6月0日に意味を持たせるのに、50年の歳月が必要だったのかも知れません


■オススメ度

 

ナチス関連の映画に興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2023.9.12(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:יוני אפס(6月0日)、英題:June Zero

情報2022年、イスラエル&アメリカ、105分、G

ジャンル:アイヒマン処刑後の火葬装置を作ることになったイスラエル国民を描いたヒューマンドラマ

 

監督ジェイク・パルトロウ

脚本トム・ショバル&ジェイク・パルトロウ

 

キャスト:

ノアム・オヴァティア/Noam Ovadia(ダヴィッド・サーダ:工場に雇われる少年、リビアからの移民)

   (老齢期:Osher Maimon

 

ツァヒ・グラッド/Tzahi Grad(シュミロ・ゼブコ:火葬用具を依頼される会社の社長、ダヴィッドの雇い主)

 

アミ・スモラチク/Ami Smolarchik(ヤネク・ヘルツ:ゼブコの従業員、アウシュヴィッツの生き残り)

Koby Aderet(コッコリッコ:鉄工所の従業員)

Adam Gabai(エズラ・シャラビ:鉄工所の技術者)

 

トム・ハジ/Tom Hagi(ミハ・アーロンソン:アイヒマン裁判の主任審問官)

ジョイ・リーガー/Joy Rieger(アダ:イスラエル委員会の代表者)

 

ヨアブ・レビ/Yoav Levi(ハイム・アムザレグ:アイヒマンを収容しているラムラ刑務所の刑務官、モロッコ人)

 

ロテム・ケイナン/Rotem Kainan(ジェイコブの学校の先生)

 

Sharon Alexander(アリック・ベン・ドブ:トプフ商会の代表))

 

Alon Margalit(アドルフ・アイヒマン/AdolfEichmann:処刑されるナチス)

 

Yaakov Zada Daniel(ヤーコフ・サーダ:ダヴィッドの父)

Evyatar Rubin(イスラエル・シーダ:ダヴィッドの弟)

 

Ron Cohen(モシ:ダヴィッドの転校先の同級生)

Adar Roimi(モシの友人)

 

Jay Coller(ゼブコの工場の作業員)

Zvi Salton(アイヒマン処刑放送のラジオの声)

Ilan ben Ovadia(刑務所のガード)

Maor Ovad(刑務所のガード)

Ram Guete(刑務所のガード)

Asi Itzhaki(刑務所の理容師)

 

Shimon Buservice(ユダヤ教の指導者)

Monica Wardimon(歌手)

Jerry Hyman(牧師)

Avner Gilead(海軍の大佐)

Niv Majar(ジャーナリスト)

 

Idit Teperson(シューラ・シュピーゲル:ダヴィッドの訴えを聞く女性)

 


■映画の舞台

 

1962年、イスラエル

ラムラ刑務所

 

ロケ地:

ウクライナ

 

イスラエル:

リション・レジオン/ראשון לציון

https://maps.app.goo.gl/9KrEvcqTf6LBXvgy8?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

1961年、ホロコーストの有罪判決を受けたアイヒマンは、イスラエルのラムラ刑務所に収監されていた

アイヒマン処刑後に火葬することが決まるものの、火葬の習慣のないイスラエルでは、人用の焼却炉がなかった

そこで看守主任のハイムは友人の鉄工所の社長ゼブコを訪ね、秘密裏にアイヒマン焼却用の炉を作って欲しいと話を持ちかけた

 

工場では、使用目的を隠したまま製作が始まるものの、狭い炉の中の掃除要員として雇われた少年ダヴィッドは、偶然その話を聞いてしまう

ゼブコはやむを得ずに従業員に話すものの、アウシュヴィッツの生還者もいる現場の空気は重く、思ったような火力を得られないまま悪戦苦闘していた

 

一方その頃、アイヒマン裁判の主任捜査官ミハは、イスラエル委員会のメンバーとともにゲッコーを訪れていた

ミハはそこで体験を話すものの、代表団の一人アダは、見せ物に成必要はないと諭す

だが、ミハは自分の話は必要だと語り、アウシュヴィッツの出来事を切々と語っていく

 

そんな折、アイヒマンの処刑は秘密裏に行われ、ゼプコたちが作り上げた焼却炉にて、アイヒマンの焼却が始まろうとしていたのである

 

テーマ:歴史の遺恨

裏テーマ:知られざる国家の威信

 


■ひとこと感想

 

意味深なタイトルに惹かれて鑑賞

ナチス関連だとは思っていましたが、まさかの焼却炉を作る話とは思っても見ませんでした

物語は3人の人物の視点で語られ、炉の製作に携わることになった少年ダヴィッド、アイヒマンを管理する看守ハイム、そしてアウシュヴィッツの生き残りである裁判の主任捜査官のミハとなっています

 

歴史にさほど詳しくなくてもついていけますが、一般教養としてのホロコーストを知らないと意味がわからないと思います

 

物語は実に淡々としたもので、そこまで複雑ではありませんが、ドラマとしては少々退屈に感じました

演出も劇的ではなく、いつの間にかアイヒマン吊るされているし、作業も作業感があって、ムードメーカーのダヴィッドが悲壮感を打ち消していたように思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

この映画にネタバレがあるのかは分かりませんが、視点が切り替わるごとにエモさが変わっている感じがしましたね

ダヴィッドの視点はコミカル、ミハの視点は緊迫、ハイムの視点は淡々という感じでしょうか

 

ダヴィッドのシーンは懐中時計を盗むくだりが思ったよりも尺を取っていて、そこまで必要だったのかは何とも言えない感じになっていました

ハイムのシーンも本当に淡々としていて、これぞ公務員という感じに無感情に振る舞っているのが印象的だったと思います

 

ミハとアダのシーンはセリフがなければラブロマンスなのかと思ってしまうほどのテイストですが、喋っている内容がエグいので、画面の美しさとの乖離が激しかったように思います

 

映画は、焼却炉を作って、その点火を任されるのがアウシュヴィッツの生き残りの作業員ヤネクになっていて、彼を送り出す際のゼブコの「仇を撃ってこい」に集約されていましたね

そこからの頭真っ白からのダヴィッドへの電話などの逸話がリアルで、どうやら本当にあった話がベースになっているようでした

 


アイヒマンの処刑と後始末について

 

アドルフ・アイヒマンはナチスのヒトラー親衛隊の幹部で、ゲシュタポのユダヤ人課の課長でもありました

1939年にゲシュタポ(保安警察)とSD(ナチス・ドイツ親衛隊)が統合され、「国家保管本部」が設立されます

アイヒマンはこの時に「IV局(ゲシュタポ局)B部(宗派部)4課(ユダヤ人課)の課長に任命されました

ベルリン勤務になり、ユダヤ人移住局を統括する立場となっています

 

戦後、アイヒマンはアメリカ軍によって拘束されるものの、偽名を使って正体を隠すことに成功し、捕虜収容所から逃亡しました

その後、西ドイツ国内で逃亡生活を続け、難民を装ってイタリアに潜伏し、アルゼンチンへと移住します

1957年、アイヒマンを追っていた西ドイツの検事フリッツ・バウアーは「リカルド・クレメント」の偽名でアルゼンチンに潜伏していることを突き止めます

国内での捜査は叶わず、イスラエル諜報特務庁(モサド)に情報提供を行いました

 

その後、アイヒマンの息子がユダヤ人女性と交際していることがわかり、そこで息子が父の素性について語ってしまいます

2年にわたる慎重な捜査の末、ブエノスアイレスにて拘束されました

その後アイヒマンはイスラエルに連行され、裁判が行われることになります

彼は裁判の中でも「命令に従っただけだ」と主張し、ヒトラーの著書『我が闘争』に関しても読んだことはないと述べています

アイヒマンは死刑判決が下されるものの無罪を主張しますが、劇中でも登場するラムラ刑務所にて絞首刑が執行されることになりました

ちなみに英語版のWikiでも「アイヒマンの焼却&地中海に遺灰を散布の詳細」は書かれていません

 


3つの視点が意味するもの

 

映画は、ダヴィッドの視点、ミハの視点、ハイムの視点で描かれていて、その3つは異質のものとなっています

ダヴィッドの視点は、アウシュヴィッツを知らない視点で、幼き他国の人間として、アイヒマンの焼却炉を作り意味を理解していません

あくまでも、自分の居場所をそこに見つけたというもので、彼自身の人生を有意義にしたもの、としての意味しかありませんでした

 

ミハの視点は、アウシュヴィッツの経験者として、裁判の主任捜査官の視点になっていて、個人的な体験や感情と、捜査官としての中立にたたざるを得ない苦悩を描いていきます

裁判を感情的に進めることもできますが、アイヒマン自身は「与えられた仕事をこなしただけ」というスタンスなので、感情的になっても晴れるものはありません

彼は、自分の体験を話すことで、アウシュヴィッツがどんなものだったかを伝えることになりますが、身を削っても体験が共有されるとは限りません

 

ハイムの視点は、犯罪者の執行を滞りなく行うことですが、彼自身はアイヒマンへの特別な感情を持っていません

アイヒマンが職務をこなしたのと同様に、彼自身も与えられた仕事を全うするだけなのですが、それによってアイヒマン自身が「職務の全う」という自身の行動の意味を考えることになります

とは言え、粛々と為すべきことをするだけで、レスポンスというものはなく、アイヒマンの感情を引き出すこともありません

 

この3つの視点では描けなかったものがヤネクに凝縮されていて、彼は「自分のみならず全ユダヤ人の無念」を背負った状態で焼却炉に火を灯すことになります

それでも彼らの無念が晴れないのは、この状況に至った種というものにはたどり着いていないからなのですね

ナチスとユダヤの関係はホロコーストだけの問題ではなく、それは映画で描かれるよりも太古の因縁というものがあります

 

それでも、起こったことにどう折り合いをつけるかという観点においては、体験者が火を放つということで一定の意味は感じられますし、これまでに語られなかった歴史でもありました

でも、物語の帰結は「ダヴィッドの未来」になっていて、このシーンがあるために、これまでに描かれていたものの意味も変わっているように思えました

 

ダヴィッドはゼブコから用無しと言われてしまいますが、それは「勉学に励んでもっと良い人生を送れ」ということになります

また、彼が大人になってからわかる行動の意味というものがあって、それは彼の少年性を否定するでしょう

アイヒマンの焼却炉に寄与したのが、罪に無頓着な少年の好奇心というところには意味があって、それぐらいアイヒマンの人生には意味がなかったと説いているようにも思えてなりません

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は非常に淡々とした映画になっていて、歴史上で重要な人物の命を絶った物語としては、劇的な内容にはなっていません

焼却炉を作っている話は切羽詰まった感じはなく、ダヴィッドの盗み癖の話になったりしていました

ゼブコの部屋にはたくさんの戦利品がありますが、ダヴィッドが盗んだものはさほど価値のないものでした

それは、価値というものは持ち主が決めるという意味になっていて、ダヴィッドにとって価値のないものも、ゼブコにとっては価値のあるものという意味につながります

 

アイヒマンの焼却炉にしても、ダヴィッドとしてはさほど価値を感じていませんが、ゼブコやヤネクからすれば一族の命運を担うようなものになっています

全ユダヤ人の代表として、その想いをぶつけるものになりますが、ダヴィッドは微塵にも感じていません

彼があの焼却炉に意味を感じていたとしたら、学校に行くことを辞めて、あの工場で一生を終えたかも知れません

でも、彼はあの工場との縁を切ったことで、歴史から名前を消すことになってしまいました

 

彼の名前が残らなかった理由は様々だと思いますが、大きな要因としては、「価値を見出さなかった者」という意味合いがあると思います

それは意図的なものになっていて、アイヒマンの焼却炉に大きな意味を持たせると、それは殉教者的な思想を強めることになりかねません

当時の風潮として、アイヒマンの死を特別視することを避けるために「6月0日」としているわけで、そこに付随する情報というのは皆無の方が良いのですね

なので、どこの鉄工所で誰が作ったのかを問題視することなく、アイヒマンの仕事と同じように行われたものとして扱われてきたのだと感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

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公式HP:

https://rokugatsuzeronichi.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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