■誰もが演じている役割の奥に、本当の自分がいるのです
Contents
■オススメ度
ジェーン・バーキンのファンの人(★★★★)
母娘の関係の難しさに興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.8.8(京都シネマ)
■映画情報
原題:Jane par Charlotte(シャルロットからジェーンへ)、英題:Jane by Charlotte(シャルロットからジェーンへ)
情報:2021年、フランス、86分、G
ジャンル:実母への想いを綴る、哲学的アプローチのドキュメンタリー
監督&脚本:シャルロット・ゲンズブール
キャスト:
ジェーン・バーキン/Jane Birkin(本人役:シャルロットの母、歌手)
シャルロット・ゲンズブール/Charlotte Gainsbourg(本人役)
ジョー・アタル/Jo Attal(本人役:シャルロットの三女、11歳)
■映画の舞台
日本:東京&京都
フランス:パリ&ブリュターニュ
アメリカ:ニューヨーク
■簡単なあらすじ
母ジェーンの東京公演に同行したのをきっかけに彼女を撮り始めた娘のシャルロットは、これまでに訊けなかったことを赤裸々にぶつけていく
そんな中で、母の想いと人生哲学を紐解きながら、自身の人生との乖離を埋めていくシャルロット
時に愛娘ジョーを交えて、何気ない会話から本音を引き出し、母としての悩み、娘としての悩みを曝け出しながら、亡き母への賛辞と募る寂しさを映像に残していく
偉大な母を持つ家庭ならではの悩みであるとか、環境を抜きにした人間的な根幹に通じるものを描きながら、母への手紙を綴る
ドキュメンタリーを作るために同行することで、これまでの距離を埋めていけるのか
口実の先にあった意外な真実を、カメラはしっかりと捉えていく
テーマ:普遍性と特殊性
裏テーマ:編集の段階で見えてくる客観性
■ひとこと感想
シャルロット・ゲンズブールが監督を務めるということで、そっちが気になって鑑賞
母親が有名な歌手であることは知っていますが、世代でもなければ好みでもないので、そこまでのめり込んだ記憶はありません
東京での公演から始まるドキュメンタリーですが、その内容は母に宛てた手紙のように思えます
普段はあまりドキュメンタリーを観ない方ですが、この手のジャンルは一つのテーマに対して多角的に言葉を拾い集めるとか、客観的視点で物事を追うというイメージがありました
本作の場合は、どちらかと言えば後者にあたりますが、客観的かと言われれば微妙な感じですね
感覚的には、撮ってる間は主観的だけど、編集の段階で客観的になっていったのかな、と思いました
パンフレットには対談、寄稿、ラストの手紙などが詰め込まれていて、ちょっとお高いですが、映画が良かったという人にはオススメできる内容だと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
基本的にジェーン・バーキンを全く知らないと意味がわからない内容に思えますが、あまり知識がない私でも完走できるほど普遍的な話になっていました
描かれているのは、母と娘の関係性の難しさとか、有名ゆえに公私の境界線が消えてしまう悲哀の方が際立っていましたね
なので、普遍的ではあるものの、誰にでもハマるかというと微妙な感じはします
ジェーン・バーキンについては「歌手」ということぐらいしか知らず、彼女の楽曲に関してはそこまで詳しくありません
何で観にいったの感が凄いのですが、興味を持ったのは、女優が自分の母親のドキュメンタリーを撮っているという構造の方なのですね
これまでは被写体として演じていたシャルロットが、演じていない母を撮るとどうなるのか、という方に興味が湧きていました
ジェーンも歌手を演じていた側面があって、それを間近に観てきたことで、娘としても素の母親というのはあまり知らなかったりします
このあたりの乖離が埋まっていくのですが、それぞれが「気後れしている理由」というのが奥ゆかしくもありました
■ジェーン・バーキンはどんな人?
ジェーン・バーキン(Jane Malloy Birkin)は1946年生まれのイギリス人で、ロンドンのメリルボーンにて生まれました
母親はイギリスの女優ジュディ・キャンベル(Jane Campbell)で、父親のデビット・バーキンはイギリス海軍の中佐として、第二次世界大戦のスパイとして働いていました
兄のアンドリュー・バーキン(Andrew Birkin)は脚本家兼監督業で活躍されていました
彼女のミドルネーム「マロリー」は「アーサ王記」の作家サー・トーマス・マロリー(Thomas Malory)にインスピレーションを受けているとされています
ジェーンの女優キャリアは1960年頃から始まりました
『The Knack …and How to Get It(1965年)』のノンクレジットにて出演、その後『ブローアップ(Blowup、1966年、邦題『欲望』)』『カレイドスコープ(Kaleidoscope、1966年)』『ワンダーウォール(Wonderwall、1968年)』などに出演を果たします
1968年にフランス映画『スローガン(Slogan、1969年)』の主役のオーディションを受け、そこで後の夫となるセルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)と共演することになりました
これをきっかけに活躍の場をフランスへと移すことになりました
1969年、共演したゲンズブールとのデュエット曲「Je t’aime…moi non plus」をリリースします
この曲はブリジット・バルドーへの提供予定でしたが、ジェーンは「嫉妬」によって、この曲を歌うようになったと語っています
その後、1970年代に3枚のアルバムをリリースしますが、多くの楽曲はゲンズブールが書いたものでした
私生活に関しては、1965年の時点でジョン・バリーと結婚しますが、この生活は3年で終了してしまいます
娘ケイト・バリーが生まれますが、娘を夫の元に残して去ることになります
その後、ゲンズブールと恋仲になり、シャルロットが生まれますが、12年の交際期間がありながらも籍を入れることはありませんでした
1980年にゲンズブールのアルコール依存症が原因で別れることになりますが、1982年に映画監督のジャンク・ドワイヨン(Jacques Doillon)と関係を持ち、ルー・ドワイヨンを出産することになりました
でも、1991年にゲンズブールが死去し、その影響からか1993年いドワイヨンと別れることになっています
ちなみに、映画の中で名前がよく挙がっていたケイトは2013年にアパートから転落して亡くなっています
また、バーキン自身は2023年7月16日に自宅で死亡しているのが発見されていますが、死因に関しては明らかにされていません
本作は、彼女が亡くなる2年前の2021年にフランスでプレミア上映されているのですが、この時に会場に現れたのが公の場に姿を現した最後となっています
■ドキュメンタリーは何を映し出すのか
ドキュメンタリーとは、「虚構を用いず実際のままを記録した性質を持つこと」という定義がありますが、ドキュメンタリー映画などで90分編集なしというということはありません
テーマに即して素材を集めるものもあれば、テーマに即して撮影を展開していくものもあります
本作の場合は、これらの手法とは少し違っていて、バーキンに近づくために撮り始めるという流れがありました
東京公演から始まり、楽屋での質問タイムなどがあって、取材という形式によって、それぞれの本音が出てくるような感じになっていました
本作の場合は、母親を理解したいという目的があって、その答え探しをしているのですが、シャルロット自身には「欲しい答え」というものはなかったように思います
どこまで素の母親に迫れるかというものがあって、ともに女優ということもあって、私生活でどこまで素が見えていたのかは分かりません
生まれた時から女優であり歌手である母は、虚実のどちらが本当の母かわからなかったりします
これはこの関係が特別というよりは、誰もが役割によって違う側面があるので、普通の家庭でも起こり得ます
仕事をしている時、母親である時、妻である時、姉もしくは妹である時、娘である時など
人には様々な役割があって、その全てが同じということはありません
シャルロットとバーキンの場合は、仕事の部分の割合が多く、目にする機会が多いために、子どもが感じる母親の多面性というものは偏って見えてしまいます
しかも、彼女には父親の違う姉妹が二人もいて、それぞれの姉妹に与える愛の量も違って見えます
シャルロットが特に気にしていたのはケイトとの熱量の差になるのですが、これはケイトの予後というものが与えた影響が大きいし、それに言及するのは気が引ける部分もあったと思います
もしかしたら、この部分を聞くために、このドキュメンタリーは存在していたのかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
普段はドキュメンタリーをあまり観ないのですが、その理由は「創造された物語が好きだから」であって、ドキュメンタリー自体を敬遠しているわけではありません
ドキュメンタリーにも物語はあるのですが、それは創作とは違うし、自伝映画とも質が違います
自伝映画は再現ですが、感情を再現することはできず、解釈の域を出ません
でも、それが内面を深く掘り下げる作業を伴うことで質の高い演技になっていきます
ドキュメンタリーの場合は、作る部分もあると思いますが、本当に観るべきは「作っていない部分」なのですね
良質のドキュメンタリーは、この「作っていない部分」を誇張することなく引用しているので、それが質の高さにつながっていきます
逆に物足りないドキュメンタリーは、撮りたい映像に固執して、自分の型に嵌めようとして歪んでしまうパターンでしょう
そう言ったドキュメンタリーは、どことなく嘘くささというものが滲み出ていて、事実に解釈が加わっている場合があると感じます
創作の場合は、幾つもの嘘を隠すように大きな嘘をついていくのですが、この大きな嘘というものが良質である場合、世界観を作ることに成功します
個人的には、この大きな嘘のつき方にとても興味があって、それを研究している部分はあります
人を物語に没入させるためには多くの工夫が必要ですが、それはドキュメンタリーも同じだと思います
ドキュメンタリーの場合は、被写体のどの部分を切り取るかという命題があって、そのためには観客の興味と合致する必要があります
本作の場合は、シャルロットが知りたいバーキンのことと、観客が知りたいバーキンのことというものがあって、それに加えて「シャルロットはバーキンの何を知りたいのか?」というエッジが存在します
私が鑑賞を決めた理由はこの部分で、それがすごく繊細に赤裸々に描かれていたので満足のいくものでした
ある程度、被写体に対する知識は必要だと思いますが、母親をドキュメントするという構図に興味を持てれば、その他の情報は映画の中に落ちているのではないでしょうか
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
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公式HP:
https://www.reallylikefilms.com/janeandcharlotte