■太陽が映し出したのは、残酷な現実と良からぬ想像だったのかもしれません


■オススメ度

 

成長によって理解できる苦悩を知りたい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.6.2(MOVIX京都)


■映画情報

 

原題:Aftersun(太陽のあと)

情報:2022年、イギリス、101分、G

ジャンル:父と同じ年齢になった娘が、父との思い出に浸る中で、父が抱えてきた苦悩に気づく様子を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:シャーロット・エルス

 

キャスト:

ポール・メスカル/Paul Mescal(カリム・アーロン・パターソン:別居中の娘と旅行に行く父)

フランキー・コリオ/Frankie Corio(ソフィー:母元で暮らすカリムの娘)

   (成人期:セリア・ロウルソン=ホール/Celia Rowlson-Hall

 

サリー・メッシャム/Sally Messham(ベリンダ:トルコのバスのツアーガイド)

 

Brooklyn Toulson(マイケル:トルコで知りあう少年)

 

Ruby Thompson(ローラ:トルコで知り合うティーンエイジャー、リストバンド持つ富裕層の娘)

Spike Fearn(オリー:ローラの友人、ソフィーたちとビリヤードをする青年)

Harry Perdios(トビー:ローラの友人、ソフィーたちとビリヤードをする青年)

Ethan James Smith(スコット:ローラの友人)

ケイリー・コールマン/Kayleigh Coleman(ジェーン:ローラの友人)

Kieran Burton(アレックス:遅れて合流するローラの友人、トビーのパートナー)

 

Ayse Parlak(マキシン:トイレでヒソヒソ話をしている少女)

Sphiea Lamanva(ルーシー:トイレでヒソヒソ話をしている少女)

 

Frank Corio(「Ocean Park」で駄々をこねられる少年の父)

Onur Eksioglu(オヌール:ダイビングインストラクター)

Cafer Karahan(カリムが訪れる絨毯屋)

Tyler Mutlu(「Ocean Park Hotel」のバーレストランのウェイトレス)

Nijat Gachayev(「Turk Hotel」の受付)

 

Erol Cengizalp(写真を撮ってくれる男性)

John Stuifzand(トニー:イベントで歌う老人)

 

Sarah Makharine(成人したソフィーのパートナー)

 


■映画の舞台

 

トルコ:エーゲ海側のリゾート地

 

ロケ地:

トルコ:

フェトヒエ/Fethiye

https://maps.app.goo.gl/sgD7to6wYuhxAn4P8?g_st=ic

 

オルデニゾ/Ölüdeniz

https://maps.app.goo.gl/6ZqSaho2aE8GRw846?g_st=ic

 

スルタニエ温泉/Sultaniye

https://maps.app.goo.gl/jGpjHCB3Ui9s98td6?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

父と同じ年齢になったソフィーは、20年前のトルコ旅行のホームビデオを眺めていた

それは、父と最後に行った旅行で、11歳に自分のあどけなさと、大人になってからわかる父の本当の姿があった

 

母と暮らし、父とは別居中だったソフィーは、一週間程度のトルコ旅行に向かう

自身の誕生日を終え、2日後には父の誕生日を迎える

そんなタイミングでのトルコ旅行は楽しい思い出ばかりだけではなかった

 

リゾート地のホテルに泊まった二人は、のんびりとプールで過ごしたり、現地で出会った少年たちとビリヤードをしたり、アーケードゲームに興じたりする

だが、そんな裏側には、父の悲壮な顔が覗かせていて、ソフィーは自分の人生や状況を重ねながら、父の行動の理由を探る回想に身を委ねていく

 

テーマ:大人になってわかること

裏テーマ:同じ状況になってわかること

 


■ひとこと感想

 

映画は、ホームビデオと大人ソフィーの想像が織り込まれている作品で、記録と記憶が混同している内容になっています

なので、全てが現実というわけではなく、多くの部分は「父を想像し、美化している部分がある」と言えるでしょう

 

トルコののどかで開放的な空の下、あの時に何が起こっていたのか?

それをソフィー目線で紐解く内容ですが、そこに映し出されていたものと、ソフィーの記憶の中にある父親像が合致した時、彼の状況が痛いようにわかるという感じになっています

 

この旅行の後に父がどうなったのかは想像にお任せしますという感じになっていますが、その想像は遠くないものだと思います

あと、気になったのは、なぜこのタイミングでこのビデオを見返そうと思ったのか?なのですね

これに関してはネタバレ感想の方で持論を展開したいと思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

冒頭でホームビデオを見ているソフィーは、赤ん坊の泣き声でテープを止めていました

そのシーンは空港で別れるシーンで、本編の最後の方に登場します

 

映画の途中でもパートナーと一緒に過ごしているソフィーが描かれ、彼女には子どもがいるけど、同性のパートナーと過ごしている現実が窺えます

おそらくは父親(夫)が不在という環境で、出産直後もしくは養子を取っているというものでしょう

でも、赤ん坊が泣いた時のパートナーとのやり取りからすると、自分で産んだ子どものように思えます

 

ソフィーが31歳になってこのビデオを見返したのは、おそらくは産後うつによるものと、子どもを育てていくことに対する不安があったからだと思います

そんな時、父は自分にどう接していたかというのを知りたくなったのと同時に、父がどうしてあの行動(映画では言及されませんが、おそらく自殺している)を取ったのかを感じ取りたかったのではないでしょうか

そして、記録と記憶は、ソフィーに辛い現実を突きつけることになりました

 


記録と記憶の違い

 

映画は、「記録であるホームビデオ」と「記憶の再現」が混じったものになっていて、「31歳になったソフィーがホームビデオを見ながら父のことを思い出している」という内容になっています

時折、現実パートが登場し、現在の時間軸の妄想というものも入り混じっていました

冒頭のバスのツアーガイドであるベリンダが、なぜか「フラッシュバックのダンスシーンに登場」したりするのですが、このあたりの混乱というものが、ソフィーの気づきによってもたらされているのでしょう

もしかしたら、ベリンダはソフィーの母(カリムの妻)が想起されてできた架空のキャラクターなのかもしれません

 

記録に関しては見たままのもので、それは真実を映していると言えます

でも、記憶に関しては、かなり捏造されている部分が多く、本作は「信頼できない語り手」というカテゴリーになるのだと思います

ソフィーの脳内を再現しているけど、全てが事実ではなく、ところどころで解釈や妄想が入り混じっている、ということになります

 

本作は、記録の解釈によって、記憶が上書きされる様子を描いていて、31歳になって観たホームビデオによって、当時(これまでに何度か観たはずなのに)はわからなかったことが見えて来たことを伝えています

カリムが裸で泣いているシーンなど、彼女がそれを目撃したのか、想像で描いているのか曖昧で、その正解がどこにあるのかを看過するのは難しいと思います

 

映画の冒頭では、「ホームビデオの別れ際」が映っていて、空港でバイバイするシーンになっていましたね

このシーンは「おそらくは、これまでに観た時にそのままにしておいた」というもので、テープを入れたら「その場面から始まってしまった」のだと思います

そこで、赤ん坊の声が聞こえて、その間にテープは巻き戻って、旅行の最初から再生される、という感じになっていました

 

赤ん坊の泣き声に反応するソフィーですが、おそらく生後数ヶ月なのだと思います

劇中でも寝ている時に赤ん坊が泣き始めて、それをあやしにいくシーンがありますが、この時のパートナーは「ソフィーの状態を気にかけている」という感じで、ソフィー自身が育児のノイローゼになりつつあるという感じに描かれていました

同性婚をしているソフィーが赤ん坊を出産した経緯というのは描かれませんし、夫(赤ん坊の父)の存在も皆無でしたね

このあたりは色んな可能性があるのですが、映画ではバッサリとカットされていました

心理的な変化に大きな作用をもたらしているとは思いますが、それを描かないことで、色んな想像の余地を残しているのだと考えられます

 


幼少期の行動がもたらしたもの

 

幼少期のソフィーは無邪気で可愛げがあり、父親想いであることがわかります

男の子に興味を持つし、年上の男性とは普通に話せるし、積極的に知らない人に話しかけて、サプライズを演出したりしていました

カリムがスキューバーダイビングのインストラクターと話している内容は、30歳になった自分に不安があるというものですが、これがビデオに残っていたのか、ソフィーの記憶に残っていたのかはわかりません

20年前の父と他人の会話を覚えているというのも無理な話だとは思いますが、印象的かつ記録映像とともに残っていた記憶なので、映像を観たことで想起したのかもしれません

このあたりの「本当にあったことかどうか微妙」というものが、映画にはたくさん登場しています

 

記憶を改竄しているとまでは言わないのですが、自分にとって都合の良い解釈が記憶と定着するというのは良くある話なのですね

思い込みによって、事実とは違うものが記憶として残り、それがあたかも事実であったかのように思ってしまう

この思い込みの連鎖というものが起きるのが人間の脳の特徴で、観たいように観ていると言われる所以にもなっています

ソフィーが父とインストラクターの話を聞いていたとして、それを解釈しているのは8歳のソフィーなので、断片的かつ当時の知識による解釈というものが残っています

それを振り返った時、あの時はこうだったのでは?と疑問に持つことも多いのではないでしょうか

 

少女時代に起こった出来事というのは、思い返す頻度によって、記憶の定着度が違うと思います

よく思い出すことは鮮明で、そうでないものは曖昧になるのですが、曖昧さを自分の中で一本の線にするときに、その隙間を想像で埋めるということが起きます

今回の場合は、31歳になったソフィーが8歳にときに自分と父が撮ったテープを元に記憶を再現しているので、31歳のソフィーの想像が入っていることになります

また、いくつかの記憶は重ね書きになっているものもありますが、31歳の時点で再発見されたものが上書きになる場合もありますね

 

本作では描かれませんが、ソフィーがこのビデオをどのような頻度で見返したのか、というのは事実を知る上で結構重要なポイントになっています

でも、そこは描かれないし、何年振りかもわからないし、と不明な点が多いので、決定的なものを導き出す要素はないに等しいと言えます

個人的な想像だと、31歳の誕生日を機に、子育てに悩むソフィーは「父親とは何かを理解するため」に久しぶりに観たのではないかと考えています

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画では、時折「フラッシュで点滅する映像」が挿入され、それはラストシーンでカリムが向かう先だったことがわかります

その中のひとつに「カリムとベリンダらしき女性が踊っている」というものがありました

点滅のシーンなので意味不明なのですが、公式脚本の方に「ベリンダなの?」というようにソフィーが驚いている一文があって、ソフィーの中ではベリンダという女性には特別な何かがあるように思えます

 

ベリンダは冒頭のツアーガイドなので、あのフラッシュシーンは「トルコのクラブか何か」なのかなと思いました

記憶の多くはトルコのものなので、そこでカリムがハメを外していたという記憶があるのかなと思います

また、後半のフラッシュシーンでは、大人のソフィーとカリムが向き合って、ソフィーがカリムを突き落としているようなイメージが描かれています

 

大人のソフィーが登場するのがこのシーンを含めて、数回あって、その一つがパートナーと一緒に寝ているシーンでした

そこでは、赤ん坊の泣き声が聞こえてきて、それをあやしにいくソフィーが描かれています

大人のソフィーが登場するシーンは、現在軸か想像になるのですが、このパートナーシーン以外は想像の世界であると言えます

ベリンダを見るシーン、カリムを突き落とすシーン

この二つは、現時点で見返したときに、ソフィーの中に芽生えたシーンであると思われるので、言い換えれば「新しいカリムを感じた」ということになるのだと思います

 

ベリンダと踊っているのは、カリムに別の女性がいたのでは?と想起しているのでしょう

そこにベリンダが登場するのは、ソフィーの記憶の中にある知らない女性がベリンダだから、ではないかと思います

後半の突き放したシーンに関しては、「カリムに決定機を与えたのは自分だったのでは?」と考えたからでしょう

映画では描かれていませんが、どこかの時点でカリムは自殺をしていると考えられ、その原因が「8歳の時の自分だったのでは?」という考えに至ってしまったということでしょう

 

トルコの旅では、カリムは最後の旅であることを自覚していますが、ソフィーはそんなことは全く思っていません

それが最後の旅だったことがわかるのは、ソフィーに宛てた手紙の内容によって、「最後」を予感させるものだったのかもしれません

 

もし、カリムが最後を覚悟しているとしたら、トルコの旅の後に何かを起こすことを想定しているからでしょう

それを裏付けるのが、ラストショットになっていて、このラストシーンは「空港で別れたカリムがフラッシュシーンの部屋に向かう」というものでした

 

あの部屋はソフィーの脳内にだけ存在する世界です

それは、言い換えれば「現実にはない世界」ということになるので、ソフィーの記憶の中に消えていくという意味になるのだと思います

このシーンに至る前に、大人のソフィーの部屋が映し出され、そこにはカリムが買った絨毯がありました

カリムはあの絨毯をトルコのお土産として購入し、その後手紙とともにソフィーの元に送ったのでしょう

その時系列は不明ですが、カリムにとってのあの旅行の思い出が形になったものが、あの絨毯なのかもしれません

その意図まではさすがにわかりませんが、ソフィーの記憶の中にいるカリムはその絨毯に執着をしているのですが、そのシーンも「送られてきた絨毯を見て、ソフィーが想像している」というものなので、カリムの意図を汲み取るのは無理なんだと思います

 

映画は、ソフィーがビデオを見返したことで、新しい発見をして、それを記憶として組み込んでいるものでした

カリムが泣いている映像は「誕生日を祝った後」だったので、年を重ねることに不安を持っていたことになります

その正体まではわかりませんが、ソフィーは意図せずにカリムを苦しめることをしてしまった、と気づいている映画なので、それ以上の深掘りは必要ないのかもしれません

 

映画はかなり難解なものなので、この解釈が合ってるのかはわかりません

あくまでも、個人的な解釈として書き連ねているので、色んな解釈があっても良いでしょう

ちょっと投げすぎな感は否めませんが、シーンの意図と整合性を無理やり考えてみたら、こんな感じなのかなと思いました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/387142/review/8a6f694c-2d8a-4652-bfea-19295c3c2b1c/

 

公式HP:

http://happinet-phantom.com/aftersun/index.html

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投稿者 Hiroshi_Takata

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