■怪物という概念を追いかけていくと、そこには実態のない社会が存在するのかもしれません
Contents
■オススメ度
ある事件を多角的に捉える映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.6.2(MOVIX京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、125分、G
ジャンル:子ども同士の喧嘩を多角的な視点で描く青春映画
監督:是枝裕和
脚本:坂元裕二
キャスト:
安藤サクラ(麦野早織:息子を愛するシングルマザー)
黒川想矢(麦野湊:早織の息子)
永山瑛太(保利通敏:新しく赴任して来た湊の担任)
柊木陽太(星川依里:湊と喧嘩になる生徒)
中村獅童(星川清高:依里の父)
高畑充希(鈴村広奈:保利の恋人)
田中裕子(伏見真木子:小学校の校長)
中村シユン(真木子の夫)
角田晃弘(正田文昭:小学校の教頭)
黒田大輔(品川友行:小学校の学年主任)
森岡龍(神崎信次:湊の元担任)
北浦愛(八島万里子:噂好きの先生)
片山萌美(前坂恭子:雑誌の記者)
ぺえ(ミスカズオ:TVの中の人)
野呂佳代(広橋理美:早織の友人、クリーニング店の客)
柳下晃河(広橋岳:理美の息子、湊のクラスメイト)
小林空叶(蒲田大翔:クラスメイト)
金光泰市(浜口悠生:クラスメイト)
飯田晴音(木田美青:保利に猫のことを伝えるクラスメイト)
小畑葵(クラスメイト)
石橋実都(クラスメイト)
■映画の舞台
日本のとある地方都市
ロケ地:
長野県:諏訪市
旧城北小学校
https://maps.app.goo.gl/zZpi1J8BvDdsVG9R6?g_st=ic
JR上諏訪駅
https://maps.app.goo.gl/2y5BbSZkzcmFAG559?g_st=ic
立石公園
https://maps.app.goo.gl/jJZCcDpUPmNYiMcLA?g_st=ic
長野県:下諏訪市
クリーニングモモセ
https://maps.app.goo.gl/qHW1FoedbZw3svbo6?g_st=ic
長野県:岡谷市
釜口水門
https://maps.app.goo.gl/wmD9sxRVyRqFFEyJ6?g_st=ic
童画館通り
https://maps.app.goo.gl/hMmV1p6dDr6huTDL6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
クリーニング店で働くシングルマザーの早織は、小学校に通う湊と仲睦まじく暮らしていた
ある日、湊が怪我をして帰ってきて、早織が問いただすと、「先生に叩かれた」と言い、「豚の脳」といじられたことが判明する
そこで早織は学校に出向き、真相を聞き出そうとすると、校長をはじめとした教員は煮え切らない態度を見せ、担任・保利先生も明確な説明をしなかった
帰り道の途中、車内で湊の話を聞いていたところ、突然湊が車から飛び降りてしまう
病院で検査をするものの異常はなかったが、それ以降、湊はまともに母に話をすることがなくなってしまった
一方その頃、街の火災現場近くに恋人と歩いていた保利は、野次馬の生徒たちに注意を促すものの、火災のあった雑居ビルのガールズバーの客をお持ち帰りしていると思われてしまう
その噂は子どもたちの間で広がり、やがて保護者を通じて早織の耳に入ることになった
早織は学校に不信感を募らせ、弁護士を通じて真相解明へと乗り出す
そして、実態を解明するために、生徒たちに「あるアンケート」が配られるのである
テーマ:怪物とは何か
裏テーマ:ゲームと現実
■ひとこと感想
故・坂本龍一が音楽を担当し、長い間情報開示のない状況で公開に漕ぎつけた本作は、ネタバレ厳禁系の物語になっています
どこからがネタバレかは難しいところですが、「生徒同士の喧嘩の真相を多角的に描く」というところが限界点なんじゃないかなと思います
また、ラストは解釈が分かれますし、「怪物」とは何かについても議論を呼びそうに思いますね
個人的には「そんなに難しいかな?」と思いながら観ていて、率直な感想は「すごく精巧でうまく脚本だけど、観客の感情を揺さぶるほどではない」というものですね
なので、面白いか面白くないかという一点だけで言えば、「面白くない」方の部類に入ると思います
映画のクレジット的には安藤サクラさんが主人公に思えますが、実際には「湊と依里の物語」なので、観る前と観た後では印象がガラリを変わるのではないかなと思います
これ以上書くとネタバレっぽくなってしまうので、お楽しみは下記にがっつりと書いていきたいと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
「怪物だーれだ」が実はネタばれだったりするのですが、あまり気づかなかった人が多かったようですね
このセリフがどこで登場したのかというのがポイントになっています
映画は、「子ども同士の喧嘩」を多角的な視点で描いていき、いわゆる「羅生門効果による三幕構成」になっていました
ひとつめは「早織視点」で「子どもを持つ親が学校に不信感を持つ」というものです
ふたつ目は「保利視点」で「巻き込まれて追い込まれる」様子が描かれていきます
最後が「子ども目線」で「実際に何が起こっていたのか」がわかるようになっていて、親も先生も気づいていない子どもの実態というものが描かれていきます
「怪物が誰か?」というのは「ざっくり言えば全員が誰かにとっての怪物」というものですが、実際には「怪物を怪物たらしめているものは何か?」というところが描かれています
映画の中で「怪物ゲーム」というものが行われますが、「怪物のカードを引いた人」は「自分が怪物であること」を知りません
また、「相手が怪物カードを引いた場合」も、「怪物であることをどう伝えるか」というところに行き着いていると言えます
■怪物ゲームは社会の縮図
映画の予告編では、「怪物だーれだ」というセリフが印象的で、それがインディアンポーカーのような「怪物ゲーム」のセリフであることがわかります
この「怪物ゲーム」は、手書きの動物などの絵札をインディアンポーカーのように見せ合って、相手にヒントを与えるというものでした
答えが直接わかるようなものではなく、あくまでも連想ゲームのようにヒントを与えていくものでした
相手がかざしているカードは、その本人が知らないもので、それを相手に伝えるためには「直接的な言葉」「相手を傷つける言葉」を避けることになります
相手も自分に対して同じことをするので、それによって「心の中にある直接的な言葉」は封印されたまま、「相手が気づいてくれたらいいな」という感じで進んでいくのですね
この構図は社会のどこにでもあって、「相手の本質を避けた言葉選び」をして、それとなく伝えるということがあります
カードの中身が当たり障りのないものだと、ストレートに近い文言になりますが、そのカードが「怪物」だったらどうでしょうか?
相手にそれを伝えるときに、「自分の中にある怪物像を言語化する」ことになるのですが、怪物の言語化って結構難しいのですね
しかも、自分の中にある「恐怖の対象」を披露することにもなるし、相手を傷つけないように言葉選びをすることになります
実社会でも、モンスターペアレンツに「モンペ」とは言いませんし、そう言った強い言葉を相手に投げかけるのはよっぽどのことがあった時なのですね
映画だと、「私が話しているのは人間?」という言葉を早織が発しているのですが、これでもオブラートに包まれている方なのですね
もっと興奮状態になると、「あんたらは自分の保身しか考えない人間のクズだ!」みたいなところまで行き着きますし、事実誤認を通り越して「校長先生は孫を轢き殺して夫に罪を被せた最低の人間だ」なんて言葉になることもあります
映画では描かれていないのですが、猫のことを保利先生に話す女生徒・木田美青というキャラが、湊に対して「カミングアウトしちゃいなよ」という言葉があります
この言葉は、BL好きの美青が「湊を同性愛者だと決めつけている」のですが、この言葉に見られるように、子どもは言語化のストッパーが効かずに直接的な言葉を投げかけてしまう怖さをはらんでいると言えます
■結局どうなったか問題について
映画のラストは、台風一過の空のもと、野原を駆け回っていく二人が描かれていました
そこで交わされたセリフは、
依里「生まれ変わったのかな?」
湊「そういうのはないよ思うよ」
依里「ないか」
湊「ないよ。もとのままだよ」
依里「そうか。良かった」
となっています
その後、二人を呼ぶ声がして振り返って、そのまま走り出してしまいました
この一連の流れが「死後の世界」「妄想(夢)の世界」「現実世界」の3つの解釈にわかれています
死んでいるかどうかはわかりませんが、早織と保利先生が電車に来たときには二人はいませんでした
そこに死体があればはっきりとする話ですが、それを描かなかったことで「あの場所から外に出てどこかに逃げた」というふうに見えてしまいます
早織と保利先生が電車内すべてを見るのは不可能だと思うので、窓の外に逃げた描写をどう捉えるのかでしょう
「生まれ変わり」に関して、湊が興味を示していた部分がありましたが、最後は依里の方がこだわりを見せていましたね
生まれ変わりがないことを湊が言っているので、おそらくは「湊は生まれ変わらずにこのままいたい」と考えを改めたのだと思います
また、この心理的な変化が起こったのは、自分の心の中にあったものが整理できたからでしょう
それをどう表現するかで物議を醸しそうではありますが、誤解を恐れずに言えば、「自分に起こっていることは変ではないと理解した」のだと思います
それは、「依里の肯定と同調がそうさせた(「僕にもあるよ」というセリフですね」のだと考えられます
個人的な見解だと、二人はまだ電車のどこかにいて、まだ生き残っているのだと考えています
そこでは二人は同じ夢を見ていて、早織と保利先生の声が聞こえてくる
早織たちは電車の一部を捜索できても、その先の崩れた部分などは探しようがないので、夜が明けてから、救助隊が現着したと考えるのが自然だと思います
「生まれ変わりはなかった」というのが彼らの現実感を表していると思うので、二人は助かったのではないかな、と感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は、緻密な脚本によって積み上げられたものがあって、細かな言葉を過大解釈していくキャラクターが描かれていきます
依里をいじめられているのを見かねた湊が止める様子を見て、この二人は思い合っているに違いないと思い込むBL女子(映画では割愛されている)
依里に対するいじめを止めるために、ロッカーのものを投げつけた湊は、その行為を保利先生に誤解されてしまいます
依里への思いが理解できないまま、それを隠そうとする湊は、起きた出来事を断片的に早織に話します
早織の元には、広橋からの噂話などで余計な情報が入り、スーパーでのよそよそしい保利先生の態度に不信感を募らせます
保利先生と湊の間にあったのは「ものを投げつける行為に対する指導」で、その趣旨が早織や教頭先生などにはうまく伝わっていません
早織が学校に来たという事実だけが一人歩きし、学校側は穏便にことを済まそうとして、誰からの話もまともには聞きません
それによって、早織は学校の対応に不信感を持ち、自分の中に集まった情報を拡大解釈しつつ、無理に合致させて、ありもしないことを突きつけます
学校側は早織の被害者妄想意識に困惑し、さらに弁護士が介入したために、保利先生を切り捨てる方向に動いてしまいました
この流れのどこにも真実はなく、自分の思い込みを肥大化されて、面白おかしく伝達したことによって、思いもよらない事態を生んでいるのですね
広橋が早織に言う「保利先生はキャバクラに行っていた」と言う発言も、火事の日に女性と歩いていたところを広橋の息子・岳が見ていただけで、彼は「あの店から出てきた」とありもしないことを言っています
しかも、女の人がいるお店が「ガールズバー」から「キャバクラ」に勝手に変換されているのもタチが悪いと思います
偶然が重なったと言えばそれまでなのですが、本作では「言葉の連鎖の途中で疑問視するキャラがいない」のですね
それは、状況が刻々と悪化していくからと言うことと、当事者がそこにいないからだと言えます
ある喧嘩騒動は、渦中にいない人の装飾された情報によって、真実から遠い場所へと行ってしまいます
発信者は自分の言葉がどのように伝わり変化したかを知ることもなく、起こっている詳細すら知ることはできません
でも、世の中で起こることってのは、ほとんどこのようなものなのですね
実社会においても、自分の発信は歪んで伝わるのが常で、今では発言の切り取りによって商売している大人がいる時代だったりします
この映画は怪物は誰かを問うているのですが、それを一言で言えば「全員」と言うことになるのでしょう
でも、実際にはどこにも怪物というものはいなくて、真実とは別路線で走っていく言葉そのものが怪物という意味になるのかもしれません
色々と解釈が分かれるとは思いますが、まずは観て議論に参加したり、色んな解釈を知ることが良いのかなと思います
そうすることによって、同じものを見ている人の考えの違いというものが見えてきて、そうしたもので社会が出来上がっていることに気づけるのではないでしょうか
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/385771/review/2b780410-b781-4bb7-bdf3-0f207280fa3e/
公式HP:
https://gaga.ne.jp/kaibutsu-movie/