ける裕次郎は、日々更新される日和の書き込みに心を撃ち抜かれながら、とうとうそれについて言及してしまう
言い争いに発展する中、それでも日和は筆を止めずに書き込みを続け、それがある編集者の目に留まることになった
編集者の塚越は数人の投稿者を集めて本を作ろうと考えていたが、日和は全国に晒すつもりなど毛頭もなかったのである
そんな折、裕次郎の何気ない一言にブチ切れた日和は、その日から口も利かなくなり、同居別居状態に陥ってしまうのである
テーマ:夫婦円満の秘訣
裏テーマ:結婚システムの功罪
■ひとこと感想
予告編からコメディ色が満載でしたが、フタを開けてみれば「ほとんどホラー」のような展開で、本が出版されたような衝撃を受けてしまいます
基本的にはコメディで、背筋の凍るシーンが挿入されていますが、そんなシーンも「笑ってはいけない」と言う感じに仕上がっていましたね
映画としてのまとまり方は微妙ではありますが、他人事として余暇に笑いたい人にはOKな内容だと思います
とにかく岸井ゆきのさんの視線が怖くて、目が笑っていないところとか、背中で怒っているところとか、演出も含めて作り込まれていましたね
それでも、物語のピークの後の蛇足が多すぎて、物語の終わらせ方をわかっていないような感じになっていましたね
原作がどのような形で終わっているのかは未読ゆえに知らないのですが、映画の起承転結としては結っぽいところが3回くらいはあると言う感じで、それがクオリティを損なっていたと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
夫婦生活はどれだけ本音を言えるかに掛かっていますが、察する技術というのも高度なレベルで要求されます
諸問題に対する対応も男女差があって、解決に向かう男性と共感を求める女性と言う差異が問題をさらに飛躍させる場面は多いと言えます
この映画は男性目線で描かれているのですが、その辺はサラリと描かれていて深掘りまではされていません
裕次郎は日和の本音を知りますが、それに対してどうしたら良いかというところにはたどり着いていないのですね
結局のところ、この夫婦が元さやなのか別れたのかが微妙なエンディングになっていますが、テーマとして「システムに囚われるのを止めるけど生活は続ける」みたいな感じになっていたので、離婚届を出したけど生活は続けるという感じになっていると解釈しても良いのかなと思いました
前半から「システム」という言葉が一人歩きしていて、それが最後に捩じ込まれていますが、あまり上手い構成とは思えません
また、物語の主題とピークにズレが生じているので、そのあたりは少し微妙かなと思いました
■結婚と言うシステムについて
結婚とは「夫婦になること」を言い、これまでは「両性間の配偶関係の締結」を意味する言葉でした
社会的に認められた夫妻の結合を意味し、法律的には「婚姻」というふうに呼ばれます
人類史上ずっと行われてきたもので、どこの国でも形を変えて存在しています
映画で言われる「システム」というものが「社会的な契約」を意味していて、それに囚われずに生きていこうと考えるのが裕次郎と日和だったと言えます
日本では「戸籍」制度があり、ある戸籍に別の個性の誰かが組み込まれることを意味します
通常の初婚だと、親の戸籍に入っていた者同士が新しい戸籍を作るという流れになっていて、これを「入籍」とは呼ばないそうです
でも、すでにある戸籍に配偶者を迎える際には「入籍」という言い方をするのですね(再婚など)
新しい戸籍を作ることは、元ある戸籍から抜けることになるので「分籍」という呼び方をすると言われています
近年では夫婦別姓を選ぶカップルも多く、婚姻届を出さずに事実婚を選ぶ人たちも増えています
映画のラストでは「事実婚」を選ぶ二人が描かれていて、「結婚(婚姻)」という制度によって、二人の関係が悪化したというふうに結ばれています
一緒に暮らすけど結婚はしないということになっていて、それが生きやすさにつながるかどうかは個人の感覚に委ねられるでしょう
彼らは「結婚」というシステムによって、そこで生じた責任のようなもので関係がおかしくなったと主張しますが、実際にはそれぞれの相手に対する期待値の共有がなされなかったことが原因でしょう
適切な話し合いがなされず、それぞれが自分の思い込みで期待値を裏切る生活を続けていただけなので、その事実から目を背けるために制度が悪いんだと言っているようにも聞こえましたね
レズカップルから「社会的に認められる関係」に対する憧れを突きつけられていましたが、当初の二人もあのように「社会的肯定感」によって、二人の関係性を認知させたかったんじゃなかったのかなと思ってしまいます
■勝手にスクリプトドクター
映画はものすごくまとまりのない出来になっていて、物語のピークがどこに置かれているのかよくわからない構成になっていました
シナリオの基本である「登場人物の物語当初の状況」は、「夫の嫌なところが目につくけど直接的には言えないに日和」と、「うまくいっていると思い込んでいる裕次郎」となっています
それぞれの物語の向かう先は「不満の顕在化による関係の破綻あるいは回復」を目指す日和と、「晒された本音を収め、関係性をつなぎ止めようとする裕次郎」という立ち位置になっていました
ダブル主人公になっていて、それぞれの欲求が真逆になっているのが特徴で、どちらかの欲求が満たされれば、もう一人の欲求というものは成し得ない関係性があります
二人の問題の顕在化は意図せぬものであって、日和は暴露によって夫が変わることを期待します
そこで汐音たちの思惑が絡んでさらに状況が悪化するのですが、日和は裕次郎の日常の態度にブチ切れているので、外で起こっていることへの興味はさほどなかったと言えます
対する裕次郎は、日和の本音を知ったことで、かつて役割分担をしたはずなのにと弁明をしますが、日和は絶賛炎上中なので聞く耳を持ちません
やがて、その過程の中で「日和に対する潜在的なマウント」というものが見えてきていて、裕次郎にその意図はなくとも、日和の日常で溜まった「家庭外の問題」までもが噴出することになっていました
日和は日々の不満を投稿しますが、それをさせているのは裕次郎の行動だけではなく、職場のセクハラであるとか、職種におけるストレスなどがありました
また、決定機となったのが「夫婦間の秘密の暴露」で、日和の流産の件を本人に黙って母親に話したという事実は、夫婦の危機レベルではありません
ここまで拗れたものの原因が「結婚」というシステムが二人をおかしくさせたなんてことはなく、元からあった裕次郎の資質が関係性を破壊しているだけでしょう
なので、システムを壊して、それでも生活をともにするというエンディングで収まるのはかなり微妙であると言えます
結婚というものへの憧憬(汐音とあや)、結婚への絶望(若槻)などが周囲を取り巻き、「旦那デスノート投稿者」の本当の顔は日和とは似て非なるものだったりします
日和は「不満をぶちまける場所さえあればそれでいい」と思っていて、それは「夫に話を聞いて欲しかった」という言葉に集約されていました
なので、着地点がそこになるとすれば、物語のピークは「母親に流産を話したシーン」となり、若槻の結婚のシーンはさほど重要ではありません
勝手に秘密を暴露した裕次郎を日和が許すかどうかというのは、結婚というシステムの存在とは無関係に近いでしょう
秘密の保持は「人と人との約束ごと」なので、裕次郎がその罪を償うには信頼の回復が必要となります
それが蔑ろになったまま、感情的になって「結婚がどうの」というのは物語がずれてしまっているように感じました
個人的な感覚だと、あの秘密の暴露で二人の関係は終了です
その後、どのようなことを裕次郎が言っても、そこに愛があったとしても蔑ろにされた日和のアイデンティティが回復に向かうことはありません
映画ではこの重要なシーンがかなり軽く扱われていて、無理矢理美談にまとめようとしている印象がありました
「結婚から逃れても一緒にいるカップルを描く」ということに終始するならば、この暴露に関しては挿入しない方がよかったでしょう
このシーンが物語上必要だったという意図はわかりませんが、結局のところ、結婚という制度が裕次郎の暴露を生んだとまでは言い難いでしょう
彼がどうしてそれを母に言ったのかは描かれていませんが、裕次郎の中にある日和に対する態度の根幹が露出しているシーンでもあるので、この二人が愛を確かめ合うシーンは滑稽で現実味を全く感じませんでした
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は蛇足オブ蛇足の連続で、若槻の結婚式で大団円になっていれば「結婚って良いものだよね」で終わっていたのですが、その後の「秘密の暴露」で急展開を迎えたにも関わらず、その問題はあまり深掘りされていません
二人を揺るがす大問題に関して理解が低い感じのシナリオになっていて、夫婦である前に人であるという前提が蔑ろにされています
裕次郎にはマザコンの気があるのかわかりませんが、夫婦の問題を親に言う旦那というのは幼児性がないと起こらないような気がします
それでも裕次郎の母が「日和が隠している秘密」に気づくことは容易であると思うので、母が日和の味方になるか敵になるかというのは結構重要なことであると思います
日和からすれば「孫を欲しがり、妻としての役割を押し付ける」のが姑と言う存在で、この関係性の解消には「結婚の破棄」は有効でしょう
となると、日和が戦っているのは、かつての結婚制度に身を委ねてきた前時代の価値観と言うことになり、それに対する防衛というものが生まれてきます
裕次郎に前時代的な結婚の価値観を植え付けてきたもの、そこに君臨する裕次郎の精神的な支えというものが裕次郎の母の正体であり、この戦いがスルーされていたのは意味がわかりません
夫婦のよりが戻るとか戻らないという結末はどうでも良い問題になってしまっていて、離婚したことによる社会からの抑圧を与えるのも裕次郎の母のような存在であると言えます
前時代的な束縛へのアンチテーゼを描くのなら、それによって狂わされたと訴求するのではなく、離婚届を裕次郎の母親に突きつけることだったのではないかと思いました
それでも、日和が裕次郎を許すということは別問題なので、その回復を明確に描く必要性はあると思います
個人的な感覚では、ここまで拗れたら終了だと思っているので、その感覚を覆すことができる説得力のある回復を描くのが制作側の責務であると考えます
映画ではその問題はかなり軽視されていて、なくてもよかったシーンぐらいに扱いが低いのは残念でしたね
そこをきちんと描くとおそらくは別のテイストの映画になっていたと思うので、この映画の帰結でいくのならば、やはり踏み込む必要のない領域だったのではないかと思ってしまいますね
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/382354/review/92e4e904-b004-4fbb-bead-cf7256dbc484/
公式HP: